第149話 魔王国の少女 リリス 前編
魔王国――
世界会議から数日後。
魔王城では、一通の書簡を前に、魔王アサダと軍師サムが向かい合っていた。
「して、ユージ殿は何と?」
アサダが尋ねる。
サムは書簡を静かに閉じた。
「人材育成のプロトタイプとして。」
「子供を一人、ユージア国へ派遣して欲しいとのことです。」
「なるほど。」
「彼らの最先端の知識を学べるのであれば、願ってもない話ではありませんか。」
しかし。
サムは静かに首を横へ振った。
「いえ、魔王様。」
「教育とは、知識を教えるだけではありません。」
「思想も教えるものです。」
「思想……ですか?」
「はい。」
「教育には、多くの恩恵があります。」
「ですが。」
「同じだけ危険性もあります。」
アサダは首を傾げた。
「危険性とは?」
「教育を受けた者は、自らの知識に自信を持ちます。」
「それ自体は悪いことではありません。」
「ですが。」
「時として、自分こそ正しいと思い込み。」
「その考えを周囲へ押し付けようとする。」
「余計なお世話です。」
「全く。」
アサダは思わず吹き出した。
「相変わらず手厳しいですね。」
「現実主義と言っていただきたいですね。」
二人は小さく笑う。
やがてアサダは真顔に戻った。
「では。」
「断りますか?」
「それは得策ではありません。」
サムは即答した。
「ユージ殿は、おそらく各国にも同じ依頼を出しています。」
「我々だけが拒めば。」
「魔王国だけが取り残されるでしょう。」
「なるほど。」
「では、人選ですね。」
「はい。」
サムは頷いた。
「その件につきましては、事前に各軍団長へ候補者の選定を依頼しております。」
「入りなさい。」
重厚な扉が開く。
堂々たる体躯の男が姿を現した。
豪将ロクローマル。
かつては武を誇り、独断でユージア国へ兵を進めた男。
しかし今は、その瞳に以前にはなかった落ち着きが宿っていた。
ロクローマルは片膝をつく。
「お呼びでしょうか。」
「以前お願いしていた件です。」
サムが切り出す。
「候補者は決まりましたか。」
「はい。」
ロクローマルは力強く答えた。
「既に決めております。」
「誰です?」
「リリスです。」
アサダは聞き返す。
「どのような娘です?」
「十三歳。」
「第三訓練隊所属の見習い兵です。」
「幼い頃に父を亡くし、現在は母と二人暮らし。」
「剣術、魔法ともに優秀。」
「訓練成績だけなら同期でも上位です。」
アサダは満足そうに頷いた。
「それは頼もしい。」
しかし。
ロクローマルは表情を曇らせた。
「ですが。」
「あの娘は。」
「軍人としては問題児です。」
「ほう?」
「理由を聞かせてください。」
サムが静かに促した。
ロクローマルは、一瞬だけ目を閉じた。
「……あの娘の父親のオーノウは。」
「私の盟友でした。」
部屋の空気が変わる。
「若い頃。」
「幾度となく共に戦場を駆け抜けた男です。」
「誰よりも腕が立ち。」
「誰よりも仲間思いで。」
「そして。」
「誰よりも命令違反が多い男でした。」
アサダが思わず笑う。
「軍人としては落第ですね。」
「その通りです。」
ロクローマルも苦笑する。
「何度叱っても。」
『目の前で助けを求める者を見捨てるくらいなら、軍など辞める。』
「そう言って笑う男でした。」
少しだけ目を細める。
「鬱陶しい男でした。」
「ですが。」
「……少しだけ。」
「眩しくもありました。」
静かな沈黙。
やがて。
ロクローマルは低く続けた。
「ある日のことです。」
「魔物討伐の帰路。」
「見習い兵が一人、取り残されました。」
「既に撤退命令は出ていました。」
「ですが。」
「あいつは戻った。」
「見習い兵は助かりました。」
「代わりに。」
「彼は帰ってきませんでした。」
誰も口を開かなかった。
「リリスは。」
「あいつによく似ています。」
「困っている者を見れば。」
「命令など忘れて飛び出す。」
「何度叱っても。」
「何一つ変わりません。」
苦笑する。
「まるで。」
「あいつが帰って来たようです。」
サムは静かに頷いた。
「なるほど。」
「だから、軍人としては問題児なのですね。」
「はい。」
ロクローマルは深く頷いた。
「ですが。」
「もし。」
「あの娘を導ける者がおられるとすれば。」
「それは私ではなく。」
「ユージ殿でしょう。」
アサダは優しく微笑んだ。
「ロクローマル。」
「あなたも変わりましたね。」
ロクローマルは少し照れ臭そうに笑う。
「……そうかもしれません。」
サムは静かに立ち上がった。
「では決まりです。」
「リリスをここへ。」
「はっ!」
ロクローマルは力強く一礼すると、謁見の間を後にした。
その頃――
「止まれぇぇぇぇぇ!」
「リリス!」
「また命令違反だ!」
魔王城の訓練場では。
一人の少女が、全力で城壁を飛び越えていた。




