36話 異臭
「え、えっと、これはどういう状況なのかしら……?」
エリザベートを運搬している途中で僕は奥方と再会した。相変わらず、どうしてこの人からこの娘が生まれたのかは今でも謎のままである。
「お久しぶりです。エレノア様」
「え、ええ、久しぶり……。何があったの?」
「どうもエリザベート様は遊び疲れてしまったようで……」
「ちっがうわよ! あんたが無理やりあんな拷問みたいなことをさせたんでしょうが!」
台車の上で突然エリザベートが飛び起きた。走る体力はなくても、わめく体力だけは一丁前である。
「エリザベート様。はしたないですよ? 少しおちついて深呼吸でもなさっては?」
「これが落ち着いてられるわけないでしょ! 聞いてください、母様! この男が私に無礼なことを!」
そこからいかに僕がひどく、いかに自分がかわいそうなのかを長々とエリザベートは顔を真っ赤にして熱弁しだした。
しかし、奥方は話半分といった感じであまりエリザベートのことは信用していないようだった。むしろ、あまりかかわりたくなさそうな節すらある。
これは、エリザベート、相当奥方から嫌われてるな。
もっとも、完全にエリザベートが悪いため、擁護のしようがない。
「そ、そう、大変だったわね。ベストール君もほどほどにね。ニーナちゃんも仲良くしてあげて頂戴ね」
奥方は苦笑いをしながらそう言ってエリザベートの話を断ち切った。
「そろそろ昼食の時間よ。屋敷で皆さんがお待ちだわ。私は先に行ってるわね」
そう言って奥方はその場から立ち去った。奥方のあのよそよそしい態度からエリザベートが屋敷でどれほど横暴なのかがうかがえる。
「じゃあ、僕はこの辺で……」
僕も僕でいい加減エリザベートの相手をするのに疲れてきていた。昼食の時間ということでここから抜けるにはタイミングもいい。そういうわけでその場から離れようとしたのだが……
「あなたもこっち!」
離れようとするとニーナに襟首をつかまれた。
「なんで!?」
すると、耳元でぎりぎりエリザベートに聞こえない程度の声で話を始めた。
「私一人であの女の相手なんて無理!」
「いや、僕がいたら不自然……」
「そんなの私が適当言ってごまかすから、いいからきて!」
結局そのまま食事の席に僕は引っ張られることになった。
台車でエリザベートを食堂まで運ぶその姿はずいぶんと異様なもので、道行く使用人たちからは奇異の目を向けられた。
しかし、主役の貴族たちは奥方が説明してくれていたのか、特に何か言うでもなく、不自然な空気を醸し出すだけであった。
それにしても、奥方の根回しがあるとは言え、バカ侯爵が何も言ってこないのは何とも奇妙な感覚である。間違いなく何かしらの悪態をつかれると思っていのだが。
なんとも不思議な感覚の中、僕はエリザベートを席に座らせる。その間、ニーナはグラハム様に僕の同伴を懇願しているようだった。
僕はニーナの隣に使用人として立つことになった。
「えーその、こちらは、新しく私の正妻となったフィーネ。そして、長女のカレンです。そして次女のニーナです」
エリザベートの異臭が立ち込める中、早々にグラハム様は話し出す。少しでも気を紛らわせるのが目的だろう。
「本日は当家に来ていただき、感謝の言葉もありません。存分に長旅の疲れをいやしていっていただけると幸いです」
「あ、ああ。ありがとう。グラハム」
さすがの親バカ侯爵もこの異臭には動揺している様子だった。
すべてはお前の無責任な教育が生んだ賜物なのだ。しっかりと享受してほしいものである。
「す、すまないが、少し空気が悪いようだ。悪いが開けてもらえないだろうか」
耐えかねたバカ侯爵は咳払いをして近くの使用人にそう言った。
「どうも最近は家も古臭くなってしまって、いやはや、お恥ずかしい」
直接エリザベートが臭いとは言えないグラハム様もフォローを入れようとするが、なんとも滑稽である。
「い、いや、気にしなくてもいいぞ。それよりも、皆、腹を空かせている、手を付けても構わないかね?」
「え、ええ! この日のために各地から食材を取り寄せておりましたので、是非とも」
そう言ってグラハム様は食事を促す。しかし、あまり食欲がわきやすい状況とは言えず、一人を除いてなかなか料理は減らなかった。
その一人というのは、言わずもがな、エリザベートである。エリザベートだけは自分の好きな物のみ、獣のようにむさぼっている。上品さのかけらもない。
その場にいる誰もがその光景に絶句していた。
「あー、本題に入ろうと思うんだが……」
しかし、バカ侯爵とグラハム様は若干、動揺しながらも仕事の話を進めるのであった。
「手紙でも送ったが帝国が動き始めた。間違いなく西方から攻めてくる。おまけに北のほうからも動きがあったらしい」
「あら、食べないの? ニーナ」
「は、はい、今日はあまりおなかがすいてなくて……」
そりゃ、隣にこんな悪臭を放つやつがいれば食欲も失せるだろうよ。
「なるほど……困りものですな……」
「ああ。クラウディウス家としてもできるだけの援助はするつもりだが……あまり期待はできない」
「なら私がもらってあげてもいいわよ?」
「え、ええ、よろしければどうぞ……」
ニーナの返事を聞くや否や食い気味でエリザベートはニーナの皿を奪い取った。
「いえ、お気になさることはありますまい。ただ、我々も何とか頑張ってはみますが、今回ばかりは厳しいかもしれませんな……」
食い意地を張るエリザベートは実に醜く、しかし、この席では僕も注意できない。ニーナも苦笑いするほかない。
ほかの人間は動揺しているものの平然を装い、エリザベートの醜態を見て見ぬふりである。
明らかに異常な状況であるが、誰もがはれ物のようにエリザベートを扱い、長い昼食はこの後三十分近く続いた。
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