chapter 10
小さな丘でロビンと別れ、みんなは城へと戻ってきた。
深い眠りに落ちてしまったアヤは、世話をしやすいように自室ではない部屋のベッドに寝せた。その後、タクトはみんながいる応接間に向かった。
応接間には、アヤの仮の両親である現在の国王と王妃もいた。
「義姉さん、義兄さんも、無事で安心しました」
国王の穏やかな声が響く。
「いろいろとありがとう。アヤのことも」
「いや、当然のことをしたまでです。それより、義兄さん達はいつから仕事に戻るつもりでいるのですか?」
「もう少し、落ちついてからにしてもらえると助かるな」
「判りました。でも、なるべく早めにしてくださると嬉しいです。本来、この席(王座)は義兄さんのものですから」
「判っているよ」
「お兄様、お義姉様、おかえりなさい。お二人に紹介したい人がいます」
王妃がそう言い、タクトに手招きをした。
タクトは軽く会釈をすると、王妃の隣まで歩いてきた。
「アヤちゃんの希望でここに住んでもらっているタクトくんです」
「タクト・セイル・トルネシアと申します」
タクトは自分の名前を告げると、深く頭を下げた。
「アルセイル・ユート・ウィルソンです。アヤが連れてきたのなら、私も無理に追い出すことはできないね。それに、君には助けてもらったからね。こんなことを言うのは変だが、今まで通りここで暮らしてほしい。これからよろしく頼むよ」
本来の国王で、アヤの父親からの言葉に、タクトは驚きで目を見開いた。
「よろしいのですか? 今はもう手を切っているとはいえ、私はもともとアクマ側にいた人間です」
最悪の場合、追い出されてしまうことも考えられたが、タクトは正直に自分の正体を告げた。
それを聞いて、アヤの両親は一瞬だけ目を見開いた。
「そうか、アクマだったのか」
「はい……」
アルセイルの言葉に、タクトは静かに頷いた。
少しばかり、緊張した空気が流れる。
タクトは、いつになく真剣な色を蒼い瞳に宿し、アヤの両親を見つめていた。
もともとアクマ側にいたとはいえ、今はもう光側の人間として生活している。アクマとして光側の人間を裏切る気持ちなど、少しももっていない。
「少し、聞いても良いかな?」
「はい。答えられることは全て答えます」
「君がこちら側に来たのは、何故なんだい?」
「話すと長くなりますが、いいですか?」
「構わないよ。ぜひ、聞かせてくれるかな?」
「判りました」
タクトは頷くと、春にあったことを話した。
アヤのおかげでアクマ側から抜け出すことができたこと、住むところがないタクトにアヤが居場所をくれたこと、そうして今に至ることを。
「……そうだったのか。それでも、私の答えは変わらないよ。今までのように、ここで暮らして構わないよ」
「ありがとう、ございます」
「私はティファナ・アイリス・ウィルソンです。これからよろしくね、タクト君」
アルセイルの隣で会話を聞いていたティファナが、優しい笑みを浮かべてタクトに話しかけた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
夕食後、タクトはティファナに呼ばれ、彼女の部屋を訪れた。
ノックをすると、中から柔らかな声で返事があった。
「どうぞ」
「失礼します」
「いらっしゃい。そこに腰かけてくれるかしら。ミルクティーは好き?」
「はい」
「よかった」
タクトの答えを聞き、ティファナは嬉しそうに笑う。二人分のミルクティーを淹れると、タクトの向かい側に座った。
「急に呼んでしまってごめんなさいね」
「いえ……」
「少し、緊張してる? 肩書きは王妃だけれど、そんなに固くならなくていいのよ? これから一緒に暮らしていくのだから、普通にしてくれると嬉しいわ。名前もファナと呼んでくれて構わないから」
「判りました」
ティファナの言葉に頷き、タクトは今までの硬い表情から柔らかな笑顔を浮かべた。
温かいミルクティーを口に含むと、タクトは意を決したようにティファナに話しかけた。
「あの、少し聞いてもいいですか?」
「何かしら?」
「夕方の応接室で、ファナさんも僕が元アクマだったことを知って驚いていましたよね。でも、ファナさんだけすぐにそのことを受け入れていたように見えました」
「そうね。よく見ていたのね」
「いえ……。それで、ずっと気になっていたんですけど、すぐに受け入れてくださったのは何故ですか?」
普通、自分の子供が仲良くしている相手が元敵側の人間だったら、あまり良く思わない。
夕方の応接間でタクトが正体を告げたあと、アルセイルは緊張した空気を纏った。そして、タクトのことを観察していた。それが、普通の反応だろう。しかし、ティファナにはそれらの言動が見られなかった。
「簡単なことよ。昼間のアヤとタクト君の様子を見て、貴方がどんな人なのか判ったからよ」
「昼間のって、あの空間でのことですか?」
「えぇ」
ティファナは頷くと、ゆっくりとミルクティーを飲んだ。ティーカップをソーサーに置き、優しい笑みを浮かべたまま続きを話す。
「アヤは貴方のことを信用していた。それに、貴方のアヤを見る目が他の人と違って柔らかかった。私にはそれで十分だったのよ」
「……ありがとう、ございます」
「アヤは優しい子になったようで安心したけれど、でも、心配なこともあるのよね……」
「心配なこと、ですか?」
「えぇ。多分、タクト君も感じていることだと思うわ」
ティファナのその言葉を聞いて、タクトは彼女が心配していることが判った。
「もしかして、誰にも甘えようとしないで、一人で抱えこんでしまうこと、ですか?」
「そうよ……」
今まで優しい微笑みを浮かべていたティファナの表情が陰る。それを見たタクトの目にも哀しみの色が宿った。
「あの空間でアヤを抱きしめた時、アヤは身体を固くしていたわ」
「……そうだったんですか」
タクトは、丸テーブルの下でぎゅっと拳を握った。
「アヤは、昔から人に甘えることが少なかったのよ」
「昔から、ですか……?」
「えぇ。妹がいたから、しっかりしなければいけないと思ったんでしょうね。何でも一人で抱えるようになって、甘えてくることがなくなったのよ」
ティファナの声がどこか淋しげに響いた。
「それから私達はアヤと離れてしまって、余計に甘え方が判らなくなってしまったみたいね……」
アヤの両親が姿を消したあと、仮の国王と王妃が親代わりになった。その二人にもアヤより幼い子供がいたが、アヤのこともとても大切にしていたし、アヤも二人の愛情を感じていた。それは、タクトが城で暮らしていても感じられたことだった。けれど、アヤは二人に迷惑をかけていまわないようにと、どこか一歩引いていることが多かった。二人もそのことに気付いていたが、どうすることもできなかった。
ティファナの話を聞きそこまで考えたタクトは、無意識のうちに顔を下に向けていた。
「タクト君……」
静かに名前を呼ばれ、タクトはゆっくりと顔を上げる。すると、ティファナの真剣な瞳と目が合った。タクトの身体に緊張がはしる。
「アヤのこと、大切かしら?」
「はい」
迷いなく頷き、まっすぐな視線を返す。
「よかった」
ふわり、とティファナの表情が緩む。
「アヤのこと、よろしく頼むわね。きっと、貴方になら心を開くと思うから」
「判りました」
「貴方と話ができてよかったわ」
「僕も、ファナさんとお話できてよかったです。ミルクティー、ごちそうさまでした」
タクトは、ティファナに軽くお辞儀をして部屋を出ていった。
数分後、再びティファナの部屋の扉が叩かれた。
「どうぞ」
返事のあと入ってきたのは、城に泊まることにしたハルルだった。
「久しぶりね」
ティファナは、ハルルを見ると嬉しそうに笑った。
「……ファ、ナ」
ハルルは、戸惑いながらも昔呼んでいた愛称を口にした。
「昔みたいに呼んでよ。ハルルとはずっと友達でいたいって言ったでしょう?」
「そうだね」
「ほら、そこに座って。今、お茶を淹れるから」
「うん、ありがとう」
ティファナに促され、ハルルは丸テーブルのところにある椅子に腰を下ろした。
「はい。砂糖とミルクはここに置くわね」
「ありがとう」
今度はストレートティーを淹れ、ハルルの向かい側に座る。
「アヤのこと、見ていてくれてありがとう」
「お礼を言うのは私の方だよ。友達になりたいとは言ったけど、まさか親友になってくれるとは思ってなかったもの」
「そんなこと言ったの? ハルルらしいわね」
ハルルの言葉に、ティファナは呆れたように笑った。
「でも、よかったわ。アヤにハルルのような親友がいて」
「そう?」
「不安なの?」
ティファナは、約十年ぶりに再会する友達の声の変化を敏感に感じ取り、その心の声を当てて見せた。
「少しだけね……」
ハルルは、ティファナには敵わないと思い、苦笑を浮かべながら素直に頷いた。
「普通の友達以上に思ってくれているのは知っていたけれど、何かあった時には必ず隠そうとするから、本当に親友なのかなって思うことはあったよ」
「アヤは、誰かに甘える方法が判らなかったんだと思うわ。幼い時から、なかなか甘えようとしなかった子だもの。私たちがいなくなってからは、余計に、ね」
「そうみたいだね……」
「でも、ハルルとタクト君がいてくれたおかげで、少しは甘えられるようになっていると思うわ」
「そう、かな……」
自信なさげなハルルに、ティファナは笑顔を浮かべ言葉を紡いだ。
「そうよ。あの丘でのことを見ていれば判るわ。アヤは、かなりタクト君に心を許していたもの。もちろん、ハルルにも」
「そうだね。でも、多分タクト君には私以上に心を開いていると思うよ」
「あら、そうなの?」
不思議そうに返すわりにはあまり心が伴っていないような気がしたハルルは、じっとティファナを見つめた。
「ファナのことだから、薄々気付いてたんじゃないの?」
「なんとなく、ね。でも、さっきタクト君と話をしてそう感じていただけよ?」
「タクトくんと話したんだ。どうだった?」
「そうね。強くて優しい、素敵な人だったわ。アヤのことを大切に思っていたし。きっと、アヤの良い理解者になると思ったわ」
「……昔から思っていたことだけれど、相変わらずファナは人を見る目に長けているよね。タクトくんはアヤちゃんのこと、本当に大切に思っているよ」
「私も本人から聞いたからそれは判っているけれど、ハルルのその言葉も気になるわね。何かあったの?」
「ちょっとだけね」
ハルルは、少し前のことを思い出しながら答え、その時のことをティファナに話した。
「まだ、アヤちゃんの魔力が封印されていた時のことなんだけれどね、その時にアクマが封印された魔力を暴走させる術を使ったの。それに気付いたタクトくんはすぐにアヤちゃんに声をかけたんだけど、少し間に合わなくてね、アヤちゃんはその魔方陣を見ちゃったの」
ティファナは心配そうな表情を浮かべ、ハルルの話を聞いていた。
「それで、すごく苦しんでるアヤちゃんにアクマが近付いたんだけど、タクトくんがアクマに攻撃して言ったの」
ハルルはそこで話を止めると、少しだけ間をおいてから再び口を開いた。その口から出た言葉は、以前タクトがアクマに言い放った科白だった。
「『アヤに何かしたら、僕が許さないよ』って。普段の優しいタクトくんからは想像できないくらい低い声だった。それでも、アクマは身を引かなくてね、今度は『次に何かしようとしたら、タダじゃ済まさないよ?』って言ったの。前から知ってはいたけれど、タクトくんはアヤちゃんのことがすごく大切なんだって判った」
「そうだったの」
ハルルの話を聞いたティファナは、先程のタクトの言葉を思い出した。そして、タクトの気持ちに嘘偽りがなく、本気であることを実感していた。
それから二人は、ティファナがいなかった約十年の間のアヤの様子のことなどを話した。
一方、アヤが眠る部屋に来たタクトは、未だに目を覚まさないアヤを心配そうに見つめていた。
封印を解き、魔力が安定しないまま何度も魔術を使ったせいで疲れてしまったのだろう。
誰もが魔術を使い自分がもつ魔力がなくなると、怠さや眠気を感じるようになる。無理をすれば、倒れてしまうことだってあるのだ。
アヤも、無理をしてしまったがために、倒れてしまい眠り続けているのだろう。
「アヤ……」
タクトは名前を呼ぶと、額にかかる前髪をそっと手で払いのけた。
穏やかな寝息を繰り返すと、タクトは優しい眼差しで見つめ続けたのだった。
それから数時間後、すっかりと夜が深まったころ。自室にいたタクトは、ふと空気が揺れるのを感じて、本から顔を上げた。
アヤが目を覚ましたような気がして、数時間前にいた部屋を訪れる。
扉を開けて中を見ると、その部屋に人の姿はなかった。無人のベッドを目にしたタクトは、少しだけ顔をしかめた。
――あまり、無理をしてほしくないのに。
タクトは、わずかに感じられる魔力をたどってアヤを探し始めた。
少しすると、中庭の噴水の前に一人でたたずむ人影を見付ける。その人影がアヤであることはすぐに判った。
無事、アヤが見付かったことに安心したものの、何か悩んでいるような後ろ姿に不安が広がる。
タクトはゆっくりと近付きながら、優しい声色で名前を呼んだ。
「アヤ……」
タクトの声が届いたのか、下を向いていたアヤの顔が上がる。しかし、タクトの方に身体を向けることはなかった。
――何か、悩んでるな……。
出会ってから半年も経っていないが、今まで過ごしてきた時間のおかげで、タクトはアヤのことをほとんど理解できるようになっていた。
ゆっくりと近付き、アヤの隣に立つ。
静かな時間が過ぎていく。時折吹く夜の風が水面を揺らす。ゆらゆらと揺れる水は、まるでアヤの心の内を表しているかのように思えた。
しばらくの沈黙のあと、不意にアヤが口を開いた。
「私、間違ってるのかな……」
「昼間のことかい?」
何のことを指しているのか察したタクトが質問をすると、小さな頷きが返ってきた。
――やっぱり、あのアクマの言葉を気にしていたんだ……。
そう思った瞬間、思わず心の声を呟いていた。
「そのままでいてよ」
「えっ?」
その声は思いのほか大きく、言葉を発したタクト自身も驚いていた。アヤも軽く目を見張り、タクトの方に身体を向ける。
「アヤは、間違ってなんかいないよ。だから、そのままでいて?」
今度はゆっくりとその言葉を口にした。まっすぐに、アヤを見つめて。
「でも……」
しかしアヤは、頷くことなく躊躇いの声を零して視線を下に落とした。
その声を聞いたタクトは、アヤが躊躇う理由を理解していた。
昼間、アクマが去り際に落としていった言葉。周りの人が大切で全員を守ろうと思っていると、いつか守りきれなくなる時が来る。
そのことは、アヤも嫌というほど判りきっていることだった。かといって、誰かを切り捨てることもできない。それがアヤの優しさであり、弱さでもあった。
「アヤまで、僕みたいになる必要なんてないよ」
自分の甘さに黙りこんでいたアヤに、タクトの願うような切ない声が届く。珍しく弱い声に、アヤはゆっくりと顔を上げてタクトを見た。
雲に隠されていた月が姿を見せ、月光がタクトの表情を映し出す。
「僕は、簡単に誰かを切り捨てちゃうから……」
自嘲する笑みとともに、弱く静かな声で告げる。
アクマとして過ごしてきた時間が長いタクトは、誰かを切り捨てることを覚えてしまっていた。周りのアクマが光側の人を襲うのを見て、仲間さえも見捨てる姿を見て生きてきたせいでもある。それに、変わり者扱いされていたタクトは、そうしなければアクマとして生きていくことができなかった。
アヤの助けにより光側に来ても、その習性は変わらなかった。
――大切な人以外、どうでもいい。
そう思う度に、何度冷たい人間だと感じただろう。
「アヤは、僕みたいに冷たい人にはならないで?」
――アヤには、そのままでいてほしい。自分のように冷たい人間になんて、なる必要はない。それに、誰かを見捨てる度に傷つくアヤを見たくない。切り捨てるのは……。
「誰かを切り捨てるのは、僕だけでいいよ」
「……タクトは、辛くないの?」
いつもと様子の違うタクトに何も言えずにいたアヤだったが、ようやく一言だけ声にして言うことができた。
その声は、夜の闇に吸い込まれていくかのように、小さく静かなものだった。
「アヤは優しいね」
――こんな僕のことまで、気にかけてくれるなんて。
心の内を明かしたら、嫌われてしまうだろうかという不安と、嫌われても構わないという諦めとが入り混じる中、タクトは言葉を紡いだ。自分の醜さに、再び自嘲の笑みを浮かべて。
「僕はね、大切な人が無事ならそれでいいって思っちゃうような人なんだよ。誰かを見捨てても平気でいられる、そんな冷たい人間なんだよ」
「そんなことない。タクトは、優しい人だよ」
いつまでもタクトの自嘲の笑みを見ていたくなかったアヤは、首を横に振って否定した。
「違うよ」
「違わないよ。だって、今も自分のことを責めてる……」
「……そうでもないよ」
流れてきた雲が、月にかかり辺りが暗くなる。
それとほぼ時を同じくして、タクトの表情にも影がさす。
「本当に優しくできるのは、アヤだけだよ。あとは、中途半端な優しさでしかない」
「タクト……」
何も言えず、ただ名前を呼ぶ。その声は、タクトの心の内を思ってか、哀しみが含まれていた。
「……ありがとう」
「えっ?」
静かに響いた声は、アヤの耳にまでは届かなかった。
今度はしっかりと届くように、少し大きな声で感謝の言葉を告げる。
「ありがとう」
雲が流れ、月の光が二人の上に降り注ぐ。
再び月光に照らされたタクトの顔には、優しい笑みが浮かべられていた。
「アヤの、その気持ちだけで嬉しいよ」
タクトの腕がそっと持ち上がる。
「だから、そんな顔しないで?」
困ったような笑みとともに告げられた言葉に、自分がどんな表情をしているのか判らなかったアヤは首を傾げた。
「辛そうな顔してる……」
くしゃりと顔を歪め、タクトはそっとアヤの頬に手を添える。
そして、夜風で冷たくなってしまった頬をゆっくりと撫でながら言葉を紡いだ。
「大丈夫だよ。アヤがそうやって哀しんでくれるから、いつも救われてる。だからさ、アヤは今のままでいてよ。誰かを見捨てるのは、僕だけで十分だから」
――だって、アヤは自分のことのように苦しみを共感してくれるから。それだけで十分。それ以上傷つく必要なんてない。
「……うん」
少しだけふっと軽くなった表情でアヤが頷く。それを見たタクトは、ふわりと優しい笑みを浮かべた。
「疲れてない?」
話がひと段落し、長い時間外にいることに気付いたタクトがそっとアヤに声をかける。
「……へいき」
そう返ってきた声は弱く、とても平気そうには思えなかった。心なしか、少しだけふらついているような気もする。
「無理しなくていいから。本当は、眠いんじゃないの?」
アヤのことだ。少しだけ考え事をしたくて、寝てなくてはいけないのに外に出てきたであろうことは判っていた。
「……ごめん、本当はちょっと辛い」
本当はちょっとどころではないことくらい、タクトには明白だった。しかし、隠されてしまうよりはましだと思い、心配の色を乗せた声で問いかける。
「部屋まで歩ける? それとも……っと」
部屋に戻る方法を提案している途中で、アヤの身体が傾いた。力を失って倒れるアヤの身体をタクトが支える。腕の中におさまったアヤは、既に目を閉じてしまっていた。
「おやすみ」
アヤの耳元に口を近づけ、そっと囁く。届かないはずの声が聞こえたのか、アヤの口元が少しだけ弧を描いたような気がした。
初出:本館「月夜の旋律」




