77 家路
「う………」
鼠のアルを看取った直後。
体力の限界が来たのか、立ち上がろうとした所で私は急激な眩暈に襲われた。
肉体の損傷に関しては歩ける位には回復しているが、体力的には今もギリギリの状態だったらしい。
朦朧とする意識の中で何とか足に力を籠めようとするが……その前に背後から抱き留められた。
「おっ……と! あっぶねー………操、大丈夫か?」
「あ……うん。 ありがとう、ライナ……」
いつの間にか私のすぐ傍まで接近して来ていたライナは、私がふらついた所で素早く駆け寄って私の身体を受け止めてくれたようだ。
そこまで考えて私は、背後に接近して来たライナの気配にすら気が付けていなかった事に思い至る。
……これは、思った以上に消耗しているかもしれない。
「……こいつ、知ってる奴だったのか?」
ライナが彼……鼠のアルの事を聞いて来た。
私が彼に語り掛けていた声は聞こえていただろうから、疑問に思うのも当然だ。
「……私じゃなくって、桜木博士が……ね。 この子にどうしても伝えないといけなかった事だから……」
「………そっか」
そんな言葉を交わしていると、眠る様に横たわる鼠のアルの身体が徐々に萎れ始めた。
命の尽きた『ブルーフィリア』は皆こうやって土に還って行く。
……いつか、私もこうなるのだろうか?
「………で、操は大丈夫なのか? その……服とかもそうだけど、操自身もボロボロだし……すごい事になってるぞ?」
私の今の格好を見て、若干言い難そうにしながらも私の怪我の状態を心配するライナ。
……まあ、今の私の姿を見て、問題ないとは誰も思わないだろう。
光の砲撃を防御はしたとはいえ正面突破した結果、体中を『青い光』に焼かれてしまったのだ。
高熱に晒されたわけではない筈だが、肉体に起きた現象としては火傷に近い状態であり、皮膚のあちこちが焼け爛れた様になってしまっている。
今の私は体中が変異を起こしており、顔の左半分から首・胸元に掛けて以外の場所は殆どが植物質の表皮に変わってしまっているのだ。
その上で『青い光』によって肌が焼け爛れた様な状態になっているので、どう見ても無事と言える状態ではない。
更に、鼠のアルとの戦いの中で消耗したエネルギーを補給する目的でその血肉を喰らった結果、私の身体は以前にも増して変異を起こしていた。
戦闘が終わった直後の段階で最も損傷が激しかったのは『翅の突撃槍』と同化させていた左腕だ。
一番外側の装甲部分になっていた『翅』によって光の砲撃を防御した訳だが、砲撃の威力をもろに受け槍自体が『青い光』に浸食された結果、槍を構成する植物細胞が破壊されて崩れ落ちてしまった。
そして、当然の事ながら突撃槍と同化させていた左腕もタダでは済まなかった。
突撃槍の様に崩れ落ちてしまう様な事にはならなかったが、どうにか腕の形を保っているだけの状態であり、指先を僅かに動かす事も出来ない状態となっている。
そんな状態の左腕も私の身体に備わっている再生能力によって徐々に修復されて来ているのだが……修復に伴って、左腕全体の異形化がより一層進んでいるのだ。
具体的には、植物質の外皮に覆われるだけではなく………左腕全体が歪な形に変化して肥大化しつつある。
その外見は人間の腕と言うよりも、樹木に出来た瘤の集合体から植物の葉や蔓が生えて絡み付いている様な見た目だ。
青緑色の塊であるそれは、どう見ても人間の体にあって良い物ではなく………血管めいた物が浮き上がったそれは、何というか、グロテスクとしか言いようがない。
それでいて体の方は『人間の腕』の様に形を無理矢理整えようとしているらしく、それ故に却って余計に不気味な形状の腕となってしまっていた。
ライナが心配そうな表情を向けて来るのも仕方がないだろう。
「……体調って意味でなら、体力を大分消耗してるけど大丈夫だよ。 体の状態に関しては………どうかな」
実際のところ、このまま肉体の変異が進んでしまった場合、私自身がどうなってしまうのかは分からない。
肉体的には著しい異常が発生しているのだが、精神的には変化が無いのだ。
その為、最終的に行き付く先が人の姿を完全に失った異形だとしても、精神面は人のままという事も有り得るかもしれない。
………もし本当にそうなったら……どうやって生きて行こうかな。
「……何か不穏な事考えてるっぽいけど、体の変化って怪物の血を取り込んだら起きるんだろ? だったら、これ以上血を取り込まなくても良い様にしなきゃ駄目だぞ」
ライナが眉間に皺を寄せてそんな事を言う。
確かにそれが一番の安全策だが…………強敵相手に私の実力で無傷で勝利しろというのは難しい注文だ。
実戦で負傷しながら戦闘経験を積み、尚且つ相打ち上等の特攻で一発逆転を狙うのが常となってしまっているのは、私も良くないと思ってはいるのだけど……。
「……努力はするよ。 私、特殊能力があるとはいえそんなに強くないしね」
私がそう言うと、ライナは微妙な顔を浮かべて溜息を吐いた。
「……あのな、そうじゃなくて、一人で戦わなけりゃ良いだろって事だよ。 戦えるのは操だけじゃないんだぞ。 まあ、今回は合流遅れちまったけどさ……」
ライナにそう言われ、私はまた一人で戦う事を前提に考えていた事に気が付く。
彼に「頼れ」と言われたのを、無意識に忘れようとしてしまっていたらしい。
私がライナを守ろうとした様に、ライナも私を守ろうとしてくれているという事を私は受け入れたのだ。
ならば、そんなライナの想いから逃げてはいけない。
私も彼も、相手の事を想っているのは同じなのだから。
「そっか……そうだね。 ごめん。 ありがとうライナ」
私がそう返すとライナは少し驚いた顔をするが、すぐに微笑むと私の頭にぽん、と手を置いた。
突然の小さな子供に対して行う様な行為に若干の不満を覚えてライナを睨む。
しかし、安堵した様な穏やかな表情のライナを見ると、何故かこの様な扱いも悪くないと感じてしまうのだった。
「……さて、と。 流石にいつまでもここにいる訳にも行かないし、そろそろ行くか」
私がつい頭を撫でてくれるライナの手の感触を堪能してしまっていると、ライナが辺りを見回しながらそう言った。
確かにこのまま製材所跡に留まる理由はもう無い。
鼠のアルが率いていた『礫花』は恐らくもう生きている個体は居ないと思うが、彼らが居なくなった事で他の『花』の怪物が山に入って来る可能性もある。
移動するなら今の内だと思われる。
「そうだね、製材所の建物裏が別荘地帯の真下……なんだよね?」
「さっき、崖を登って来た時にチラっと見えたけど、上に登れる階段があったぞ。 あそこから別荘地帯に行けるみたいだな」
そう言いつつ私達は視線を製材所跡に向ける。
今だに製材所の建物からは火の手が上がっているが……流石に最初に比べると火勢はかなり落ち着いて来ている。
全て燃やし尽くして、もう燃える物が無くなりつつあるとも言えるが……。
「それなら行ってみよう。 アルが『花』の怪物をこの近辺に寄せ付けてなかったみたいだから、上がどうなってるかは分からないけど……」
「ま、行ってみれば分かるだろ」
そんな風に言葉を交わしながら私とライナは製材所跡の方へ歩き出す。
しかし、数メートルもしない内に、私の足がもつれてしまった。
「きゃっ!」
「っと……おいおい、大丈夫か?」
先程と同じ様にライナが転びそうになった私を受け止めてくれる。
相変わらず反応が速いなぁ……。
「ご、ごめん……やっぱりまだちょっと足に力が入らないみたい」
時間が少し経ち、体の再生も進んだと思っていたのだが、思ったよりも回復が遅い。
先程少しだけ歩いた時はゆっくりと足を動かしただけだったので問題なかったが、普段の速度で歩こうとした途端動きが鈍ってしまった。
「やっぱり自分の血が足りないと体の修復も時間が………わっ!?」
言い終わる前に私の身体が宙に浮く。
ライナが私の膝裏に手を差し込んでひょいと持ち上げたのだ。
「え、あ、あの、ライナ?」
「こっちの方が速いだろ? 前にもやった事あるしな」
言うや否やそのまま私を横抱きにした状態ですたすたと歩き出すライナ。
まさかのお姫様抱っこ再びである。
以前、水路から脱出したばかりの時にもこの状態で運ばれた事があるので、あの時に比べれば衝撃は小さい。
………が、だからと言って慣れている訳でもない。
「あの、でも」
「いいから大人しく運ばれとけって。 怪我人みたいなもんなんだから」
「あう………」
一理ある……どころかぐうの音も出ない。
諦めた私は以前と同じ様に顔を真っ赤に染めながら、荷物となってライナに抱えられて運ばれるのだった。
私を横抱きの状態で抱えたライナは、そのまま未だ燻り続けている製材所跡を横切って奥へと進んで行く。
かつて製材所の一部だった建物の内、最も大きな建造物は完全に燃え落ちており既に残骸としか言えない状態になっている。
ライナはそんな建物の残骸を器用に避けつつ、時には残骸の上をひょいひょいと飛び越えて行った。
……重ねて言うが、私という手荷物を抱えたままである。
製材所の周辺は『礫花』との戦闘の影響で地形が変わってしまった場所もある他、元々斜面と言うか崖になっている場所に面している一角もある為、確かに突っ切った方が速いと言えるだろう。
しかしだからと言って、残骸の上をアスレチックの様に跳んで通過する必要はあるのだろうか?
一切手を使わずにぴょんぴょんと建物の残骸の上を進んで行くライナの姿は、何となく大型の猫科動物を連想させる身軽さだ。
と、そんな事を考えている内に建物の残骸だらけになっていた製材所の敷地を抜ける。
製材所の建物裏手はちょっとした広さのあるスペースがあり、物置らしき小屋がいくつか設置されていた。
こちらには辛うじて火の手が及んでいなかったようで、敷地の周囲を囲んでいる壁も煤が付いてはいるが無傷で残っている。
そんな壁の一角に通用口と思われる、人一人が何とか通る事が出来るサイズの扉が設置されていた。
壁で遮られて向こう側は見えないが、先程のライナの言葉通りなら、ここから別荘地帯に登っていける階段へ繋がっている筈だ。
私を両手で抱えたまま、器用に扉を開けて先へ進むライナ。
扉の先は右手側が斜面になっており、正面に向かって緩やかな短い坂が伸びていた。
そしてその先に、錆が浮いた……というより錆に包まれた鉄格子の扉があり、そのすぐ向こう側に上へと続く階段が伸びている。
どうやら長年使われていないらしく、錆び切った鉄格子は元より階段もひび割れたコンクリートの隙間から生えた草に覆われていた。
鉄格子に近付くにつれ、その荒れようからまともに開くのかという懸念が頭の中に浮かんで来る。
というか、よく見れば鉄格子の下の部分が地面に埋まってしまっている。
風雨に晒され続けた結果、泥が降り積もって埋まってしまったのだろうか?
理由はどうあれ、これでは鉄格子を開ける事は出来ない。
「ズタボロだな本当に………。 何の為の通路なんだこれ?」
階段を見上げながらライナが独りごちる。
確かに、普通に考えれば製材所と別荘地帯を結ぶ必要があるとは思えない。
しかし、かつて林業が盛んであった時代の施設である製材所の事を考えると、別荘地帯の方が後に作られたのだろう。
となれば、別荘地帯を作る為の作業時に使用していた連絡通路の様な物だったのではないだろうか?
「別荘地帯を造ったか切り開いたかした時に作った作業員用の通路なんじゃない? 流石に木材をここから運ぶのは無理があるし……」
抱き抱えられたまま無難な推測を口にした私に対し、ライナは苦笑しつつもその意見に賛同した。
「そんな所かなー……いつから放置してんだ&ちゃんと手入れしろ、って言うお馴染みの文句は置いておくとして」
そこに関しては私はもう気にしない事にしている。
古い街と言うのは、得てしてそんなものなのだろうから。
私達は荒れ果てた階段を上って上を目指す。
……正確には、私はライナに抱き抱えられたまま荷物として運ばれているだけだが。
下部が山の土に埋まってしまった鉄格子をどうやって開けようかと考えていた所、ライナがおもむろに錆びた格子を蹴った。
それ程腰の入っていない適当な蹴りに見えたのだが、扉に付いている錆びた格子はボキリという分かり易い音を立ててあっさり折れてしまった。
どうやら見た目以上にボロボロの状態だったらしい。
私達にとっては障害が簡単に取り除けたという事で助かるのだが………いや、深くは考えないでおこう。
ともかく、私とライナは山の斜面を削って作られたコンクリート製の階段を昇って行く。
途中で踊り場を挟んで折り返し、上へ上へと上がって行くと、扉と言うか背の低い金属製の仕切りの様な物が見えて来た。
どうやら階段側と別荘地帯側を隔てるゲートの様な物らしい。
鍵などは掛かっていないようで、ライナが近付いて押し開けると、そのままギィという金属の軋む音を立てて小型扉が開いた。
小型扉を通った先は小さな雑木林の様になっており、奥には舗装された道路が見える。
そのさらに先には、これまで見て来たグリーンフォレストの街並とは違った近代的なデザインの住宅が幾つも立ち並んでいた。
漸く、目的地である別荘地帯に辿り着いたのだ。
「誰も……と言うか、何も居ないね……」
「……そうだな」
雑木林を抜け舗装された道に出た私とライナは、高級そうな建物が立ち並ぶ住宅地を歩いていた。
これが全て別荘だとすると、本当に富裕層向けの住宅だけが集まった場所なのだろう。
グリーンフォレストの街は歴史のある古い街並……といった趣だが、ここは真逆の雰囲気が漂っている。
それだけ外部から人を招きたいという思いがあったと思われるが、今は人っ子一人居ない。
街の惨状を考えれば当たり前ではあるのだが、レドウッド山の中腹に位置する別荘地帯では霧がかなり薄くなっている為、一見すると街に何の異常も起きていない様に見えるのだ。
しかし『探知』の能力で感じられる限りでは、周囲に人の気配どころか怪物の気配すら全く無い為、却って異様に感じられる。
鼠のアルと『礫花』達が桜木博士の研究所だけではなく、別荘地帯自体に近付く者を攻撃していた可能性がある事を考えると、この一帯には人も怪物も近寄れなかったという事なのかもしれない。
だとすれば、今ならこの一帯はグリーンフォレストで唯一の安全地帯となっている可能性もある。
勿論、時間が経てば怪物が入り込んで来てしまうだろうが……。
「何にせよ、今の内に調べた方が良いだろうな。 操も休まないと駄目だし」
「……私は少し経てば大丈夫だと思うよ?」
私を抱えたまま周囲を警戒しつつ歩くライナがそんな事を言う。
確かに私はまだ自分で歩くのに不安があるが、生命の危機に陥っている訳ではない。
このままの状態でも消耗した体力はゆっくりとだが自然に元に戻るし、歩ける様になりさえすればライナに運んでもらう必要は無い。
決してお姫様抱っこ状態で運ばれるのが恥ずかしい訳ではなく、いつまでも足手纏いのままなのが嫌だったのだ。
しかし、そんな私の考えはライナに即却下されてしまった。
「どこをどう見ても大丈夫じゃないだろ。 今までだったら怪我も破れた服もすぐ元に戻ってたのに、今回は全然治ってないんだぞ? それだけでも今まで以上にダメージ受けてるのが丸分かりだっての!」
……痛い所を突かれてしまった。
実際の所、今の私は生命の危機は感じていない。
しかしその一方で、体の損傷箇所の修復は少しずつ進んでは居るものの、あくまでも「少しずつ」であり、より深刻な負傷を優先して傷の再生させている状態だった。
その結果、生命の危機に直結しない負傷や、いつもなら肉体の修復と同時に行われる衣服の修復も後回しになっている。
要するに、優先順位の低い損傷を治す為の余裕が無いのだ。
それでも少しずつでも傷を治して行けば、普段通り動ける様になると考えていたのだが………ライナには普段と今の私の状況が異なるという事はお見通しだったらしい。
「良いから、おとなしく荷物になってな。 もし万が一怪物が出て来たら射撃役だけやってくれればいいからさ」
「むぅ………分かった」
私が若干不満げにそう返事をすると、やれやれと言った感じで苦笑された。
因みに抱えられた状態のままの私だが、それ故に両手が塞がったライナの代わりに敵がいた場合は私が敵を撃つつもりでいる。
製材所での戦闘で落としてしまい、ライナが回収してくれていた散弾銃を私が体に乗せているのはそういう理由からだ。
まぁ……仕方がないか。
ライナの言う通り、万が一にも怪物が出て来ないとも限らないのだ。
万全の状態ではない私が的確に動けなかった場合、それこそ足手纏いになってしまう。
意地を張らず、手荷物兼射撃役に徹しよう……。
諦めて荷物に徹する事にした私を抱え、ライナは別荘地帯を進んで行く。
道に設置されていたと思われるゴミ箱が倒れて中身が散乱していたり、道路沿いに植えられた木が倒れていたりといった異常は見られたが、やはり人や怪物の死体は見当たらない。
この近辺に元々人が居なかったのか、それとも街の異変が起きた際に皆逃げ出す事が出来たのかは不明だが、とにかく別荘地帯は今まで見た街の状況の中では比較的良好な状態を保っていた。
研究所もこの分なら無事………だと思いたい。
ここまで来て『枯死毒』の作成に必要な素材が入手出来ない等と言う事になれば、根本的に方法を変えなくてはならないのだ。
私は桜木博士の知識と記憶を部分的に受け継いでは居るものの、本職の研究者だった桜木博士の様に的確な対処法を考え付ける訳ではない。
何であれ……私には圧倒的に経験が足りていないのだ。
戦う事も、知識を生かす事も、今の私には難しい。
だからこそ、桜木博士の遺した方法に一縷の望みを掛けたとも言えるのだから……。
「操、道はこっちで合ってるか?」
「あ、うん。 そこの道を入って……少し行くと横に逸れる道があると思うから、そこを進めば見えて来る筈だよ」
頭の中で「どうか何事もありません様に」と祈りつつライナに道を指し示す。
研究所までの道順は、記憶を辿ると意外にも簡単に思い出す事が出来た。
桜木博士の研究所……という名の自宅は、別荘地帯に並ぶ家々からも少し離れた場所にある。
他の住宅がある場所と違ってまだ周辺の整備がされていないその場所は、林の中の一角と言うべき場所だった。
なぜこんな所に、と最初は私も思ったが、私が思い出せる桜木博士の記憶によると、他の家からは離れているのでむしろ騒音などの心配が無いというのが理由らしい。
更に言うなら周辺の整備がされておらず、山の麓に降りる為のケーブルカーの発着場まで遠い事もあり、他の物件よりも価格が割安だったようだ。
確かに、静かに研究を行う為にこの街へ引っ越して来た桜木博士からすれば逆に好条件だったのだろう。
しかし、いくら割安とはいえ住宅を一つポンと用意出来るというのは………どうなのだろうか?
この場所を見付けて用意したのはアレンだったようだが、彼の職業は『自称』冒険家だった筈。
そんな資金を用意出来る程に著名な冒険家だったのだろうか……?
その辺りの記憶はどうも曖昧だ。
アレンと言えば、サイディス社の施設から脱出した後の彼の足取りに関しても今のところ不明のままだ。
桜木博士も最期まで彼の安否を気に掛けていたのだが……。
……などと再び思考の海に沈みかけている内に、私を抱えたライナが先程示した通りに道を進んで行く。
踏み固められてはいるが舗装されず、地面が剥き出しの道を進んで行くと、私の胸に懐かしさの様な物が込み上げて来る。
私は初めて通る道だが、桜木博士はつい最近まで歩いていたであろう道。
両脇に木々が生え、豊かな自然が残る砂利道を進んで行く光景は段々と私の鼓動を速めて行く。
やがて、一軒の住宅が道の先に見えて来た。
2階建ての大きな建物であるその住宅は、正面に広めのウッドデッキが設置された、別荘あるいはコテージと言われて頭に思い浮かぶであろう建物そのままの外見をしていた。
建物の窓から洩れる光は無く、室内には明かりが灯っていない事が分かる。
薄暗い雑木林の中を、玄関と思われる扉の脇の小さな灯りだけが照らしていた。
特に外見上変わった様子も無く、建物周辺にこれといった異常も見られない事に私は安堵の吐息を漏らす。
(……何だか、変な感じ。 私自身はここに来た事がない筈なのに……)
目的の研究所を前にして、郷愁とも緊張とも言えない奇妙な感覚が強まって行く事に、私は戸惑いを覚える。
何故こんな心持になっているのだろうか?
この場所には必要な物を取りに来ただけだというのに……。
そんな時、突然ライナが足を止めた。
現在位置は建物の正面、ウッドデッキから少し離れた建物全体を見渡せる位置だ。
どうしたのかと思いライナの顔を見上げると……ライナは若干顔を顰めて一点を見つめていた。
「……ライナ?」
そんなライナの様子を不安に思って声を掛けると、ライナは視線を外さずに一言だけ呟いた。
「………誰か中にいる」
息を飲み、慌ててライナの視線の先を辿る。
ウッドデッキの奥には大きな窓ガラスを備えた引き戸があり、そこが若干開いているのが見えた。
そこから中に何者かが侵入した可能性が頭をよぎる。
しかし、その直後
「………ッッ……!?」
私の胸が、心臓を鷲掴みされたかの様に跳ね上がる。
窓から見える室内は大きなソファを備えたリビングになっている。
そして、そのリビングのソファの一角に、項垂れる様にして一人の人物が座っていた。
俯いている為、顔はよく見えない。
外から見える室内には明かりが一切灯っていない為、暗闇の中で座り込んだ人物の姿はぼんやりとしか視認出来ない。
だが、私はその人物が誰かすぐに分かった。
薄暗い室内に僅かに浮かび上がる銀色の髪。
彼に会うのは初めてだ。
しかし彼に会いたかったと私の中の何かが激しく脈動していた。
漸く会えた。
遂に会えた。
そして―――――――見つけてしまった。
私の口が自然に動き、会いたくて会いたくなかった『彼』の名前を呟いた。
「ア………レン…………」
桜木博士の恋人、アレン・カーティス。
行方知れずとなっていた彼が、私の視線の先で力なく座り込んでいた。




