83 新たな目覚め
本日2/3話目
気が付くと、私は暗闇の中に一糸纏わぬ姿でポツンと浮かんでいた。
周囲には何も無く、何の音も聞こえない。
黒一色の空間に私だけが存在していた。
以前、警察署で体調を崩した時に似た様な夢を見た事がある。
あの時同様、やはりこれも現実の光景ではないようだ。
何も無い闇の中をフワフワと漂う私は、しかしあの時とは異なり恐怖心は感じなかった。
―――これが夢だと理解しているからだろうか?
そういえば、あの時と異なって自分の体が植物に……花の根や蔦に変異して行ってしまう様な事も無い。
あの時見た夢は、自分が得体の知れない怪物に成り果ててしまうという恐怖から見た悪夢だったのだと思う。
しかし自分の正体を知ってそれを私が受け入れた為か、暗闇に浮かぶ私の姿は肉体に変異が起こる前の状態になっていた。
現実の私は損傷した肉体を再生する度に変異が進み、体の露出している部分だけでも顔の右半分、両腕の二の腕から先、左太腿の中程までが青緑色の植物質状に変わってしまっている。
衣服で隠れてはいるが、体全体で見た場合は……既に人間の表皮のままの部分の方が少ないだろう。
体がその様になってしまってからそう時間は経っていない筈だが、正常な状態の自分を見るのは随分久しぶりに感じる。
だからという訳ではないと思うが、天地も定かではなく、音も光も無い世界に一人ぼっちで漂っている今の状態を、私はむしろ心地良く感じていた。
穏やかな静寂に満ちた暗闇に身を任せる事は、私の擦り減り切っていた心身を癒してくれている様な気さえする。
実際、ここまで気を張り詰め過ぎていたのだろう。
夢の中とは言え、体の力を抜き意識を緩め切る事が出来た事で、私は体の内側から浄化される様な心持だった。
――――――――いや、やっぱり夢にしては感覚がリアルな気がする。
そう思った瞬間、私の視界に光が差した。
思わず光の元を視線で辿る。
視線を向けた先、私の頭上にあったのは、青く輝く光の塊だった。
淡く、しかし確かな強さで輝く光は規則的に明滅を繰り返している。
周囲が暗闇一色なので分かり難いが、ゆっくりとこちらに向かって来ているようだ。
実際にはこちらへ近づいて来ているのか、それとも私が近付いているのかは分からなかったが、不思議と危険な物ではないという事が理解出来た。
青い光の塊が私の目の前やって来ると、その光の明滅が強くなった。
まるでそれは脈打つ心臓のようであり、光を受けた私は思わず自分の胸元に手を当てた。
すると、胸元に当てた手の平から自分自身の心音が確かに伝わって来る。
この時点で私は、今自分が見ている光景がただの夢ではないと理解した。
――――と、私が自分の状態を認識した途端、目の前に浮かんでいた青い光の塊が吸い込まれる様に私の胸の中に消えて行った。
突然の事に反応が出来なかった私は驚き固まってしまうが………光が胸に吸い込まれた直後、体の中で心臓ではない何かが脈打った。
「――――――!」
全身に熱が満ちる。
しかしそれは不快な熱さではなく、身体中に活力が漲る様な感覚だった。
そして同時に、先程体に吸い込まれて行った青い光の脈動を感じる。
トクン、トクン、という強く穏やかな息遣いが私の身体を巡っている。
物理的な鼓動ではなく、エネルギーの流れを感じると氷原すれば良いのだろうか?
全身に血管とは違う『回路』を通って浸透する青い光の鼓動が、私の身体と一体化した様な感覚―――。
そうして、私は漸く理解した。
私はやっと、本来あるべき形になる事が出来たのだ、と。
「………ん…………」
唐突に意識が覚醒する。
ぼやけた視界がはっきりとし出し、明かりで照らされた部屋の天井が映った。
(夢……じゃないよね。 ……精神世界……みたいな物なのかな)
体に残る熱は、あの暗闇の中で感じていたものそのものだ。
徐々に収まりつつある体の熱さを感じながら、私は大きく息を吸った。
その瞬間に違和感を―――いや、体の変化に気が付いた。
ただ呼吸をしただけ。
それだけだというのに、私はその感覚に酔いしれていた。
体の隅々まで何かが行き渡って行く様な……そんな初めての感覚が私の体を満たしていた。
私は自分自身の身体に何が起きたのか分からず困惑する。
そうしてベッドに横になったまま、思わず顔を手で覆う。
意識を失う直前の記憶が曖昧だ。
確か、ライナから血を貰う事になり、急激に血が体に満ちて行った影響で過剰反応が出て……。
そこまで考えた所で気が付いた。
ライナから血を分けて貰う為に生じさせていた蔓が腕から無くなっている。
なら、ライナは?
彼は無事なのだろうか?
ベッドに横になった状態だった私はそのまま周囲に視線を巡らせるが、室内にライナの姿は無い。
ただ、私が眠りに就く直前は起動していなかった、机の上のPCが起動しているのが見えた。
ライナが起動したのだろうか?
それなら彼は何処に行ってしまったのだろう?
少なくとも、私の体調は劇的に改善している。
ライナから血の提供を受けた事で消耗した体力を回復する事には成功したようだ。
だがそれはつまり、相当量の血をライナから吸血したという事で……。
途端に体が冷えるのを感じた。
まさか、私が血を吸い過ぎてライナの身に何か起きてしまったのでは?
当初思い浮かんだ懸念が頭の中で再燃し、恐怖心が全身を支配する。
私は背中に冷たい汗が噴き出すのを感じながら、ベッドから起き上がろうとした。
「ライ………えっ?」
そうして、起き上がりながらライナの名前を呼ぼうとした所で………私の視線は自分の手に釘付けになった。
そしてほぼ同時に部屋の扉が開く音が耳に届く。
「おう、操、起き…………え?」
扉から入って来たのは勿論ライナだ。
室内に姿が無かった為、何処に行ってしまったのかと思ったのだが、何やら大量の何かを詰めた箱を抱えていた。
しかしその表情は驚きに染まっており、視線を私に向けたまま固まっている。
無理もないだろう。
私もその理由を理解しているが、あまりにも予想外だったのだから。
「操、それ………っていうか、あんたの手とか顔…………治ってないか?」
立ち上がろうとしてベッドに着いた自分の手。
それは、本来なら変異を起こしてしまい、植物質の表皮に覆われた異形の見た目となった手がある筈だった。
しかし、私の視線の先にある自分の手は、元の人間同様の地肌をした手になっていた。
そして変化はそれだけではない。
手で顔に触れてみるとライナの指摘通り、変異を起こしていた筈の顔の右半分も元の状態に戻っていた。
慌てて他の変異を起こしていた体の部位も確認してみるが、少なくとも外見上において植物質の表皮に覆われてしまっている様な部分は無くなっていた。
「体が……元に戻った?」
そこまで考えてから、もしや体の状態が元に戻ると同時に、『ブルーフィリア』としての能力も失ってしまったのでは、と思い至る。
試しに、恐る恐る自分の右腕に『籠手』を生成してみると………問題なく右腕が植物装甲に覆われた状態に変化した。
しかし、私はまずそのスムーズさに驚いた。
これまで腕を『籠手』で覆った時に完全に腕が覆われるまでの時間が遅いと感じた事は無い。
私が意識した途端、瞬く間に腕の形状が変化し、装甲に覆われた状態に変化していたのだ。
しかし、先程の『籠手』を生成する速度はそれと比較しても明らかに高速化されており、体に感じる違和感も全く無かった。
それこそ、呼吸をするのと変わらないくらい自然に能力を行使する事が出来たのだ。
私はもう一度腕の状態を元に戻すよう意識してみた。
すると、先程と同じく瞬きする間もなく腕の状態が変化し、元の人間同様の外見に戻ったのだった。
(……能力の動作がスムーズになってる?)
そう考えつつ、私は自分の体に所謂全能感の様なものを感じていた。
今の私なら何でも出来そうな気さえする。
自分で言うのもあれだが、自己肯定感の低い私にしては有り得ない様な心持ちだ。
とはいえ、外見上は晴れて元の姿に戻った訳だが、『中身』の方は………より人外っぷりが増した様な気がする。
正確に表現するなら、体が馴染んで最適化された……と言うべきかもしれない。
「大丈夫なのか? 見た目、戻ったのは喜ぶべきだろうけど……」
手にしていた箱を床に置いたライナが、いつの間にか側にやって来てそう言った。
確かに、元の姿に戻る事が出来たとはいえ、突然体に変化があったという意味では懸念が無い訳ではない。
しかしこの場合、変化が起きた原因は明らかだろう。
「多分……ライナの血を貰ったからだと思う。 正確には人間の血を……だけど」
状況的にそれしか考えられないだろう。
酷く消耗していた私の身体が、本来『ブルーフィリア』が必要とする人間の血液を急激に摂取したせいで、あの様な過剰反応が起きたと私は考えている。
つまりそれだけ私にとって……『ブルーフィリア』にとって、人間の血という物は重要な要素なのだ。
劇的に体力が回復し、身体的な能力や私自身が持つ特殊能力の精度が向上しているとしても不思議ではない。
……ただ、それでどうして今更、変異を起こしていた体の状態が元に戻るのかは分からないのだが。
「なるほど……まあ、それしかないか。 けど良かったじゃないか。……気にしてたんだろ?」
そう言って、ライナは自分の身体の状態を確かめる私の顔を覗き込んだ。
そして、変異してしまっていた私の顔の右半分の部分を、私の髪を手で退かしながら確認する。
突然のそんなライナの行動に私は体を硬直させてしまった。
「あ。わ、悪い。 つい……」
ライナも直後に自分の行動が少々デリカシーに欠けると気付いたのか、慌てて手を引っ込めた。
こういう所は考える前に行動しがちだよね、ライナって。
まあ、私は気にしないけど。
…………………本当に気にしないよ? うん。
「ところで、何処に行ってたの? それにその箱は……?」
……と、微妙な雰囲気になってしまった空気を変えるべく私は口を開いた。
勿論理由はそれだけではなく、言葉通りライナが何処へ行って何をしていたのかが気になったからでもある。
先程ライナが抱えて持って来た箱の中にはどうやら……缶詰などの保存食が詰め込まれているようだ。
それに、机の上のPCの電源が入っているのも気になる。
私がそう問い掛けると、ライナは少々態とらしく咳払いした後、質問に答えてくれた。
「あ、ああ、これな。 操が眠った後に建物の中を一応調べて回ってたんだけど、その時に食糧庫を見つけてさ。 ……丁度腹減ってたし、幾つか貰って来たんだ」
ライナが言うには、私が眠ってしまった直後に私とライナの腕を繋いでいた蔓は自然に抜けてしまったらしい。
蔓はそのまま私の身体に戻って行き、私の顔色は明らかに良くなっていたそうだ。
ライナは暫く私の様子を観察していたが、眠っている以外は特に異常は見られないので、取り敢えずその間に室内を調べる事にした。
一通り部屋の中を調べた後、ある意味一番目立つ存在である机の上のPCを調べようとしたのだが……その途中で空腹感に気が付いたのだという。
「考えてみたら、朝から何にも食べてなかったしな。 流石に若干貧血気味だったし……」
そう口にしてからしまったという様な顔を浮かべたライナは、慌てて私に訂正して来た。
「あ、いや、大丈夫だぞ? 本当に若干だから!」
そう言ってくれるライナだが、実際の所、私は結構な量の血をライナから吸血してしまったと思う。
ライナの様子を見るに、大丈夫と言うのも嘘ではないとは思うけど……それでも彼には随分と負担を掛けてしまった。
「言っただろ? 体力には自信あるって。 この位よくある事だし、肉食って補給しときゃ何ともないって」
「……………」
そう言ってライナは持って来た缶詰類の入った箱を指差した。
確かに、箱に入っている物は肉類の缶詰が多いようだ。
補給すれば問題ないとは言うが、それだけで本当に大丈夫なのだろうか?
……いや、無茶をしたのは私も同じか。
自分の体調の悪さを誤魔化し続けた私がライナの事だけを責める事は出来ない。
……あれ? そもそも、ライナを心配するのは責めている事になるの?
いや、そうではなく――――。
「………うん、ありがとうライナ。 心配掛けちゃってごめん。 お陰で体の状態は……寧ろ前よりずっと良くなったよ」
色々と言いたい事が頭に浮かんだが、とにかく私は今最も言うべき事をライナに告げた。
体調が改善するどころか元の状態以上に強化された体は、まるで羽の様に軽く感じる。
私の身体が今の様な状態に回復する事が出来たのは、自分の血を私に提供してくれたライナの献身的な行動のお陰だ。
なら、ライナに私が今かけるべき言葉は、後ろ向きな謝罪の言葉ではなく、前向きな感謝の言葉だろう。
実際、私はライナに心から感謝していた。
ここ暫く感じていた不調が一気に改善され、晴れやかな気分となった事で私は素直にその気持ちをライナに伝える事が出来た。
そんな私の様子にライナは若干驚いた様な顔を浮かべた後、柔らかな笑みを浮かべて私の言葉を受け取ってくれる。
「……どういたしまして。 顔色も良くなったし、安心したよ」
そんなライナの言葉を聞き、私は今まで自分の性格を後ろ向きな性格だと思っていたが、ここへ来てようやく前向きに考える事が出来た様な気がしたのだった。
「ええっと……ところで操。 念の為確認なんだけど、体調はもう大丈夫なんだよな?」
……と、お互いの状況確認が出来た所で、念を押す様にライナが確認して来た。
まだ何か心配な点があるのだろうか?
「え? うん。 寧ろ元々より調子が良い位だよ?」
私がそう答えるとライナは「そっか」と言って若干目を泳がせた。
心なしか顔が少し赤い様な………?
「えっと、そんなら…………服、どうにかした方が………良いんじゃないかな」
「…………え?」
そう言われて私は今の自分の格好を思い出した。
『花樹狼』こと『鼠のアル』との戦闘で、私の服はボロボロの状態だったのだ。
辛うじて際どい部分は覆われてはいるものの、服と言うよりは布切れが体に纏わり付いているだけとも言える状態だった。
特に胴周りは丸出しの状態であり、胸回りのみギリギリ見えていないと言った有様だ。
……種類によっては水着の方が露出度が少ないのではないだろうか。
尤も、ライナには製材所からこの研究所へ来るまでの間に十分過ぎる程に見られているので……今更な気もする。
だが、体調が回復して精神的に余裕が出来たせいなのか、改めて認識すると顔が耳まで熱くなって来るのを感じた。
「………………そ、そう、だね……」
しどろもどろになる程ではないが、ライナの顔を見る事が出来ない。
手遅れではあるが、思わず体を抱き締める様に手で隠して縮こまる。
やっぱり慣れない。
…………いや、慣れちゃダメか。
頭の中でそんな事をぐるぐると考えていると、顔を逸らしたライナが再び咳払いをした後に何かを差し出して来た。
顔を上げてみると、それは今私が着ている……着ていたのと同じ様な服だった。
……いや、同じ様な、ではなく全く同じ服だ。
一体何処から見つけて来たのだろうか?
「あー……建物の中を調べてる時に見つけたんだ。 流石に操、ずっとそのまんまじゃ嫌だろ?」
疑問が顔に浮かんでいるのを察したらしいライナが説明してくれた。
横を向いた状態でよく分かるなぁ……。
と言うか、よく考えたら体調が戻っているのなら、能力を使えば修復出来るのでは?
「……一応言っとくけど、能力使って服を治すのは今は無しな? 回復したって言っても病み上がりではあるんだからな」
そんな事を考えていたら、ライナに釘を刺されてしまった。
私は若干ばつの悪い顔をしながら、大人しくライナが差し出してくれたその服を受け取った。
「あ、ありがとう……」
でも受け取ったはいいけど、何処で着替えれば良いんだろう?
流石にこの研究室に更衣室なんて物は無いし。
そう思っていたらライナから思わぬ提案があった。
「……ついでだからシャワーでも浴びて来たらどうだ? 地下水路通ったり、山ん中歩き通しだったりだろ? この建物の中の安全は確認したし、外から怪物共が入って来れない様にしたから休んでも大丈夫だぞ」
そう言われて気が付いたが、確かに警察署へ辿り着くまでの間は小休止を挟む位で、後は地下水路の様な衛生的とは言えない場所を膝まで水に浸かった状態で進んで来た。
そしてそのまま今度は得体の知れない薬品が保管された倉庫、『花』に半ば取り込まれていたホテルと来て、ほぼ整備されていない山道を怪物の群れに追われながら走り抜けて来た。
意識してみると、今の私は汗や泥、そして自分や怪物の血で汚れてドロドロの状態だった。
今迄は変異した体のせいで目立たなかったが、元の姿に戻る事が出来た事でそうした汚れが目に付く様になってしまっていたのだ。
そして一度その様に意識し出すと、自分の体からそうした諸々が混じり合った独特の臭いがしている様な気がして、肌が露わになった自分の姿を見られる以上の羞恥心が全身を駆け巡った。
「………ッ……!!?…………い、行ってきます……!!」
私はそう言うのがやっとだった。
そして、申し訳なさそうな顔をしているライナの視線から逃れる様に、受け取った服を抱えて部屋から飛び出して行くのだった。




