85 もう一つの真実
正直に言うなら、私は始めてライナにあった時から彼に対して違和感を抱いていた。
初めて言葉を交わした当初から、私はライナという人に対して優しくて表情豊かな明るい人という印象を持っており、それは今も変わらない。
そして更に付け加えるなら、こちらが心配になる位に楽天的な考え方をする人だとも思っていた。
総じて、この危険極まりない状況となったグリーンフォレストでは……到底生き残れそうにない種類の人間に思える。
しかし、現実には彼は常人と掛け離れた戦闘能力を有しており、怪物が彷徨う街の中でたった一人無傷で生き残っていたのだ。
それだけではなく、一般人が知り得ない様な情報を知っていたり、専門的な技術が必要そうな機械類をさも当然そうに操作したりと様々な技能を身に付けている。
最初にライナが私に話してくれた彼自身の素性は『便利屋』だった事もあり、あの時の私はそれを疑問に感じつつも一先ず納得はした。
だが、ライナの元を一旦離れた後、私は何者かに………『花』の怪物ではなく人間に殺されたと思われる者達の遺体を発見する事になる。
死んだ彼らの記憶を読み取ってみても、彼らの命を奪った何者かの情報は何も得られなかったが、一切の感情を感じさせず無慈悲に手を下している事だけは理解出来た。
そうして『ブルーフィリア』が蔓延し、街中が危険地帯と化したグリーンフォレストにあって尚、標的と思われる人間を殺害して回る危険人物の存在を私は認識するに至る。
その直後、何故か私の脳裏に浮かんだのは………そんな無慈悲な殺人者とは真逆な存在である筈の、ライナの顔だった。
何故彼の顔が浮かんだのか分からない。
きっとライナではない。
私はそう自分に言い聞かせ続けた。
しかし、その様な考えが浮かぶ時点で、私はライナがあの無慈悲な殺人者であると確信してしまっていたのだろう。
だから、なのかもしれない。
ライナ自身にこうして事実を突き付けられても、ああ、やっぱりそうなのか、という程度の感情の揺らぎしか無かったのは。
疑惑を抱いた時点の私なら狼狽え動揺していたかもしれない。
だが、今の私にとってライナの正体が何であるかは、既に大きな意味を持っていなかった。
何故なら、ライナにとって私は私である様に、私にとってもライナはライナだからだ。
ライナが殺し屋だからと言って、今までのライナが変わってしまう訳ではない。
彼が実際どんな立場であれ、私にとってライナは心から信頼する人であるという事実は揺るがないのだ。
これまで私が折れかけた時、私を支えてくれたのはライナの言葉だった。
自分の存在に揺れる私を献身的に支え続け、再び立ち上がる事が出来る様にしてくれたのは、間違いなくライナだった。
私にはそれが嘘だったとは思えない。
……いや、仮に嘘だったとしても構わない。
それ程までに、私にとってライナは自らの心の大部分を占める存在となっている。
どんな事があったとしても、そしてライナがどう思ったとしても、私が想うライナは決して変わらない。
私の…………愛する人なのだから。
「……うん。 もしかしてそうなのかな……って位だけど」
「………そっか」
ライナの問いに、私は素直に答えた。
私にそう問い掛けて来たという事は、私が気付いているという事にライナも気付いていたのだろう。
何処か諦めた様な表情を見せたライナは、何かを逡巡するかの様に私から目を逸らしている。
ライナにしては珍しい……というより、初めて見る顔だった。
「……私にはよく分からないけど………そういうのって、話しちゃって良かったの?」
当たり前だが、世間的に殺し屋である等という事が知られればタダでは済まない。
それ故に自分の素性を知られない様に立ち回るものだと私は思っていたのだが、ライナは先程、自分の口で自らが殺し屋であると告げた。
その後に続けた、ライナが殺し屋である事を知っていた、という意味の私の言葉を否定する事も無く、暗に自分が殺し屋である事を認めたのだ。
一応、わざわざそれを相手に話す理由は幾つかあると思うが、最も考えられるのが………口封じをするつもりな場合だ。
………ライナは、どうするつもりなのだろう。
そんな考えが顔に出ていたのか、視線を戻して私の顔を見たライナがいつもの様な困り顔で私の考えを否定した。
「駄目かどうかで言うなら駄目だけど……だからって、操を殺す様な事はしないよ。 約束したし、何より………」
そう呟く様にして言いながら、ライナは私の顔を見た。
その目は真っすぐに私を見つめており、瞳の奥には一片の曇りも無い。
「何より、俺は操の事を殺すなんて事はしたくないよ。 ……まあ、殺し屋なんて仕事してる人間が言っても説得力無いと思うけど」
私に向かって微笑みながらそう言ったライナは何処か寂しげにも見える。
いつもと変わらず、困った様に微笑むライナ。
しかし……私にはそんなライナの表情が、いつもと違う様に見えていた。
それが私の『ブルーフィリア』としての何らかの能力なのか、これまでライナと行動を共にして来た事による勘なのかは分からないが、少なくとも………ライナは嘘偽りなく本心で話してくれていると感じられたのだ。
「ううん、そんな事ないよ。 正直に言うと、ほんのちょっとだけ驚いたけど……でも、逆に言えばそれ位かな。 ……私にとっても、同じだから」
「……同じ?」
訝し気にライナが聞き返す。
私はそんな彼に、若干の気恥ずかしさを覚えつつ自分の想いを正直に述べた。
「ライナは自分にとって私は私だって言ってくれたでしょ? それと同じで、私にとってもライナはライナなんだよ。 たとえライナがどういう立場の人だとしても、私にとってのライナが変わる訳じゃないから」
そもそも立場の話になるなら、私は立場以前に人間ですらないのだ。
ライナが殺し屋だったとして、それが何か私にとって問題になるのだろうか?
仮に問題になるとしても、私にとっては些細な事だ。
何故なら、ライナと共に居られるのなら、私にとっては何の問題も無いのだから。
………自分で言っておいて何だけど、重いなぁ私……。
「……なるほど。そう言われたら反論出来ないなぁ……」
私の言葉を聞いて呆れた様に笑うライナ。
と言うか反論って……。
「どうして反論しないといけないの? ………私と一緒に居るのは、やっぱり難しい?」
当然その可能性はあるだろう。
ライナはあの時、怪物になりかけている私と一緒に居るという選択をしてくれた。
自分の身が危険になる可能性が高いというのに、私の側にいてくれたのだ。
だが、あの時とは状況が大きく異なっている。
私は怪物になってしまうかもしれないどころか、最初から人間ではなかったのだ。
その様な存在と共に居る事を躊躇してしまったとしても何も不思議ではない。
しかし、ライナの口をついて出たのは私にとって予想外の内容だった。
「え? いやいや違うって! 逆だよ逆! 俺みたいな他人の命を糧にしてる様な人間が、操と一緒に居て良いのかって思っただけで……」
そう口にしてからライナはしまった、という様な表情でばつが悪そうに目を逸らした。
「え………どういう事?」
「………要するに、さ……操ってまだ生まれたばっかりなんだろ? まだ世の中の後ろ暗い部分に触れてすらいない……言ってみれば綺麗な存在だ」
ライナのそんな思ってもみなかった言葉に、私は素直に驚きの表情を浮かべる。
ライナが私をそんな風に見ているとは思っていなかったからだ。
勿論、嫌な気分などではないのだが………少し引っ掛かる。
ライナはそのまま言葉を続けた。
「そんな穢れの無い操に、殺し屋風情が関わったら……あんたを日の当たらない場所に引きずり込む事になるんじゃないかって、今更なんだけど後ろめたく………」
「そんな事ある訳ない!」
思わず私は叫んでいた。
自分でも思った以上に大きな声が出た事に戸惑いを覚えたが……今重要なのはそこじゃない。
「私がライナと一緒に居たいって思うのは、ライナが穢れてるとか穢れてないとか……そんな事とは関係ない。 私はライナだから一緒に居て欲しいって思ったの。 立場とか、過去とか………そういうものは私にとってどうでも良いの」
胸の内から湧いてくる言葉を、感情のままに吐き出して行く。
途中から自分でも何が言いたいのか、よく分からなくなってしまったけど……こうして言葉にする事でしか伝わらない事もある。
勿論、私はライナが殺し屋であるから穢れている等とは思っていない。
生きる為に命を奪う行為なら、ライナが言う所の生まれたばかりの私でも行っている。
命の価値に軽いも重いも無いのだ。
私もライナも、何も変わらない。
私にとって重要なのは………彼が『ライナ』という人間だという事なのだ。
「……ライナじゃないと私は嫌。 私はライナと一緒に生きて行きたい。 生まれも育ちも、生き方も関係ない。 ………それじゃ駄目?」
―――冷静になると、かなり恥ずかしい事を言っている気がする。
でも、これは私の偽りない本心だ。
ライナが私を大切にしてくれているのは嬉しい。
でも、私は私だとライナが言ってくれたのと同様に、私自身が特別な存在という訳ではない。
どこまで行っても私は『操』でしかないのだ。
だから、私に対してライナが遠慮する必要は無く、寧ろ遠慮されるのは………正直少し寂しい。
ライナは驚いた表情のまま私を見つめていた。
その目には若干の後悔の色が見えたが……すぐに表情を改め、天を仰ぐと盛大な溜息を吐いた。
「……いやぁ……何て言うか………」
頭を掻きながら呆れた様な声色でそう呟くライナ。
しかしそれは私に向けられた呆れではなく、寧ろ自分に対しての様な気がした。
「……今まで他人と深く係わらずに生きて来た事もあって、そういう事には疎いって自覚はあったけど………それにしたって、我ながら情けないな。 操にそこまで言わせちまうなんて……」
ライナは自嘲気味にそう呟く。
そして、再び私の目を真っ直ぐに見て言った。
「ごめんな、操。 次からは相談しようって言ったの俺なのに……また怖がって一人で結論出そうとしてたよ」
「……ううん、いいの。 ちょっと勢いに任せて色々言っちゃったけど、私もまだそういう所は伝えるのが下手だから……人の事は言えないよ」
ライナに偉そうな事を言っておいてなんだが、私もライナとの距離感を測るのが下手だ。
………と言うよりも、嫌われたらどうしよう、という後ろ向きな考え方が消えないのだ。
これに関しては『私』の生来の性格なのだろう。
「はは……そっか。 けど、本当に良いのか? 俺が殺し屋だっていうのは本当なんだぞ?」
「それを言ったら私なんて人間ですらないよ? しかも吸血鬼よろしく血を吸う怪物。 ……お互い様だと思うけど?」
寧ろ世の中に顔向け出来るかどうかで言ったら私の方が駄目だと思う。
生態だけで言ったら、確実に人類の敵枠だからね、私。
「………それもそうか」
「でしょ?」
そう言った後、私とライナは顔を見合わせて笑いあった。
先程までの緊迫した空気は何処へ行ってしまったのか……それでも、私達の心は晴れやかだった。
「……ね、ライナ。 今そんな事をしてる場合じゃないかもしれないけど……ライナの事教えて?」
「俺の事?」
「そう。 ライナが今迄どんな風に生きて来たか」
私はベッドに腰掛けながらライナにそう言った。
時間は既に深夜になろうとしている。
山を下りて研究所へ向かうにしても、明るくなってからの方が良いだろう。
なら、それまでは休憩しようと考えていた私は、その間にライナの事を知りたいと思った。
「それは……構わないけど、寝なくていいのか? ちょっとでも睡眠は取っといた方が良いぞ?」
「さっき寝たので十分! それよりもライナの話が聞きたいの。 あ、勿論ライナが休みたいならそっちを優先して欲しいけど……」
「いや、俺は大丈夫だけど………ま、良いか。 分かったよ。 だけど、聞いててあんまりおもしろい話じゃないかもしれないぞ?」
若干呆れた様にそう言うライナに私は頷いて見せる。
私は、ライナの事を……大好きな人の事をもっと知る事が出来ると思うと、眠気など何処かへ吹き飛んでしまっていた。
少女の様に胸を躍らせながらライナの話に耳を傾けつつ、一言も逃すまいと彼の話に聞き入った。
そうして、束の間の静かな夜は更けて行くのだった。




