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悪役令嬢として追放された私、辺境の公爵様に溺愛されています〜趣味の魔法薬作りが本物の聖女の力だったと気づいてももう遅い〜  作者: 黒崎隼人


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第5話「温かな食卓と勘違いの距離」

 分厚い石壁に囲まれた食堂には、巨大な暖炉から放たれる柔らかな熱気が充満している。

 黒檀で作られた長大なダイニングテーブルの端と端ではなく、ルミナの席はヴィンセントのすぐ右隣に設けられていた。

 テーブルの上には、純白の麻のテーブルクロスが敷かれ、銀の燭台に立てられた蜜蝋のろうそくが炎を揺らしている。

 皿に盛り付けられているのは、北の冷たい海で獲れたという白身魚の香草焼きと、根菜をじっくりと煮込んだ琥珀色のスープだ。

 焼けたバターの芳醇な香りと、ローズマリーの爽やかな匂いが鼻腔をくすぐり、空腹を強く刺激する。

 ルミナは銀の匙を手に取り、琥珀色のスープをすくって口に運ぶ。

 野菜の甘みと肉の深いコクが舌の上で溶け合い、冷えた胃の腑に熱い染みのように広がっていく。

 王都の宮廷料理のような複雑すぎる味付けではなく、素材の味をそのまま生かした力強い味わいがルミナの好みに合っていた。


「食事の味はどうだ」


 ワイングラスを傾けていたヴィンセントが、静かな声で尋ねる。

 彼の黒い外套は椅子の背に掛けられており、今は仕立ての良い濃紺のシャツ姿だ。

 襟元から覗く首筋の骨格が、ろうそくの光を受けて鋭い陰影を作っている。


「とても美味しいです。特にこのスープは、冷えた体が芯から温まります」


 ルミナが正直な感想を述べると、ヴィンセントの口元がほんのわずかに緩む。


「そうか。厨房の者に伝えておこう」


 彼はそれ以上は語らず、再び自分の皿に視線を落とす。

 会話が途切れても、その沈黙は決して居心地の悪いものではなかった。

 カチャリと銀の食器が触れ合う音だけが、静かな室内に心地よく響く。

 食事を終える頃には、ルミナの体はすっかり温まり、緊張で強張っていた肩の力も抜けていた。

 食後のお茶が運ばれてくると、ヴィンセントはカップを手に取る前にルミナのほうへ向き直る。


「ブランの経過だが、君の薬のおかげで完全に霧が晴れた」


 ヴィンセントの瞳には、隠しきれない安堵の色が浮かんでいる。


「明日にでも、領地の一部を浄化するために森へ向かいたいのだが、君の同行を願えるだろうか」


 森へ行くということは、外の厳しい寒さに身をさらすということだ。

 しかし、自分の作った薬が土地そのものを癒やすのなら、ルミナに拒む理由はなかった。


「はい。喜んで同行いたします」


 彼女が頷くと、ヴィンセントは立ち上がり、壁際の小さな棚から何かを取り出して戻ってくる。

 彼の手には、深い青色のビロードで作られた小箱が握られていた。


「これは、君に」


 ヴィンセントが小箱の蓋を開けると、なかには純白の毛皮で作られた分厚い手袋と、同じ素材の襟巻きが収められていた。

 毛皮の表面は艶やかに輝き、微かに灯るろうそくの光を反射して銀色に光っている。


「北の森の寒さは、君が想像するよりもはるかに厳しい」


 ヴィンセントは手袋を箱から取り出し、ルミナの手のひらの上にそっと置く。

 驚くほど軽く、それでいてじんわりとした熱を内包しているような温もりがあった。


「これは、特有の魔力を帯びた毛皮で作られている。どんな冷気も通さない」


 ルミナは手のひらに乗った手袋の柔らかさに目を見張る。


「こんなに高価なものを……私はただ、契約に従って仕事をしているだけですから」


 遠慮しようとするルミナの言葉を遮るように、ヴィンセントの低い声が響く。


「君が凍えて倒れては、私が困るのだ」


 その言葉は一見冷たく聞こえるかもしれないが、ルミナの耳には別の響きを持って届いた。


『そうよね。私は彼の重要な労働力なのだから』


 胸の奥で、小さな失望が冷たい小石のように転がる。

 彼は優秀な雇用主として、大切な道具が壊れないように手入れをしているだけなのだ。

 彼が自分に対して見せる細やかな気遣いや、時折見せる柔らかな視線も、すべては有能な労働力を確保するための手段だと思い込むことで、ルミナは自分の心を守ろうとする。

 王都で不用品として捨てられた記憶が、そう簡単に他人の好意を信じることを許してくれない。


「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」


 ルミナは手袋を胸の前に抱きしめ、深く頭を下げる。

 うつむく彼女を見下ろすヴィンセントの瞳に、微かなもどかしさと切なさが交錯していることに、彼女は全く気づいていなかった。


◆ ◆ ◆


 翌朝、ルミナはヴィンセントからもらった毛皮の手袋と襟巻きを身につけ、城の中庭に出た。

 襟巻きは首元を完全に覆い尽くし、外の刺すような冷気を完璧に遮断してくれる。

 手袋のなかに指を入れると、まるで誰かの温かい手のなかに包まれているような心地よい熱が伝わってくる。

 中庭にはすでにヴィンセントが待っており、彼の傍らには元気を取り戻した巨大な白い獣、ブランが座っていた。

 ブランはルミナの姿を見つけると、立ち上がって長い尾を大きく振り、彼女のもとへ駆け寄る。

 巨大な頭がルミナの胸元にすり寄り、喉の奥からグルグルという低い振動音を鳴らす。

 ルミナは手袋を外し、ブランの純白の毛並みに両手を深く沈み込ませる。

 太陽の光を浴びた毛並みは、昨日よりもさらに柔らかく、ふかふかとした手触りになっている。

 冷たい空気のなかで、ブランの体温だけが確かな熱として指先から伝わってくる。


「すっかり元気になったのね」


 ルミナが頬を緩めると、ブランは嬉しそうに彼女の手のひらを舐める。

 ザラリとした舌の感触がくすぐったい。


「ブランがこれほど他人に懐くのは珍しい」


 ヴィンセントが歩み寄りながら、静かな声で言う。


「君の優しさを、本能で理解しているのだろう」


 ヴィンセントの視線はブランに向けられているが、その言葉はルミナの心の奥を静かにノックする。

 しかしルミナは、その言葉の意味を深く考えることを無意識に避ける。


「私の薬の匂いを覚えているだけですよ」


 ルミナは小さく笑ってごまかし、ブランの首筋を撫で続ける。

 ヴィンセントはそれ以上何も言わず、ただ静かにその光景を見守っていた。

 澄み切った冬の空の下で、すれ違う二人の感情だけが、見えない霧のように漂っていた。

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