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34話 善良でない最終手段

 新浪は教室でひとり本を読んでいた。


 もちろん、教室にいるのは彼女だけじゃない。ただ、俺の目には新浪だけが孤独を相手に、それを本にすり替えて過ごしているように見えただけ。


 まるで……新浪晴香の周囲だけ、時間が止まっているように思えた。


 まあ、実際にはそういうわけじゃなく、あくまでも俺の目にはそう見えるというだけの話。


 だからこそ、俺は止まった彼女の時間を動かしてあげたいなんて望みを抱いたわけだし、そのために、時間を止めている悪の根源を終わらせてやりたいと願った。


 そして、それは駄目だと彩芽さんに告げられた。


 賛成したわけじゃない。手放しで肯定するつもりもない。


 それでも、彩芽さんは「俺が高校生だから」という抗いようもない理由を突きつけてきて、その思惑通り俺が抗うことは叶わず、「黒井賽だからこそできる事」という綺麗な言葉に並び替えて、まるで狙っていたかのように笑って俺を送り出した。


「新浪、ちょっといいか」


 そう声をかけたとき、新浪は声の主を確認するよりも先にビクリと肩を震わせた。


 いや、声だけで誰かわかったからこそ肩を震わせたのかもしれない。


 ゆっくりと顔があがり、久々に見る丸い双眸が俺を見つめる。不思議そうな視線のなかに、どこか恐れの感情が垣間見えた。


 その表情はまるで、失敗(ミス)を指摘するための個人的呼び出しだと察してしまった新人アルバイトのよう。そうなったときは惚けた顔でついていくしかない。怒られるのだと予感しながら、それを押し隠さなければならない。なにかミスをしたんだと悟られてしまえば、悪いことだと知りながら実行した真の悪人だと誤解されかねないからだ。


 そんな哀れな宿命を背負った者たちと変わらず、新浪は栞を挟むことを忘れたかのようにパタンと机に本を置いて、黙ったまま付いてきた。周囲にいた何人かはチラリと好奇心の視線を向けてきたが、声をかけてくることはない。


 やがて、人気のない場所まで来た俺は新浪のほうへ振り返ると、これまで何度も心のなかで唱えて練習した言葉を放った。


「俺がやってる事あるだろ? それを、もう少しだけ手伝ってほしいん、だが」


 どうやら練習すべきは言葉だけじゃなく表情もだったらしい。一言一句違わず言えたくせに、努めた笑顔はひきつり、そのせいで言葉もたどたどしくなってしまったから。


 それでも、それ以上の崩壊を必死に抑えながら新浪を直視すれば、彼女は穴が開くほど俺を凝視していた。



「……なんで?」

「ほら、ここ最近の依頼は新浪も手伝ってくれていただろ? そうやって楽することを覚えてしまって戻れなくなったんだ」

「私、別になにもできてなかったけど……」

「それとあれだ! 彩芽さんが指示してくる仕事量は俺一人でこなすには難しいと前々から思ってたこともあるし、俺の秘密を知ってるお前を野放しにできないと考えた結果でもある」

「私はあの人のことはよく知らないし、その、黒井くんのことは誰にも話したりしない」

「疑ってるわけじゃないんだ。ただ、どうせなら新浪も引き込んだほうが安心するし、このことは彩芽さんの許可も貰ってる」


 いろいろ考えてあった理由を全てデタラメに並べてしまった。本当は、その中でもっともらしい理由だけを選別して話すつもりだったのに。


 おかげで、新浪に手伝って欲しいという申し出は随分と薄くなってしまい、彼女からの視線は疑わしげなものへと変わりつつある。


「それらを総合的に鑑みて、新浪にはもうしばらくだけ仕事を手伝って欲しいという結論に至ったわけだ」


 だから、焦った俺はデタラメに並べた理由たちを無理やり一緒くたにして結論に変えた。 


「本当は?」


 もちろん、そんな見え透いたやり方で納得してくれる新浪じゃない。


 俺はため息を吐いてから観念することにした。


「言わないってことは、隠したい理由があるもんだろ?」


 それは最終手段として残しておいた言葉。しかし、そんなものまで用意しなくて良かったな……。最終手段は使わないに越したことはない。だが、使えると分かっているからこそ前段階の手段が疎かになってしまう。


「隠したい理由は?」

「今は話せない」


 そして、それを使うことになると理解していたからこそ、今ごろになって冷静さを取り戻している。ほんと、どうしようもないな。


「今話せないってことは、いつになったら話せるの?」

「わからない」


 そう答えると新浪はあからさま不満げな顔。その表情から文句が出てこないうちに俺は「だから」と続けた。


「ひとつ、ゲームをしないか?」

「ゲーム?」

「俺を手伝いながら、俺が何を隠してるのか当てるゲーム」


 新浪からの返事はなかった。もちろん訝しがっているんだろう。ゲームなんてものを持ちかける奴が、自分が不利になるルールを提示するはずがない。だからこそ、彼女は俺を警戒し訝しがっているんだろう。


 もちろん、それも折り込み済みだ。


「悪い話じゃないと思うぞ。仕事を手伝ってくれれば、それに見合った報酬を貰える。言っておくが、終わらせ屋の給料はバイトのそれじゃない。月給じゃなく完全歩合制だが、彩芽さんの指示通りに動くだけで高校生としては破格のお金をもらえる」


 俺はできる限りメリットだけを並べて話す。


「まるで詐欺師みたいだね」


「否定はしない。だけど、俺たちが吐く嘘は誰かを想っての手段に過ぎない。それは俺と一緒にたくさんの依頼を受けてご理解していただけたと思うが」


「終わらせ屋としての依頼は最初の一つだけだったよね? たくさんは嘘」


 ああ、そうだったか。確かにそれはその通りだ。


「じゃあ、これからたくさん依頼を受けて、それを確信に変えればいい」


 そう返したら新浪は呆然として、それからクスリと突然笑った。


「ううん……、それを確信に変える必要はないかな? 私は、黒井くんが自分のためだけに誰かを騙すような人とは思ってないから」


 今度は俺が呆然とする番だった。


「そうでしょ?」


 それには呆けたまましばらく返事ができずにいた。


「俺は……そこまで善良な人間じゃない」


 正直な気持ちだ。


 俺は新浪に関する重大な真実を知っているくせに、彩芽さんに言われるがままそれを隠そうとしている。隠さなくとも、俺は「新浪のためだ」と大義名分を掲げ、彼女の今の家庭を終わらそうとまで目論んだ。


 それを善良に分類するのなら、悪とはどれほどのものなのか想像もできない。


「新浪のためじゃない。これは俺のためだ」


 少なくとも彼女のためだと声高らかに言うことはできなかった。


「黒井くんのため……」


 新浪は目を細めて何かを考えている。考えても分かるわけはないのだからと、たかをくくって待っていると、


「じゃあさ、私が嫌だって言ったらどうするの?」


 そんなことを聞いてきた。


「それは仕方ない。だから、別の提案をしようと思う」

「別の提案?」


 小首を傾げた新浪に俺は頷く。これは真の最終手段だったんだがな……。


「俺と友達になってくれ」


「……はあ?」


 それはあまりにも気の抜けた反応だった。



――高校生じゃなくなるまで、あの子の傍で力になってやりなさい。



 彩芽さんからの提案はたったそれだけだった。しかし、彼女との関わりを自ら断った俺には、躊躇するに相応しい提案でもあった。


 高校生だからダメだというのなら、卒業するまで待てばいい。それこそが彩芽さんの意図なのだろうが、傍にいるというのは案外簡単な話じゃない。


 なにせ、一緒にいただけで付き合っていると冷やかされたんだ。繊細で傷つきやすい思春期真っ只中の俺たちにとって、それを卒業まで遂行するにはよほどの覚悟がいる。


 そして、だからこそ俺は関わりを断とうとした。


 俺なんかとつるんでいなければ、新浪は真っ当な学校生活をおくれるはずだと思ったから。


 だが、彼女の時間はとっくの昔から止まっていた。


 その、時間を止めた諸悪の根源は彼女の義父だった。


 そして、その悪を討伐し、止まったままの時間を動かすには、新浪はまだ高校生だった。


 笑えない笑い話。悪を倒すべき正当な理由を持つべき者は、悪の保護化に置かれた人質だったのだから。


「友達……黒井くんが好きかもって言った私に、随分とひどいこと言うんだね」


「それを拒絶した俺が、今さら「恋人になって欲しい」なんて言えるか? お前は俺を最低な人間にしたいんだな」


 目には目を。皮肉には皮肉を。しかし、新浪は不機嫌になるどころか驚いた目で俺を見つめてきた。


「それは……恋人でも構わないってこと?」


 ふむ。俺が返したのは皮肉じゃなく墓穴だったらしい……。


「待って。黒井くんは私に終わらせ屋の仕事を手伝わせたいんだよね? でも、それがダメなら友達でもいいし、恋人でも良い……? それってつまり……」


 いかん。思っていたより新浪の頭が良い! いや、俺が下手くそすぎるだけか!?


 流石に真相にまではたどり着かないだろうと思いながら内心ドキドキしていると、考え込んでいた新浪が顔をあげる。


「じゃあ……それも断ったら?」


 それも断られたら仕方がない。真の真なる最終手段に移行するしかないだろう。


 新浪が無事に卒業するまで、常に傍で見守り力になる足長おじさん的存在になるだけだ。


「なら仕方ない。この話は忘れてくれ」


 足長おじさんに相手からの同意は必要ない。勝手に傍で見守って、勝手に支援を惜しまない、それが俺の知る足長おじさん。


 だから、そんな勘違い慈善活動者像にしたがって俺は新浪に背を向けた。


 彩芽さんは、俺やり方は任せると言ったんだ。なら、それも悪くはないだろう。


 だが、


「待って」


 向けた背中にかけられた声。踏み出した足は、まるでそういう風に引き止められることが分かっていたかのように着地後ピタリと止まる。


 たぶん……分かっていたんだろう。


 人は、それが叶わぬと理解していても抱いた好意を捨てられない。簡単に切り捨てられたなら、終わらせ屋なんて仕事が成立するはずがない。


 そのことは、骨の髄まで知っている。


 ゆっくりと振り向いた俺は、今この瞬間こそが真の真なる真とすべき最終手段だったことに気づいた。


「その……期待、してもいいのかな……?」


 力なく溢した新浪の顔は真っ赤に染まっている。


 それは、好意を拒絶した男の最低な翻しにもう一度すがりつくことを恥じらっているのか……はたまた、その言葉自体に羞恥しているのかわからなかったが、そんな彼女の姿を見て俺は安堵してしまった。


「ああ」


 どの提案を受けるのか不明だったものの、彩芽さんが俺に課した提案はうまくいきそうだったから。


 やはり……俺は善良な人間じゃないらしい。

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