88 此処にある自分
「『感情光脈』………か」
PCの画面に表示された桜木博士の研究レポートを読みつつ、私はそう呟いた。
ブルーフィリアという生命を形作るエネルギー体……青い光、『感情光脈』。
単に私達が『青い光』と呼んでいたあの光のエネルギーに名前があったと言うだけの事ではあるが、私にとってはその事実は大きな意味を持っている様な気がする。
何かが変わる訳ではないが、自分に宿った物……いや、自分自身を形作るモノが何かを改めて知る事になったのだ。
『ブルーフィリアの一輪』である私にとっては自身のルーツを知るに等しい事実であり、自分でもよく分からない感慨の様な物を感じていた。
(桜木博士が危惧した通り、『ブルーフィリア』の持つ力……『光脈』は人間の手には余る力だった。 サイディスの連中は『花』自体を有用な存在だと思っていたみたいだけど、本当はそうじゃなかったんだね……)
レポートの中で桜木博士は推測であると断った上で、『ブルーフィリア』の特異性の根源は『光脈』にあると判断していた。
と、なれば、『ブルーフィリア』を単なる『花』としてしか見ていなかった、或いは気付いていなかったサイディス社の者達は、遅かれ早かれ破滅していただろう。
『最初の一輪』……『彼女』と極めて良好な関係性を築いていた博士ですら、その力の強大さを恐れていたのだ。
『彼女』を理解していない者達にブルーフィリアの研究を委ねる事など出来なかっただろう。
私も当事者の一人ではあるが、この強大な力が暴走したら……と考えれば、桜木博士が苦悩の末『彼女』を殺処分する選択をしたのも頷ける話だ。
(私にも同じ力がある。 ……ううん、私自身が力そのものなんだ。 今まで私が危機に陥った時に、私の中の『花』が応えてくれた様に感じたのは、私自身がそう望んだから?)
私が今まで生き延びて来れたのは『ブルーフィリア』が持つ力であり……つまり、『光脈』の力によるものという事になる。
『光脈』が望み、戦う為の武器を欲した結果、『光脈』に私の意思が反映され、器である肉体がその形を変えた。
レポートの内容からすると、恐らくそういう事なのだろう。
何の事は無い、全て私が望んだ結果だったという事だ。
恐らく、怪物の血を取り込み肉体が変異してしまったのも、「自分は怪物なのだ」という私自身の意思が反映されたのだ。
あのままで居れば、私は程なく理性を失った怪物の一体に成り果てていたのだろう。
しかしあの時、私はライナの言葉を受け、人外の存在である自分から逃げる事を止めた。
その結果として今も私は『人』のままだ。
私は…………人間で居たいと思ったのだろうか?
そんな私の若干の迷いを抱いた直後、画面に表示された別のレポートに気になる記述を見つけた。
『ブルーフィリアは美しい青い花を咲かせる未知の植物である。
しかし、実際には彼女達は花どころか植物ですらなく、『花の形をした、植物と同様の生態をした植物ではない何か』だ。
何故花の姿をしているのかは想像の域を出ないが、恐らくはあの南極の厳しい環境に適応する為に最も適していたのがあの姿だったのだろう。
そう考えると、ブルーフィリアの環境適応能力は最早急速な進化とでも言うべき常軌を逸したものだ。
あらゆる環境に即座に適応する事で生存して来た……とすれば納得の行く話と言えなくも無いが、それは同時に、周囲の環境の影響を大きく受けるという事でもある。
これまで記録して来たブルーフィリアの不可思議な生態は数多く、その内容も実に特殊で複雑だ。
だが、ブルーフィリアの持つ異常なまでの環境適応能力を考えると、それはあくまでも現状での生態に過ぎず、今後それらが全く異なるものへ変化してしまったとしても不思議ではない。
何より重要なのが、ブルーフィリア達はある程度の差こそあるものの、明確な自我を持っているという事だ。
自我が希薄なごく普通の植物と違い、人間を含めた動物と変わらない精神を持っているという事は、その精神状態が自らの肉体にも影響を及ぼす可能性が極めて高い事を示している。
幸いにも現状では『最初の一輪』を含めたブルーフィリア達は私と共にあり、その精神は健やかに育ちつつある。
しかし、何が切っ掛けでその在り様が変貌してしまうか分からない以上、彼女達の精神状態は常に健全に保たれなければならないだろう。
彼女等が人と共に在りたいと思うのは彼女達の意思であるなら、人を敵として認識するかどうかも彼女達の意思次第なのだ。
勿論それは人間も同じであり、自分がどう在りたいかという事でしかないのだが、願わくば彼女達には共に―――――――――』
記述はそこで終わっていた。
破損して修復出来なかったデータもあるとライナは言っていたが、どうやらこの先のデータは失われてしまったらしい。
しかし、レポートの続きが読めない事よりも、私は桜木博士の言葉が気になった。
(彼女達の意思次第………か)
私は自分を人間だと信じて失われた記憶を取り戻そうと必死に足搔いて来た。
しかし結果として、私は人間ではなくブルーフィリアの持つ能力によって生まれた存在だった。
にも拘らず、私は今も人間の姿で生きており、街を闊歩する異形の怪物の様にはなりたくないと無意識に考えているらしい。
異形の怪物として街の人間を無差別に襲い、血を啜る怪物に成り果てたブルーフィリア達。
レポートにあった様に、『眷属』と呼ばれる彼らがそうした行動に走るのは、『最初の一輪』の意を受けた結果なのだろう。
ブルーフィリアの『眷属』の内、上位の存在は下位の存在に命令を下す事が出来る。
つまり………『最初の一輪』は人類を敵と見做したのだ。
精神年齢的には幼い子供程度でしかなかったという『彼女』が、錯乱の末に何故その様な結論に達したのかは分からない。
だが少なくとも、大きな町ではないとはいえ数万人の人間が住む街を滅ぼす勢いで自らの能力を行使しているという事は、それだけの負の感情が彼女を突き動かしているのだろう。
しかし………それなら、私は?
レポートの内容と照らし合わせるなら、私は『直系眷属』に当たる筈だ。
今やグリーンフォレストの新たな住人と化しているあの怪物達は『眷属』であろう事を考えれば、私だけが『最初の一輪』の「意思」の影響を受けていないのは何故だろうか?
いくら『眷属』達よりも上位の存在だとしても、『最初の一輪』よりは下位の存在である以上、彼女から発される指令に逆らえるとは到底思えない。
――――私にだけ命令が届いていない?
「………………」
「……ん? どうした? 操」
考え込む私の様子に気が付いたライナが、隣から声を掛けて来る。
私はその声を聞き、はっとして顔を上げて彼の顔を見た。
夢中になって資料を読んでしまっていた為、ライナが立ちっ放しだった事に気が付いていなかったのだ。
「あ、ごめん。 つい夢中で読んじゃった……」
「いや、それは気にしなくて良いけど……何か内容について気になる事でもあったのか? 考え込んでる感じだったけど」
横から見ていただけだというのに、ライナには私の心情は筒抜けだったらしい。
……この際は、ライナに聞いてみるのも良いかもしれない。
「……レポートの内容からすると、『最初の一輪』ってブルーフィリアの中では最上位の存在って事みたいなんだけど……それなら、どうして私は私のままで居られたのかなって思って」
私が『最初の一輪』が指令を発した後に生まれた個体だから、という様な推測も出来なくはない。
しかし、これまで行く先々で私の行く手を阻むかの様に襲って来た怪物の群れの事を考えれば、『最初の一輪』が指令を発したのは一度だけとも思えない。
寧ろ、下手をすれば現在進行形で指令が発され続けているかもしれないのだ。
どちらにせよ、誕生したばかりで精神面も不安定だった私が、上位存在たる『最初の一輪』の意思の影響を受けていない理由が分からない。
「あー………言われてみれば、確かに?」
ライナも腕組みして考え込む。
私は桜木博士の知識が部分的に引き継がれているので、ある程度ブルーフィリアについての推論を述べる事は出来る。
しかし、そうした知識を持たないライナにとっては全くの専門外の事なので彼に答えを求めるのは酷かもしれない。
けれどその一方で、ライナなら何かヒントになる事を思い付いてくれるのではないかという、ある種の信頼の様なものがあった。
「うーん……………よく分かんないけど、操は最初からこう………自分?がしっかりしてたから…………とかじゃね?」
「……自分がしっかりしてた?」
どういう事だろうか?
自分で言うのもあれだが、寧ろ私は精神的に脆い部類だと思うんだけど……。
「いやほら、同じかどうかは分からないけど……人間の子供って、自我みたいなのがはっきりしてないって言うだろ? 桜木博士的には『最初の一輪』って精神的に幼い感じだったみたいだし……。 逆に操は生まれた時から自我がしっかりとあったじゃないか。」
言われてみれば………確かにそうかもしれない。
あのホテルで目覚めた時点で私はこの世に誕生した。
だが、その直後から私は自分の事を『私』と認識していた。
生まれたばかりの赤子の様な未熟な自我ではなく、明確に自分を認識していたのだ。
対して、『最初の一輪』の精神はまだ幼いらしく、更に言うなら現状ではまともな精神状態ではない。
そんな彼女の『意思』に私の自我……精神が打ち勝ち、指令を跳ね除けたという事だろうか?
「前にも言ったけど、操が操である事は変わらない。 最初に目覚めた時は自分に何が起こったのか分からなかったんだろうけど、自分を見失ってたわけじゃないだろ? 自分が人間だって……いや、『操』だって認識してたから大丈夫だったんじゃないか?」
『最初の一輪』は自己を確立出来ていない幼い精神であるが故に「死体」という自我の無くなった、生物だった物を苗床とした。
そして、『眷属』として誕生した怪物達に命令を発したが、既に自己が確立された段階にあった私には、その命令が効力を発揮しなかった……という事か。
しかし、もしそうだとするなら………。
「……もし本当にそうなら、私は桜木博士にまた助けられた事になるね」
「うん?」
「多分だけど……私のこの……性格?人格? ……とにかく、私のそれは桜木博士のものがベースになってると思うの」
遺された音声記録、アレンの記憶。
そして、この研究レポートの内容から察するに、私と桜木博士の性格にはやはり違いがある様に感じる。
だがそれでも、誕生したばかりだった私の精神の基本となったのは恐らく桜木博士の自我であり、そこから徐々に『私』の精神が形成されて行ったのだと思うのだ。
最初からある程度の自我が存在し、それが『最初の一輪』の命令を拒む力になったというのなら………それは、博士が私を守ってくれたとも言えると思う。
「私に向けた音声記録を残してくれた事といい、桜木博士に助けて貰ったのはこれで二度目になるのかな。 生まれる前と……生まれた後と」
自分には何も出来なかったと言っていた桜木操博士。
でも、少なくとも私に関しては大きな助けになる物を幾つも残して貰っている。
私に『最初の一輪』を止める事を強要したくないと彼女は思っていたようだが、これだけ多くの物を残してくれた博士の願いをやはり私は無視する事は出来ない。
「そうだな。 ……けど、それを理由に操が絶対にアレをどうにかしないといけないって事は無い。 要は操がどうしたいかなんだから、そんな深刻に考える必要は無いと思うぞ」
まるで私の思考を読んだかの様にライナが言う。
私の心の中が分かるのかな、なんて思うのは何度目だろう。
「桜木博士自身が操に押し付けなくちゃいけなくなった事を後悔してたんだし、あんまり思い詰めんなよ」
「……うん、そうだね。 ありがとう、ライナ」
私を気遣って、どんな選択をしても良いのだと暗に伝えてくれるライナに私は笑みを返す。
実際、そこまで思い詰めているつもりは無かったけど、全くそう思わなかったとも言い難い。
ライナの言葉を受けて少し心が軽くなった様に感じたのは、無意識にその様に思っていたからかもしれない。
研究レポートにあったブルーフィリアと言う存在についての内容は、そのまま私に当て嵌まる。
―――しかし、それだけなのだ。
私はブルーフィリアだが、自分のしたい事は自分で考えて決めている。
上位者からの命令を受け、ただ本能のままに行動する怪物ではない。
人間ではなくとも、怪物であろうとも、私は『私』の自我を持って生きている。
私がどんな力を持っていようとも、どんな存在であろうとも、それは変わらないのだから。
「……それにしても、私って、考えてる事そんなに分かり易いかな? 何だかライナには私の思考が筒抜けな気がして来たんだけど」
一先ず私の中でブルーフィリアである自分について決着がつくと、先程ライナに思考を読まれた事を思い出した。
顔に出易いという自覚はあったが、ライナには読心術でも使われているのかというレベルで心の内を言い当てられているので、若干納得が行かない。
そんな心情を本人に投げ掛けてみると、ライナは笑いながら肯定した。
「あはは。 それはまぁ、何と言うか……。 仕事上、そういう能力っていうか、技術が必要な場面は多いからな。 ……操の場合も、顔見れば一発で分かる位にはな?」
若干目を逸らしながらそんな事を言うライナ。
……それは私が特別分かり易いと言っているのと同じ事なのでは?
何だか遠回しに単純だと言われているようで、少々遺憾である。
ほんのちょっとだけ腹が立った私は、隣に立っていたライナの背中を軽く叩いて抗議の意を示した。
「いっ……!?」
「えっ?ちょっ……」
しかし、軽く叩いただけだった筈が、予想に反してライナは体を捩って私から距離を取る様な素振りを見せた。
まさか力加減を間違えてダメージを与えてしまったのかと、慌てて椅子から立ち上がってライナに駆け寄るが、当のライナがそれを制した。
「な、何でも無い、大丈夫……。 ちょっと驚いただけだから」
そう言いつつライナは若干涙目だった。
明らかに何らかの痛みを堪えている様な様子だ。
「どう見ても大丈夫じゃないでしょ? 一体どうしたの? もしかしてどこか怪我を……」
そこまで言って、私の脳裏にこれまでの道程が思い起こされる。
どの場面であっても、ライナは怪物の攻撃を受けた様な様子は見られなかった。
怪物がライナに襲い掛かり、あっと思った次の瞬間には怪物の方が倒れている……というパターンばかりだ。
であるなら………怪物に襲われる以外で負傷した?
そう考えた瞬間、私はある出来事を思い出した。
「……そう言えばライナ、車で移動中に道路で『礫花』に襲われた時、私を庇って背中から山の斜面に倒れ込んだよね」
車を『礫花』の攻撃で破壊され、崖下に落下する羽目になった際、私とライナは車を脱出して山中に身を投げた。
私はライナに抱きかかえられる形で崖下に身を躍らせたが、ライナがワイヤーを木に絡ませ落下の勢いを押さえてくれた為、空中で体を振り回されつつも何とか地面に降り立つ事が出来た。
が、勢いが付き過ぎていた私達はそのまま地面に倒れ込む形となり、あわや山中の凹凸が激しい地面に激突、となった際に、ライナが体を捻って私を庇ってくれたのだ。
私は地面と自分の間に割り込んでくれたライナのお陰で大した衝撃も受けずに済んだのだが……よくよく考えてみれば、あれで無傷と言う方が無理な話だ。
あの時は状況が状況だった為、そんな事にすら気付けなかったが……恐らくライナはあの時から痛みに耐えていたのだろう。
「あ〜……いやー……その、べ、別に大した事はないんだぞ? ほんとに。 ……若干、痣になってるかなーくらいで………」
盛大に目を泳がせながら言い訳がましくそんな事を言うライナ。
………これは、確実に痣どころではないね。
私はジトっとした目をライナに向けた後、腰に手を当て、これ見よがしに溜息を吐いてから、すぐ横にあるベッドへ腰掛けた。
「ライナ、ここ座って」
「……へ?」
腰掛けたベッドの空いたスペースをぽんぽんと叩く。
要するに隣に座れという意味だが、予想外な事を言われたライナは固まっている。
「ほら、早く」
「う、うん」
戸惑った様子ながらも、急かす私の言葉に流される様に隣に座る。
二人並んでベッドに腰掛けるという妙な状況になってしまっているが、ライナの怪我をこのままにはしておけないので仕方がない。
自分にそう言い聞かせつつ、私はライナの顔を見ながら次の言葉を紡いだ。
「はい、じゃあ上脱いで」
「……………………………え?」
たっぷり十秒程の間を空け、ライナはそんな間の抜けた声を上げた。
その表情には先程以上に困惑の色が浮かんでいると同時に、頭の中では高速で思考が回転しているだろう事が伺えた。
………要するに混乱の極みにあるようだ。
「いや………え? あの………操?」
まぁ、いきなり他人から服を脱げとか言われたら困惑するのは当然だと思う。
けど、私も今までの経験でライナに対して意見を通そうとした場合、正攻法で説得しようとしても効果が薄いという事は学んでいる。
こういう場合、ライナに対して最も効果が高いのは、有無を言わさず勢いを持ってぶつかって行く事だ。
ライナ自身も言っていたが、彼は年の近い異性に対する接し方に今一つ自信が無いらしい。
なので、勢いよく体当たりするイメージで正面から攻めれば、いつもの飄々とした態度を突き崩す事が出来る……………と、思う。
なので、本来なら幾ら相手の為であっても男性に対して、しかも好意を寄せている相手に対して「脱げ!」なんて言って迫るのは私も恥ずかしいのだが、ここは羞恥心に耐えて突撃しなくてはならない。
「いいからほら! さっさと脱ーいーで!」
そんな決意なのか何なのかよく分からない、半ばヤケクソ気味の思考の元、私はライナの上着を剥ぎ取るべく襲い掛かった。
「うわっ、ちょまっ……」
反射的に抵抗しようとしたらしいライナだったが、直前で私の手を掴もうとしていた手が躊躇した様に止まる。
やはり手荒な対応をしてしまいそうでおっかなびっくり、という雰囲気だ。
いつもなら私を丁寧に扱ってくれようとする彼のその態度に嬉しさを感じる所だが、今回は心を鬼にしてそのまま上着の裾を捲り上げる。
そうしてライナの背中を無理やり覗き込んだ。
「…………」
ライナは小柄、と言う程ではないが、体つきは細身である。
更に容姿もどちらかと言えば童顔の部類である為、見た目の印象から、当初私は彼を年下だとすら思っていた。
……尤も、実際には私の実年齢は生後24時間未満であり、私の容姿のベースとなった桜木博士も19歳という若さだった為、ライナの方が遥かに年上だった訳だが……。
とにかく、ライナは外見上、少年と青年の間位の年代に見えるのだ。
しかし、衣服を剥ぎ取った――大分語弊があるが――事で露わになったライナの背中は、想像以上に鍛え上げられ―――そして傷だらけだった。
だが薄らと痕が残るだけのそれは真新しい傷ではなく、既に塞がって久しい古傷の類だ。
しなやかな筋肉に覆われたその背中のあちこちに、傷痕が残っているのだ。
そしてそんな古傷とは別に背中全体に青痣が出来ていたり、擦りむいた様に血が滲んでいた痕があるのが見て取れる。
捲り上げたシャツの内側を見てみれば、乾いて固まった血が付いているのが分かった。
「はぁ………もう、やっぱり怪我してるじゃない。 どうして言わなかったの?」
多分に呆れを含めて、そして若干の不満を込めて私がそう言うと、ライナは気まず気に目を逸らして頬を掻いた。
「いやー……だってさ……操、普通そうにしてたけど、明らかに体調悪そうだったし………。 それに、このくらいなら大した事ないから、良いかなーって………」
いたずらが露見した子供の様に、ばつが悪そうにそう言い訳をするライナ。
そんな彼に若干心を揺さぶられるが、私は高速で心を落ち着かせると、殊更悲しげな表情を作った。
「……これからは何でも相談するって言ったのは嘘だったの……? 私の事、やっぱり信用出来ない……?」
我ながら卑劣だとは思うが、こう言われてはライナが返す事が出来る答えは一つだけだろう。
案の定、ライナは慌てて私の言葉を否定した。
「そ、そんな事無いって! 俺はただ単に操の体調が心配だったから負担掛けたくなくて……」
勢いよく紡がれた言葉は、しかし後半に行くにつれてトーンダウンする。
そしてライナは何かに気付いた様に目を瞠ると、苦笑しながら呟く様に言った。
「俺が思ってるんなら、操もそう思ってる………か。 ………確かにそうだな。 ちゃんと言うべきだった」
そう言って、いつもの様に困り顔で笑うライナだが、その表情はいつもと違って何処か力のないものに感じられた。
その表情は自分の失敗を悟って若干落ち込んだ様子であり、詳しくは分からないが、怪我を隠した自分の行動について反省するべき点があると思い至ったらしい。
「……ライナが私を気遣ってくれたのは分かるし、寧ろ嬉しいの。 でも、その代わりにライナが傷つくのは………嫌だよ」
ライナが私を守ろうとしてくれている、実際に守ってくれているのは勿論理解しているし、心から感謝している。
しかし、その為にライナが傷付くのは嫌だし、それに自分が気付かずにいたという事実も私は辛かった。
何故なら、相手を守りたいと思っているのは私も同じだからだ。
ライナは私に守られなくてはいけない程弱くない………というか、多分今の私よりも遥かに強いと思う。
しかしそれでも彼は普通の人間だ。
私の様に手足が千切れても再生出来る訳ではない。
それはつまり、ライナの方が私よりも僅かな掛け違いにより命を落としてしまう可能性が高い、という事だ。
私はライナよりも弱い。
しかしそれでも、ライナを傷付かせず、死なせない様にする事は出来る筈だ。
「……うん、そうだな………ごめん。 ……俺、やっぱり下手くそだなぁ、こういう事……」
そう言って溜息を吐くライナ。
殺し屋として一人で生きて来た彼は、きっと周囲の人間を信用するという事をせずに接して来たのだろう。
自分の立場のせいとは言え、気を許せば裏切られる可能性があるのだから当然だ。
それは身を守る為にライナが身に付けた習性であり常識なのだ。
だから、そんな彼が世間一般でいう所の「普通の」対応を他人にしようとして失敗してしまうのは仕方がないとも言える。
それでもライナは自分の対応が間違っていたと素直に認め、何とか対応しようと苦心していた。
私は、ライナがそんな風に不器用ながら私に対して誠実に接しようとしてくれている事を嬉しく思っている。
しかし同時に………少々いけない感情が芽生えている事も自覚していた。
彼が、ライナが、他人を基本的に信用せずに生きて来たであろうこの人が、私に対しては初々しく不器用ながらも本心で接して来てくれている。
その事実が堪らなく嬉しく―――そして、仄暗い優越感の様な感情を私に齎していた。
当然ながら、この様な感情を抱く事は初めてであり、そんな自分に私は戸惑いを覚える。
だが、少し考えてこれは人間として当たり前の感情………独占欲の様なものなのだと思い至った。
別に私も、自分が聖人だとは思っていない。
この様な負の感情が心の内に生じるのは、人間としては当たり前の事なのだ。
寧ろ、これまでライナに対して純粋な好意や愛情だけを抱いていたのが特殊だったのではないだろうか?
私は人間ではないが、人間としての自我を獲得したブルーフィリアだ。
ならば、こうした負の感情を抱くに至った事もまた、私の自我が一歩人間に近付いた―――成長したという事なのかもしれない。
……『アストラル体』は別名『感情体』……または『情緒体』等とも称するのだという。
その名を関するブルーフィリアの『感情光脈』―――『光脈』もまた、ブルーフィリアの感情や情緒の根源とも言える物だ。
であるならば、それこそ私の中の『光脈』が、清濁併せ持ち健全に育ちつつある証明とも言えるだろう。
―――――………などと、こじ付けがましい事を高速展開される思考の中で考えていた私。
服を捲り上げられたままへこみ気味のライナの姿を見ていると、悪戯心が湧いて来てしまう。
落ち込んでいる相手に更なる追撃を仕掛けようとする自分に正直呆れるが………まぁ、偶には良いよね。
「えっと……ごめんね、ライナ。 偉そうに言っちゃったけど、慣れていない事で失敗するなんて誰にだってあるよ。 私も、今までかなり無茶してライナに迷惑掛けちゃった訳だし………私はライナが分かってくれればそれで良いよ」
そう言ってライナを慰めつつ、彼の服の裾を掴んだ手は離さない。
私はライナが何か言う前に追撃を敢行した。
「でも、やっぱり心配だから、この際怪我は全部治した方が良いと思うの。 私の『光脈』の能力なら、ライナの怪我も治せるし」
「…………え?」
服の裾が引っ張られる。
でも離さない。
むしろ逆に私の方から距離を詰める。
「えっ…………と……あの………操……さん……?」
困惑を通り越して若干青褪めているライナが、顔を引き攣らせながら身を引いて逃げようとするが、流石に単純な腕力では私の方に分があるらしい。
服の裾を掴んでいなかったもう片方の手でライナの肩をガッチリ掴み、私はにっこりと笑顔になって見せた。
今はもう体調も回復したし、私の負担は考えなくても良いよね?
「……と、いう訳で、さっきの続きです。 ――――脱いで?」
「い、いや、待て! 操! 何がという訳なんだ!? 待っ………ギャー!!」
そうして、研究室内にライナの悲鳴が響き渡りつつ、夜が明けて行くのだった。




