107話 突然の来訪者 その1
まったくもって状況が理解できずに僕は一瞬思考が停止する。しかしなんとか平静を取り戻し、背筋をただした。
「へ、ヘンリー殿下。何か御用でしょうか」
少なくともこの皇子と何かしらの約束事をした覚えはない。わざわざ本人が唐突に直接訪ねてきたのだからきっとよほどの用があるのだろう。
「ああ、その通りだ。わかったらさっさと部屋に通せ。いつまでも客人を待たせるものではないぞ」
なんの前触れもなく訪れたというのに、ヘンリー皇子は何一つとして不遜な態度を崩すことなく淡々と僕にそう告げた。
内心では身分の差がなければ殴りつけてやりたいとも思ったが、そこは僕が大人になることでぐっとこらえた。
また、後ろに立つ数人の護衛の中にはシスティもおり、なんとも申し訳なさそうな顔をしていた。
部屋に入ると皇子は椅子に座り、机を挟んで向いの席に僕に座るように促した。
「……それで、本日はどのようなご用件でいらしたのですか」
面倒くさいことだったらいやだなぁ……。
「ああ、貴様とは和気あいあいと世間話をする間柄でもない。単刀直入に言わせてもらおう」
王子はそういうと真摯に僕の瞳をのぞき込む。いったいどのようなことを言うのか、まったくもって見当がつかない。少なくともこの皇子とは接点らしい接点はないはずだ。唯一の接点といってもいいシスティがらみであっても、間違いなく事前にシスティからの連絡があるはずだし、本当に見当がつかないな。
「俺の部下になれ。ベストール・ウォレン」
「……なるほど」
まったくもって意味が分からない話であることは理解できた。
僕は心の中で大きなため息をつく。
この皇子が何を考えているのか本当にまったくもって見当がつかない。要件を聞いた今でも何一つそれが変わらない。
部下になれだって? 僕はこれでも王国の騎士だぞ? それが帝国の皇子の部下って何言ってんだ、この皇子は。寝言は寝ていえ。
「殿下、それはいったい私にどういったことを望まれているのですか? 私はただの戦人です。おそらくは殿下が思うような人間ではないかと……」
「いいや。俺が欲しいのはお前だ。お前の本質がどのようなものであれ、ベストール・ウォレンというその存在に意味がある。だから俺の部下になれ」
「……非常に申し上げづらいのですが、私は王国の人間です。殿下にくみすることは場合によっては国に対する裏切りととられる可能性もございます。申し訳ございませんが了承しかねます」
場合によっては、というか、確実にそう取られる。それだけは何としても避けたい。別に王国に固執する理由はないが、わざわざリスクを冒してまで帝国につく意味はない。
「待遇は保証するぞ? 金も土地も地位も名誉も女も……貴様が望むものすべてを用意しよう。疑うようならここで契約書でも書いてやろう」
「殿下、私は今の暮らしに満足しております。これ以上なにかを望んでいるわけではないのです」
「ではどのような条件なら俺につくのだ?」
皇子は僕がどれだけ拒絶しようともまるでひるむことなく僕に食い下がった。実に面倒である。それに、ここまでくると皇子の僕を手に入れたがる理由も気になってくる。
「なぜ私に殿下は固執するのですか? 先ほども申しましたが、私はただの戦人であり、それ以上でもそれ以下でもありません。立派な肩書を有してはいてもそれはあくまで時の運によるものです。決して私自身は特別な価値を有しているわけではないのです」
「……それでも、今の俺にはお前の力が必要なんだ」
苦虫でも飲むように皇子はそういうと皇子は黙り込んだ。
「答えになっておりませんよ。殿下」
この皇子、交渉下手にもほどがある。理由を話せって言ってるのに、一方的に自分の都合を押し付けられてもこっちはどうしようもないだろうが。
それとも、かたくなに言えない理由でもあるのだろうか。だとしたら納得は行くが……。
察するにそれなりに深刻な問題なのだろうが、見て見ぬふりをするのが一番いいような気がする。しかし、他国の皇子を無碍に扱うわけにもいかないし、どうすっかなぁ……。
「……殿下、人払いを」
僕は少し鼻息を漏らしたのち、そう口にした。
「……なぜだ」
「このまま話していても平行線でしょうから」
「護衛がいては腹を割って話せないというのか」
「どのように解釈していただいても結構です。ですが、私の考えは変わりませんよ」
「……わかった」
そういって皇子は護衛たちに部屋の外に出るように指示した。
「ああ、そうそう、ラザフォード殿、聞き耳は立てないでいただけると幸いです」
護衛たちが出ていく間際、僕はシスティに対してそういった。それはつまるところ、だれにもここから先の話の内容を聞かれたくないという意思表示である。
護衛であれば本来、何かあった時のために聞き耳の一つでも立てたがるものであるが、放課後にともに何度も剣術の稽古を行った仲として、システィであればわかってくれるだろう。
「……ああ」
ほんの少しだけ微笑んでシスティは返事をすると、そのままほかの護衛とともに出ていった。これでほかの人間にここから先の話を聞かれることはないだろう。
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