92 異界を進む
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!』
『ウ゛オ゛ォ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!』
隔壁の向こうに閉じ込められていた花人の集団が、不気味な声を上げながら迫る。
掴み掛かって噛み付くのが主な攻撃手段の『花人』だが、それにさえ気を付けておけばブルーフィリアの『眷属』の中ではそれ程脅威度は高くない。
しかし問題は、ブルーフィリアに寄生されて間もない死体が変異して誕生する『眷属』である為に、基本的に数が多い事だ。
1、2体がうろついているだけに見えて、物陰で死体のフリをして隠れるなどして不意打ちを仕掛けて来る事もあり、意識していないタイミングで襲撃を受ける恐れがある為油断は出来ない。
しかし、それは距離を取った上で銃などの小火器類を使う場合であり、寧ろ接近戦を行う事が出来るのなら直接攻撃を仕掛けた方が迅速に対処出来るとも言える。
特に、私には中距離の範囲を一度に攻撃出来る『茨の鞭』がある為、『花人』の対処は容易に行えた。
それに、今の私はこの街で最初に『花人』と遭遇した時とは比べ物にならない程ブルーフィリアとしての能力が向上している。
「―――はっ!」
私は『花人』に向かって両腕に展開した『茨の鞭』を振るった。
と言っても、腕を大きく振りかぶったりした訳ではなく、『花人』のいる方向に向けて手を突き出した程度だ。
だが、それだけで私の両腕から伸びた何本もの鞭は私の思った通りの動きをしながら『花人』達に襲い掛かった。
「!!!?」
「ガ!!!?」
「ギュ!!!??」
他の場所に比べて横幅が広めの渡り廊下の空間を、縦横無尽に振るわれた『茨の鞭』が駆け抜ける。
空気を引き裂きながら『花人』の群れに襲い掛かった鞭は、鋭く細かい棘で怪物達の体を瞬く間に削り、周囲に緑色の血の嵐を巻き起こした。
以前までの『茨の鞭』は私の左右それぞれの腕から四本のやや細めの茨が伸び、そのまま振るえば攻撃範囲の広い武器として機能し、鞭自体の動きも精密な動作をさせる事が可能だった。
しかし一方で動作の精密さの代償なのか、鞭自体にそれ程パワーが無く『木人』の様に外皮の硬い怪物に対して攻撃した場合、鞭が相手の身体に引っかかり私自身の動きを阻害してしまう事があった。
そして、それを解消する目的で作り出したのが片腕4本の茨を一本に撚り合わせて鞭とした物だった。
前者を範囲型とするなら後者は威力型という所であり、以降私は『茨の鞭』を使用する際は相手によって二つの形態を使い分ける様にしていた。
具体的には、防御力が低く数の多い敵には範囲型、防御力が高く数の少ない敵……つまり強敵相手には威力型といった具合だ。
万が一、鞭による攻撃が相手の身体を完璧に引き裂く事が出来ず引っ掛かってしまえば、怪物に鞭を掴まれ引っ張られる等して体勢を崩されてしまう恐れがある以上、その様な細かな工夫は地味ながら重要だった。
しかし、ブルーフィリアとしての力が強化され、肉体そのものに限らず肉体から生み出される蔓や蔦の力も増した今の私が放つ『茨の鞭』の一撃は、力が弱い筈の範囲型であるにも拘わらず『花人』を、比喩でも何でもなく細切れにしてしまっていた。
その威力はかつて、もっと鞭に殺傷力が欲しいと思って『茨の鞭』の能力を生み出した、当時の私の望みを叶えてくれているとも言える………のかどうかは正直分からないが、『花人』に対しては少々威力過剰な気もする。
元々金属すら引き裂く硬度を持った棘が生えているという、冷静になって考えてみると訳の分からない植物で構成されている『茨の鞭』は、言うなれば自由自在に動かせる『巨大糸鋸』の様な物だ。
それが更に、強化された私の筋力で以て高速で叩き付けられれば……ああいう事になるというものだろう。
「ギペ!!?」
「ビュピ!!??」
「ギャバ!!?」
私に向かって次々突撃して来る花人は、そのまま次々と細かい肉片に寸断されて壁や床の染みになって行く。
『花人』は人間の死体にブルーフィリアが取り付いているとは言っても、それ以外はただの人間の死体だ。
ブルーフィリアの乗り物に過ぎないが故に、肉体の損傷に頓着せず怪力を発揮してはいるが、流石に私程の異常なレベルの力ではない。
なので、私が振るう都合八本の『茨の鞭』による攻撃を受け、肉体的には普通の人間である身体が無事である訳も無く、また普通の人間の身体であるが故に鞭の攻撃圏内を越えて私に反撃する事も出来ない。
現状この研究所内に出現する『花人』は、恐らく人間の死体を用いていない100%ブルーフィリアの植物細胞で形成された『花人』だが、それ故に持っている特殊能力の様な物も無いようだった。
強いて言うなら、建物を覆っている緑の肉塊から湧き出る様に現れるので、奇襲能力が高いという点が特殊能力と言えなくも無い………かもしれない。
しかし『探知』の能力で『眷属』を含めた生物・物質の存在を感知出来る私や、野生(?)の勘で敵の存在を察知出来るライナにとっては特に脅威ではなかった。
「ウ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
「!」
とはいえ、私の能力も完全無欠という訳ではない。
攻撃に集中している私の意識の隙を突き、『茨の鞭』の攻撃から偶々逃れる事が出来た『花人』が私に掴み掛かって来た。
『茨の鞭』の欠点としては、リーチが長く攻撃範囲が広いが故に、この様に至近距離まで寄られてしまうと対処するまでにやや隙が出来る所だ。
全く対応出来ない訳ではないが、幾ら一本で人間一人を吊り上げる事が出来る力を持っていても、突進して来る相手の勢いを止める様な事には向いていない。
その辺りの近距離攻撃の乏しさと言う弱点を改善する為に『茨の剣』を作り出したと言っても過言ではないのだ。
だが、私は今目の前に迫っている『花人』に対しては何も対処するつもりはない。
何故なら、対処する必要が無いからだ。
パシュッ
「ゲッ……」
くぐもった破裂音が聞こえたと同時に、私に掴み掛かろうとしていた『花人』のこめかみに穴が空く。
そのまま『花人』はこめかみから血を噴き上げながらゆっくりと仰向けに倒れて行った。
パシュッパシュッパシュッ
続けて再び破裂音が響くと、今度は新たに壁から湧き出て来ようとしていた3体の『花人』が同じ様に頭から血を噴き出して倒れて行く。
「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!」
「……!」
『花人』の群れはまだ残っている為、私は『花人』から目を離して破裂音のした方へ視線を向ける様な事はしない。
しかし、戦闘中は常に使用している『探知』の能力が、私の背後で短機関銃を構えているライナの姿を捉えていた。
ライナは渡り廊下の入り口を入ってすぐの辺りに立っており、既に廊下の中程まで進んで来ている私からは少し離れた位置に居る。
にも拘らず、ライナはその場から一歩も動く事なく、私の攻撃を逃れたり、新たに湧き出て来ようとする『花人』の頭を、短機関銃の単射で正確に射抜いて仕留めていた。
パシュッ
「ガゲッ」
パシュッ
「グガッ」
パシュッ
「ギイッ」
減音器を付けた短機関銃のくぐもった銃声が聞こえる度に、『花人』が頭から血を噴き上げて倒れる。
お陰で私は目の前に群れている『花人』だけに集中していれば良い。
討ち洩らしがあったとしても、間髪入れずに飛来した9ミリ弾が『花人』の頭を射抜いて行くのだ。
私が前進する度にライナも後から追随して来ており、壁や床から湧き出て来る花人がライナにも襲い掛かろうとしているようだが、ライナは全く意に介した様子も無い。
大体が出てきた傍から射殺されるか、膝を蹴り折られてそのまま頭を踏み潰されるかしており、そのどちらの状況でも最優先で私の援護を行うのは流石の一言だ。
―――と言うか、自分に襲い掛かって来た『花人』に関しては見てすらいない様に見える。
一切顔を『花人』に向けず、黙々と私の援護を熟しながら襲い掛かって来る『花人』を捻り潰しているのだ。
……もしかしてライナって、やろうと思えば完全に素手でもこの街で生き残れるんじゃ……?
「……グギョ!?」
そうこうしている内に最後の『花人』を処理し終える。
壁や床から新たな花人が湧き出て来る様子も無く、渡り廊下内に静寂が戻った。
「……終わりかな?」
「らしいな。 ……ったく、何でこんな所に集団で固まってたんだ、こいつら……」
ライナが一応周囲を警戒しつつ近づいて来る。
廊下の床は『花人』の緑色の血……血らしき物でドロドロだ。
ライナは一滴の返り血も浴びていないが、対照的に私は服のあちこちに血が飛び散っている。
私が通って来た道の周りには『花人』だったものが飛び散っており、我ながらちょっとやり過ぎたかな……と少し反省していた。
幸い、上に着ているノースリーブシャツが黒なので、汚れはそれ程目立っていないが……。
「で、あれか。 中にあった死体って」
そう言ってライナが示したのは、私達が入って来た入口とは反対側、開発センター側の隔壁の制御盤らしき機械にもたれ掛かる様にして息絶えた、男性と思われる遺体だった。
外から感知した通り遺体は無数の怪物に貪り食われたらしく、正視に耐えない有様になっている。
辛うじて衣服などから男性の遺体と分かるが……それ以外のパーツはあちこちに散らばってしまっており、頭部が繋がっているのが奇跡的な状態だった。
「酷い……」
「あの数に群がられたんじゃあな……」
言いつつ、ライナは男性の遺体を制御盤から退かした。
あまりに損傷が激しいので『開花』する事は無いと思うが、念の為『探知』は継続している。
隔壁の制御盤の操作をライナに任せ、私は周囲の警戒を行う―――と、ある事に気が付いた。
この周辺……と言うより、開発センターの建物の方から怪物の気配が殆どしない?
「ん、どした?操」
「あ、うん。 開発センターの方から怪物の気配がしなくて……全く居ない訳じゃなさそうなんだけど」
私がそう答えると、ライナはやや複雑そうな表情を浮かべた後、無言で制御盤を操作した。
そして、制御盤の画面に映った内容を確認すると、どこか重い溜息を吐いた。
「……操、悪いんだけど、この渡り廊下にIDカードが無いか調べてくれないか? 多分どっかに落ちてると思うんだけど」
「え?IDカード?」
突然そんな事を言い出したライナに私は若干困惑するが、『探知』で探せばすぐ見つかると考え、取り敢えず彼の言う通りにする。
索敵能力としての『探知』は広範囲の気配を感じ取れるだけではなく、地形もある程度把握する事が出来るなど非常に高性能だ。
しかし最も便利なのは、用途に応じて性能の調節が可能な事だろう。
以前、ライナの怪我の治療をする際にこの能力を使って彼の身体の診断を行った様に、能力を一点に集中する事で非常に細かい部分まで調べる事が出来るのだ。
その為、今回の様な場合も『探知』の範囲を渡り廊下内の、それも私の周囲に限定して行えば、床に落ちている銃弾の薬莢や、『花人』の肉片一つ一つまで感知する事が可能だった。
感知の範囲を私の周囲半径5メートル程にまで狭め、その範囲内のあらゆる物体の情報を感じ取れる様にする。
ここまで範囲を限定して集中した状態の『探知』だと、空気の流れすら感じ取る事が出来てしまうので索敵には向いていないが、こうして探し物をする際には有効だ。
私は渡り廊下の入り口から開発センター側へゆっくり歩いて行き、落ちている物が無いか少しづつ調べて行く。
すると、程なくして廊下の壁面の一角に異物を発見した。
「……!」
そこは正確には壁というよりも緑色の植物細胞の塊になっている部分だった。
その塊の中にカード上の何かが埋まっているらしい。
「切り開かないと取り出せないかな……」
植物細胞の塊に触れてみるが、ゴムの様な、或いは人間の肌の様な弾力を持った緑の肉塊は、素手で掘り返す様な事が出来る強度ではない。
私は腕を変化させ、右手に『籠手』を纏うと、指先だけを『鉤爪』状に変形させた。
『鉤爪』は本来、両腕または片腕を丸太の様な太さに変化させ、その上で指先を猛禽類の様な鋭い爪に変化させる能力だ。
私が作り出した近接戦闘用の能力の中でもその重量を活かした攻撃力重視と言える能力だが、今私が右手に行っているのは『籠手』を纏った右手の『爪』部分のみを変化させた形である為、厳密には異なる能力と言える。
当然、肥大化した腕を用いる『鉤爪』に比べれば『籠手』の指先だけを鉤爪状に変化させているだけなので、攻撃力の面では劣っているが、その分こちらの方が細かい作業には向いている。
変化させた右手の爪を緑の肉塊に突き立て、ゆっくりと切り裂いて行く。
中身を傷付けない様に慎重に手を動かして行き……ある程度切れ込みを入れた所で塊を両手で持ち、力を籠めると割り開いた。
メリメリミチミチという、何とも言い難い不快な水音が耳に届くが、そこは無視して更に肉塊を掻き分ける様に退かして行くと緑の塊の中から何かが顔を出した。
肉塊の中から取り出されたのは紛れも無くこの研究所のIDカードだった。
カードには白衣姿の若い男性の顔写真が写っており、『ジム・ダルトン 開発センター長』と名前と役職が記載されている。
………あの無惨な死体となってしまっていた男性だろうか?
「ライナ、あったよ!」
「おう、さんきゅ…………待った、なんかすごい事になってるぞ、操」
ライナにそう言われて気付いたが、壁の肉塊を切り開き、その中を掻き分けてIDカードを取り出した為に、先程の戦闘で浴びた以上の緑色の血が私の顔にまで飛んでしまっていた。
更に言うなら両手はもっと酷い事になっている。
「あー……緑色の塊の中に埋まってたから……」
私が苦笑しながらカードのあった場所を説明すると、ライナは申し訳なさそうな顔になった。
「……悪い、そんなとこにあるとは思わなかった……ほら、ちょっとじっとしてな」
そう言いつつポケットからハンカチを取り出したライナは私の顔に飛んだ緑色の血を拭き取ってくれた。
突然の事に反応が遅れた私はされるがままになってしまう。
「……これで良し。 後は手の方を―――」
「だ、大丈夫だよライナ! じ、自分で出来るから……」
漸く再起動した私はライナからハンカチをひったくる様に受け取ると、手の汚れを素早く拭き取って行く。
結構な範囲に血らしき物が付いてしまっていた為、ハンカチは見る間に汚れてしまった。
「………ごめん、洗って返すね……」
「いいよ、気にすんなって。 女の子は身だしなみ大事なんだろ?」
苦笑しつつそんな事を言うライナに、私は若干顔が熱くなるのを感じるのだった。
「さて、これがあれば後は……と」
ライナがそう呟きながら隔壁横の制御盤を操作する。
画面にはIDカードの提示とパスワードの入力画面が表示されていた。
するとライナはIDカードをスロットに通すと、ポーチから取り出した小型端末のケーブルを制御盤に接続する。
そして何やら小型端末の方を操作すると、制御盤の画面上に独りでにパスワードが一桁ずつ入力されて行った。
「……前にも見たけど、その機械って何なの?」
「え? ……ああ、これか? 俺お手製のハッキングツールさ」
……少し疑問に思った事だったので聞いてみただけだったのだが、思ったよりも胡散臭い答えが返って来てしまった。
ハッキングツールって何だろうか。
「そんな変な顔すんなよ。 こういう機械をその場でハッキングするのって結構手間なんだぜ? その辺の作業を省略出来る優れ物なんだぞ」
若干自慢げにそんな事を言うライナ。
こういう時のライナって、見た目相応どころか見た目以上に子供っぽく見えるんだよね。
本当は私の方が全然年下なのに、何だか微笑ましく感じてしまうのは何故だろう?
「ええっと……つまり、本当はもっと時間が掛かるハッキングの作業を簡単にしてくれる道具……って事?」
「そういう事。 まあ、この施設のセキュリティくらいなら、そう大して手間でもないんだけどな………よし、完了!」
ライナが言い終わるや否や、ガコンッという金属が軋む音と共に正面の隔壁がゆっくりと上がって行く。
会話を止めて一応身構えるが……隔壁の向こうには何も居なかった。
それどころか―――。
「……『花』の浸食が無い?」
「……みたいだな。 ああ、でも、全く無事って訳でもない……か?」
同じく短機関銃を構えながらライナが言葉を発する。
目の前にはガラスで仕切られた幾つもの部屋があり、内部には何やら組み立て中の機械らしき物が見える。
どの部屋にも大小様々な機械が置かれており、同じ様な部屋の壁際にはその機械を囲む形で何らかの計測器と思われる物が設置されていた。
その部屋の様子は研究所と言うよりも何処かの工場の様な雰囲気だ。
「開発センターって言うから、何か新薬の開発でもしてるのかと思ってたけど……これって?」
製薬研究所の開発センターという名称から想起されるイメージとは異なった光景に、私はライナに疑問を投げかけた。
念の為、周囲を『探知』で探りながらガラスの仕切りまで近付いて部屋の中を覗く。
そこにはやはり、用途は分からないが作成途中と思われる何らかの機器が部屋中央の台に乗せられており、色取り取りのケーブルが周囲の計測器に接続されていた。
「ここはサイディスの販売してる医療機器類の研究開発がされてる部署だよ。 ここで造られた物が試験を繰り返した後に世に出て行くんだ」
殆ど私の中では悪の組織という位置付けのサイディス・カンパニーだが、表向きには世界的な製薬・医療機器メーカーという事になっている。
つまりはそれだけ真っ当な企業としての顔も持っている訳であり、この開発センターで研究がされている医療機器も、そういった表の顔の事業に関する物だった。
先程ライナが述べた様に、開発センター内は怪物が暴れた様な荒らされた跡があちこちに見られる一方で、ブルーフィリアの植物細胞に浸食されている様子は無い。
ふと振り返って渡り廊下を見返してみると、廊下を浸食して来ている緑の肉塊は、廊下の窓を突き破る様な形で内部に浸食の範囲を広げて来ていた。
……もしかして、隔壁が浸食を防いでいたのだろうか?
「隔壁のお陰でこっち側は『花』の浸食が抑えられていたのかな? 荒らされてる所はあるけど、研究棟みたいに床や天井まで浸食されている様子も無いし……」
私は開発センター内をライナと共に奥へと進みながら、周囲の様子について呟く様に口にする。
実際、ここまでに見られた製薬研究所の様子とは違い、開発センター内はかなりまともな状態だった。
怪物の襲撃自体は防げなかったのかもしれないが、『花』の浸食が無かった事で建物内に発生した怪物の数も少なかったのかもしれない。
「…………」
「……ライナ?」
しかし、ライナは何事か考え事をしているようで、若干複雑そうな表情で周囲に目を向けていた。
何か気になる事があるのだろうか?
「どうしたの? 何か考え事?」
「……まあ、考え事……ではあるな。 もしかしたら、操はあんまり聞きたくない話かもしれないけど……」
突然そんな事を言い出したライナに、私は少なからず戸惑いを覚えた。
私が聞きたくない話って……一体何だろうか?
「サイディス社は裏でやってる事は間違いなくゴミ屑だけど、会社に属してる人間の全てがそうって訳じゃない。 サイディス・カンパニーがまともな大企業だと思って勤務してる人間も大勢居て………恐らく、ここで働いてた連中はそういう奴が殆どだったと思うんだ」
ライナの意外な言葉に私は驚きの表情を浮かべる。
だがしかし、考えてみればそれは当然の話であり、先程私が考えていた『表の顔』を担っている人々がそうだったのだろう。
「俺が前にこの施設に侵入した時はブルーフィリアの暴走が原因で研究所内は大混乱だった。 ま、そのお陰で簡単に侵入出来て、どさくさに紛れて仕事を済ませる事が出来たんだけど……」
突如出現した巨大な植物。
それによって破壊される研究所。
巨大植物から生み出される怪物と、新たな怪物となって襲って来る死んだ同僚達――――。
異常事態に次ぐ異常事態に、研究所内は混沌とした有様だったという。
「けどそんな中でも何とか事態を把握して混乱を収めようとしてた連中も居た。 怪我した仲間を庇って逃げようとしてる奴も……。 あの渡り廊下で死んでた奴も、同僚達を助ける為に自分から囮になって怪物の群れをあそこに閉じ込めたんじゃないかな」
ライナの言葉に私は思わず無言になってしまった。
サイディスの関係者は敵。
そう考えて今迄やって来たが、当然彼らも一人一人が人間である。
あくまでもサイディス社の上層部が桜木博士とアレン、そして『最初の一輪』に対する暴挙に及んだだけなのだ。
真面目に働いて来ただけの善良な人々がサイディス社に所属しているのも当然であり、この街を襲った異変で最初に犠牲になった者の多くは、そういったサイディス社の社員だった筈だ。
サイディス・カンパニーを不倶戴天の敵と見定めていた私にとっては複雑な心境になる話であり、確かにあまり聞きたくない話かもしれない。
しかし――――。
「大丈夫だよ、ライナ」
「え?」
「確かにちょっと複雑な気持ちではあるけど……私は別に、サイディスに所属してるからって一緒くたに考えるつもりは無いし、彼らに復讐したいとかは考えてないから。 ……第一、復讐する権利とかがあるとしても、それって桜木博士とアレンにしか無いでしょ?」
実際にサイディス側から危害を加えられたのは、私ではなく桜木博士達だ。
その結果として私が生まれたのは確かだが、私はもう自分という人外の存在が生まれた事について負い目は感じていない。
そして何より、私がそうした事を望まない理由がある。
「何よりも……私が桜木博士に頼まれたのは、『ブルー』を止めて欲しいって事だからね。 博士も復讐なんて考えてなかったと思うよ」
桜木博士が私への伝言で私に言い遺したのは、あくまでも『最初の一輪』を止めて欲しいという事だけだった。
つまり彼女にとっては自分達をこの様な目に遭わせた者達の事などどうでも良い事であり、それよりも自分の『娘』の事の方が遥かに重要だったのだ。
「……と言うか、元凶のサイディスの上層部メンバーって、もうみんな生きてないんでしょ?」
「あー……まぁ、そうだな。 どいつも最初の暴走に巻き込まれて死んだか、俺が始末したからな……」
ややばつが悪そうにそう言ったライナは、溜息を吐くと頬を掻いた。
余計な事を言ったと思っているのだろうか?
「でしょ? だったらもう報いは受けてるもの。 それならどっちにしろ、私にとっても桜木博士にとってももう終わった事だよ。 ……だから心配しないで?」
ライナがこの様な話を振って来たのは私を気遣っての事なのだろう。
恐らくライナ自身はサイディス社の社員の人的被害に関しては特に何とも思っていない。
しかし、自分はそう思っていたとしても、私が同じ様に思うかどうかは分からない。
ライナは殺し屋で、私は………何だろう? 生まれたてだから……赤ちゃんとか?
とにかく、ライナは殺し屋という立場の自分を卑下する傾向があるので、自分なんかとは違って操は真っすぐに事実を受け止めるだろう……みたいに考えたんじゃないだろうか。
その結果、自分の敵として見ていた者達の中にも善良な人々が居ると知って、私がショックを受けるかもしれないと危惧して―――。
―――不器用だな、と思う。
けどそれは、私の事を案じてくれた優しさから来る不器用さだ。
正直に言うと、そんなライナの気遣いを私は嬉しく思っている。
だがその一方で、私としてはライナにもあまり自分を卑下する様な事をしないで欲しいとも思う。
少なくとも、私にとってはライナは間違いなくヒーローなのだから。
そうして周囲を警戒しつつそんな事を考えながら、私はライナと並んで静寂に包まれた開発センター内を進んで行った。
「さて、着いたけど……これは流石に無理だよな」
「時間を掛ければ出来そうだけど……今は時間が無いしね……」
開発センター内を通り抜け、建物の北側までやって来た私達は、無駄に長い廊下を通り抜け、階段を幾つも上り下りした末、遂に研究所の敷地内にある中庭へ出る為の扉まで辿り着いた。
渡り廊下を通って入った開発センターの3階から階段を下り、1階の廊下を東へ進んだ所にある場所だ。
本来であればここには両開きの扉が存在し、そこから外へ出られるという事だったが――――今は扉の面影すらない。
「開発センターの中は基本的に綺麗な状態かと思ってたけど………何も、最後の最後でこんな状態にしなくてもよくね?」
ライナが疲れた様に溜息を吐きながらそんな事を言う。
目の前の扉があったであろう場所は、研究所のあちこちに発生していた物と同じ緑色の肉塊によって廊下自体が塞がってしまっていた。
壁や天井が緑の植物細胞で覆われてしまっているのではなく、肥大化した肉塊が文字通り山の様になって廊下を埋め尽くしてしまっているのだ。
なので正確に言うと扉が開けられないとかそういう話ですらなく、扉の影も形も見えない状態だった。
「どうする?別の道を探す? 今なら怪物は少ないみたいだし、開発センター内なら探せそうだけど……」
結局あの後、開発センターの中では『花人』の一体も現れる事は無かった。
それどころか建物内に怪物との戦闘で出来たと思われる争った形跡こそあったが、開発センター内には遺体の一つも無かった。
渡り廊下内に怪物の群れを閉じ込めた事が幸いしたのか、この建物に居たであろう人々は逃げ出す事に成功したようだ。
だが、ここまで来る間に他の部屋の前や廊下を通り過ぎて来たが、そちらも隔壁やシャッターが閉じられている場所があり、どうやら建物から脱出する際に施設自体を封鎖したらしいという事が判明した。
中庭に出る出入り口が他にもあるかもしれないが、封鎖された開発センターの建物の内部を時間を掛けて調べて回るのは出来れば避けたい所だ。
「うーん………別の道って言っても、この建物の北側は窓の一つも無いからなぁ。 扉が使えないとなると、別の道を探すより―――」
ライナはそう言いながら、本来なら中庭に出る為の扉がある筈の壁のうち、緑色の肉塊に浸食されていない部分に目を向けた。
そして、何かを確かめる様に壁を押したり叩いたりして…………ちょっと待って。
「……ライナ、その手に持ってる物は何?」
「これか? 爆……」
「だよね! 何でここで爆弾取り出してるの!?」
私は何故とライナに問うたが、理由は分かり切っている。
ライナは別の道を探すのではなく、別の道を作るつもりなのだ。
しかしここまで大きな音で怪物達を呼び寄せない様にして来たというのに、爆弾など爆発させたら大きな音がするどころの話ではない。
そもそも既に人が居ないとはいえ、軽いノリで建物内で爆弾を爆発させないで欲しい。
「や、だってさ、目的地はもう目の前だし、もういいかなーって……。 モーテルの荷物の中から色々補充出来たし……」
そう言ってライナは肩に掛けていたスポーツバッグの中から、手に持っていたのと同じ爆弾を取り出して見せる。
手の平に収まる程度のサイズの円形のそれは、一見するとそれ程威力がある爆弾の様には見えない。
だが、却ってそれがこの状況でライナが使おうとしている事も合わせてヤバい代物であるという事を表わしている様に感じる。
「もう一個……と言うか、もう一挺使えそうなのもあるけど、壁に穴空けるんならこっちの方が早そうだしな」
そう言いながらライナは壁の位置を確認しつつ、いそいそと幾つかの円形爆弾を貼り付けて行く。
既に爆破開通させる事はライナの中では決定事項であるらしく、鼻歌でも歌いだしそうな様子でテキパキと作業を進めていた。
「今更なんだけど、ライナってもしかして、爆破好きだったりする……?」
「……いや? どっちかって言うと、そういう物作る方が好きだな。 仕事で使ってる道具とか殆ど全部自作した物だし。 いつも使ってる短剣とか……」
……あの短剣も自作だったんだ。
怪物を文字通り撫で斬りにするあの短剣は、只の短剣にしては妙に頑丈だとは思っていたんだけど……もしかして、ライナ独自の製法とかで造っているとか?
もしそうなら、かなり謎の技術だと思うんだけど……。
あれだけ怪物達を斬っているのに一切刃毀れも無いし、切れ味が落ちている様子も無いのだ。
何か特殊な金属で造られていたりするんだろうか?
「よし、設置おっけー。 ほら操、離れた離れた」
ライナの『趣味』について思考を巡らせていると、爆弾の設置作業を終えたライナが私の背中を押して退避を急かして来た。
つい思考の海に沈んでしまっていた私は、背中を押されるままに足を動かして壁から離されて行く。
そして、設置場所の壁から十分に距離を取った場所、廊下の曲がり角まで退避した私とライナは、視線を交わすと頷き合う。
……若干私の顔がげんなりした雰囲気なのは大目に見て欲しい。
ライナはポケットから小型端末――例のハッキングツールだと言っていた機械だ――を取り出すと、端末を手に持ったまま片手で何度か画面を操作する。
そうして表示された画面には「起爆」の文字が現われた。
どうやらあの端末から遠隔操作で爆弾の起爆を行えるらしい。
状況を理解した私がライナに目を向けると、ライナは空いている方の手で三本指を立てた。
爆破までのカウントダウンだと察した私は溜息を吐くとライナに頷きを返し、壁に背を付けてその場にしゃがんで両手で耳を塞ぐ。
そんな私の姿を確認したライナは少しだけ苦笑すると、指によるカウントダウンを開始した。
3―――
2―――
1―――――0!
……ドゴンッ!!
重い破裂音の様な音を響かせて壁に設置された爆弾が爆発した。
あの小さな爆弾からは想像もつかない衝撃が建物を揺らし、離れた場所にある廊下の曲がり角に身を隠している私達の方へも衝撃波が伝わって来る。
次いで、破壊された壁材と思われる破片と一緒に、もうもうと白い煙が辺りに充満していた。
そのままこの場に留まっていては煙に巻かれてしまいそうだった為、私とライナは視線を交わすと煙を突破して爆破された壁の方へと向かう。
するとそこには爆発によって空けられた大きな穴が空けられており、霧が立ち込めた中庭の景色が良く見えた。
穴を通って外に出ると、そこは以前目にした聖メアリー記念病院の中庭の様な景色が広がっていた。
「ゴホッゴホッ……あー……くそ、 ちゃんと掃除しとけよな……爆発で天井の埃とか散りまくりじゃねぇか……」
どうやらこの煙は爆弾由来の物ではなく、研究所の廊下の天井に溜まった埃が爆発で吹き飛んだ物だったらしい。
何とか中庭に出る事が出来た私達は、すっかり埃塗れになってしまっていた。
「こほっこほっ……研究所って、もっと衛生状態とか気にするものだと思うんだけど……」
私は埃を払いながら愚痴を零す。
……色々な事が全部終わったらシャワーが浴びたい。
何はともあれ、私達は製薬研究所の中庭とされる場所までやって来る事が出来た。
ここを抜ければ、目的の大型実験棟は目の前だ。
しかし、眼前に広がる「中庭」を目にした私は、幾つかの直近の問題に気が付いた。
「……ライナ」
「……ああ、どうやらここは建物の中とは違うみたいだな」
私が言葉少なにライナに呼び掛けると、ライナも気付いていたようで既に銃を構えている。
ライナが言った、「建物の中とは違う」と言うのは、ブルーフィリアの浸食に関してではない。
中庭も建物内とほぼ同じ様に緑色の肉塊に浸食されているのは変わりが無く、地面が全く見えない程に周囲は肉塊に埋め尽くされている。
しかし、そんな植物細胞で出来た肉塊の上からブルーフィリアが無数に顔を覗かせて花を咲かせており、中庭のその景色は一見すると花畑の様にすら見えた。
だが、その花の大きさが問題だった。
足元にも無数のブルーフィリアがその青い小さな花弁を揺らしているが、私達の頭上でも人間の頭部程もある大きな花を咲かせたブルーフィリアがこちらを見下ろす様に揺らめいていたのだ。
そんな、まるでヒマワリの様な大きさのブルーフィリアが中庭には幾つも生えており――――さながら、その光景は花で出来た森の如しだ。
一見すると幻想的な光景にも見えるが、これまでこの街で生き残って来た私達にとっては真逆の意味を持つ光景でもある。
「居るか?」
「うん。 ………かなりの数が」
ライナの問い掛けに答えつつ、私は周囲を『探知』する。
周囲に放射状に広がった『光脈』の波が、私達を取り囲もうとしている無数の怪物達の存在を捉えた。
「『木人』が16、『犬ネズミ』が9、後は………『三本足』が6、かな。取り敢えずは」
「勢揃いの熱烈歓迎だなぁ……勘弁してくれよ、本当に」
嫌そうにぼやくライナだが、無理も無いだろう。
私が告げた怪物達は、比較的攻撃能力が高い部類の怪物達ばかりだ。
動きは遅めだが、攻撃力と防御力の双方が高い『木人』
逆に動きが素早く、連携能力も高い『犬ネズミ』
触手による中距離攻撃で援護を得意とする『三本足』
組み合わせとしては面倒極まりない面子と言えるだろう。
私も思わず溜息を吐いてしまう。
……しかし、溜息だけだ。
「時間を掛けてられないし、早く倒した方が良いよね。 ……もう音は気にする必要無いし」
「悪かったって……。 ま、とっとと片付けるって言うのには異議無しだけど」
私は右手に『茨の剣』を生成し、左手からは『茨の鞭』を生やす。
勿論両手両足にもそれぞれ『籠手』と『足甲』を纏う。
靴を自分の体の植物細胞から作り出していたお陰か、違和感なくスムーズに両足の形状を変化させる事が出来た。
よくよく考えてみれば、自分の体の細胞から作り出した方が衣服なども素の防御力が増すのではないだろうか?
しかしそれだと、その内全身鎧を身に付けた様な姿になってしまいそうだ。
だが一方で、衣服が破損した時に破損した部分だけを修復するよりも、最初からすべて自分の身体から作り出した服の方が修復が簡単そうだ。
今度試してみよう……などと、私は完全に自分が置かれた状況とは関係のない事を思い浮かべていた。
ともすれば現実逃避の様にも思える思考だが、実際の所は違う。
単に、この様な状況はもう慣れっこなのだ。
数の上で不利な状況で、敵に取り囲まれるのは何度目だろうか?
だが例え何度目であろうとも、私がすべき事は変わらない。
敵を打ち倒し、生き延びる事だ。
こんな所で今更足を止めるつもりは毛頭ないのだから。
「んじゃ、やるか」
「うん」
短いやり取りを交わし、私とライナは霧の向こうから接近して来る怪物の影を見据えた。
そうだ、何よりもこの状況が恐ろしくない理由は………ライナが居るからだ。
ただそこに彼が居てくれるというだけで、私はこの状況でも何ら不安に感じる事は無くなっている。
それは、ライナが強いからという事ではなく、誰よりも信頼する人が側に居てくれるという安心感……なのかもしれない。
私にはまだそこまでの事は分からない。
しかしいずれにせよ、ライナと一緒に戦える事は私にとって大きな精神的アドバンテージとなっていた。
迫りくる異形の怪物の群れも、この先に待ち受ける未知の何かも、私はもう恐れない。
示し合わせた様に同時に駆け出した私とライナは、姿を現した怪物に向かって疾駆して行った。




