67 語られた真実
室内を静寂が支配していた。
かつての操の懺悔の言葉が記録されたボイスレコーダーからは、既に何も聞こえなくなっていた。
この街で何が起きたのか。
何故そうなってしまったのか。
そこに操やアレンはどう関わっていたのか。
操が求めた真実がそこには記録されていた。
しかし、それは操が恐れていた事実を突き付ける内容でもあったのだ。
この街が……グリーンフォレストが未曽有の惨劇に見舞われ、大勢の人間が犠牲になった理由。
その最初のきっかけになったのが、操が行っていた研究にあったのだから。
音声記録の中で『ブルーフィリア』と操が呼んでいた『青い花』。
その『花』の原種である、『最初の一輪』をこの街に持ち込み研究していたのは他ならぬ操だった。
直接の原因は、『ブルーフィリア』を欲したサイディス・カンパニーによって、『ブルーフィリア』の原種である『最初の一輪』が奪われた事ではある。
しかし……だからと言って、操に非が無いと果たして言えるだろうか?
操がこの街に『ブルーフィリア』を……いや、もっと言ってしまえば、南極の様な最果ての地から『最初の一輪』をわざわざ持ち出さなければ……この様な事は起こり得なかったのだ。
どう言い訳をしようとも、かつての操の行動が一因となり、結果として大勢の命が失われた事に変わりは無いのだ。
操は生気の抜けた表情で、自分の膝に置いた両手に視線を落としていた。
変異して植物質の表皮に覆われてしまった両腕が映る。
怪物に成り果ててまで求めた真実。
その真実が操を打ちのめしていた。
―――覚悟は、していた筈だった。
その可能性は十分にあると理解していた筈だった。
しかし、記憶を失う前の自分が語った音声記録の内容は、操自身に一つの事実を突き付けていた。
『おまえのせいだ』という、客観的な事実を。
「……………私………」
様々な言葉が操の脳裏に浮かんでは消える。
口から零れそうになるのは、現実を否定する後ろ向きな言葉ばかり。
しかし、それを口にする訳にはいかなかった。
どれだけ認め難く受け入れ難い事実でも、それが操自身が求めた『真実』なのだから。
「………っ…………」
操は手の平に爪が食い込む程に両手を強く握り締める。
自分から求めた現実がどれだけ苦しくとも、それを自分から否定する事だけは出来ない。
瞳に苦悩の色を浮かべながらも、操は歯を食いしばって天を仰いだ。
「……街がこうなってしまったのは…………やっぱり、私のせい………だったんだね……」
音声記録と同じ様な、懺悔するかの様な声色で操が呟く。
誰かに言うでもなく呟いたのか、それとも隣に座って操と共に音声記録を聞いていたライナに対して言ったのか。
ほぼ無意識に操の口から零れたのは、自分自身に対する断罪の言葉だった。
しかし。
「えっ?何でだ? そんなもん『花』盗んでった連中が100%悪いに決まってるだろ?」
心底驚いた様子でライナが声を上げる。
そんな彼の様子に、操の方が逆に驚いてしまった。
「だ、だって………私が『青い花』……『ブルーフィリア』を南極から持ち出す様な事をしなければ、そもそもこんな事は起こらなかったんだよ?」
「そりゃあ結果論って奴だろ? それじゃあ、後から起きる事を全部正確に予測して行動しろって言ってるようなもんだ。 預言者じゃないんだから、無茶言うなって」
肩を竦めてそう述べるライナ。
操は反論しようとして言葉に詰まる。
「それにそんな事言ったら、操もアレンも……『ブルー』だってこの世に生まれて来なければ良かったって事になるんだぞ?」
ライナの言葉に操はハッとする。
自分の責任でこの事態は引き起こされたのだと自分自身を責めた操だが、最初のきっかけを作った操が元凶であるとするなら、アレンや『ブルー』は?
二人に責任があったのか?
………そんなわけは無い、アレンは操の研究が上手く行く様にに協力してくれていただけであり、『ブルー』に至ってはただ身近な人の役に立ちたいと願っただけだ。
にも拘らず、操が『ブルーフィリア』の研究にまつわる自分の行動の全てを否定するのなら、二人の善意も否定する事になるのだ。
それは……それだけは出来なかった。
だが、それでも操は自分を許す事が出来なかった。
―――あの時こうすればよかったのではないか。
―――あの時はああするべきだったのだろうか?
去来する様々な感情が、操の心を掻き乱していた。
「でも……だって…………それなら、私はどうするべきだったの? どうしたら二人を失わずに、街の人達を死なせずに………記憶を失わず、人間のままでいられたの? ………私はこれから……どうしたら良いの……?」
「……………」
操は悲痛な声を上げて俯いていた。
ライナが操の行動を擁護してくれた事は素直に嬉しいし、正直な所救われる思いだった。
だが、現実としてグリーンフォレストの街は壊滅状態であり、異変の犠牲になった人々は帰って来ない。
操が『ブルーフィリア』を南極から持ち出した事が原因という操自身の見解は、確かに結果論ではあるだろう。
しかしそれでも、起きてしまった事は事実なのだ。
犠牲となった人々を実際に目にしてなお割り切る様な事は操には出来そうに無かった。
それに、操にはもう一つ気になっている事があった。
過去の自分が遺した音声記録。
当然自分の肉声で記録されているわけだが、それを聞いてもなお操の記憶は戻っていない。
今までにも何らかのきっかけを経てふいに記憶が甦る事があったが、今回、自分の過去の肉声という過去の記憶を強く刺激しそうな手掛かりを耳にしても、操の記憶に変化が無かったのだ。
操が知りたいと願った『真実』は知る事が出来た。
しかし、その真実を受け止めるのに必要な筈の『かつての自分』を取り戻す事が出来ず、操は途方に暮れてしまっている。
最も有力な手掛かりと思われた『DD-4032』も、音声記録の内容を聞いた限りでは暴走した『ブルー』を止める為に必要な物、という意味合いしか無かった。
記憶を失う前の自分のすべき事を理解していた頃の操ならば、今の自分がどうすればよいのか分かっただろう。
しかし、自分の名前すら分からず、自分が置かれた状況も理解していなかった今の操は、この先へ進む為に必要な『自分』が無かった。
……いや、本当はすべき事は理解している。
ただ、本当にそれを自分がやるべきなのか分からないのだ。
その行動は、今以上の死地に自分を……ひいてはライナを追いやる結果となる。
自分はともかく、ライナをそんな所へ道連れにして良いのだろうか?
何処までも一緒について行くと彼は言ってくれたが、流石に躊躇わざるを得ない。
共に戦ってくれるのは操としては心から嬉しい事ではあるが、だからと言ってライナに傷付いて欲しいわけではない。
操は苦悩の表情を浮かべて俯いていた。
「……俺なら大丈夫だぞ?」
「………え?」
唐突にそんな事を言って来たライナに、操は目を見開いて驚く。
まるで、操の思考を読んだかの様な……いや、実際に考えている事を読まれたのかもしれない。
「言ったろ? これからはお互い、一人で決めないで頼ろうってさ。 操が行くってんなら、俺もどこにでも一緒に行くぞ?」
「あ………」
…………どうして彼は、操が言って欲しい事を何の気負いもなく、自然に言葉にしてくれるのだろうか。
甘えてばかりいてはいけないと頭では分かっているのに、どうしても彼の言葉が欲しくなってしまう。
………我ながら、随分と絆されたものだ、と操は諦めたように、そして、何処か嬉しそうに溜息を吐いた。
と、その時。
『ごほっ…………』
「……うん?」
「え? ……今のは?」
ライナの言葉で落ち着きを取り戻した操が口を開こうとした時、突然、再び静寂が訪れた室内に二人の声とは別の声が響いた。
「………あれ? おい操。 ボイスレコーダーの再生、まだ続いてるぞ」
「え………あっ! 本当だ!」
ライナの言葉にテーブルの上に置いた携帯端末を見やると、そこにはまだ再生を続けている画面が表示されていた。
過去の操の独白が途切れた時点で再生が終了したと思い込んでいたのだが……無言のまま、しばらく放置していたのだろうか?
残りの再生時間は僅かだが、画面の向こうには、過去の操がまだ居る事が分かった。
操とライナは目配せし、声を出さずに待った。
すると、予想通り再びかつての操の声が再び聞こえて来た。
『…………最後に、もう一つ………だけ……。これを記録として残すべきか、それとも………私の中だけに留めて、私の死と共に隠蔽される様にするか……迷いましたが、やはり………伝えておこうと思います……』
聞こえて来たその言葉に、操はまだ何かあるのか、と体が強張らせる。
しかし、膝の上で祈るように握り締めた操の手にライナの手が重なった。
「大丈夫だ」
ライナのその言葉だけで、操の身体の強張りが和らいだのが分かる。
操はライナと視線を交わして頷くと、深呼吸をして心を落ち着け、音声記録の言葉を待った。
やがて、決心したように過去の操が話し始めた
『確率は……限りなく低い、と思います。 どれだけ高くとも………30%には届かない程度の確率でしょう……。 それでも、もしかしたら有り得るかもしれない『彼女』へ……』
レコーダーの向こうで過去の操が、先程の操のように深呼吸をしたのが分かる。
その息遣いは震えており、容体はかなり悪いようだ。
だが、それ以上に操はレコーダーの向こうで過去の操が口にした『彼女』という言葉が引っかかった。
……そして、直後に聞こえて来た過去の操の話の内容は、操にとってあまりにも予想外であり………衝撃的な内容だった。
『もしかしたら、私の死後、この場に……『産まれて来る』かもしれない……もう一人の、私ではない、私とは別の………………『操』へ』
操は一瞬何を言われたのか理解出来なかった。
もう一人の操?
今、レコーダーの向こうで話している『桜木操』とは別の『操』がいる?
何より、この場に生まれて来るとは?
思考を巡らせれば巡らせるほど、操の混乱に拍車が掛かる。
だが同時に、操は理解してもいた。
彼女の言っているもう一人の『操』に当て嵌まる存在は、自分以外に居ないと。
混乱している操を他所に音声は続いて行く。
『……きっとあなたは酷く混乱していると思います。
見知らぬ街の見知らぬ部屋…………記憶を失った自分……そして、巨大な花が咲き、異形の怪物が徘徊する街の様子に、自分の身に何が起こったのか分からず、恐怖していると思います。
………ごめんなさい。 あなたは何も悪くない。 あなたは今この場に生まれ落ちたばかりの存在なのに、私はあなたを………こんな事に巻き込んでしまった……』
過去の操はそこまで話すと一旦言葉を切った。
そして、少しの間が空いた後、意を決したように話の続きを口にする。
『………あなたは、正確には『桜木操』ではないの。 あなたは私の体内に残留した『ブルーフィリア』の種子と、私の遺体が融合した結果生まれた、『ブルーフィリア』の…………『最初の一輪』の眷属なの』
操が息を飲む。
体内に種子?
種子と遺体が融合した結果生まれた?
『ブルーフィリア』の眷属?
それは、つまり………。
『……死体に寄生して死体を操る『ブルーフィリア』の習性とは違うの。 私は1年以上常に『ブルー』と共に過ごして来た。そのせいで………体内にあの子の種子が入り込んだ状態が長く続いたわ。
……結果、種子の影響なのかどうかは分からないけど、種子が私の体内に癒着した状態になってしまっていたの。
………健康上問題は無かったけど、勿論健全な状態ではなかった。
だから、この街に住んでいた私の恩師のクロフォード先生………この街の病院に勤務している人なんだけど、彼にも私の状態を検査して貰って………でも、結局詳しい事は分からなかった……。
……それでも、『ブルー』が私に対して危害を加えようとしているんじゃない事は確かだった。
あの子は………私の事を母親と思っている様だったから……。
……その後、研究を進めて行く内に、仮に私が体内に種子を内包したまま死亡した場合、種子が発芽して何が起こるか……完全な推測だったけど、ある程度分かったの。
そこで、あなたが……『ブルーフィリア』でもない、『桜木操』という人間でもない、全く別の生命体が、誕生する可能性に気が付いた。
……それは、『ブルーフィリア』の能力を難病の治療に役立てたいという私の目的とはかけ離れた事象だった。
私は別に、新たな生命の創造主になりたかったわけじゃないから………。
……けど、無視する事も出来なかった。
何せ自分の身体の事だし、もし万が一同じような状況が発生した際、理解出来ていれば対処がし易いと思ったから……。
………そうして、本来の研究と並行して、『私』という観察対象の研究も進めていたの。
『ブルー』が連れ去られる直前まで………。
………だから、最初に言った通り、私の計算では『あなた』が誕生する可能性は非常に低いと考えていた。
……それでもこの伝言を残したのは、恐らく私の記憶の一部と知識を継承して生まれ落ちて来てしまうであろうあなたが、自分を見失わない様にと思ったのと………どうしても、伝えなくてはいけない事があったからです』
レコーダーから僅かに震えた声が流れ続ける。
……先程よりも容体が悪化しているのかもしれない。
それでも彼女は言葉を続ける。
自分の残りの命を使い切るかの様に。
『……あなたは何も悪くない。 あなたはただ、この世界に生まれて来ただけ……。
この街で起きた事は全て私のせいであって……あなたのせいじゃない。
あなたは私ではなく、『操』なの。
私と同じ姿をして、私と同じ声をしていても……あなたは、『桜木操』じゃないわ。
だから、私がやろうとしていた事を、あなたがやる必要は無い。
生まれて来たばかりの、あなたは……自由なの。
だから………どうか、あなたの心のままに……ッ……生きて、下さい。
私が起こしてしまった……ハァ……惨劇、は……ハァ、ハァ………あなた、には、何の責任も、無い、から…………ッ……』
途切れ途切れの、先程よりも荒くなった息遣いだけが室内に響く。
しかし、彼女はもう一度大きく息を吸うと、絞り出すような声で操に語り掛けた。
『けれど、それでも………それでも、叶うなら………どうか、あの子を止めて下さい………!
あの子には、『ブルー』には、もう、正常な判断をする事が出来る精神が残っていない………これ以上あの子に罪を重ねるような事をさせたくないの………!
………生まれて来たばかりのあなたには、何の責任も無い事だし、私にそんな事をあなたに頼む資格なんか無い事も分かってる………。
それでも……私はもう、あなたに頼むしかない………あの子を止める事が出来るのは、あなただけだから………!』
泣きそうな声で懇願する彼女……桜木博士。
その声からは、深い悔恨と無念がひしひしと伝わって来る。
『ブルー』を止める………つまりは殺すという事を、ただ生まれて来ただけの操に押し付けなくてはならない。
桜木博士が苦しみ抜いて出した結論、最後の手段は、彼女にとっても苦渋の決断だったのだろう。
『本当に………ごめんなさい………私がもっとしっかりしていれば、あなたに、こんな………ッ……グッ………ゴホッ!ゲホッ!ガハッ!』
びしゃっ!という、床に何かが零れたような水音が聞こえ、桜木博士が激しく咳込んだ。
彼女の身体に、遂に限界が訪れたのだ。
それでも桜木博士は震える声で言葉を続けた。
『……………私、は、結局………何も、残せなかった……。
挙句、大勢、の……人間の……命を、奪う、事態、を……引き起こして、しまった………。
夢を……叶えるどころか、沢山の……人の、夢を………奪ってしまった………。
謝って……許される、事じゃない、のは……分かってる………それでも、私には、こうするしか、ない……。
ごめんなさい……ごめんなさい…………どうか………どうか…………あの子を………『ブルー』を………眠らせてあげて………』
既に喋る事ですら辛いのか、途切れ途切れに言葉を紡いで行く桜木博士。
………音声記録の残り時間もあと僅かとなっている。
『…………身勝手、だよね………無関係なあなたに全部押し付けて………自分は………さっさと、退場……しちゃうんだから………。
私……色んな人に謝って来なくちゃ………お父さんにも、お母さんにも……クロフォード先生にも…………アレンにも………。
…………………アレン………ごめんね………プロポーズの返事…………向こうで会えたら…………今度はちゃんと………伝える……から……』
カチリ、と小さな音がした。
そして、桜木博士がゆっくり、静かに深呼吸を一度した後………。
1発だけの、乾いた銃声がレコーダーから響いた。
直後、何かがベッドに倒れるような音。
そして、携帯端末が投げ出されたのだろう衝撃音が聞こえ―――。
音声記録はそこで終了した。
再び室内に静寂が訪れる。
ある意味では先程以上の衝撃に見舞われた操は、顔を俯かせていた。
その隣では、流石に予想外の事だったようで、ライナも困惑した表情を見せている。
二人の反応は当然と言えば当然だろう。
ライナにしてみれば、今まで『桜木操』だと思っていた相手が『桜木操』ではなく、そもそも人間ですらなかったというのだから。
そして、操にとってはそれどころではない。
なにせ、自分の正体が『桜木操』ではなく、『ブルーフィリア』によって生み出された人外の存在だったという事実を知ったのだ。
一言で言ってしまえば操の、操自身に対するこれまでの認識の全てを否定された様なものなのだ。
自分自身を『桜木操』と認識していた操にとって、それは自分の立っている土台が一気に崩れ落ちてしまったような、途轍もない衝撃を齎していた。
「………………何だか…………私、馬鹿みたい」
俯きながらそう呟いた操の表情は、今にも泣きそうなものだった。
それは、自らを卑下するかの様な………自分自身でも押さえられない感情の波が複雑に絡み合った結果漏れ出た、苦悩の表情でもあった。
「無くした記憶を取り戻そうと………その為には何としても生き延びなきゃって………でも、それはすごく難しくて、自分の身体に得体の知れない花が寄生してるって思ってすごく怖くて………でも、その花の力を使わないと生き延びられないって分かって、だんだん人間じゃなくなって行くのが不安で……」
「操………」
うわ言のように整理出来ない自分の言葉を呟く操に、然しものライナも掛ける言葉が見つからなかった。
そんなライナを尻目に操の独白は続く。
「……必死に人間の自分を保とうとした。 死に掛けた時、人間とは思えない方法で傷を治しても、私は人間なんだって、何度も自分に言い聞かせてた。 でも………」
操が自分の手をじっと見つめる。
先程と同じ様に、変異してしまった両腕は青緑色の植物の外皮に覆われている。
怪物になってしまった。
さっきはそう思った。
だが、真実は違った。
『なってしまった』のではなかったのだ。
私は――――。
「私は………最初から、人間じゃなかった。 最初から……………怪物だったんだね」
自分が『ブルーフィリア』が生み出した怪物であった事を、諦念と共に受け入れようとした操。
しかし、それをライナの声が遮った。
「それは……違う」
その声に、操はライナに顔を向けた。
しかし、その表情は全てを諦めてしまったかのような無気力な物だった。
「違うって、何が違うの? 私は記憶喪失なんかじゃなくって、人の死体と『ブルーフィリア』の種子が結び付いて生まれたから……最初から何も無かったから、何も覚えていなかったんだよ?」
堰を切った様に捲し立てる操。
これまで内に秘めていた不安と恐怖が一気に噴き出し、操は半ば八つ当たりに近い感情をライナにぶつけていた。
「体の事だってそう。 体に『ブルーフィリア』が寄生してるんじゃなくて、私自身が『ブルーフィリア』だからこんな能力があった。 ……私が人間じゃないから出来た事だったんだよ」
そう言って操は両腕に茨を生じさせる。
両腕に絡み付いた茨はその鋭い棘を操の両腕に食い込ませて行き、やがて棘の刺さった場所から赤い血が滴り落ちて来た。
腕に絡み付いた茨が血で赤く染まって行く。
「……こんな事をしても、すぐに元に戻っちゃう。 どれだけ傷付いても、手足が千切れても元通りになる。 そんなの、人間じゃない………!」
悲痛な声で叫ぶ様に言う操。
人間であろうとした。
どれだけ身体が変わってしまっても、心だけは人間のまま保とうと必死に足掻いた。
けれど、それは無駄な努力だった。
『操』と呼ばれていた彼女は最初から人間ではなかったのだから。
求めるべき、取り戻すべき自分を見失い、操は全てを諦めそうになっていた。
しかし、そんな彼女の手を、血塗れの鋭い棘に覆われている操の手を、ライナが躊躇なく掴んだ。
「っ!?」
茨に覆われた操の手を素手で掴んだ事で、ライナの手に棘が突き刺さる。
突然のライナの行動に操は驚き動揺し、反射的に手を引こうとした。
しかし、そうすると余計にライナの手に棘が食い込んでしまい、棘の刺さった場所から血が溢れ出して来る。
それでもライナは表情一つ変えず、操の手を更に強く握って言った。
「人間かどうかなんて関係無い。 誰が何と言おうと、あんたは『操』だ。 それだけは絶対に変わらない」
操の目を真っ直ぐに見てそう言い切ったライナに、操は凍り付いたかの様に動きを止めた。
ライナは操の反応を待たず、更に言葉を続けた。
「操が自分の事をどう考えていようと、俺にとっては操が変わったわけじゃない。 例え操にだって、俺のその気持ちを否定はさせない。 あんたは俺の知っている『操』だ。 ……俺が保証する」
間近でそう告げられても、操は言葉を失ったまま動く事が出来なかった。
本心を言えば…………嬉しかった。
ライナは人間であろうとも人間ではなかろうとも、操は操であるという認識に変わりは無く、誰であろうとその認識を変えさせる気も無い。
操が自分自身の事をどう考えたとしても、ライナはあるがままの『操』を受け入れると……そう宣言したのだ。
何があっても操を受け留めるというライナの覚悟が、全てを諦め掛けた操の心を繋ぎ留める。
しかし、操自身は自分を信じ切る事が出来なかった。
自分は自分のままで居たいとは思う。
しかし、本当に自分を………『操』を保ったままでいられるのだろうか?
ある時突然、自我を失ってライナを手に掛けようとしてしまうのではないか?
そう考えると………自分が人間ではないと告げられた時を遥かに超える恐怖心が、操の心に襲い掛かった。
嫌だ。
絶対に嫌だ。
そんな事をする位なら、死んだ方がマシだ!
脳裏に浮かんだ最悪の状況に恐怖した操の身体は、無意識に震えていた。
それを見たライナは少し悲しそうな顔で操に問いかけた。
「……やっぱり、俺じゃ信用出来ないか?」
ライナのその言葉に操はハッと我に返る。
そして、気遣わし気に自分を見つめるライナに、唇を震わせながら言葉を返す。
「そんな事ない………そうじゃ……なくて……。 もしも、もしも私が私じゃなくなってしまったら、ライナを傷付けてしまったら………そう思ったら……」
言葉にした瞬間、その状況が現実味を帯びたような気がして、操は両足まで震えて来た。
立ち上がる事が出来なくなりそうな恐怖感と孤独感を感じ、操は肩を震わせる。
しかし直後、ライナの明るい声がそんな操の恐怖を吹き飛ばした。
「……ああなんだ、そんな事か。 だったら心配ないって。 もし操が操じゃなくなったら、俺が正気に戻してやるよ。 俺、操より強いしな!」
「………はい?」
笑ってそんな事を言うライナに操は面食らってしまう。
……こう言っては何だが、こういう場面ではもっとこう……『操は正気を失ったりしない』とかそういった事を言うものではないだろうか。
ライナが言っているのはつまり『俺はお前より強いから、お前が正気を失ってもへっちゃらだ』と言っているようなものだ。
なんというか―――――身も蓋も無い。
「……………………」
「………………………あっ、もちろん操が正気を失ったりするなんて思ってないからな? 仮の話だ、仮の!」
空気を察したのか、ライナが慌てて弁明する。
どうやら本当に操が正気を失ってしまっても自分の方が強いから問題ない、と思っているらしい。
ライナらしいと言えばらしいが………もうちょっと、デリカシーを持って欲しい。
でも、それが却ってライナらしくも感じて………操は、心に圧し掛かって来ていた重さが軽くなった様に感じた。
「……はぁ、全く。 慰めるならもう少し気の利いた事言ってよね。 ……それこそ、深刻な顔して悩んでた私が馬鹿みたいじゃない」
操のそんな言葉に、ライナは若干目を泳がせながら苦笑いを浮かべた。
しかし、その表情からは操が立ち直った事への心からの安堵の色が見て取れる。
当たり前の事ではあるが……心配を掛けてしまったらしい。
(私は私………か)
自分は自分を自分と認識しているから自分である。
言葉にすればそういう事であり、至極当たり前の事だ。
操が自分を『操』と認識し続ける事が出来るのなら、体がどう変わってしまっても『操』は変わらない。
自分だけなら自信が無かった。
操は自らの意志の弱さ、脆さを自覚していたからだ。
けれど今は――――ライナがいる。
自分の為だけではなく、ライナを守る為に、ライナと共に在る為に『操』であり続ける事なら――――きっと出来る気がした。
「あの、ところで操?」
「え?何?」
と、操が自分の存在に折り合いを付けていた時、ライナが声を掛けて来た。
先程見せた真っすぐな目をした真剣な表情は何処へやら、若干困ったような、言ってしまえば少々情けない顔で言葉を続ける。
「……今更ながら、棘が刺さってめっちゃ痛くなって来たんだけど……これ、痛くしないで抜く方法とか無い?」
ライナのそんな言葉に、操は茨に覆われた自分の手を握ったままのライナの手を見た。
遠慮なしに茨が巻き付いた操の手を握った為、思いっきり棘が刺さっている。
というか、結構盛大に血が流れている。
「……あっ! ご、ごめんっ! すっかり忘れてた……」
操は慌てて両腕に巻き付いた『茨の鞭』を操作し、表面に這えた棘を引っ込めた。
「痛ってぇ!」
途端にライナが叫んで腕を抱えて悶える。
刺さった棘がそのまま真っすぐ抜けるように引っ込めたのだが、やはり痛い事に変わりは無かったらしい。
「うぐぐ……さ、さんきゅ………」
涙目でお礼を言うライナ。
流石に申し訳なく思い、傷の手当てを申し出た。
「傷見せてライナ。 ……手当てするから」
「え? いや大丈夫だよ、なんか布でも巻いとけば……」
ライナは涙目になりつつも笑って遠慮しようとするが、今回ばかりはそうはいかない。
彼が怪我をしたのは操の……『私』のせいなのだ。
「いいから。 私のせいで怪我しちゃったんだから、私に手当てさせて? ………お願い」
懇願するような操の言葉に、若干狼狽えたような表情を見せたライナは、おずおず、といった様子で傷付いた手を差し出した。
操はそんなライナの手を取ると、上下からそっと挟むように両手で包み込んだ。
痛々しい傷が付き、出血したライナの手を意識しながら、操は目を閉じて意識を集中する。
まるで祈るようなその姿に、ライナは思わず見惚れてしまっていた。
(ライナの傷を……私の力で癒してあげたい)
操は何となくではあるが、今の自分にならそうした事が出来るという確信があった。
何故急にそんな事が出来る様になったと思ったのか、はっきりした事は分からない。
だがそれは、操が操自身を受け入れた事に関わりがあるのではないかとも思えた。
操は人間ではない。
言ってしまえば街に蔓延る怪物と同じ人外の存在だ。
だが、それでも、人外の存在であっても、操は操なのだ。
以前、聖メアリー記念病院で、クロフォード医師の遺体が変異した異形と戦った時の事。
操は自身の事を、人間でもあり人外の存在でもあると自覚した。
結局の所、それが答えなのだ。
どんなに肉体が変異してしまおうとも、人間としての心がある限り、操は決して変わらない。
全ては操次第であり――――自分の存在を恐れ、否定する必要は無いのだ。
操は………いや、私は怪物であり、人間なのだから。
そう考えた時、私の中で何かがカチリと嵌まった感覚がした。
自分の中の何かが、あるべき形に収まったような……そんな感覚。
その感覚を感じた瞬間、ライナの手を挟み込んでいた私の手の表面、植物質の表皮に葉脈のような青く輝く文様が浮かび上がった。
私の腕全体に広がった青く輝く文様はそのまま強い光を放ち、やがてライナの手まで光に包まれる。
そうして束の間、青い輝きが私達の手を包み込んだかと思うと、ゆっくりと光は治まって行った。
そして手を退けると、そこには傷一つないライナの手があった。
「これは…………すごいな」
驚いた、と言うよりは何処か感動した様子で呟くライナ。
傷の消えた手を閉じたり開いたりして感覚を確かめている。
その手の表面には僅かな傷跡も残っておらず、先程まで傷だらけで血塗れだったとは思えない状態だ。
「驚いた。こんな事も出来るのか?」
「……そうみたい。 何となく出来そうな気がしたからやってみたんだけど………自分でやってみて、ちょっとビックリかな」
実際、自分でも思っていた以上の効果があって驚いた。
この『青い光』は本当にどういった物なのだろうか?
『ブルーフィリア』由来の存在にとっては、生命エネルギーに等しいものだと予想は付いたが、完全にごく普通の人間であるライナにも効果があるとは……。
まあ、何はともあれ、ライナの怪我を治療出来たのは幸いだった。
「それで、どう? 手の方に違和感とか無い?」
念の為ライナに手の状態を確認するが、ライナは怪我をしていた方の手をひらひらと振りつつ笑顔で答えた。
「ああ、大丈夫だ。 怪我なんて元々してなかったみたいに感じる位だよ」
「そう………良かった」
ライナの返事に安堵の溜息を漏らす。
彼に怪我をさせてしまったのは、私の心の弱さのせいだ。
私が自分という存在を確かなものとして認識出来ていなかったから、ライナが傷付いてしまった。
しかし、この考え方自体が私の心の弱さの表れなのだろう。
私が揺らいでしまった時、ライナは自分が傷つく事を厭わずに私の存在を受け留めてくれた。
ライナはああ言ってくれたけど、結局私は人外の怪物なのだ。
彼が私を受け入れてくれても、彼以外の人々は私の存在を認めないだろう。
そして、ライナはそれを理解した上で私を受け入れてくれた。
―――その結果、自分の立場がどうなるのか分かった上で。
何でもない様に明るく笑いながら、自分の命を懸けて私と共に在る事を選んでくれた。
それは本来、どれ程の覚悟が必要な事だろうか。
ライナは大した事じゃないと言うだろうけど、周囲の人間の全てを敵に回す可能性がある選択なのだ。
私の為にライナはそんな選択をしたのだ。
私は、そんな彼に応えなくてはいけない。
……いや、私自身が応えたいのだ。
愛する人が自分の為にしてくれた覚悟に。
もう二度と、私の弱さのせいで彼が傷付かない様に。
「ライナ」
「ん?」
傷が治った手の感触を確かめていたライナに呼び掛ける。
振り向いた彼の、少しあどけなさが残る顔を見つめながら、私は言うべき言葉を紡いだ。
「………ありがとう」
そんな私の言葉に、ライナは少しだけ驚いたような表情になったが、すぐに柔らかく笑うと「どういたしまして」と応えた。
私は操。
ただの『操』
人間であり、人間ではない存在。
『私』は今日この日、この時、この場所で…………本当の意味で『産まれた』のだ。




