89 下山と準備
桜木博士の自宅兼研究所で夜が明けるのを待った私達は、その足で別荘地帯から麓まで降りるケーブルカーまでやって来ていた。
停止していたケーブルカーは幸いにも故障している訳ではなく、別荘地帯側の制御室で電力供給を断たれていた為に動作を止めていただけだった。
制御室の建物近くには、恐らくそうした停止措置を行ったと思われるケーブルカーの運転手と思われる人間の遺体が転がっており、どうやらケーブルカーを止めて別荘地帯に立て籠もろうとした際に怪物に襲われたようだ。
遺体の状況から見て『礫花』か、或いは『花樹狼』こと『鼠のアル』の仕業だろうか。
いずれにせよ、麓まで降りるつもりだった私達にとっては機械の故障等ではなかったのは幸いだった。
ライナがケーブルカーの動力を再起動して運転する事で問題なく山の麓まで降りて行けそうだ。
運転もライナが出来るとの事なので彼に任せ、私は客席の一つに腰掛ける。
しかし、動き出したケーブルカーの車内には若干微妙な空気が漂っていた。
ケーブルカーを運転するライナは特に問題なく制御盤を操作しているが、何処かやつれて見える。
逆に、私は元気一杯なのだけど。
時間は少し前に遡る。
ライナの怪我を私の力を使って治療するべく上着を剥ぎ取ろうとする私と、それを防ごうとするライナの攻防は数分で決着が付いた。
まあ、普通に考えて人外の腕力を持つ私からライナが逃れられる筈も無く、結果は私の勝利だった。
最終的にはライナも観念したのか、大人しく私の治療を受け入れてくれたが、やはり照れ臭いらしく顔が若干赤かった様に思える。
そして肝心の怪我の程度はと言うと、やはり打撲や擦り傷切り傷といったものが殆どであり、幸いにも骨などに異常は見られなかった。
何故そこまで分かるのかと言うと、治療の際に思い付いた『光脈』の使い方を試した為だ。
私は以前から、『光脈』を使用する事でブルーフィリア由来の生物……つまり、『光脈』を有した生物の存在を感じ取る事が出来る能力を持っている。
そこから更に、ブルーフィリア由来ではない存在も感知する能力を、夜間の山道を進む際に必要に迫られて編み出していた。
前者は『光脈』を持った存在の漠然とした気配を感じ取る能力であり、後者は『光脈』を持つ持たないに関係無く周囲の物体の形状を読み取る能力……言わば潜水艦のソナー、或いはコウモリ等が用いるエコーロケーションの様な能力だ。
つまり、ブルーフィリアとそれ以外の存在を二つの能力を使い分けて索敵していたのだ。
現状そこに不便さは感じていなかったのだが、どうせならどちらも同時に感知出来た方が一々切り替える必要も無いので便利では?と考えていた。
そこで、ライナから血の提供を受けて体力……正確には自分の『光脈』を回復させる事が出来た今ならば、そうした能力の改良も可能だと踏んだのだ。
なので、ライナの治療を進める前に、まずは今の自分の能力の精度を測る意味も含めて索敵能力の改良を試みた。
そして、結果としては私の目論見はあっさり達成されてしまった。
周囲に薄い『光脈』の膜を広げる様な感覚で放つと、周辺の地形や障害物の位置、生物の気配やブルーフィリアの気配等が手に取る様に分かったのだ。
全く苦戦する事なく思い描いた通りの形に能力を行使出来た事に驚いた私だが、最も驚愕したのはそこではなかった。
ライナの怪我の治療をする直前、試しにと思って能力を行使した私は、若干ではあるがライナの背に触れた状態だった。
その結果、私から『光脈』が放たれた瞬間、ライナの身体……と言うか、体内の状態までも感知する事が出来たのだ。
「えっ……これって……?」
「……どうしたんだ?」
ベッドに腰掛けたまま、剥き出しの背中を私に向けていたライナが訝し気な表情で振り返る。
私は新たに改良した能力を試してみた事、その能力が想定外の効果までも齎した事をライナに告げた。
「前から思ってたけど……操のその能力って、操の願望って言うか、操が望んだ通りの結果になるよな。 もしかして、具体的にイメージ出来る事なら本当に何でも出来るんじゃないか?」
そう言われて私にも心当たりがある事に気が付いた。
……と言うより、心当たりしかない。
私が用いているブルーフィリアとしての能力は、その殆どが私が置かれた状況に応じて「こんな風に出来たらいいな」と思った結果身に付いた物だ。
確かに、願望が現実になっていると言えなくもない。
と、そんな事を考えつつ、再びライナの背に手で触れながら『光脈』を照射する。
何となく『光脈』を周囲に放っていた先程と異なり、今度は意識して『光脈』がライナへ向かう様にしてみた。
すると、ライナの身体の隅々まで『光脈』が巡る感覚が感じられた。
怪我の状態は勿論、古傷の位置すら細かく理解出来る。
自分の身体の事ではないのに、自分の身体の様に……いや、自分の身体以上に状態が分かるという奇妙な感覚だ。
若干戸惑いつつその感覚を意識して整理してみると、ライナの身体には背中の打撲や擦り傷など以外には異常はないという事が分かった。
私は頭に流れ込んで来るライナの体の情報が正しい物なのか、ライナ本人に確認してみる事にした。
「……ライナ、変な事聞くけど………以前に左の脇腹辺りに結構大きな怪我した事ある?」
「え?」
突然そんな事を言い出した私に、ライナは驚いた声を上げる。
まあ、いきなり過去に怪我をしたかどうかなんて事を聞かれたら、誰だってこんな反応をすると思う。
ライナは少し考えた末、私の言葉に頷きを返した。
「……あー……まあ、確かに怪我したと言えばしたな。 ……でも、最近じゃなくて子供の頃だぜ?」
ライナ曰く、確かに昔事故で左脇腹辺りに大怪我を負って生死の境を彷徨った事があるという。
しかしそれはかなり昔の出来事であり、既に何年前の事かも覚えていない頃の話だという。
「孤児だったからな。 当時俺が居たのも内戦やってる何処かの国だった、って事しか覚えてないし、怪我した原因も……よく覚えてないなぁ」
「……よく無事だったね。 傷痕の感じからして、かなり酷かったみたいだけど」
実際の所、ライナの身体に傷痕が残ってはいるのだが、既にそれはかなり薄くなっており、相当前の物であろう事は想像が付いていた。
肉眼で見える情報だけで言うなら大した怪我ではない様に見えるが、『光脈』によって読み取った情報からすると、かなり重症だったと思われる。
「なんか昔から怪我の治りが早かったんだよなー。 病気になった事とかも無いし」
そしてさらりとそんな事を言うライナ。
そんな事あるの?
「…………一応念の為に聞くけど、ライナってちゃんと人間だよね? 実はどこかの国が生み出したサイボーグとかじゃないよね?」
思わず私はずっと疑問に思っていた事を正面からぶつけてしまった。
寧ろ肯定してくれた方が納得が出来るんだけど。
「ちげーよ! 俺を何だと思ってるんだよ!」
ライナが心外そうな表情で叫ぶ。
……まあ、違うよね。
だけど正直な話、一度しっかり言質を取っておかないと不安だった。
何せ、明らかにライナは人間離れした身体能力を持っているのだ。
この上更に「怪我の治りが早い」という新情報まで追加されてしまっては聞かずにはいられない。
………サイボーグが無いなら、何らかの特別な血筋の末裔とか?
「……大体何考えてるのか分かるけど、それも違うからな?」
微妙そうな顔でライナが釘を刺して来る。
私みたいなのがいるんだし、居ないとは言えないと思うんだけどなぁ……。
「まったく……。 ……ところで操。 背中に触ったままだけど、治療はしないのか?」
「あ! そうだった……」
ライナに言われて私はまだライナの怪我の治療をしていない事を思い出した。
彼の背中に両手を置いたままの体勢であれこれ思考していたのだ。
「ごめんね。 急いで治すから」
「ああ、いや、別に急ぐ必要は……」
私はライナへ声を掛けるとすぐに治療を開始した。
以前と同じ様に意識を集中すると、青く脈打つ様に光る『光脈』が、両手に集まる光景をイメージする。
そして、ライナの傷を癒したいと意識しながら『光脈』をライナの背に流し込んで行った。
すると、ホテルでライナの手を治療した時と同じ様に、両手に青い葉脈の様な文様が浮かび上がり光を放つ。
更に以前とは異なり、私の手のライナの背に直接触れている部分からぼんやりとした燐光の様な物が浮かび上がった。
ライナの背中に触れたまま、その手を少しずらしてみると、私の手が擦った先から傷が消えて行く。
どうやら手が直接触れている場所が最も治癒の力が高いらしい。
私はそのままライナの背中をゆっくり擦る様に動かして行った。
「んぐっ………!?」
……と、ライナの口から妙な声が漏れる。
若干だが、体を捩った様な気もした。
「あっ、ゴメン。 もしかして痛かった?」
傷が瞬く間に消えて行っているとはいえ、そこまで急激に体に変化があるという事は、もしかすると直った瞬間に痛みがあるのかもしれない。
そう思っての問い掛けだったのだが、ライナから返って来たのは意外な返事だった。
「い、いや。 痛くは無いよ。 ただちょっと………くすぐったい感じがしてさ……」
身じろぎしながら、ライナは戸惑い気味にそう言った。
確かに言葉通り痛みを感じている訳ではないようだが、居住まいを正す様に姿勢を整える様子を見せている。
少し出力を落とした方が良いかもしれないと思った私は、両手に集中させた『光脈』の大きさを意識して調節した。
すると、今度はライナも異常は感じなかったのか、そのまま私の治療に身を委ねてくれた。
「…………」
「…………」
そうして暫くお互いに無言の時間が過ぎて行く。
治療そのものは問題なく進んでいる。
しかし冷静になって考えてみると、今私の目の前には上半身裸の状態のライナが居て、私はそんなライナの背中を無言でひたすら擦っている訳だ。
この場に第三者がいる訳ではないが、客観的に見ると………色々と誤解を受けそうな光景ではなかろうか?
そうして今の状況を自覚してみると、何だか落ち着かない気持ちになって来る。
ライナの怪我が自分を庇った為に負ったものだと気付いた後、私は怪我の治療をするべく殆ど勢いに任せて彼の衣服を強奪した。
それだけ聞くともはや変質者の類だが、速やかにライナの怪我を治療しなくては、と考えていた私はそこまで考え至らなかった。
しかし今、落ち着いた状態になってみると………かなり大胆な事をしてしまったのではないだろうか。
そんな風に考えたせいか、目の前のライナの背中が妙に気になってしまう。
普段は衣服に隠れている為か、ライナの体つきは細身に感じる。
しかし、今目の前にある彼の背中は鍛え上げられて絞られており、しなやかな筋肉に覆われた身体は野生動物のそれを思わせた。
上着を無理やり脱がせた時に目に映った割れた腹筋や、手で直接触れた際に感じた意外な程に骨ばった体つきは、いつものライナの印象とは異なり、明確に「男性」である事を私に伝えて来た。
それが何かおかしいという訳ではないのだが、何故だかそれを意識するとそわそわとした感覚を体に覚える。
自分の感じている感覚、或いは感情が何なのか分からず困惑していた私は、普段以上に口数が少なくなってしまっていた。
そんな無言の時間に耐えられなくなった私は、無理やり会話の話題を捻り出そうとした。
「……ええっと……ど、どう? ライナ。 今度は変な感じしない?」
何か話題を、と考えた結果、私が絞り出したのは先程の治療に関する話の続きだった。
……我ながら会話のスキルが貧弱である。
「ああ、大丈夫だ。 ……何となくだけど、さっきと違って操が触れてる所がじんわり温かい気がするな」
どうやら出力調整は上手くいっているらしい。
あまり急激に治療を進めるのも負担になるかもしれないと思って行った事だが、治療の速度自体は調整前と大差ない。
目に見えて損傷は無くとも骨を痛める等の異常があるといけないと考え、じっくりと時間を掛けて治療をしているつもりだが、それでも既に背中の殆どの怪我は治療が終わっている。
手で触れた端から怪我が消えて行っている事を考えれば当然かもしれないが、通常では考えられない異常な治癒速度だ。
尤も、これが私自身の事であれば瞬きをする間に傷が修復されているであろう事を考えれば、やはり他人に、それも普通の人間に『光脈』を用いた治療をする事は、自分自身の傷を治すのとは異なる現象なんだと思う。
「……よし、これで大丈夫。 背中の怪我は治ったよ」
暫くして、ライナの背中の打撲やら擦り傷やらは綺麗さっぱり無くなっていた。
ついでに言うと、元々ライナの体にあった傷痕の類も一緒に無くなっている。
特に意識したつもりは無かったのだが……無意識に治したいと思ってしまったのだろうか?
「おう、ありがとな。 ………んん?」
感謝の言葉を述べたライナが怪訝そうな表情を浮かべ、私に背を向けたまま肩を回したり体を捻ったりする。
どこか異常があったのだろうか?
「……どこか変? なるべく体に負担が掛からない様に意識したんだけど……」
もし違和感を与える様な治療をしてしまったとすれば申し訳が立たない。
今の私に出来る最大限の『治癒』かつ最小限の負担で済む様に行った筈なのだが……。
「ああ、いや。 違和感があるんじゃなくて、その逆。 無茶苦茶体が軽いんだ。 なんだかすげースッキリした感じだ」
そう言ってライナはベッドから立ち上がると、体を解す様に動かして行く。
軽い柔軟体操の様な動きをするライナの姿は、何処か無邪気にはしゃいでいる様に見えた。
「本当? それなら良かった。 ……変な風に治しちゃったかと思ったよ」
そんなライナの姿を見て安堵の息を吐く。
勢いに任せて見切り発車してしまった感があったが、私もまだ自分の力を隅々まで把握している訳ではないのだ。
今後はもう少し慎重に『光脈』の力を使用して行くべきだろう。
「大丈夫だよ、映画の主人公みたいなマッチョなタフガイ……って感じじゃないけどさ、こう見えて結構頑丈なんだぜ、俺。」
そう言いながら屈託なく笑うライナ。
先程感じた「男性」の一面とは異なる少年の様な笑みに、私は再び自分の中に形容し難い感覚が走るのを感じる。
しかし、私はそんな様子を表に出す事なくライナに言葉を返した。
「あはは。 そうかもね。 でも………私にとって、ライナは前からヒーローだよ?」
自分の胸の内を隠す様に、わざと悪戯っぽくそんな事を言う。
そんな私の返答が意外だったのか、ライナは少し照れ臭そうに目を泳がせた。
「ひ、ヒーローかぁ……そんな風に言われると……なんだかこそばゆいな」
そう言って困った様に笑いながら頬を掻くライナ。
そんな彼の姿を見て、再び私の中にあの妙な感覚が沸き上がる。
……もうはっきり言うが、悪戯心が抑え切れないのだ。
「………やっぱり、もうちょっと治療しようか」
「へ?」
「もしかしたら他にも怪我してるかもしれないし」
嘘である。
先程、『光脈』を用いた診察……『触診』とでも言うべき能力を使用した際、ライナの身体には他に怪我など見当たらなかった。
要は、それを口実にもっとライナに触れたいという事だ。
よく分からないが、あの謎の感覚をもっと感じたいという欲求の様なものが私の中で芽生えていた。
吸血行為の様にブルーフィリアとして必要な行為と異なるのは何となく分かるのだが、こちらは別の意味で抗い難い衝動でもある。
そんな私の様子に身の危険を感じたのか、再びライナが顔を青くして少しずつ後退りつつ私から離れようとした。
当然私はそんなライナの手をガッチリと掴んで離さない。
ライナが腕力で私に勝てないのは先程学んだ。
「あの………さっきもこの展開見た気がするんですけど………」
「大丈夫。 今度はさっきと違う事……っていうか、違う所を見るから。 …………怖くないよ?」
「そのセリフが既にこえーよ! なんでこの状況で辱められそうになってんの俺!?」
必死に私から逃げようとするライナににじり寄る。
ついでにもう片方の腕も掴んだ。
「ライナは私に怪我の事を黙ってたでしょ? ……私、ライナがもう私に隠し事してないって確認したいの。 ライナの事、信じてるから」
「うぐっ………!」
痛い所を突かれたライナが呻き声をあげる。
事実である為反論が出来ず黙り込んでしまう。
「だから……………私の事も信じて?」
にっこりと笑顔でそう言いつつ、私はライナをやや強引にベッドへ再度座らせる。
そして、最早半泣きのライナには抵抗する術は残されていなかった。
………………
…………
……
「トラウマになったらどうしてくれるんだよ……」
「ゴメンってば……」
生気の抜けた表情でライナが力なく呟く。
流石にやり過ぎたと我に返った私は、研究所からここに至るまでの道中ライナに謝りっぱなしだった。
……ライナの名誉の為、念の為に補足しておくと、いかがわしい事は何もしていない。
実際、もっとライナに触れただけである。
まぁ、途中から無心に触れまくったせいで、ちょっと………いや、たくさん触れすぎてしまった気もするが。
それでも一線は超える様な事はしていないので問題ない。
…………私は。
「……正直人生で一番怖かったかもしれない」
「………すいませんでした」
ライナにトラウマを植え付けかけてしまった事は素直に反省している。
しかし結果として、ライナの全身に『光脈』による『治癒』の能力を使用する事が出来、ライナは体に感じる疲労が無くなったと言っていたので、無駄な行為ではなかった筈だ。
それに、新たな能力と言える『触診』の性能を確認する事が出来たという実用的な成果も得られた。
ライナの治療も完了し、自分の能力の理解が進んだ上、自分の内から湧き上がるよく分からない欲求も満たせたので良しとしよう。
―――取り敢えず、そういう事にしておいた。
ケーブルカーに乗ってレドウッド山を下った私達は、麓の駅までやって来た。
相変わらず駅周辺には怪物達の気配は少なかったが……その一方で、駅自体に目に見えるレベルの異常が起きていた。
「ライナ……」
「ああ、広がってんな、『花』が……」
ブルーフィリアの花が、明らかに最初に見た時よりも駅周辺の道や建物の壁に広がっているのだ。
麓の駅を私達が発った際は、駅の側にある建物の壁に蔓や枝葉をほんの少し伸ばして花を咲かせている程度であり、それ以外はごく普通に地面に根を下ろして大小の花を咲かせている位だった筈だ。
しかし、今の駅周辺の状況はそんな生易しい状態ではない。
建物どころか駅の屋根まで伸びたブルーフィリアの蔓や枝葉が、周囲にあるもの全てを飲み込んでしまっているのだ。
辛うじて人工物があるのだという事は形から判断できるが、傍目には巨大な緑色の何かがそこにあるだけの様に見える。
まるで、長年放置された建物が植物に覆われてしまったかの様な状態だ。
そして当然の事ながら、そうした蔓や枝の先には無数のブルーフィリアが狂った様に幾つもの花を咲かせており、青く美しい筈の花が統一感無く狂い咲く有様は、寧ろ逆に不気味ですらある。
同じ種類と思われる花であるにも関わらず、大きい物はヒマワリ程の大きさ、小さい物は小指の爪程の大きさという、ちぐはぐな咲き方をしているのも異常さを引き立てている。
そんなブルーフィリアの、明らかに以前目にした時と違う異常な成長速度に、私もライナも嫌な予感を感じていた。
「桜木博士のレポートに、ブルーフィリアは自身の劣化コピーを作る事で繁殖するってあったけど……」
「……ああ。 そうだとするなら、こんな速度で増えてたら何か欠陥が出てもおかしくない。 ………こりゃ、思ったより深刻な状況なのかもな」
劣化コピーを作って繁殖を行うという生態上、新たに生まれたブルーフィリアが原種である『最初の一輪』以上の能力を持っているという事は無い。
しかし、劣化した自身のクローンの様な存在をこれ程無数に、それも絶え間なく生み出し続けていては、如何に強大な力を秘めた『最初の一輪』といえど、新たに生まれて来た『眷属』達に何らかの異常が生じないとも言い切れない。
あの桜木博士ですら『最初の一輪』の暴走の結果を予想出来なかったのだから、生まれて来たのが劣化コピーであるとしても、不測の事態でコピー達が取り返しのつかない暴走をする可能性はあるだろう。
「急いで製薬研究所に向かった方が良いな。 必要な素材自体はもう揃ってる訳だし……」
「……そうだね。 これ以上時間を掛けると、何が起こるか分からないよ」
倉庫街で手に入れた『汎用強化活性剤 DD-4032』。
そして、桜木博士の自宅兼研究所で入手した『『最初の一輪』の体組織』。
この二つが揃っている今、何よりも優先すべきはこれらを使って『枯死毒』を作成する事だけであり、その為には『枯死毒』の作成に必要な機材のある場所へと向かわなくてはいけない。
事ここに至って『最初の一輪』から妨害を受ける様な事になっては目も当てられない。
速やかに機材があるという製薬研究所へ向かうべきだろう。
ブルーフィリアの花畑と化した駅前の広場を、花の間を縫う様に、或いは花を掻き分ける様にして進んで行く。
駅から離れると流石に一面花畑、という事は無かったが、代わりに道路のアスファルトを突き破って巨大花の物と思われる根があちこちから飛び出していた。
避けて進めば問題ないレベルではあるが、亀裂が入った道路はデコボコして歩き難い。
地味にではあるが、私達の前進スピードが落ちる要因となっている。
「あーもう、邪魔だなこの根……。 操、足元気を付けろよ」
「うん。 ……これもやっぱり何かの異常が起きているからなのかな?」
地面の亀裂や根に足を取られない様に注意しながら前に進む。
幸い地面から飛び出した根は比較的表面が滑らかだった為、靴で踏み抜いて足裏に突起物が刺さってしまう様な事は無さそうだ。
因みに、私の靴はレドウッド山での『花樹狼』との戦闘時に片方を紛失してしまっていたが、今は残ったもう片方を参考にして私の身体を構成する植物細胞から同じ形の靴を生成して履いている。
代わりの靴を探した際、桜木博士の自宅には他にも私が履けそうな靴があったのだが、どうせなら使い慣れた物が良いと考えた結果、いっその事作ってしまう事にしたのだ。
破損した衣服の修復が出来るのなら、靴も作れるだろうと思っての事だったのだが……思った以上に上手く出来てしまって自分でも驚いている。
しかしこれならば破損してもすぐに治す事が出来るし、文字通り自分の体の一部である為、必要とあらば体と一体化した上で形状を変化させる事も出来る。
戦闘時を考えれば理に適っていると思う。
「これ以上大きな道を通って行くのは無理そうだな……」
ケーブルカーの駅前の広場を出て暫く。
辛うじてメインストリートの途中までは歩いて進む事が出来た。
しかし、やはり中心部に近付く程に街の中央にそびえ立つ巨大花から伸びた根によって、中央の道路が埋め尽くされてしまっている。
一方で幸いにも……と言うべきかは不明だが、駅前広場周辺の花々の様に巨大花の根が更に成長して広がる様な事態にはなっていなかった。
「裏通りを通るしかないかな?」
「そうだな……あの駅から南に向かって歩いて来たわけだから、現在地は……」
そう言ってライナは、今私達がいる場所から製薬研究所への最短ルートを考え始めた。
地図を見る訳でもなく頭を捻る様子は、大丈夫なのかなと若干不安になるが、思えばここまでライナが道を間違えたりした事は無かった様に思う。
もしかして、街の地理を全て記憶しているのだろうか?
「……ん? あれ? もしかして……」
と、何やらライナが気が付いた様な素振りを見せた。
表情からすると良くない事ではなさそうだが……。
「どうしたの?」
「ああ、うん……取りあえず、北側にある山の方から見たら製薬研究所は南の方行きゃ良いなー……って感じで、適当に歩いて来たんだけど……」
……適当だったらしい。
やっぱり心配になって来た。
「それで改めて考えてみたら、すぐ近くに俺が街に来た時に拠点にしてたモーテルがあると思うんだ」
「モーテル? じゃあ、一番最初にライナはそこに寝泊まりしてたの?」
そう言えば河原で助けられた後、ライナが拠点にしていたアパートに連れて行かれたけど、あれは偶々鍵を拾って中に入る事が出来た部屋を拠点として使っていただけだと言っていた気がする。
「そのつもりだったんだけどな。 街に着いてまずは下見……って考えてたら、いきなりドカーンと来て、あっという間に街がお花畑でさ。 荷物置いたまんま逃げる羽目になって……」
なんでも、当初ライナはグリーンフォレストへは車でやって来たのだそうだ。
そして街に着いてすぐに仮宿というか、荷物置き場程度に利用するつもりでモーテルの一室を借りたらしい。
だが、仕事の下見を兼ねて周辺を徒歩で見て回ろうと街へ出た直後、ブルーフィリアの暴走に巻き込まれたという事のようだ。
「そこから大変だったんだぜ。 武器は拳銃と短剣だけだし、他は大したもん持ってなくって………まぁ、それはいいか。 とにかく、モーテルが無事ならそこに俺が持ち込んだ武器や弾薬がある筈なんだ」
「なるほど……。 なら、そこへ行けば補給が出来そうだね」
丁度、裏通りを一本奥に入って少し歩いた先にそのモーテルはあるらしい。
ブルーフィリアの根のせいで、メインストリートはこれ以上歩いて進めるだけのスペースが無いので好都合とも言えた。
メインストリートから裏通りに入る道を進んで行く。
広い道路とは言えないが、以前私が通った建物の間の裏道に比べればまともな道と言える。
乗り捨てられた車両や、銃を発砲した事による戦闘の跡があちこちに見られるが、今の所怪物の姿は無く、また気配自体も感じられない。
新たに習得した『探知』の能力は、私の身体から放たれた『光脈』を通して周囲の地形、動体の有無、ブルーフィリア由来の存在の有無を同時に知覚する事が出来る様になった。
当然複数の情報を取得出来る様になったぶん私自身の情報処理能力が必要にはなったが、力の使い方を一本化出来たほうが緊急時に立ち回りがし易い。
これも私が望んでいた通りの能力の形であり、確かにライナが言った通り、私のイメージが形になったと言っても良いものだ。
そんな便利というか都合の良い能力を手に入れた今、例え怪物が待ち伏せ等していてもすぐに発見して対処出来る、そう思っていたのだが―――。
「お、良かった。 どうやら建物は無事らしいな」
ライナの案内で街中を進んで行くと、至極あっさり件のモーテルに辿り着いてしまった。
モーテルの外観は何の変哲もない所謂モーテルであり、メインストリートには面していないものの、そこそこ広めの道路沿いに建っている。
建物正面のスペースが宿泊客用の駐車場となっているようで、二、三台の車が停められたままになっていた。
「よしよし、車も無事だな。 これで帰りの足が無くなってたらあのクソ花、燃やしてやる所だったぞ……」
何やら後半はやや低めのドスの効いた声で物騒な事を呟くライナ。
……そう言えば自動車修理が趣味とか言ってたけど、車好きなのかな?
「車は放っておいて良いの?」
「ああ、大した物は積んでないからな。 今必要な物は借りた部屋の方だ」
そう言いつつモーテルの建物の方へと歩いて行くライナの後を付いて行く。
どうやらライナが借りた部屋は二階にあるらしい。
外階段を上って二階の廊下へ上がる。
一応『探知』は行ったままだが、今の所建物周辺にも建物内部にも怪物の気配は感じられない。
……………やっぱりおかしい。
私は無意識に眉間に皺を寄せていた。
ここに来るまでの間、全く怪物に遭遇していないどころか、気配すら感じ取れないのだ。
むしろ、人間や怪物以外の生き物の気配の方が感じ取れている位だ。
まさか、『探知』の能力に不具合が発生した?
一瞬そう考えてしまったが、巨大花の帯びた『光脈』を『探知』を通してはっきり知覚出来るのでそれは無いと思う。
そうなると後は、怪物達の行動が変化してこの周辺には怪物が居ない……という事位だろうか。
確かに、今は明け方であり日の出を迎えたばかりではある。
しかし、怪物に……ブルーフィリアに時間など関係あるのだろうか?
少なくとも今まで時間帯によって怪物の行動が変化したと感じた事は無い。
これまで遭遇して来た怪物達の行動に、急激な変化があったとすれば、それは―――――。
「………うーん?」
周囲を警戒しながらライナの背を追っていた私の耳に、ライナの呟いた声が届いた。
ライナは立ち止まって周辺を見渡す様な素振りを見せつつ、何処か訝し気だ。
「どうしたの?ライナ」
「ん……ああ。……いや、取り敢えず部屋はここだから、まず中に入ろう」
そう言ってライナはポケットから取り出した鍵を目の前にある扉に差し込んだ。
鍵を回すとカチリと音が聞こえ、扉のロックが解除される。
ライナはそのまま扉を開ける……かと思われたが、懐から銃を取り出して右手に持った。
そして、左手で扉のドアノブに手を掛けてから私に目配せをする。
私はライナの視線を受けてその意図を理解し、ここ最近出番の無かったツートンカラーの拳銃を腰のホルスターから抜いて構えた。
直後、再び視線を交わした私達は、頷き合うとほぼ同時に室内へ飛び込んだ。
ライナが先に部屋の中へ素早く突入し、私はその背後からライナを援護する形で両手で銃を構えながら室内へ足を踏み入れる。
素早く室内に視線を巡らせるが………中には誰も、いや、何も居なかった。
室内は荒らされた様子も無く綺麗な状態であり、入ってすぐの所にあるベッドの上にはスポーツバッグが一つ置いてある。
私は部屋に足を踏み入れつつ入口の扉を閉め、『探知』を行いながらベッドの下や備え付けのクローゼットの中等を確認して行く。
しかしやはり中には無いもいないようであり、特に怪しい所も見当たらなかった。
「うーむ………やっぱ何も居ないなぁ」
腑に落ちない、という顔をしながらライナが部屋の奥にある浴室から出て来る。
私が部屋に入ったと同時に奥まで踏み込んで行ったライナは、そのまま内部を調べていたらしい。
そして、ベッドの周辺やクローゼットの中に至るまで私の方で隅々まで調べた事を伝えると、益々疑問符を浮かべた表情になった。
「ライナもやっぱりおかしいと思う? ここまで全く怪物に出くわさない事……」
「ああ、やっぱ操もそう思うよな? 今迄どんな所でも、必ず一匹二匹は遭遇してたのに、山を下りて来てから一度も怪物共を見てない」
どうやらライナも私と同じく、駅を出てからここまで怪物に全く遭遇しなかった事に違和感を感じていたらしい。
そもそも、あの巨大花の根の周辺は怪物が多く彷徨っている為近付けないという話だった筈だ。
にも拘らず、ここまで来る間に私達は根のすぐ近くを通ったのに怪物の姿すら見かけなかった。
確かに、ケーブルカーの駅側は巨大花の本体からは遠い場所であり、私とライナは比較的駅側に近い場所までしか接近していない。
しかしそれでも、怪物との接触が全くないというのは……今迄の状況からすると、考えられない事だ。
「何処かで待ち伏せでもしてるのかと思ってずっと『探知』してたんだけど、全くその気配が無いんだよね。 人間と怪物以外はちょくちょく反応あるんだけど……」
「おお、そこまで分かる様になったのか。 ……けど、それが本当ならマジで変だな。 ……これ、研究所で一斉に襲撃の流れか?」
念の為に更に細かく部屋の内部を調べながら、私とライナはそんな会話を交わしていた。
ライナに至っては天井裏や換気用ダクトの中まで覗いている。
しかし、それでも部屋の中には、もっと言ってしまえばモーテルの建物内には怪物の姿は無かった。
「これだけ調べても居ないって事は本当に居ないんだね……」
「うーん………ま、良いか。 それならそれでじっくり準備出来るしな」
そう言ってライナはベッドの上に置かれていたスポーツバッグを開ける。
部屋の中を調べる事を優先していた為あまり意識を向けていなかったが、大型のバッグであるそれはよく見るとかなり中身がパンパンである。
一体何が入っているのかと思って見ていると………次々と銃と弾薬がベッドの上に並べられ始めた。
パッと見て分かる限りでは、散弾銃、短機関銃、擲弾発射器に各種弾薬。
後は……爆弾?手擲弾?とにかく、そういった類と思われる物だ。
………戦争にでも行くつもりだったの?
「……ライナ、私、そういう仕事の事って詳しくはないんだけど、そんなに色々必要なものなの?」
「ん? ああ、この武器か? いや?いつもそこまで必要な訳じゃないよ。 今回は相手がどう考えても私兵とか囲ってる連中だったから、色々道具を揃えてただけさ」
ライナが言うには大概の場合はいつもの拳銃と短剣で済んでしまうそうだが、今回は相手の数が多いので色々と用意して来ていたのだそうだ。
それって要するに、正面突破の予定だったって事では……?
「操も何か持ってくか? 散弾銃とかは半自動式だから連射出来るぞ」
そう言ってライナが手に取ったのはやや短めの、如何にも散弾銃といった見た目の銃だった。
スタンダードなストックが付いた形だが、銃身は短く切り詰めてある。
特徴的なのは銃口に銀色の円筒形の減音器が装着されている事だろうか。
「うーん……散弾銃は今使ってる奴で良いかな。 それに、ちょっと……」
正直な所、ここ最近の怪物達に対して拳銃は言わずもがな、散弾銃ですら火力不足になりつつある気がする。
『花人』や『木人』といったごく普通の『眷属』程度なら問題無いのだが、『花樹狼』や『三つ首』の様な特殊個体ともなると、散弾では硬い外皮を貫けない事が多い。
そうなると、危険を承知で『茨の剣』等による接近戦を挑む方が結果として効率良くダメージを与えられるのだ。
ついでに言うなら、私は自分の体から生じさせた蔓を用いる事で完全に片手での銃の操作が行える。
私が今使っているポンプアクション式の散弾銃で言うなら、射撃・次弾装填・再装填の三動作を疑似的に左手一本で行える。
それらの事を考慮すると、使い慣れた銃を手放してまで新しい銃を使うメリットが今の所無かった。
と、そんな私の考えを聞いたライナがとある事を提案をして来た。
「なるほど? そんなら、弾変えてみたらどうだ? これならああいう連中の装甲もぶち抜けると思うぞ」
そう言ってライナが手にしたのは、所謂スラッグ弾と言われるタイプの散弾銃用の弾薬だった。
簡単に言ってしまえば、無数の小さな弾を放つ散弾ではなく、一発の巨大な弾丸を放つ弾だ。
「クマみたいな大型の生物って、脂肪や筋肉に加えて骨も装甲車かってレベルで分厚いから、そういう生き物を撃つ時なんかにも使われるんだ。 これなら普通の散弾よりもああいう奴らに効果が高いし、射程もある程度伸びるぞ」
勿論散弾の様に近距離での命中率の高さは失われてしまうが、貫通力が増せば確かに特殊な『眷属』達の外皮も貫けるかもしれない。
射程が伸びると言っても、精々100メートル程が狙って当たる限界だそうだが、別に狙撃をする訳ではないので問題ないだろう。
「そうだね……試してみようかな。 どうせライナしか近くにはいないんだし、普通の相手には能力使えばいいんだしね」
現状、私の基本的な戦闘スタイルとしては、近距離攻撃は『茨の剣』、中距離攻撃は『茨の鞭』または『棘のフレイル』、遠距離攻撃は銃といった形で対応している。
『籠手』や『足甲』、『鉤爪』はどちらかといえば防御を主な目的とした補助的な攻撃手段であり、メイン武器とは言い難い。
『花樹狼』戦では純然たる遠距離攻撃が拳銃と散弾銃しか無く、それらが全く通用しなかった為に攻め手を欠く事態となってしまった。
散弾銃の弾薬をスラッグ弾に変更する事で、硬い装甲を持った相手に対しても有効な遠距離攻撃手段を得られるのであれば、そういった事態を防ぐ事が出来るだろう。
その部分の戦力の補強が出来れば……後は「斬った張った」でどうにかなる。
……私もあまりライナの事は言えないなぁ。
「よし、だったら持てるだけ持って行きな。 流石に全部は持って行けないから……残った奴は表の車に積んどくかな」
スラッグ弾を使用してみる事を告げると、ライナは何処かウキウキとした様子で持って行く武器類を選定し始める。
そんな何処か楽しそうなライナを苦笑しつつ見守りながら、私はこの後の製薬研究所の探索に思いを馳せるのだった。




