第120話 ひょっとこの正体
焚き火の炎が、静かに揺れていた。
夜はすっかり更けている。
だが、誰も席を立とうとはしなかった。
秘伝の書。
神楽耶の父が残した、失われた製鉄技術の手掛かり。
その一節が、ようやく意味を持ち始めたからだ。
ユージは次の頁をめくる。
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火男は息を止めるな。
火は常に風とともにある。
風を失えば火は眠り、
風に溺れれば鉄は泣く。
⸻
「で?」
神楽耶が身を乗り出した。
「ひょっとことやらは何なのじゃ?」
「ああ」
ユージは焚き火を棒でつつきながら頷いた。
「ひょっとこってのはな、祭りとかで使う面だ」
「面?」
「そう。口がこう、ひん曲がってるやつ」
ユージは口をすぼめ、片頬を歪ませた。
神楽耶が少し引いた。
「……変な顔じゃな」
「ひょっとこだからな」
「いや、おぬしの顔が変なのじゃ」
「失礼な」
ユージは元の顔に戻った。
「あれは、男が火に息を吹きかけている顔だという説がある」
「火に?」
リコが首を傾げる。
「昔は炉に空気を送るために、吹き竹とかふいごを使ったんだ」
「その時の顔に似てるって話だな」
「なるほど」
アルノルトが頷く。
「口をすぼめて風を送るわけですか」
「そういうこと」
ユージは秘伝書を指差した。
「で、このひょっとこだが、漢字だと火男と書く」
リシュンの目が細くなる。
「火の男……」
「ここに書いてある火男と同じだな」
「火を扱う者、ということか」
「昔はそう呼ばれていたらしい」
ユージは焚き火に息を吹きかけた。
赤くなった炭が、ふわりと明るくなる。
「火ってのは、空気がないと燃えない」
「空気?」
「そう。息を吹きかけると火が強くなるだろ?」
神楽耶が焚き火を見つめる。
「たしかに」
「じゃあさ」
ユージは焚き火を指したまま続ける。
「これが小さな焚き火じゃなくて、巨大な炉だったらどうする?」
「炉?」
「鉄を作るための炉だ」
神楽耶は腕を組む。
「息では足りぬな」
「だろ?」
ユージは頷く。
「だから昔の人は、道具を使って風を送り続けた」
アルノルトが小さく呟く。
「送風……」
リシュンも秘伝書へ視線を落とす。
「火男は息を止めるな」
「つまり、風を送り続ける者」
「あるいは、その役目を止めるな、という意味か」
「たぶんな」
「ふいご、でしたか」
アルノルトが言う。
「それが風を送る道具なのですね」
「そう」
ユージは手で押したり引いたりするような仕草をした。
「押して、引いて、押して、引いて」
「空気を炉に送り込む」
リシュンの顔が、完全に技術者のそれになった。
「なるほど」
「火は常に風とともにある」
「風を失えば火は眠り」
「これは送風不足による温度低下」
アルノルトが続きを読む。
「風に溺れれば鉄は泣く」
「こちらは送風過多でしょうか」
「送りすぎも駄目ってことだろ」
ユージは肩をすくめた。
「強すぎる風で火が暴れる」
「温度が上がりすぎたり、炉の状態が崩れたりするんじゃないか?」
リシュンとアルノルトが同時に黙った。
しばらく、焚き火の音だけが響く。
「送風量の管理……」
「炉温管理と連動している」
「一つ目が温度を見る者なら」
「火男は風を送る者」
「役割が繋がりますね」
アルノルトの声に熱がこもる。
リシュンも深く頷いた。
「つまり先代団長は、工程名ではなく機能を書き残したのか」
「火を見る者」
「風を送る者」
「炉を読む者」
「それぞれの役割を、伝承に紛れ込ませた」
「性格悪いな」
ユージがぼそりと言った。
神楽耶が苦笑する。
「父上は用心深い人だったからのう」
「用心深いにも程があるだろ」
「それだけ鉄が危険な技術だと知っておったのじゃろう」
その言葉に、場が少しだけ静かになる。
鉄。
他国では未だ青銅が主流のこの世界において、鉄は圧倒的な差を生む。
武器。
農具。
建材。
飛行戦艦ヤマット。
高機動戦闘機ホワイトタイガー。
そのすべてを支える根幹。
かつて神楽耶の父は言った。
鉄を制する者が、世界を制する。
だからこそ、隠した。
誰でも使える形では残さなかった。
理解した者だけが辿り着けるように、神話と伝承の奥へ封じたのだ。
「しかし……」
リシュンは腕を組んだ。
「送風が重要なのは分かった」
「だが、送風だけではないな」
「燃えるものも関係するはずだ」
ユージが顔を上げる。
「お」
「例えば、さっきの燻製だ」
リシュンは続けた。
「お前は言っていたな」
「桜、ナラ、リンゴ、クルミ、ヒッコリー」
「同じ木でも仕上がりが変わると」
「ああ」
「ならば炉も同じではないか?」
アルノルトが目を見開く。
「燃料……」
「そうだ」
リシュンの目が輝いた。
「同じ風を送っても、何を燃やすかで温度も炎の性質も変わる」
「木そのもの」
「炭」
「あるいは別の燃料」
ユージは少し笑った。
「よく気付いたな」
「当然だ」
リシュンは真顔で言う。
「今の話で気付かない方がおかしい」
「お前らほんと頭いいな」
「他人事みたいに言うな」
神楽耶が呆れた顔で言った。
ユージは肩をすくめる。
「まあ、燻製も製鉄も似たようなもんだろ」
「似ておるのか?」
「材料だけじゃ駄目なんだよ」
ユージは焚き火を指差した。
「何で熱するか」
「どれくらい空気を入れるか」
「どれくらい時間をかけるか」
「そういうので仕上がりが変わる」
「……ベーコンと鉄を同列に語る男は初めて見た」
リシュンが額を押さえる。
「でも間違ってはいないのが腹立たしいですね」
アルノルトが真顔で頷いた。
「腹立つのかよ」
ユージは苦笑する。
その時、神楽耶が次の頁を覗き込んだ。
「では、次はこれかの?」
そこには、また別の一節があった。
⸻
だいだらぼっちは山の血を運ぶ。
巨人の足跡に水が溜まり、
その底に黒き星が眠る。
⸻
「だいだらぼっち……」
神楽耶が首を傾げる。
「また変な言葉が出てきたのじゃ」
「巨人か?」
リシュンが問う。
「ああ」
ユージは頷いた。
「山を動かしたり、湖を作ったりする巨人伝説だな」
「それが製鉄と関係あるのですか?」
アルノルトが聞く。
「多分な」
ユージはそう言いかけて、ふっと黙った。
「ユージ?」
リコが不思議そうに声を掛ける。
ユージは焚き火の横で、椅子にもたれかかっていた。
目が半分閉じている。
「おい」
リシュンが眉をひそめる。
「今、一番大事なところだぞ」
「んー……」
ユージが小さく唸る。
「もう無理……」
「無理?」
「もう飲めない……」
全員が固まった。
「寝言じゃな」
神楽耶が呆れたように言う。
ユージはさらに続けた。
「それよりリコちゃん……」
「え?」
リコが反応する。
「おじさんと……楽しいことしよう……」
寝ながら両手を、いやらしく開いたり閉じたりした。
一瞬。
空気が凍った。
リコの顔が真っ赤になる。
「なっ……!?」
ナーチャンが無言で立ち上がった。
そして、どこからともなく巨大なハリセンを取り出す。
神楽耶が目を見開いた。
「待て」
「そのハリセン、どこから出して来たんじゃ!」
「これですか?」
ナーチャンは当然のように答えた。
「ユージ様の暴走対策として、リシュンさんに作っていただきました」
「何を作っとるんじゃ、おぬし!」
神楽耶がリシュンを指差して叫ぶ。
リシュンは平然としていた。
「要望があったので」
「作るな!」
バシィィィン!!
凄まじい音が庭に響いた。
ユージの首が九十度ほど回転したように見えた。
「死んだ!?」
神楽耶が立ち上がる。
「安心してください」
ナーチャンは落ち着いている。
「安全設計です」
「どこがじゃ!」
アルノルトが興味深そうにハリセンを見た。
「風属性魔法を内蔵していますね」
「衝撃を広範囲に分散させる構造です」
「だから作るなと言うとるじゃろ!」
その間にも、ユージは白目を剥いて椅子からずり落ちた。
ぴくりとも動かない。
神楽耶が額を押さえる。
「完全に沈黙しておるぞ」
「問題ありません」
ナーチャンは平然と言った。
「ユージ様は異常に頑丈です」
「明日の朝には回復しています」
「根拠は?」
「経験則です」
「経験則があること自体がおかしいと思います……」
リコが真っ赤な顔のまま、小さく呟いた。
「まったくその通りじゃ」
神楽耶が深く頷く。
リシュンは秘伝書を閉じた。
「仕方ない」
「今夜はここまでだな」
アルノルトも頷く。
「続きは明日ですね」
神楽耶は倒れたユージを見下ろし、ため息を吐いた。
「まったく」
「世界の未来がかかっておるというのに、締まらん男じゃ」
焚き火の炎が、ぱちりと小さく音を立てる。
その横で。
世界を変えるはずの男は、幸せそうに気絶していた。




