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毒を啜るなら黒百合(ダークリリィ)と共に  作者: 3色あんこ


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第8話 黒百合に届いた招待状



 王宮に届く書状には、さまざまな意味がある。

 忠誠を示すもの。

 助力を求めるもの。

 あるいは、相手の出方を窺うためのもの。

 そして時には、差出人の笑顔の裏に隠された刃を、丁寧な言葉で包み込んだものもある。


「……和平を祝う晩餐会、ですか」


 ヴェルシェリア・ポインセットは、執務机の上に置かれた招待状を眺めていた。

 封蝋には、北方を治めるニグルム侯爵家の紋章が刻まれている。


 上質な羊皮紙。

 流麗な筆跡。

 そして、王家に対する礼節を一切欠いていない、実に見事な文面。

 どこからどう見ても、非の打ちどころのない招待状だった。


「先日の報告を受けて、慌てて懐柔に動いたのかしら」


 隣に立つアシュレインが、書状へ視線を落とす。


「あるいは、我々がどこまで知っているのかを探りたいのかもしれないな」

「ええ。いずれにせよ、侯爵が何も知らずにこの時期に晩餐会を開くとは考えにくいですわ」


 ニグルム侯爵の不正を裏付ける証拠は、着実に集まりつつある。

 軍用物資の横流し。

 教会への寄付金を利用した不透明な資金移動。

 そして、軍務局の管理番号と一致する輸送記録。

 しかし、軍務卿グラディウス公爵本人の関与については、まだ断定できるだけの証拠がない。


 侯爵を追い詰めるには、もう少し時間が必要だった。

 そんな矢先に届いた、友好的な招待。

 あまりにも都合がよすぎる。


「招待状の本文は、こちらです」


 ローレンが別の書類を机に置いた。

 ヴェルシェリアは受け取り、改めて目を通す。


 そこには、王国と北方領の長きにわたる友好を称え、今後の和平と繁栄を願う言葉が並んでいた。

 侯爵は、王家への忠誠を改めて誓うと記している。


 先日まで領民を飢えさせ、軍の物資を不正に動かしていた者とは思えないほど、立派な文章だった。

 ヴェルシェリアは最後の一行まで読み終え、招待状を机へ戻した。


「……ローレン。これは、いつ届いたの?」

「本日、午前。王宮の正式な使者を通じて届けられました。受け渡しの記録も確認済みです」

「封蝋は?」

「侯爵家のものと一致しています。ただし、封蝋が本物であることと、侯爵本人がこの文面を書いたことは別問題です」

「そうね。ありがとう」


 ヴェルシェリアは再び招待状を手に取った。

 そして、ふと指を止める。


「……おかしいわ」


 アシュレインが彼女を見た。


「何がだ?」

「この文章、少しだけ不自然なの」


 彼女は招待状の一節を指先で示した。


「ここですわ。和平の成立を祝う言葉が、わざわざ二度も繰り返されている」

「文章を強調したかっただけではないのか?」

「普通なら、そう考えるでしょうね」


 ヴェルシェリアは微笑んだ。

 しかし、その瞳からは笑みが消えていた。


「けれど、この侯爵は文章の巧みさを自分の政治的な武器にしてきた人物です。無意味な重複をするような書き手ではありません」


 彼女は本文の別の箇所へ指を移した。


「それに、和平を祝う晩餐会の招待状であるにもかかわらず、日程の説明が妙に曖昧です。開催日は記されていますが、到着後の予定や、誰が出席するのかについての記述がありません」

「つまり、我々に何かを確認させたい?」

「あるいは、何かを読み取らせたいのかもしれませんわ」


 ヴェルシェリアは机の引き出しから紙を取り出し、招待状の文章を書き写し始めた。

 行ごとに区切り、単語を並べ替え、文頭と文末を照合する。


 アシュレインは口を挟まず、その様子を見守っていた。

 彼女がただの違和感だけで動く人間ではないことを、誰よりもよく知っていたからだ。

 数分後。

 ヴェルシェリアの手が止まった。


「……見つけましたわ」

「何がだ?」

「暗号です」


 彼女は書き写した文章を、アシュレインの前へ差し出した。


「文中で不自然に繰り返されている語句と、各段落の末尾を一定の順序で拾っていくと、別の文章になります」


 アシュレインは紙を受け取った。

 そこに浮かび上がっていたのは、短い一文だった。


── 七つの花のうち、一輪はすでに枯れている。


 室内から、音が消えた。

 ローレンの表情が、わずかに険しくなる。


「……7つの花、ですか」

「ええ」


 ヴェルシェリアは静かに答えた。

 黒百合の七席。


 王。

 王女。

 剣。

 少女。

 商人。

 騎士。

 司祭。


 その存在を、王宮のごく一部の者しか知らないはずだった。

 7人の名も、役割も、組織の実態も、決して外部へ漏らしてはならない秘密である。

 にもかかわらず。


「侯爵が黒百合の存在を知っている……そう考えるべきか?」


 アシュレインが問いかける。


「まだ、そこまでは断定できませんわ」


 ヴェルシェリアは即座に答えた。


「7つの花という表現が、わたくしたちを指しているとは限らない。別の意味で使われた可能性もあります」

「だが、わざわざ暗号にする理由は?」

「こちらに気づかせたいからでしょうね」


 彼女は招待状を見つめた。


「普通の文章に隠している以上、誰にでも読めるものではありません。つまり、送り主は、これを解読できる相手に向けて書いた」

「我々が解読すると見越していた、と?」

「そう考えるのが自然ですわ」


 アシュレインの唇に、微かな笑みが浮かんだ。


「面白い。侯爵は我々に招待状を送ったつもりで、同時に挑戦状まで送りつけてきたわけか」

「あるいは、挑発ではなく警告かもしれません」

「警告?」

「『七つの花のうち、一輪はすでに枯れている』。もし黒百合を指しているのなら、誰かが裏切ったという意味にも取れます」


 ローレンが低く告げた。


「……内部に、情報を漏らした者がいると?」

「可能性の一つです」


 ヴェルシェリアは答えた。


「けれど、わたくしは、今すぐ仲間を疑うつもりはありません」


 その声には、静かな確信があった。


「疑うことと、事実を確かめることは違います。誰かが裏切ったという証拠もないのに、疑念だけで七人の結束を壊すわけにはいかないわ」


 アシュレインは、彼女を見つめた。

 そして、満足げに頷く。


「そうだな。裏切り者がいるのなら、証拠を掴んでから裁けばいい」


 その言葉に、温情はない。

 だが、性急な断罪もなかった。

 彼らが求めるのは、疑わしい者を手当たり次第に排除することではない。

 誰が何を知り、誰が何をしたのか。

 その真実を見極めることだった。



◇


 その日の夜。

 王宮地下の秘密の会合場所に、黒百合の七席が集まっていた。


「──というわけで、これが侯爵から届いた招待状よ」


 ヴェルシェリアが説明を終えると、ソクラドが長い息を吐いた。


「いやはや。ずいぶんと大胆なお誘いですねえ。晩餐会に招かれたと思ったら、食卓に毒入りの料理まで用意されていそうだ」

「毒なら、料理よりも招待状のほうが怪しいんじゃない?」


 ライラが淡々と返す。


「おや。少女殿、ずいぶんと物騒なことをおっしゃる」

「あなたが言ったのよ」

「これは失礼」


 ソクラドは悪びれもせず笑った。

 しかし、いつもの軽口とは裏腹に、その目は招待状から離れていなかった。


「北方の商人たちにも、少し探りを入れてみましょう。侯爵がこの晩餐会を準備し始めた時期と、誰がその話を知っていたのか。そこから何か見えてくるかもしれません」

「お願いするわ」


 ヴェルシェリアは頷いた。

 グロリアが腕を組み、机を覗き込む。


「それにしても、一輪はすでに枯れている、か。これが本当にあたしたちのことなら、相手は何を知ってるんだろうね」

「七席の存在だけか。それとも、各々の役割まで把握しているのか」


 ローレンの言葉に、リンドウェルが静かに続けた。


「暗号を送った者が、黒百合の存在を知っていることと、黒百合の内部事情まで知っていることは別です。まずは、その二つを分けて考えるべきでしょう」

「そうね」


 ヴェルシェリアは頷いた。


「司祭。教会を経由した情報の流れに、不自然なものがないか確認してちょうだい。ただし、教会の人々を巻き込まないように」

「承知しました。今までどおり、私一人で調べます」

「騎士は軍務局と北方軍の動きを。商人は同業者たちの噂と資金の流れを追って」

「了解!」

「かしこまりました」

「剣は、王宮内の警備記録と招待状の受け渡し経路を再確認して。少女は、侯爵家の使用人や私設兵の動きを探ってほしいわ」

「分かりました」


 ライラが頷く。

 それぞれの役割が決まっていく。


 誰も、すぐに裏切り者の名を口にしなかった。

 誰も、仲間の誰かを疑わしいと決めつけなかった。


 だが、7人の間に、これまでとは異なる緊張が生まれていた。

 敵が外にいるだけなら、剣を向ければいい。

 しかし、敵が自分たちの秘密を知っているのなら。

 その情報が、どこから漏れたのかを知らなければならない。


 黒百合は、秘密を武器として戦う組織だ。

 その秘密が失われれば、7人が積み上げてきたものすべてが危険に晒される。


「……一つ、よろしいでしょうか」


 リンドウェルが口を開いた。


「どうぞ」

「もし、この暗号が黒百合の内部に裏切り者がいると示唆するためのものなら、送り主の目的は、私たちに疑心暗鬼を抱かせることかもしれません」


 室内が静まり返る。


「仲間を疑い、互いを監視し、信頼を失う。そうなれば、黒百合は外部から攻撃されずとも、内側から崩れていきます」

「……なるほどねえ」


 ソクラドが顎に手を当てた。


「情報を漏らした者が本当にいるのかどうかは別として、こちらに疑わせること自体が目的である可能性もある、と」

「はい。ですから、私は皆さんを疑いません」


 リンドウェルは穏やかに微笑んだ。


「疑う必要がないからではありません。事実を確かめる前に、誰かを罪人にしたくないからです」


 グロリアが大きく頷いた。


「いいね。あたしも賛成だよ。誰かが本当に裏切ったんなら、そのときは証拠を掴んで向き合えばいい。今から疑い合って、敵の思うつぼになるのは御免だね」

「私も同意します」


 ローレンが短く答えた。


「黒百合の秘密が漏れたのなら、原因を突き止めます。ただし、根拠のない疑いで仲間を傷つけるつもりはありません」


 ライラも小さく頷いた。


「私は、王女様が選んだ人たちを、簡単には疑いたくありません」

「……ありがとう、少女」


 ヴェルシェリアは微笑んだ。

 そして、最後にアシュレインへ視線を向ける。


「王は、どうお考えですか?」


 アシュレインは、しばらく沈黙していた。

 やがて、机の上の招待状を手に取る。


「私は、裏切り者がいるかどうかを今ここで決めるつもりはない」


 静かな声だった。


「だが、もし黒百合の秘密を売った者がいるのなら、私は必ず見つけ出す。誰であろうと、相応の裁きを受けてもらう」


 その言葉に、迷いはなかった。


「そして、裏切り者がいなかった場合は?」


 ヴェルシェリアが尋ねる。

 アシュレインは、彼女を見た。


「そのときは、我々の秘密を知る者が、なぜ知っているのかを調べるだけだ」


 彼は微笑んだ。


「敵が何を知っているのか。それを把握できれば、こちらも相応の手を打てる」


 王太子の言葉に、七席の空気がわずかに引き締まった。

 疑念を恐れている暇はない。

 誰かが黒百合の存在を知っているのなら、その者はすでに彼らの領域へ足を踏み入れている。


 ならば、追い返すだけでは済まされない。

 その正体を暴き、目的を明らかにしなければならないのだ。


「……では、晩餐会には出席なさるのか?」


 グロリアが尋ねた。

 アシュレインは招待状を机へ置いた。


「当然だ」

「罠かもしれませんよ?」

「罠ならば、誰が仕掛けたのかを確かめる機会になる」


 彼は平然と答えた。


「招待を断れば、侯爵に警戒される。出席すれば、向こうも何かを仕掛けてくるかもしれない。どちらにせよ、こちらが得られる情報はある」

「……相変わらずですねえ、我が王は」


 ソクラドが苦笑する。


「危険を避けるより、危険の中から真実を拾い上げるおつもりですか」

「それが王の役目だと思っているのでね」

「では、わたくしも出席いたしますわ」


 ヴェルシェリアが、自然な口調で告げた。


「王女として、殿下の婚約者として、侯爵の歓待を受けるのが礼儀ですもの」

「そう言うと思った」


 アシュレインは彼女の手を取った。

 公の場であれば、婚約者同士の自然な仕草に見えるだろう。

 だが、2人の指先には、互いにしか分からない確かな意思が込められていた。


 どんな罠が待ち受けていようとも。

 どれほど深い闇が広がっていようとも。

 2人は、並んでその中へ踏み込む。


 そして、黒百合の七席もまた、それぞれの役割を果たすために動き出した。



◇


 会合が終わった後。

 ヴェルシェリアは1人、招待状を手にしていた。

 燭台の火が揺れ、羊皮紙の表面に淡い影を落としている。

 彼女は、暗号の一文をもう一度読み返した。


── 7つの花のうち、一輪はすでに枯れている。


 この言葉が、黒百合を指しているとは限らない。

 侯爵が独自に組み立てた暗号なのか。

 第三者が招待状に細工をしたのか。

 あるいは、誰かが彼女たちへ警告を送ろうとしているのか。


 可能性はいくつもあった。

 そして、どれもまだ証明されていない。


「……あなたは、何を伝えたいのかしら」


 ヴェルシェリアは小さく呟いた。

 招待状を持つ指先に、わずかに力がこもる。

 黒百合の存在を知る者がいる。

 それは確かな脅威だった。

 けれど、それ以上に気がかりなのは、暗号が示す「枯れた一輪」の意味である。


 すでに裏切りが起きているのか。

 それとも、これから誰かを失うという予告なのか。

 答えは、まだ見えない。

 ヴェルシェリアは招待状を封筒へ戻し、静かに目を閉じた。

 彼女は、黒百合の仲間たちを信じている。

 だが、信頼とは、目を閉じて何も見ないことではない。

 相手を信じるからこそ、何が起きているのかを確かめなければならない。


 もし、本当に裏切り者がいるのなら。

 その者がなぜ裏切ったのか。

 何を得ようとしたのか。

 そして、誰のために動いているのか。

 すべてを明らかにする。

 たとえ、その答えが彼女自身の信頼を裏切るものだったとしても。


「……黒百合は、まだ枯れませんわ」


 ヴェルシェリアは、静かに微笑んだ。

 その言葉は、誰に向けたものでもなかった。

 ただ、自分自身に言い聞かせるためのものだった。


 王宮の外では、夜風が窓を揺らしていた。

 北方の侯爵から届いた、友好的な招待状。

 その裏に隠されていた、たった一行の暗号。

 そして、まだ姿を現さない敵の影。


 黒百合の七席は、これから試されることになる。

 互いを信じることの意味を。

 秘密を守ることの重さを。

 そして、誰かが仲間の名を騙っていたとしても、真実を見失わずにいられるのかを。


 晩餐会の日は、近づいていた。

 黒百合に届いた招待状は、友好の証ではない。

 それは、7人の結束を試すために差し出された、静かな挑戦状だった。

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