78 言葉無き再会
流行り病にやられて寝込んでおりました……
建物周辺の僅かな明かりで浮かび上がった室内。
彼は、リビングと思われる部屋に置かれたソファーに項垂れる様にして座っていた。
―――アレン・カーティス。
『ブルーフィリア』の最初の発見者であると同時に、桜木操博士の……恋人。
グリーンフォレストの街を襲った異変、そのきっかけとなった事件の中心人物の一人であり、その後は行方不明となっていた人物。
いつかどこかで見つけてしまうかもしれないとは思っていた。
しかし、よりにもよって……。
「……大丈夫か? 操」
ライナにそう声を掛けられ、私はようやく目の前の光景から視線を外す事が出来た。
自分でも無意識の内に体が強張ってしまっていたらしい。
胸の内に去来する、何とも形容しがたい複雑な感情の嵐に晒されている私には、そんな事にも気付けなかった。
だが同時に、そんな激しい感情の波が本来の自分の物ではない事も、今の私には理解出来ていた。
「………うん。 ……ごめん、ライナ。 降ろして貰っていい?」
私がそう告げると、ライナは一瞬躊躇したものの、そっと私を地面に降ろして立たせてくれた。
製材所跡からここまで一切自分の足で歩いて来なかったお陰か、体調は随分良くなっている。
まだ少しふら付くが……ただ歩く分には問題ないだろう。
歩いて建物に近付き、ウッドデッキの短い階段を昇る。
私はその場で深呼吸すると、一歩ずつ、開いたままになっている室内へ繋がる窓へ………アレンへ近付いて行く。
……背後からライナが付いて来る気配がある為、申し訳ないけど周囲の警戒等に関しては頼らせてもらう事にする。
正直言って、今の私にはそこまで気を回す余裕が無いのだ。
ゆっくりと歩を進めて行き、遂にウッドデッキと室内を隔てる窓ガラスの前までやって来た。
距離としては全く遠い距離等ではないのだが、別荘の建物前からウッドデッキの階段を上がってデッキを歩いて来るだけで、途方もなく長い時間を費やして来た様な感覚を覚える。
明かりの点いていない薄暗い室内の様子は分かり難いが、部屋の奥のソファーに座った状態のアレンの姿がはっきり見えている。
私は意を決して窓のサッシに手を掛け、力を込めて横にスライドさせようとする。
すると、思ったよりも簡単に窓のサッシが動いた。
大きな、しかし分厚くは無い窓サッシが殆ど音も立てずにスーッとスライドして行く。
そうして開けた室内への入り口に立ち、私はもう一度深呼吸をした。
心臓の鼓動が耳元で煩い。
ここから一歩を踏み出すのにすら、膨大な量の気力を消費しなくてはならない様な気がする。
実際、意を決して足を踏み出してみれば、私の身体は鉛の塊になってしまったかの様に重たい。
それでも何とか一歩ずつ足を動かして室内に踏み入って行く。
しかし、アレンが座るソファーからやや離れた場所まで来た所で私の足は止まってしまった。
見えてしまったからだ。
床に、そしてアレンが座るソファーに広がる血痕が。
そして直後、パチリ、という音と共に部屋の明かりが灯された。
思わず顔を音のした方に向けると、そこには室内の明かりのスイッチを操作したらしいライナの姿があった。
気遣わしげな表情で私を見ていた彼の視線が、私からソファーの方へ向く。
そこにある、ソファーに座ったままの死体に。
まるで眠っている様な姿だった。
体のあちこちに傷があり、破いた布を巻きつけて応急処置を行った痕も見られるが、全体的にそれ程損傷はしていないように見える。
だが既に血の気の失せた肌の色は彼がもう生きていない事を如実に表していた。
――――恐らく、そうなのではないかとは思っていた。
街の状況、怪物の存在、桜木博士の音声記録から得た情報。
今まで入手して来た様々な情報から、私は既にアレンが生きていない可能性が高いと判断していた。
サイディス社の研究所での一件の後、行方が分からなくなっていたアレンが今もまだどこかで生き残っているとは到底思えなかったのだ。
そもそも、アレンは桜木博士の婚約者であり、私にとっては記憶の中にこそ存在しているが初対面の人間だ。
言ってしまえば彼は私には直接関係のない人間であり、私が何かしらの特別な感情を抱く理由は無い。
――――だが、それでも私の頬を涙が一筋伝うのは、私の中に残る桜木博士の記憶故だろうか?
頭が痛い。
喉が渇く。
耳鳴りがする。
私の内にある私ではない部分が感情のままに叫ぼうとしている。
これは私ではない。
私の感情ではない。
そう認識しても尚、私の何かが泣き叫ぶように私を責め苛んでいた。
それはきっと、アレンに会えなかった桜木博士の最後の悲しみなのだろう。
――――喉が渇く。
「操」
呆然と立ち竦み無言で涙を流す私の耳に、ライナの声が届く。
声色からすると、私に何が起こっているのか分かっているようだ。
私は目を瞑って再び深呼吸すると、溢れ出た涙を腕で拭う。
そして、ライナに顔を向けると、痛ましそうにこちらを見る彼と目が合った。
「……ごめん、大丈夫。 …………桜木博士の記憶が甦ったみたい」
そう言って私は笑顔を作った――――つもりだが、もしかするとちゃんとした笑顔になっていないかもしれない。
最愛の人を失った桜木博士の感情が渦巻く状態は、思った以上に私の心を掻き乱していた。
「……婚約者だったんだろ? 仕方ないって。 ………辛そうなら出るか?」
そう言ってライナは外を示す。
彼の気遣いは正直嬉しかったが、それだけは出来ない。
その場合、建物の中の探索はライナに頼む事になってしまう。
この場所には目的の『最初の一輪』の細胞だけではなく、私の知らない私についての情報もある筈だ。
何よりも――――私には、私の中にある桜木博士の記憶との折り合いを付ける為に、どうしてもしなくてはいけない事がある。
「ううん。 平気。 ………ただ、どうしても確認したい事があるの」
「……確認したい事?」
疑問符を浮かべるライナを横目に、私は膝を付いてアレンの側に腰を下ろした。
そして、力なく放り出されたアレンの右手を両手で包み込むと…………両腕から何本もの青緑色の蔓を彼の腕に向けて伸ばした。
「え、おい、大丈夫なのか? そういう事するのもエネルギー使うんだろ?」
ライナが若干慌てた様な口調で問い掛けて来る。
ライナの言う通り、消耗した今の私には蔓を伸ばすだけでも結構きつい。
だがそれでも私は…………私の中の桜木博士の記憶は、彼の、アレンの最後の記憶を知りたがっていた。
アレンだけではなく、桜木博士も既にこの世にはいない。
だから厳密には二人はもう二度と会う事は出来ない。
私の中にあるのは桜木博士自身ではなく、彼女の記憶の一部……残留思念でしかないのだ。
それは桜木博士の欠片、或いは残滓とでも言うべき物であり、それを私が慮ったとしても桜木博士自身の無念が晴れる訳ではない。
しかしそれでも……いや、だからこそ………。
「……せめて、アレンの最後の記憶に触れさせてあげたいの。 離れ離れのまま……会う事も叶わないなんて悲し過ぎるよ」
これは儀式の様なものだ。
既に死んでしまった二人の為に、今を生きている私が出来る、弔いの儀式。
直接言葉を躱す事すらなかった二人の為に、私がここまでする理由は本来なら無いのかもしれないが、それは今更だろう。
私には関係ない事だと割り切るのは、『ブルー』の暴走を止めて欲しいという桜木博士の願いを聞いた時点で不可能なのだ。
その感情も桜木博士の記憶の残滓が齎したものと言われればそうかもしれないが、少なくとも私はそれでも構わない。
彼女のアレンに対する愛情の深さは、それ程のものだと既に私も知っているのだから。
伸ばした蔓が冷たくなったアレンの手に巻き付いて行く。
やがて、蔓が手の殆どを覆い尽くした所で『接続』が開始された。
最期の瞬間に、彼は……アレンは何を思っていたのか?
死した彼が最後に遺した声を求めて、私の意識は記憶の世界へと潜って行った。




