↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【新装版】枯れたおっさん、何もしないで異世界を救う  作者: アズマユージ
第三部 文明発展編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
149/204

第148話 王国の少年 ガイル 後編

 その夜。


 ガイルの家には、村長が来ていた。


 母は青ざめている。


 幼い妹は、母の服を掴んで離さない。


 ガイルは、戸口の近くで黙って立っていた。


「……ガイルを、ですか」


 母の声は震えていた。


「すまん」


 村長は深く頭を下げた。


「村のためじゃ」


「この村は沈む」


「新しい土地へ移らねば、皆、生きていけん」


「しかし、そのためには一人、ユージア国へ送らねばならん」


「だからって……」


 母は言葉を失った。


 村長は苦しそうに目を伏せる。


「分かっておる」


「子を送り出せなど、酷な話じゃ」


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて、村長は静かに口を開く。


「じゃがの」


「ガイルなら」


「どんな環境でも、しぶとく生きていけるじゃろう」


 母が顔を上げる。


「それは……」


「この子なら、いなくなっても構わないという意味ですか」


「違う」


 村長は即座に首を横に振った。


「違うんじゃ」


「わしはな」


「この村で、あの子を活かせる大人がおらんことも分かっておる」


 ガイルが、わずかに目を動かした。


「ガイルは変わった子じゃ」


「畑には向かん」


「言われたことだけをやるのも苦手じゃ」


「じゃが」


「壊れたものを見る目は、誰より確かじゃ」


 村長はガイルを見る。


「わしらには、それをどう伸ばせばいいのか分からん」


「だから叱る」


「止める」


「余計なことをするなと言う」


「それしかできん」


 母は唇を噛み締める。


 村長は続けた。


「他の子なら」


「親元を離れれば心が折れるかもしれん」


「知らぬ土地では生きていけんかもしれん」


「じゃが」


「ガイルなら」


「どこへ行っても」


「何かを拾い」


「何かを直し」


「何とかして生きていく」


 一拍置いて。


「あの子なら、きっと生き抜く」


 残酷な言葉だった。


 だが。


 そこには確かな信頼もあった。


 母は、何も言えなかった。


 その時だった。


「行くよ」


 戸口から声がした。


 ガイルだった。


 母が振り返る。


「ガイル!」


「俺、行く」


「何言ってるの!」


「村が沈むんだろ」


 ガイルは静かに言う。


「新しい畑、もらえるんだろ」


「妹も腹いっぱい食えるんだろ」


 母は俯く。


「なら、いい」


 少しだけ笑う。


「どうせ俺」


「ここにいても怒られてばっかだし」


「そんなことない!」


 母は思わず叫んだ。


 ガイルは少し困ったように笑う。


「それに」


「ユージア国って」


「すごい道具がいっぱいあるんだろ」


「見てみたい」


 その言葉は。


 十二歳の少年らしい、素直な好奇心だった。


 母は堪え切れず、泣き崩れた。


 村長は深く頭を下げる。


「すまん」


「本当に、すまん」


 ガイルは頭を掻いた。


「別に」


「村長が悪いわけじゃないし」



 旅立ちの日。


 村人たちは、黙ってガイルを見送っていた。


 誰も大きな声は出さない。


 それぞれに後ろめたさがあった。


 母は、小さな木箱を抱えてきた。


「これ……」


 ガイルは蓋を開ける。


 そこには。


 父が生前使っていた工具が、整然と並べられていた。


 どれも使い込まれていた。


 だが、錆一つない。


 母がずっと手入れを続けていたのだ。


「お父さんの道具よ」


「もう」


「あなたが持っていきなさい」


 ガイルは黙って見つめる。


 そして。


 腰の袋から、自分の小さな工具セットを取り出した。


 五歳の誕生日。


 父からもらった宝物。


 子供用の、小さな工具。


 擦り減った木の柄を、そっと撫でる。


 そして、父の工具箱を抱き締めた。


 父の工具を一本、手に取る。


 少し重かった。


 だが。


 その重さが、不思議と心地良かった。


 母は微笑む。


「お父さんも」


「きっと喜んでる」


 ガイルは、小さく頷いた。


「うん」


 妹が泣きながら抱きつく。


「兄ちゃん」


「帰ってくる?」


 ガイルは少し考えた。


「帰る」


「ほんと?」


「うん」


 今度は迷わなかった。


 村長が近付いてくる。


 その手には、小さな革袋が握られていた。


「ガイル」


「これも持って行きなさい」


 ガイルは袋を受け取り、中を覗く。


 銀貨。


 銅貨。


 新しいものもあれば、角の擦り減った古い硬貨もある。


 大きさも年代も、てんでばらばらだった。


 村長は少し照れ臭そうに笑った。


「村のみんなからの餞別じゃ」


「皆、暮らしは苦しい」


「ほんのわずかしか用意できんかったが……」


「新しい生活の足しにしてくれ」


 ガイルは袋を見つめた。


 決して大金ではない。


 だが。


 一枚一枚に、それぞれの家の暮らしが詰まっていることだけは分かった。


 村人たちは誰も目を合わせようとしなかった。


 本当は送り出したくなどなかった。


 それでも。


 自分たちは、この子を送り出すことで新しい暮らしを手に入れる。


 その後ろめたさを。


 この小さな革袋に託したのだ。


 ガイルは革袋を胸に抱き、深く頭を下げた。


「……ありがとう」


 それ以上の言葉は出てこなかった。


 村長はガイルの肩に手を置く。


「向こうへ行っても」


「無理はするな」


 ガイルは頷く。


「うん」


「それと」


 村長は少し笑った。


「余計なことは……」


 言いかけて止める。


 そして。


「いや」


「お前が正しいと思ったことを、やりなさい」


 ガイルは目を丸くした。


 そんな言葉を掛けられたのは、生まれて初めてだった。


 少しして。


 静かに頷く。


「分かった」


 馬車がゆっくり動き出す。


 ガイルは振り返った。


 小さな村。


 痩せた畑。


 古い水車。


 煙の上がる家々。


 そのすべてが。


 数年後には、水の底へ沈む。


 胸の奥が少しだけ痛んだ。


 それでも。


 ガイルは泣かなかった。


 父の工具箱と。


 村人たちから託された小さな革袋を。


 しっかりと胸に抱き締める。


(父ちゃん)


(みんな)


(俺、行ってくる)


 こうして。


 王国から選ばれた最初の生徒、ガイルは、


 父の工具箱と、


 村人たちから託された小さな革袋を胸に抱き、


 ユージア国へと旅立った。


 まだ誰も気付いていない、自らの才能を携えて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。