60話 一筋の光
王国西方。
鼻を刺すような血錆の臭い。前線では常に怒号と悲鳴が共鳴し合い、瞬きは命取りとなる。
開戦時、王国軍九万五千、帝国軍十万。戦力差はほとんどなかった。それでも徐々に王国は劣勢を強いられていた。
長期戦になれば帝国もあきらめていくだろうという甘い考えの元、考案された作戦はうまく機能せず、それに気づいたときにはすでに手遅れだった。
どれだけ戦っても敵の数は減ることはなく、逆に長引けば長引くほど数を減らし続けるのは王国側である。
「このままでは敗北も時間の問題ですぞ……」
「北方のエインベルズ領はすでに壊滅したとの知らせも入っております……。真剣に降伏を視野に入れる時なのかもしれませんな」
「このまま帝国の奴隷になれというのか! それならばワシはここで死ぬぞ!」
「しかし、手がないのもまた事実です」
「うむ……どうしたものか」
その夜に開かれた会議は実に陰鬱とした雰囲気が漂っていた。勝ち目のない戦いの退き際を見誤ったが故の大損害。責任の所在はどこにあるのか。
会議に出席する貴族たちは口には出さなかったが全員が理解していた。この場にいるすべての人間にその責任があるのだ。しかし、自分ではない、自分ではないと己をだまし、核心に迫った議論を誰も切り出すことができない。
これではいい案など出るはずもない。
「陛下、いかがいたしますか」
貴族の一人が口を開く。それと同時にあたりは静まり返った。
マルクス王国、第十五代国王、カーン・マルクス。齢六十のこの老いた国王を前に貴族たちは静まり返る。これだけ逼迫した状況の中、貴族たちが反乱を起こさないのは国王の人望あってこそのものである。
身勝手な貴族たちも国王に対しては忠誠を誓っているのだ。
「このまま戦い続ければ間違いなく敗北することになるだろう。ワシもそろそろ腹をくくろうと思う」
敗北はすなわち、帝国のいいなりとなることを意味している。そして、帝国は敗戦国の統治者に対して容赦がない。今まで何人もの国王が斬首にされている。
彼もその例外ではないだろう。
「わが身可愛さに国民を傷つけたくはない。帝国に支配されれば苦しい生活を強いられることにはなるだろうが、今のように命の危機にさらされることはなくなるだろう……」
「……決まりですね」
国王の横に立つ貴族はため息をつき、口を開く。そして、背筋を伸ばし、決定事項を冷徹に伝え始めた。
「帝国に対する降伏文書をしたためます。皆さん、異論は……」
「し、失礼いたします!」
空気をぶち壊して一人の兵士が会議の場に足を踏み入れた。その兵士はずいぶんとあわただしく、尋常ではない様子だった。
「何事だ!」
「こ、こちらを……」
そう言って兵士は王の隣に立つ貴族に書状を手渡した。すぐさまその内容に目を通す。それとともに貴族は言葉を失った。
「バカな……ありえん……」
「いったい何が書かれていたのだ?」
国王が尋ねるとともに貴族は正気に戻り、しかし、ひどく動揺した様子で端的に書状の内容を口にする。
「北方帝国軍……撃、破……」
「「!?」」
その場にいる誰もが耳を疑い、目を見開く。
「エインベルズは壊滅したのではなかったのか!?」
「……エインベルズ兵団、団長エドモンド・リーマス死亡後、新団長、ベストール・ウォレンの指揮のもとハルメリア付近にて敵将の首を新団長自らがとり、新兵器にて帝国を撃退したと……」
「ベストール・ウォレン……? 聞いたことのない名だ。いったいどこの貴族だ?」
「新兵器というのも気になりますな……」
貴族たちは口々に自分の意見を口にしだし、場は一気に混乱に包まれた。
しかし、書状の内容はそれだけに収まらなかった。
「明日の朝には、一万の兵を連れてこちらの援軍に到着するとのことです」
「ここに来て援軍だと? そんな余裕があるのか!?」
「……しかし、これは好機ですぞ。ともすれば帝国に一矢報いることができるやもしれません」
「……到着次第、その者をここへ呼びよせよ。話がしたい」
国王が最後にそう口にして会議は終了した。この局面に来て初めて出てきた希望にその場にいる誰もが高揚した。
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