第107話 見てはいけないもの
その日。
ヨーコは、ひとり自室で静かに座っていた。
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机の上には、神託の書面。
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「日沈む森の鎮守の下――」
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その一文を見つめながら。
胸の奥に沈んだ違和感が、消えない。
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あまりにも、正確だった。
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曖昧な言葉。
象徴的な表現。
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それなのに。
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結果だけが、あまりにも都合よく繋がっている。
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(……本当に?)
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また、その考えが浮かぶ。
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(本当に、神様が……?)
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胸がざわつく。
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考えてはいけない。
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そう思うほどに。
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思考は止まらなかった。
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ふと。
ヨーコは、遠い昔のことを思い出していた。
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初めて教会へ連れて来られた日のことを。
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孤児院で育ったヨーコにとって。
教会とは、施しを与えてくれる神聖な場所だった。
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温かな食事。
清潔な服。
優しい言葉。
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だから。
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教会は、正しいものだった。
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初めて会った大司教は、柔和な笑みを浮かべる優しい人だった。
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「神の言葉は、人には直接聞こえません」
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幼いヨーコに、ゆっくりと言い聞かせる。
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「神意は、神託として“聖なる紙”へ転写されるのです」
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「人々は、その言葉に従って生きていけば良いのですよ」
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「そうすれば、皆、幸せに暮らせます」
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だから。
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疑う必要など、なかった。
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神を疑ってはいけない。
神託を疑ってはいけない。
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それが、正しいことだった。
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なのに。
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今は。
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その“正しさ”が、揺らいでいる。
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ヨーコは小さく息を吐くと、自室を後にした。
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祈ろうとしても。
言葉が続かない。
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だから。
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ただ、静かな場所へ行きたかった。
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人のいない場所へ。
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だが。
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聖堂の中に、そんな場所はもうほとんど残っていなかった。
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廊下を歩けば、誰かの視線を感じる。
立ち止まれば、空気が止まる。
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監視。
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その言葉は、もう否定できなかった。
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ヨーコは、人目を避けるように裏手の回廊へ足を向けた。
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普段はほとんど使われない通路。
薄暗く、静かな場所。
普段はほとんど使われない通路。
薄暗く、静かな場所。
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だからこそ。
神官たちも、油断していたのだろう。
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曲がり角の先から、声が聞こえてきた。
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「次の神託ですが」
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ヨーコの足が止まる。
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「北区画の井戸水汚染の件で進めます」
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「発表は明日の朝でよろしいですね?」
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神官たちの声だった。
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だが。
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何かが、おかしかった。
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「では、巫女様にはこちらの文面を」
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紙をめくる音。
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「民衆の不安が広がる前に誘導を開始します」
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誘導。
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その言葉に、ヨーコの呼吸が止まった。
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静かに。
気づかれないように。
壁際から、そっと覗く。
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そこには、数人の神官たち。
そして。
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机の上に並べられた、大量の書面。
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ヨーコの目が、大きく見開かれる。
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そこに書かれていたのは。
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神託だった。
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いや。
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“神託らしき文章”だった。
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「水濁る石畳の下――」
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その横には、赤い修正線。
別の表現。
書き換えられた文言。
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推敲。
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まるで。
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普通の文章を作るように。
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神託が。
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作られていた。
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(……違う)
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頭の中で、何かが軋む。
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神託は、本来。
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神の言葉だった。
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聖なる紙へ転写される、神意だった。
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授かるものだった。
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なのに。
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目の前では。
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人が。
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相談しながら。
修正しながら。
選びながら。
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“神託”を作っている。
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「こちらの表現の方が、民衆への印象が良いかと」
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「では、その方向で」
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軽い調子だった。
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あまりにも、日常的だった。
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ヨーコの指先が、小さく震える。
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(そんな……)
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視界が揺れる。
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胸が苦しい。
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呼吸が浅くなる。
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神託は、絶対だった。
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疑う必要など、なかった。
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神が与える、唯一の導きだった。
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なのに。
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目の前で。
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それが。
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“作られている”
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「――誰です?」
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突然、鋭い声が響いた。
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ヨーコは、はっと顔を上げる。
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神官の一人が、こちらを見ていた。
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一瞬。
空気が凍る。
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「よ、ヨーコ様……!?」
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神官たちの顔色が変わる。
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慌てて書面を伏せる者。
立ち上がる者。
青ざめる者。
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だが。
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もう遅かった。
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ヨーコは、見てしまった。
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見てはいけないものを。
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「これは……」
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声が震える。
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「神託、では……」
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最後まで、言葉にならなかった。
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神官たちは答えない。
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沈黙だけが落ちる。
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その沈黙が。
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何より雄弁だった。
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ヨーコは、ゆっくりと後ずさる。
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胸の奥で。
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何かが、音を立てて崩れていく。
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信じていたもの。
支えだったもの。
自分そのものだったもの。
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それらが。
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静かに。
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壊れていった。




