↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【新装版】枯れたおっさん、何もしないで異世界を救う  作者: アズマユージ
第三部 文明発展編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
148/209

第147話 王国の少年 ガイル 前編

 王国北部。


 山間の小さな村に、一通の通達が届いた。


 差出人は王国政府。


 内容は、村人たちにとってあまりに重いものだった。


 この村の近くに、新たな製鉄所を建設する。


 それに伴い、上流に大きな貯水用の堰を設ける。


 その結果。


 村は、ダム湖の底に沈む。


 村長は、通達を何度も読み返した。


 古い木の机。


 煤けた天井。


 囲炉裏の火。


 村の寄合所には、重苦しい沈黙が落ちていた。


「……つまり」


 村人の一人が震える声で言った。


「わしらの村は、なくなるということか」


 誰も答えられない。


 村長は、ゆっくり頷いた。


「そういうことじゃ」


 ざわめきが広がる。


「ふざけるな!」


「先祖代々の土地だぞ!」


「王都の連中は、わしらを何だと思っとる!」


「出て行けと言われて、はいそうですかと言えるか!」


 怒号が飛ぶ。


 泣き出す者もいた。


 それも当然だった。


 この村は豊かではない。


 山間の痩せた土地。


 冬の冷たい風。


 獣害。


 少ない収穫。


 飢えこそしないが、楽な暮らしではなかった。


 だが、それでも故郷だった。


 祖父母が生きた土地。


 父母が耕した畑。


 子供たちが走り回った小道。


 村人たちは皆、その土の上で生きてきた。


 そのすべてが水の底に沈む。


 簡単に受け入れられるはずがなかった。


 だが。


 通達には移住先の条件も記されていた。


 新しい土地。


 新しい家。


 広い畑。


 家畜小屋。


 共同井戸。


 さらに、当面の生活支援。


 今より良い暮らしができるかもしれない。


 村人たちは怒りながらも、その事実を否定できなかった。


 この村の暮らしは厳しい。


 子供たちも、遊ぶ暇などほとんどない。


 畑を手伝い。


 薪を拾い。


 家畜の世話をする。


 そうしなければ、家族が食べていけない。


 新しい土地へ移れるなら。


 子供たちに腹いっぱい食べさせてやれるかもしれない。


 それは、村人たちにとって抗いがたい条件でもあった。


 ただし。


 条件が一つあった。


「ユージア国に新しくできる学校へ」


 村長は重い声で告げた。


「この村から生徒を一人、派遣せねばならん」


 沈黙。


 直後。


 村人たちは一斉に声を上げた。


「そんなもん、騙されとるに決まっとる!」


「どうせ働かされるだけじゃ!」


「子供を人質に取るようなもんだ!」


「王都の連中の考えそうなことじゃ!」


「学校などと言って、何をさせられるか分かったもんじゃない!」


 村長は、静かにその声を聞いていた。


 そして。


「気持ちは分かる」


 ぽつりと呟いた。


「じゃがの」


「この条件を飲まねば」


「この村は、ただダムの底に沈むだけじゃ」


 誰も何も言えなかった。


 村長は続ける。


「それにの」


「わしはユージア国へ行ったことはない」


「じゃが、評判は聞いておる」


「かの国では、皆が笑って暮らしておるそうじゃ」


「ユージ国王は、寛大なお人だとも聞く」


 一度言葉を切る。


「悪いようには……ならんと思いたい」


 断言ではなかった。


 祈りに近かった。


 村人たちは互いに顔を見合わせる。


 誰を出すのか。


 その問いは、あまりに重い。


 働き手になる子は出せない。


 利口な子も出せない。


 親の助けになる子も出せない。


 口に出す者はいなかった。


 だが、全員の頭に、同じ名が浮かんでいた。


「……ガイルはどうじゃ」


 村長が言った。


 空気が止まった。


 ガイル。


 村の外れに住む十二歳の少年。


 父は早くに亡くなり、母と幼い妹と三人暮らし。


 体は丈夫。


 手先も器用。


 だが、村では問題児として知られていた。


 畑仕事を任せても、途中でいなくなる。


 薪拾いに行かせても、古い道具を拾って帰ってくる。


 壊れた荷車を勝手に分解して、怒られる。


 水車小屋に入り込み、誰にも頼まれていない修理を始める。


 村人たちは、何度も同じ言葉を口にした。


「余計なことをするな」


 と。


 誰かが小さく頷いた。


「ガイルなら……」


「まあ、確かに」


「あの子なら、村の仕事にもあまり役に立っとらん」


「母親には悪いが……」


「それに、あの子は丈夫だ」


「どこへ行っても、何とかするじゃろう」


 声は小さかった。


 だが、反対する者はいなかった。


 村長は目を閉じた。


 苦しい決断だった。


 本来なら、誰一人送りたくなどない。


 子供を差し出して村を救う。


 そんな話が正しいはずがない。


 だが、村は沈む。


 選ばねばならない。


 そして、村長自身も分かっていた。


 ガイルは、この村では活かされない。


 この村の大人たちは、ガイルをどう扱えばいいのか分からない。


 だから、叱る。


 止める。


 余計なことをするなと言う。


 それしかできない。


 村長は深く息を吐いた。


「……決まりじゃな」


 誰も喜ばなかった。


 誰も安堵しなかった。


 ただ、重い沈黙だけが残った。



 その頃。


 ガイルは水車小屋にいた。


 村の水車は、数日前から動きが悪かった。


 軸が鳴り、回転が鈍い。


 粉挽きに時間がかかり、村人たちは困っていた。


 ガイルは、それを黙って見ていた。


 そして。


 誰にも言わず、小屋に入った。


 古びた歯車。


 湿った軸受け。


 摩耗した留め具。


 ガイルはじっと見つめる。


 文字はあまり読めない。


 計算も苦手だ。


 だが、動くものを見ると、どこが悪いのか何となく分かる。


 ここが引っかかっている。


 ここが重い。


 ここを削ればいい。


 ここを締めればいい。


 そんな感覚だけは、誰にも教わらずに持っていた。


 ガイルは、小さな工具セットを取り出した。


 五歳の誕生日。


 手先の器用だった父から贈られたものだった。


「男なら、自分の道具くらい自分で手入れできるようになれ」


 父はそう言って笑っていた。


 子供用の安物だった。


 柄は擦り減り、金具には薄く錆が浮いている。


 それでもガイルは、毎日それを磨き、大事に使い続けていた。


 父はもういない。


 だが、この工具だけは、今もガイルの宝物だった。


 ガイルは工具を手に取る。


 軸の位置を少しだけ変えた。


 留め具を削り、木片を噛ませる。


 何度も回し、耳を澄ます。


 ぎぎぎ。


 まだ重い。


 削る。


 締める。


 また回す。


 ぎぎ。


 少し軽くなった。


 もう一度、軸を見直す。


 ガイルは息を止めるように集中していた。


 何かを直している時だけは、周りの声が消える。


 怒鳴り声も。


 ため息も。


 余計なことをするな、という言葉も。


 全部、遠くなる。


 目の前にあるのは、動かないもの。


 そして、それを動かす方法。


 ただそれだけだった。


 やがて。


 鈍く鳴っていた水車が。


 すう、と軽く回り始めた。


 ガイルは、少しだけ笑った。


 だが。


「ガイル!」


 怒鳴り声が響く。


 村の粉挽き係だった。


「また勝手に触ったのか!」


 ガイルは黙る。


「壊したらどうする!」


「……壊れてた」


「言い訳するな!」


 粉挽き係は小屋へ入る。


 そして、水車が軽く回っていることに気付いた。


 一瞬、表情が変わる。


 だが、すぐに眉を吊り上げた。


「だからといって、勝手に触っていいことにはならん!」


 ガイルは何も言わなかった。


 言えば、余計に怒られる。


 それも分かっていた。


「母親が探していたぞ」


「薪拾いはどうした!」


 ガイルは小さく肩をすくめる。


「忘れてた」


「忘れてた、じゃない!」


 結局。


 ガイルは叱られた。


 水車は直った。


 だが、誰も褒めなかった。


 ガイルは小さな工具セットを布袋に戻す。


 そして、水車小屋を出た。


 外では、村人たちが何やら重い顔で集まっていた。


 ガイルは首を傾げる。


 自分の知らないところで。


 自分の行き先が決められていることなど。


 まだ知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。