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悪役令嬢として追放された私、辺境の公爵様に溺愛されています〜趣味の魔法薬作りが本物の聖女の力だったと気づいてももう遅い〜  作者: 黒崎隼人


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第6話「凍れる森と静かな庇護」

 城門を出て北へ向かう道は、分厚い雪に覆われていた。

 ヴィンセントを先頭に、ブラン、そしてルミナの順で雪を踏みしめながら進む。

 ルミナの足は深く雪に沈み込み、一歩踏み出すごとにふくらはぎの筋肉が引きつるような疲労を覚える。

 しかし、ヴィンセントの歩いた跡の雪は適度に固められており、ルミナが歩きやすいように計算されているのがわかる。

 森の奥へ進むにつれて、周囲の木々の密度が増し、太陽の光が遮られて薄暗くなっていく。

 針葉樹の枝には氷柱が垂れ下がり、風が吹くたびにカチャカチャと乾いた音を立ててぶつかり合う。

 空気の温度が一段と下がり、吐く息の白さが際立ってくる。


「この辺りからだ」


 ヴィンセントが立ち止まり、周囲を警戒するように見回す。

 ルミナの目にも、その異変ははっきりと見えた。

 木々の根元に広がる雪が、ところどころ黒く変色している。

 空気を吸い込むと、肺の奥にへばりつくような土の腐った匂いがする。

 これが、北の地を脅かしているという呪いの霧の痕跡だった。

 ルミナは革の鞄から、昨日調合した青く発光する液体の入った瓶を取り出す。

 瓶の蓋を開けると、冷涼なミントの香りが腐臭を押し退けて広がる。

 彼女は雪が黒く変色している中心部分に向かって歩み寄り、膝をつく。

 冷たい雪の感触が厚手のスカート越しに伝わってくる。

 ルミナは瓶の縁を傾け、青い液体を数滴、黒い雪の上にこぼす。

 液体が雪に触れた瞬間、まばゆい青い閃光が走り、周囲の空気が一気に振動する。

 チリチリという微かな音と共に、黒い汚れが雪の表面から剥がれ落ち、蒸発していく。

 青い光は波紋のように広がり、周囲の木々の根元にこびりついていた腐敗の痕跡を次々と洗い流していく。

 数秒後には、腐臭は完全に消え去り、森の清冽な空気だけが残った。


「素晴らしい」


 ヴィンセントの感嘆の声が背後から聞こえる。

 ルミナは立ち上がり、自分の手元にある小瓶を見つめる。

 王都では見向きもされなかったこの薬が、ここでは確実に土地を癒やしている。

 胸の奥に、じんわりとした熱い塊が込み上げてくる。

 そのとき、静寂を取り戻したはずの森の奥から、乾いた枝を踏み折るような鋭い音が連続して響く。

 ヴィンセントが瞬時に前に出て、ルミナを背後にかばう。

 彼の大きな背中が、ルミナの視界の半分を覆い隠す。

 ブランも低い唸り声を上げ、毛を逆立てて威嚇の態勢を取る。

 木々の隙間から姿を現したのは、黒い霧の残滓が寄り集まって形作られた、泥のような塊だった。

 それは不定形にうごめきながら、ズリズリと雪を擦るような音を立ててこちらへ近づいてくる。


「下がれ」


 ヴィンセントの声には、普段の静けさとは異なる鋭い刃のような響きがある。

 彼は腰に提げていた長剣を鞘から引き抜く。

 鋼の刀身が、森の薄明かりを反射して冷たく光る。

 泥の塊が、ルミナの持っている浄化の薬の匂いに惹きつけられるように、突如として速度を上げて飛びかかってくる。

 ヴィンセントは一歩も退かず、流れるような動作で剣を振り抜く。

 空気を裂く鋭い音と共に、泥の塊が真っ二つに両断される。

 切断面から黒い体液のようなものが飛び散るが、ヴィンセントの外套がそれを見事に弾き返す。

 地面に落ちた泥の塊は、痙攣するように震えた後、黒い煙となって空中に溶けて消えた。

 ヴィンセントは剣についた汚れを雪で拭い、静かに鞘に収める。


「怪我はないか」


 彼は振り返り、ルミナの顔をのぞき込む。

 その声は、先ほどの鋭さが嘘のように、穏やかで心配に満ちている。

 ルミナは彼の広い肩と、その奥に見える安心感に、思わず息を呑む。

 王太子は常に自分を盾にし、危険な作業はすべてルミナに押し付けていた。

 自分の前に立ち、身を挺して守ってくれる存在など、今まで誰もいなかった。


「……はい、私は大丈夫です」


 ルミナの声は、安堵から少し震えていた。

 ヴィンセントはルミナの震えを見ると、少し迷ったような素振りを見せた後、手袋を外した大きな手でルミナの肩を優しく包み込む。

 厚手の衣服越しでも、彼の手のひらの力強い温もりがはっきりと伝わってくる。


「君は私が必ず守る。だから、安心してその力を振るってほしい」


 その言葉は、どこまでも真摯で、熱を帯びていた。

 ルミナは彼の青い瞳に吸い込まれそうになるのを必死に堪える。


『この人は、領地の浄化のために私を守ろうとしてくれているだけ』


 自分の都合のいいように解釈し、再び心の壁を厚くしようとする。

 しかし、肩に残る彼の手のひらの温もりは、その壁を少しずつ、確実に溶かそうとしていた。

 森の冷たい空気のなかで、二人の間にある見えない距離が、ほんのわずかに縮まった瞬間だった。

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