33話 選択なき選択肢
俺はこれまで、平々凡々たる高校生という肩書きを利用して終わらせ屋の仕事を手伝ってきた。
……なんていうのは、大人の世界に紛れ込むための精一杯の言い訳に過ぎない。
俺が依頼人と会うと最初に向けられる視線はいつも疑いの目だし、張り込みを行っている最中に警察から声を掛けられたことも一度や二度じゃない。大人ではない、という隠しきれない相貌は、正直いって邪魔でしかなかった。
それでも、そこに居続けたのは彩芽さんが必要と口にして仕事を与えてくれたから。
そして、俺自身が……高校生としてあるべき居場所に息苦しさを感じていたからだ。
だが、どうやら年貢の納め時らしい。
「罪状を教えてくれますか……」
力なくこぼした俺の言葉に、彩芽さんは珍妙な顔をした。
「自分には誰かを救える力がないと知って罪人気取りか? それは傲慢だよ。罪人のフリをした神様、のフリをした純粋無垢な少年、といったところか」
「純粋無垢が矛盾してませんか? それ」
「純粋無垢だからこそ救いを与える神を騙り、誰かを不幸にした罪人をも気取るんだろう? 悪意なき悪意というやつだ」
「愚か者……と言いたいんですね」
そう結論付けると、彩芽さんは頭を掻きながら「救えない奴だ」と愚痴をこぼす。
「手を引けというのは、「諦めろ」と言ってるわけじゃない。それよりも「君にできることをしなさい」と言っているだけだ。私はこれまで、君にできると信じたことしか任せてこなかっただろう?」
彼女は優しくそう言ってくれたが、その実、まったく優しくないことを俺は知っている。そこにはどこにも具体的な仕事内容が含まれていない。
単に「諦めろ」という言葉をオブラートに包んでいるようにしか聞こえない。
俺が何も言わずにいると、彩芽さんは小さなため息を吐いた。
「君は、これからどうするつもりだ?」
そして、唐突に質問をしてきた。
「そんなの……まずは新浪に真実を教えて、それから彼女の意向を聞いてから――」
「あの子がそれを知って、穏便に済ますと思うかね?」
「聞いてみないとわかりません」
その回答を、彩芽さんは鼻で嘲笑った。
「いいや、君にはわかっているはずだ。そもそもあの子じゃなくたって、誰が義父の悪巧みを知ったうえでその人と一緒に居たいと思う? あの子は確実に真実を白昼のもとに晒そうとするだろう。そして、それが上手くいくかどうかは別として、間違いなくあの子の“今の”家庭は崩壊する」
彩芽さんは今という言葉をつよく強調した。
「それの何がいけないんですか。それを後から知ったとき、きっと彼女は“後悔”する」
だから、俺は後悔という言葉をつよく強調して返した。
「やはり、分かっててあの子に告げようとしてたんじゃないか」
「……騙しましたね?」
「いいや、私もわかっていたからこそ、君に手を引けと言っているんだよ。騙してはいない」
それから彩芽さんは「よく考えなさい」と俺を見据えた。
「残念なことに、今のあの子の家庭を支えているのはあの子の義父だ。社長という地位だけあって、経済的側面からは何不自由ない暮らしをしている」
「経済的側面、では」
「他の側面ではそうじゃないと言いたいようだね」
「そう言ってるんです。少なくとも、新浪は今の家庭に少なくない苦しみを感じています」
俺は、それを彼女から直接聞いた。彼女が苦しむ姿を直接見た。
誰かに突きつけたい問題を、誰にも突きつけられることなく、ただ心を無にして耐える彼女を知ってしまった。
そして……、ようやくそれが『突きつけるべき問題』だと分かったのに、何も知らない彩芽さんはそれを突きつけるなと言ってきたのだ。
反抗しないわけがない。
「だからといって義父を断罪すれば、今度あの子は経済面で苦しむことになる。その側面を今度は君が補うとでも言うのかい? まあ、もう少し経てば君は18になるから、結婚という手段も見通しにいれることはできるが」
淡々と言った彩芽さんの言葉に、俺は顔を引きつらせてしまった。
「む? その顔だと考えてなかったようだね。私はてっきりそのつもりかと思っていたんだが……」
「冗談ですよね……?」
「いいや、本気だ」
彩芽さんは力強く俺を見ていたが、やがて固まったままの俺から視線を外す。見えはしなかったものの、その瞳に失望の色が浮かんでいるかもしれないと考えてしまい少し落ち込んだ。
「君もあの子も今はまだ高校生だ。経済面の支援を自ら失うべきじゃない」
「だからといってこの問題を放置したら、新浪は絶対後悔します」
「私は堂々巡りが好きじゃない。それに関しては言ったはずだよ? 君には他にできることがあると」
「それは何ですか?」
その質問を待っていたかのように、彩芽さんはようやく俺に微笑んでみせた。
「――――」
そして、簡潔明瞭な答えを俺に教えてくれた。
しかし、それを聞いた俺は途端に不安になってしまう。
そんな俺の心情が顔に現れていたんだろう。彩芽さんは微笑みを深くしてニコリと笑った。
「心配はいらない。君ならできる……というより、これは君にしかできないことだ」
「それは、提案ですか……?」
「もちろん提案だ。そして、やり方は君に任せよう。必要なものがあれば私に言いなさい」
そうして彩芽さんは話を終わらせた。浮気相手の女性の情報を俺の前から取り上げて。
ずるいと思った。選択肢を俺から奪っておいて、残りの選択肢を差し出したあとにのうのうと「提案だ」と宣う。
だが、それこそが彩芽さんのやり方であり、俺も教わったやり方だ。俺が……何度も依頼人に実行してきたずる賢いやり方。
結局、それが終わらせ屋として依頼人である俺へ言い渡された結論なんだろう。いや、終わらせ屋じゃなく彩芽さんの結論か……。誰もが彼女みたいな終わらせ屋だったなら、新浪の家庭に襲いかかった悲劇は生まれなかっただろうから。
そして、そのやり方こそを俺は今まで賞賛してきた。まさか、こんなかたちで悔やむ日が来ようとは。
彩芽さんは既に自分のディスクに向かって別の作業をしている。
そんな彼女の前に俺は立った。
「今日は他に依頼もないからね。帰ってもいいよ」
「さっきの件で、お願いしたいことがあるんですけど」
そう言うと、彩芽さんは目を細めた。
「言ってみなさい」
「……もうひとり、助手がほしくないですか?」
その言葉に彩芽さんはニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「欲しくはないね。これからも君をコキ使えば済む話だ」
ひでぇ……。しかも、さっき必要なものがあれば言いなさいと――あ。
「だが、君が必要なら雇ってもいい」
彩芽さんがそう付け加えたのは、俺が気づいたのとほぼ同時だった。
その失態に恥ずかしくなって、最初から分かってましたとばかりに「そうですよね」と作り笑い。へへへ。
その選択が正しいことのようには思えなかったものの、他に選択がないのだから仕方ない。
長らく従事した終わらせ屋としての脳みそが、俺の肩を無言でポンポンと叩いてくる。
俺は、これ以上口から恥ずかしい失態をかまさないよう、ポケットからおにぎりを取り出すと自分の口に突っ込んだ。
「腹ごしらえか?」
「おおふえぇ(そうですね)」
まあ、間違ってはいない。俺はこれから戦にでも行くような気分なのだから。
そのまま彩芽さんに背を向けると、俺は事務所の出口へと向かった。
そして、終わらせ屋として、依頼人として、最後にすべき事柄のことだけを考える。
俺が彩芽さんにした依頼――、俺と新浪の曖昧な関係を終わらせるために。




