76 鼠のアル
「……ハア……ハア……ハア………ッ……!」
仰向けに倒れた状態で、私は荒く呼吸を繰り返していた。
ギリギリだった。
持てる手段のほぼ全てを用いて『花樹狼』へ致命となる一撃を叩き込めはしたものの、文字通り満身創痍と言うべき状態となってしまった。
幸いにもと言うべきか、倉庫街の時の様に消耗し切ってしまい、今すぐ『血』の摂取しなければ危険と言う程ではないが、これ以上の戦闘継続は難しいと言わざるを得ない。
「くッ……」
全身を苛む痛みに耐えながら、何とか体を捻って身を起こそうとする。
先程の攻防で私は、『花樹狼』の砲撃を左腕に装着させた『翅の突撃槍』で切り裂きながら突破する、という攻防一体の攻撃を行ったわけだが、その結果として左腕を大きく損傷してしまっていた。
元々『翅』による防御では『花樹狼』の砲撃を完全に防ぎ切る事は出来ていなかった。
それでも私が『翅』を用いて作り出した突撃槍を用い砲撃を防御しつつ攻撃を敢行したのは、単純な取捨選択の結果だ。
言い方は悪いが、私は体が損傷してもエネルギーさえ残っていれば肉体を再生させる事が出来る。
結果として自分が生き延びられるのであれば、片腕を捨てたとしてもリスクはそれほど高くない……筈だ。
だから私は、相手の攻撃を防ぐのではなくダメージを軽減させる目的で『翅の突撃槍』を使用した。
実際の結果としては、突撃槍を形成していた『翅』は砲撃のエネルギーに晒され、ほぼ使い物にならなくなっていた。
砲撃の光を突破した直後、突撃槍を腕から切り離し右手から生やした『棘』による攻撃に切り替えたが、その時点で突撃槍と繋がっていた私の左腕―――左半身はボロボロだったのだ。
とは言え、正直に言うなら完全に左腕を物理的に失ってしまう可能性も考えていた為、ある意味で被害は抑えられたとも言える。
だが、展開された突撃槍の装甲の陰に体を隠した状態でなお、『花樹狼』の放った『青い光』の砲撃は私の身体を浸食していた。
元々私の右半身は倉庫街での戦闘以降、肉体の変異が進み、体の表面が植物質の外皮に覆われた状態になってしまっている。
更に、その後の『三つ首』との戦闘で左腕を喰い千切られ、それを再生させた結果、左腕も含めてより変異が広がってしまっていた。
そして今回、『花樹狼』の砲撃による『青い光』の浸食を受け、私の左半身は光によって焼け爛れ、それが再生されつつある為、より変異が進んでしまっているのだ。
焼け爛れた左腕からはシュウシュウと煙が上がっており、傷の再生が進む毎に腕を中心に変異が進みつつある。
また、当然だが損傷したのは体だけではなく、身に付けた衣服もボロボロの状態だ
靴も『青い光』の影響なのか、片方がほぼ崩れ落ちてしまっており、腰に装着していたライナから貰ったウエストポーチや銃のホルスターも、どうにか形を保っているという有様だった。
特に衣服は損傷が酷く、辛うじてボロ布が体に纏わり付いているような状態だ。
一応隠すべき場所は何とか隠せているが……だから大丈夫だとはとても言えない。
変異してしまった体、幽鬼の様なボロボロの衣服。
あまり自分を卑下した言い方はしたくないが……今の私の姿は、益々人間からかけ離れたモノとなってしまっていた。
満足に動かない体を捻って体勢を変え、俯せの状態に移行してから右腕の力を使って身を起こして行く。
左腕は無事ではあったが指先を僅かに動かしただけで激痛が走る為、実質使い物にならない。
左足も似たような状態である為かなり起き上がり難いが、右半身の力のみを使って少しずつ体を動かして行った。
体力的にも『青い光』のエネルギー的にも本当に限界ギリギリの状態である為か、肉体の再生スピードは通常よりもかなり遅い。
それ故、十全に身動きが取れる訳ではないが……今はとにかく早く起き上がらなくてはならない。
早くライナの無事を確かめたい。
そうして私は、息を切らしつつなんとか地面に座り込む様な形で身を起こす。
やや乱れた息を整えつつ、ここから更にどうにかして立ち上がろうと気合を入れた。
―――が、その時。
『グルルルゥゥゥ………』
「……!!!」
私の耳に、巨大な爪が地面を踏み締める音と、地の底から響く様な唸り声が届いた。
視線を上げた私の目に映ったのは、私と同じく満身創痍の状態で全身から赤黒い血を流している『花樹狼』がゆっくりと立ち上がる姿だった。
『花樹狼』は全身を『枝槍』に突き刺され、頭部を『棘』に貫かれた状態のままだ。
そんな状態でも『花樹狼』は生きていた。
それどころか、まだ動く事が出来るとは………呆れるばかりの異常な生命力だ。
とはいえ、然しもの『花樹狼』も既に立っているのがやっとという状態ではあるらしく、荒く呼吸を繰り返しながらこちらを睨み付けたまま動かない。
ふらつく足元を何とか気力で支え、息も絶え絶えといった様子だ。
それでも………その瞳には、いまだ消えぬ闘志が宿っているのが見て取れる。
そうまでして、そこまで命を懸けてまで、私を倒す事を望んでいるという事か。
(………やっぱり、あなたは……)
以前の私なら『花』の怪物達が自分に向けて来る殺意に戸惑ったかもしれない。
しかし、自分という存在を正しく認識した今、彼らが向けて来る殺意が『花』の怪物の中に発生した異分子に対する拒絶反応の様な物だと、何となく察する事が出来た。
だが、『花樹狼』が向けて来る私への敵意は………それらとは根本的に異なった、別の感情が込められているような気がしていた。
それは私が誰かを――――ライナを守りたいと思う『感情』に近いものだ。
満身創痍で死に掛けた状態で、刺し違えてでも私を倒すという強靭な意思を以て『花樹狼』は立っているのだ。
『ガァアア……!!』
「……ッ……」
立っているだけでも驚くべき状態である筈の『花樹狼』が一歩を踏み出した。
ゆっくりと、だが確実に歩みを進めてこちらに近づいて来る。
私も足に力を込めて立ち上がろうとするが、まだ左足の傷は再生しておらず立ち上がるのは困難な状況だ。
このままでは身動きの取れないまま『花樹狼』の接近を許してしまう。
幾ら相手が満身創痍だとしても、抵抗出来なければ死あるのみだ。
傷の再生すら満足に出来ない今の状況では、各種『花』の能力を使う事も出来ない。
それでも、私も無抵抗で居るつもりは無い。
……最後の最後まで諦めて堪るか!
私は今更ながら自分の体の状態を素早く確認する。
全身ボロボロの状態だが、衣服以外に身に付けていた物は比較的無事である。
唯一、『礫花』の群れとの戦闘で使用していた散弾銃だけは体に装着させる為に巻き付けていた蔦が引き千切れてしまった為、何処かに吹き飛んでしまったようだが、それ以外の持ち物は健在だ。
故に私は、現状では唯一の武器となる物――――ツートンカラーの拳銃をホルスターから抜き放った。
全身を強固な装甲に覆われた『花樹狼』には、拳銃どころか恐らく散弾銃でもダメージを与えるのは難しいだろう。
しかし、今の『花樹狼』はボロボロの状態であり、私と同じく傷の再生にエネルギーを回す余裕もないらしい。
であれば再生し切っていない、装甲が損傷した箇所を狙えばダメージを与える事は可能な筈だ。
それで『花樹狼』を倒し切れるとは考え難いが………それでも、私は抗う事をやめたくなかった。
一歩一歩近づいて来る『花樹狼』。
拳銃の撃鉄を上げる私。
お互い、この最後の攻防が目論見通り行ったとしても相打ちにしかならないと察している。
それでも――――――――。
『ガアアアアアアアアーーーーッッッ!!!!』
「……ッッッ!!!!!」
私達が退く事は無い。
互いの命が尽きるまでは。
『!!!???』
「!?」
そうして互いに差し違える覚悟で最後の攻撃を繰り出そうとした直後、轟音と共に飛来した銃弾が『花樹狼』の身体を貫いた。
製材所の周囲を囲む森の中から響き渡った突然の銃声に私は動きを止める。
放たれた銃弾は『花樹狼』の胴体を貫き、地面に着弾している。
こちらへ突進して来ようとしていた『花樹狼』は銃撃を受けた衝撃でたたらを踏んだ。
そしてその一瞬の隙を逃さずに、森の方角から更なる銃弾が轟音と共に放たれた。
『ギャガァアアッッッ!!!??』
撃たれた事により思わずその方向へ向き直ろうとした『花樹狼』の身体へ、正面から銃弾が着弾する。
飛来した銃弾は正確に『花樹狼』の心臓があると思われる場所を射抜いており、流石の『花樹狼』も銃撃のダメージからか悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。
一瞬の出来事に思わず呆然としていた私だったが、数瞬後に我に返ると、森の奥から狩猟用の大型ライフルを構えながら歩いて来る人物……ライナに視線を向けた。
「ライ……」
3発目の銃撃が私の声を掻き消す。
どうやら倒れ込んだ『花樹狼』がまだ立ち上がろうとしていたようだ。
銃弾は頭部を貫き、『花樹狼』の頭を半分ほど吹き飛ばしており、『花樹狼』は倒れてそのまま動かなくなった。
「ふー………無事か? 操」
溜息を吐きつつ、そう声を掛けて近付いて来たライナは、いつもと変わらないライナだった。
あちこちに煤によるものと思われる汚れが付いているが目立った外傷もない様に見える。
「……え、あ、うん…………って、ライナこそ! 大丈夫だったの!?」
『花樹狼』が放り投げて来た車両が爆発炎上し、その炎が燃え移った結果、製材所跡は今も炎が燃え盛っている。
流石に少し時間が経ち火の勢いは収まりつつあるが、先程までの火勢はかなりの物だった筈だ。
「いやー……上から車が降って来た時に、カッコつけて操を外に突き飛ばしたまでは良かったんだけど……」
ばつが悪そうに頭を掻きながらそんな事を言うライナ。
彼が言うには私を突き飛ばした直後、車の爆発を瞬時に察知して建物奥へ飛び込んだが、その後爆発の際に周囲に燃え移った火に周囲を囲まれてしまい元の場所へ戻れなくなってしまったのだそうだ。
「車投げた奴がいるのは確実だし、思った通りに戦闘音っぽい音がどっかんどっかん聞こえるし……慌てて製材所から脱出したんだよ」
その際、火の手がまだ回り切っていなかった製材所の裏手の窓から飛び出したのだそうだが、そちらは崖になっておりそのまま崖下に飛び降りる羽目になってしまったらしい。
そして、崖下からどうにか製材所前まで戻って来れたものの、既にそこには私と「相手」の姿は無く、周囲に響く戦闘音を頼りに私達を追って来た、という事だった。
「途中でなんかすげぇ光と一緒に地響きがするし………流石に心配したぞ」
そう言って疲れた様に溜息を吐くライナの表情は安堵に満ちており、私を心配して全力で駆けつけてくれたのだという事が見て取れた。
そんな彼の様子に申し訳ないと思うと同時に嬉しく思ってしまうのは………我ながら、少し拗らせている様な気がしなくもない。
「ま、お陰で崖下で丁度良いモン見つけられたんだけどな」
と、そう言ってライナが手に持った大型猟銃に視線を向けた。
見慣れないその猟銃は、『花樹狼』を射抜いた銃で間違いないようだが……。
「……ところで、どうしたの?それ。 さっきまで持って無かったよね?」
私が頭に浮かんでいた疑問を口にすると、ライナはその銃の出所を教えてくれた。
「飛び降りた崖下の方に落ちてたんだ。 ……多分、あのハンターが無くしたっていう銃だと思う」
そう言われて私は思い出した。
そう言えば、あのハンターが記憶の中で逃げる際に銃を無くしたと言っていたっけ。
どういう経緯で崖下に落としてしまったのかは不明だが、巡り巡ってそれが私達の役に立つとは……何とも妙な気分だ。
「一応これで、あのハンターの仇討ちは出来たって事で……良いのかな?」
ライナが呟く様にそんな事を言った。
確かに、恐らく『花樹狼』が従えていたであろう『礫花』の群れによって命を奪われたあのハンターの仇を、彼自身の武器で取る事が出来た訳だ。
仇を取った事が彼に伝わるかは分からないが……これがせめてもの弔いになって欲しい。
「……で、俺の方はそんな感じで大丈夫だったんだけど……操こそ大丈夫なのか? 見た限りだと、その……色んな意味で大丈夫そうには見えないんだけど」
そう言ってライナは若干視線を泳がせつつ、私の姿を改めて確かめた。
目のやり場に困る、と顔にありありと出ているのは……仕方がないと思う。
実際、今の私の格好は最低限の部分がボロ切れで覆われているだけと言っても良い位にボロボロの状態なのだ。
時間が経てば傷の再生と共に服も修復されると思うが……今の所まだその兆候は無い。
私は今更ながら羞恥心で顔が熱くなるのを感じた。
あまり効果は無いが、ライナから顔を背けながら手で胸元を隠そうとする。
だが当然全て隠せる訳もなく、体を覆える物も手元には無い。
余力があれば蔓や蔦を巻き付けて隠したり、花の葉で覆う事なども出来ただろうが……。
今の時点ではどうにか自力で立ち上がる事が出来るかどうか、と言う程度にしか回復していないので多分無理だ。
(き、気まずい…………と言うか、普通に恥ずかしい……!)
幾ら見えてはいけない部分はちゃんと隠されているとは言っても、異性、それも自分の想い人に肌を曝け出しているに等しい状態というのは、流石に羞恥心が振り切ってしまいそうだった。
頭の中でこの状況を脱する方法を考えるが良い案は浮かばず、グルグルと思考が堂々巡りを繰り返してしまって身動きが取れない。
そうして無言のまま顔を赤らめていると、ふわり、と何かが肩に掛けられた。
「……取り敢えず、これ羽織っとけ。 何にも無いよりはマシだろ」
そう言ってライナが私の肩に掛けてくれたのは、彼がいつも身に付けているジャケットだ。
私が着るにはサイズが大きいが……今は寧ろその方が有難い。
「あ……ありがとう」
ジャケットに残るライナの体温に、先程とは別の意味で顔が熱くなる。
どういたしましてと微笑む彼の顔を、私は真っすぐ見る事が出来なかった。
『………ガ………グ……』
「ん」
「ッ!?」
突然、声が聞こえた。
考えるまでもなくそれは倒れた『花樹狼』の声だった。
ライナが持っているハンターの持ち物だった狩猟用ライフルは、大型の獣を仕留める事を想定した物である為、弾丸の口径が非常に大きい。
鹿などの中型獣相手に使おうものなら、比喩でも何でもなく頭が吹き飛ぶ威力があるのだ。
全身に傷を負い、装甲が若干薄くなっていたとはいえ、『花樹狼』の身体をいとも簡単に射抜いた事からもその威力の程が窺い知れる。
そんな大砲紛いの銃弾を3発も、それも全弾急所に受けて尚『花樹狼』は生きていた。
既に起き上がる力は残っていないようだが、震える体に力を込めて首を上げ私達を睨み付けている。
「まだ生きてるのか……本当にしぶといな、お前ら」
言いつつライナはライフルを左手に持ち替え、懐のホルスターから拳銃を抜いて構える。
どうやらライフルの方は弾切れらしい。
本来なら『花樹狼』相手に拳銃程度では大したダメージを与えられない筈だが、今の『花樹狼』は消耗し切っている。
再生能力も碌に機能していない以上、先程私がやろうとしたように拳銃だけでも『花樹狼』に止めを刺せるかもしれない。
それに、ライナの銃は私が使っている物よりも強力な弾である10ミリ弾を使用する銃だ。
詳しくは知らないが、狩猟等にも使われる事がある程に威力が高いらしく、この異常事態において『花』の怪物達を相手にするには丁度良いらしい。
「射撃は苦手」と言うライナだが、少なくとも戦闘経験と言う点においては私とは比べ物にならないという事は何となくわかる。
そんな彼が『花樹狼』に対して拳銃を向けているという事は………それで十分と判断したという事だろう。
ライナの指が銃のトリガーに掛かる。
既に狙いは付け終わっている為、後はそのまま指を動かせばいいだけだ。
そうすれば遂に『花樹狼』の息の根を止める事が出来る。
けれど―――――。
「……操?」
私は立ち上がると、そんなライナの銃を彼の手ごとそっと掴む。
それでライナが銃を撃てなくなる訳ではないが、私の意図を察して撃つのを止めてくれた。
時間が経って何とか立ち上がる事が出来る様になっていたが、まだ足に力が入らず足元が震えてしまう。
「……ごめん、ライナ。 少しだけ……待って欲しいの」
突然の私の言葉と行動にライナは驚いた表情をしている。
目の前の怪物に止めを刺せるという所で止められたのだから当然だろう。
それでも、私にはどうしてもやらなくてはいけない事があった。
ライナには止められるだろうけど、これだけは、どうしても――――。
「……ライナ、無茶を言っている事は分かってる。 ……でも、どうしてもしなくちゃならない事があるの。 だから……手を出さないで欲しい」
そう言ってライナの目を真っ直ぐに見つめる。
ライナもそんな私の目を見て私の意図を測ろうとしているようだ。
しかしそれはほんの一瞬の事であり、溜息を吐いたライナは急に肩の力を抜いた。
「…………無茶を言ってる自覚があるんなら、無茶な事はしないんだよな?」
「うん。 ………まあ、無茶してる様に見えるかもしれないけど」
苦笑しながら答えると、ライナは仕方がない、と言う様に肩を竦めながら銃を下ろした。
「……何かあったらすぐに殺るぞ」
「……うん」
万が一『花樹狼』が私に攻撃して来たら問答無用で殺す。
ライナが言ったのは要するにその様な意味合いだった。
殺気すら帯びた言葉を私に、そして恐らく『花樹狼』に向けて言ったライナは、少し横に移動していつでも『花樹狼』を撃てる位置、そして私を庇える位置に付いた。
私は深呼吸をすると、今もこちらを睨み付けている『花樹狼』に視線を向ける。
正面から自分を見つめる私に『花樹狼』は目を合わせて来た。
私は『花樹狼』と目を合わせ、じっとその目を見つめ続ける。
そして、暫し『花樹狼』と目を合わせた後―――――手に持ったままだった拳銃をそっと地面に置いた。
視界の端でライナが目を見開いたのがわかった。
最早死を待つばかりの状態とはいえ、敵の前で丸腰になったのだから当然の反応とも言える。
しかし、私の行動を止める訳でも制止の言葉を掛けるでもなく、何があってもすぐに対応出来る様に警戒を続けている。
無茶な事はしないという私の言葉を信じてくれての事だとは思うが……少なくとも、思い切り心配は掛けてしまっているようだ。
(後で謝らないとね……)
そんな事を頭の中で考えつつ、私は『花樹狼』と目を合わせたまま徐々に『花樹狼』へと近付いて行く。
武器を捨て、戦意を欠片も抱いていない様子で自分に接近して来る私に、『花樹狼』の目に困惑の色が見える。
それでも自らの戦意は捨てていない様で、そのまま接触して来るならただで済むと思うな……と、その目が語っていた。
私はそんな『花樹狼』のすぐ側までやって来ると…………その場でゆっくりと地面に両膝を付いた。
『花樹狼』の目に浮かぶ困惑の色がいよいよ頂点に達する。
しかし、この段階になっても『花樹狼』は私に攻撃を仕掛けて来ない。
私の行動に対して理解が追い付いていないという事もあるかもしれないが……単純に、もうここまで接近して来た私に攻撃を仕掛ける力すら残っていないのだ。
近くで見た『花樹狼』の身体の傷は深く、恐らくこのまま放置したとしても回復する事なく死んでしまうだろう。
だから、私は彼に言わなくてはいけない事が――――伝えなくてはいけない言葉があった。
「――――ごめんね、アル」
私が発した言葉に、『花樹狼』は目に見える程に驚愕の表情を見せた。
それは、何かを―――忘れていた自分の中の何かを、強く刺激されたような表情だった。
「あなたは……ただ守ってくれていただけだったんだよね。 私達の……私とアレンと…………『ブルー』の家を」
私が言葉を続けるのに合わせるかの様に、『花樹狼』の目から敵意が消えて行く。
『花樹狼』と私が名付けた『彼』は、『ブルーフィリア』によって生まれた存在だ。
だが、推測ではあるが、『彼』は『最初の一輪』が暴走した後、他の怪物達の様に無差別に人間を襲う事はしていなかったのだ。
『彼』が襲ったのは彼が守りたかった場所………桜木博士の研究所に近付く者達だけだった。
研究所がある別荘地帯に近付こうとする者であれば、人間だけではなく同じ『花』の怪物達であっても排除した。
レドウッド山の山中で他の怪物達を目にしなかったのも、恐らく『彼』とその眷属である『礫花』が排除していたからなのだろう。
自らが守るべき、大切な誰かが帰って来る筈の場所。
『最初の一輪』の暴走の影響を受け、本来の姿とかけ離れた異形と成り果ててしまって尚、彼は桜木博士達の『家』を守り続けた。
自分という存在の生みの親と言える『最初の一輪』から発される強力無比な『命令』を拒否して。
生みの親、或いは主からの命令を拒み続け、精神が摩耗し記憶が曖昧になっても、ただひたすら己の使命を果たさんと戦い続けたのだ。
だから……私は彼に伝えなくてはいけない。
例え私が、彼が待ち続けていた桜木博士ではなくとも。
「ごめんね……ありがとう………だから、もう良いの………もう大丈夫だから………」
そう言いながら彼の……『アル』の鼻先を撫でる。
私のものではない、私の中にある桜木博士の記憶の中で、『アル』はこうされるのが好きだった。
今よりずっと小さく、中型犬程度の大きさだった彼は………『最初の一輪』の種子によって甦った、一匹の鼠だったのだ。
温和で賢く、『生みの親』である『最初の一輪』は勿論、桜木博士やアレンにも懐いていた『アル』は、桜木博士にとっても家族の一員のような存在だった。
そんな彼を、桜木博士は暴走した『最初の一輪』を止める為に奔走しながらもずっと気に掛けていた。
そして遂に彼女は『アル』の守る家に帰り着く事は出来ず、彼は今までたった一匹で戦い続けて来たのだ。
だから………彼女の記憶を引き継いだ私が、彼に伝えなくてはならない。
もう、休んで良いのだと。
「よくがんばったね…………もう大丈夫だから………もう、おやすみ………」
優しく鼻先を撫でる私に、彼は何ら攻撃をする素振りを見せなかった。
それどころか強張っていた体から徐々に力が抜け、少しずつ目が閉じられていく。
私の目には、子守唄を聞きながら寝入ろうとしている子供の様に映っていた。
『……………キュウウン………』
『花樹狼』の口から初めて聞く、甘えるようなか細く甲高い鳴き声が漏れる。
私の身体を喰い千切ろうと何度も襲い掛かって来たその巨大な牙の間から舌を伸ばすと、鼻先を撫でていた私の手をペロリと一舐めした。
やがて一度だけ大きく息を吐き出すと、ゆっくりと瞼を閉じ――――。
そして、二度と動く事は無かった。




