64 帰還
屋上にワイヤーを撃ち込んだライナに倣い、操も『茨の鞭』を屋上に伸ばす。
棘の生えていない蔦でも良かったが、手掛かりになりそうな物が無いと体を支えるのは難しいと考え鞭にした。
鞭に生えた棘が屋上の縁に喰い付く。
更に、先端から細かく枝分かれした鞭が屋上の床を掴む様にして鞭本体を固定したのを確認すると、操は鞭を自らの腕に収納しながら体を引き上げて行った。
身動きしない操がゆっくりと上昇して行く姿は傍から見れば奇妙な光景に映っただろうが、ワイヤーの自動巻き取り装置が腕に付いている様な物と考えれば分かり易い………かもしれない。
やがて屋上の縁まで到達すると、操は壁を蹴って屋上まで一気に跳び上がった。
屋上は普段は人が立ち入る事を想定していないのか、手摺りの様な物は全く無く室外機と思われる物が幾つも並んでいる程度だ。
ざっと周囲を見回した限りでは、怪物の姿も無い様に見えるが……操には何らかの存在の気配が感じ取れた。
「ふぃーどっこいせっと……。 良いなー操は。 自動で体を持ち上げられる様なものだもんなぁ……」
周囲を警戒していた操は思わずよろめきそうになる。
そんな操の背後からは、緊張感皆無な声を上げつつライナが屋上に登って来た。
どうやら、操の鞭は高速で伸縮させる事が出来る為、屋上へ昇る途中で追い越してしまった様だ。
ライナのワイヤー射出装置にも巻き取り機構が備わっている様だが、流石に人間を持ち上げる程のパワーは無いらしく、自力でワイヤーを手繰り寄せて壁を登って来ていた。
「うーむ……その内改造して、人間二人位は持ち上げられる位に…………無理か」
「……え。もしかしてそれ、ライナのお手製なの?」
ライナが右腕の袖を捲り、腕に装着された機械を弄っているのを見て操が尋ねる。
かなり使い込まれているように見える装置は、手作りとは思えない見た目だ。
「ん? ああ、そうだぜ。 俺、元々機械弄りが趣味なんだ」
「趣……味……?」
確かにライナは色々な機械の操作など、専門的な知識が必要そうな事を何度も行っていた。
そう言えば、時々使用している爆弾類も何やら手作り感満載の機械が付いていた気もする。
しかし……どう考えても趣味のレベルではないと思う。
操は機械関係に疎いので基準が分からないが。
「それより……上に登れたのは良いんだけど、何か居ないか?」
―――と、操の中で『趣味』の概念が揺らぎつつあった時、ライナが屋上の奥、霧が漂う夜の闇の向こうを見て言った。
操も屋上に上がった時からその気配に気付いてはいた。
しかしそれは、『根腐れ』等と同じ様に薄い気配だった。
そこに『居る』のは間違いないが、正確な位置は掴めない。
だが今は……ライナも感じ取れる程に気配が濃くなりつつある。
「………何か、俺達がここにいるのがお気に召さない、って感じだな」
「……うん、殺気が増してる。 多分……奥に何かあると思う」
視線を交わす操とライナ。
操は『茨の剣』を生成して右手に持ち、ライナが後に続いた。
室外機や発電設備、通気ダクトや配管などが所狭しと並んだ屋上はお世辞にも足場が良いとは言えず、時折それらを乗り越えて行く必要がある。
点検の為に何処かから屋上へ上がる事は出来る様になってはいるのだろうが、少なくともあまり頻繁に人が行き来する事は想定されていないらしい。
積み重なる様にして設置されている室外機等で視界が遮られてしまうのも厄介だ。
操が先程から感じている気配は、そんな遮蔽物が大量にある視界の悪い場所の奥から感じていた。
恐らく、『青い花』が何らかの妨害工作を仕掛けて来ると思われる。
本来なら避けて通るべきだが、都合の悪い事に操達が目指している506号室のある方向からその気配がしていた。
戦闘は、避けられない可能性が高い。
「…………」
操は無言で屋上を歩いて進んで行く。
配管などを避けながらになる為、前進の速度はやや遅いが、今の所怪物の襲撃は無い。
ライナも操の背後を守りつつ怪物の襲撃に備えているが、今の所、襲撃の気配は無かった。
だが、二人が屋上の中程、丁度5Fのエレベーターホールの真上辺りに来た所で周囲の様子が一変した。
「っ! これは……!?」
「……うげぇ」
思わず声を上げる操とライナ。
二人の目の前に広がっていたのは、緑色の肉塊に飲み込まれた屋上の景色だった。
仮に、このホテルの様子を上空から俯瞰して見る事が出来たなら、恐らくこのホテルの建物は、北側から『青い花』の一部が変質した緑色の肉塊が覆い被さった様な状態に見えた事だろう。
操が目覚めたばかりの頃はこの様な状態にはなっていなかった筈だが………一体、何があったのだろうか。
屋上をこのまま歩いて進む事は辛うじて出来そうではあったが、緑色の肉塊と化した『花』に取り込まれてしまった室外機などが、肉塊同士で結びついて壁の様になってしまっている。
先へ進むのはこれまで以上に困難だと思われる。
しかし、最大の問題は通行し難い事ではない。
「あれは、倉庫街で見た……!」
そこにあったのは、倉庫街で『双子』や何体もの『三本足』を生み出した、『花』の瘤だった。
しかも、既にかなりの大きさになっており、「中身」が生まれる寸前の状態だ。
そして、操がそう考えた直後、急激に瘤の表面が脈打ち始めた。
『ォ……オォ………オォォオ……』
脈動はどんどん早まって行き、遂にはその表面にヒビが入る。
中身と思われる、得体の知れないドロドロとした樹液のような物が溢れ出した。
「おいおい……まさか、待ち伏せか?」
『茨の剣』を構える操の横で、ライナも銃を瘤に向ける。
その直後、バキッ!という音と共に瘤が内側から一気に破られた。
『ロロロロロォォォォォォッッッッッ!!!!!!』
「……でっか!」
巨大な瘤の中から飛び出すように現れたのは『巨人』だった。
流石に『双子』ではないようだが、この狭い場所で相手にするには厄介な怪物だ。
『巨人』を目にするのが初めてのライナはその巨躯に驚きの声を上げた。
「気を付けて、ライナ! あいつはリーチが長い上にパワーがある!」
「……見たまんまだな! ……何もこんな足場の悪い所に出て来なくても良いだろ!」
言いながら操とライナは距離を取るべく後ろに下がる。
『巨人』の腕のリーチからすれば足場が限定されたこの場所は、常に巨人の攻撃の射程圏内に入っていると言える。
障害物が多いのも相まって攻撃を避けるのも一苦労だ。
操達が今居る5Fエレベーターホールの真上に当たる場所が一番開けているが、この場所だけで『巨人』の相手をするのは困難だ。
今回は二人がかりで戦えるとはいえ、足場の狭さが味方の居る状況を却って不利な要素に変えてしまっていた。
『ロロロロォォォォッッッッ!!!!』
巨大な瘤の中から這い出して来ると同時に、『巨人』は操達に向けて走り寄って来た。
当然、長大な両腕を振り回しながら。
「ぐっ!!」
「うお、あっぶね!」
振り下ろされた『巨人』の腕を左右に飛んで回避する操とライナ。
棍棒のようになった腕を叩きつけられた屋上の床にヒビが入る。
『ロロォォォアアッッッ!!!』
攻撃を躱された『巨人』は即座に反応すると、右に避けていたライナに向かって裏拳を繰り出すように拳を振るった。
「おっと」
しかし、かなりのスピードで、しかも背後から振るわれたその攻撃を、ライナは見もせずに身を屈めて回避する。
更に、頭上を通過して行く『巨人』の腕に、いつの間にか抜き放っていた短剣で斬り付けた。
『ロロロロォォォ!!!?』
攻撃を躱された上に反撃までされるとは思っていなかったのか、『巨人』が悲鳴を上げる。
そこへ、操が『茨の剣』で斬り掛かった。
「はぁっ!!」
『ロォォッッ!!!』
『巨人』は腕を振り回すのではなく、折り畳んだ腕を素早く体の前面に構える様にして操の剣を防御する。
巨大な腕を盾にされた為、操の剣は『巨人』の身体に届かない。
キィン!!
金属同士がぶつかり合ったような音が辺りに響く。
「……ッ!?」
『ロォアッッッ!!』
『巨人』はそのまま操の体を後方へ跳ね飛ばす様にして押し返す。
勢い良く弾き飛ばされた操は、当然の事ながら屋上から投げ出される形になってしまった。
「操!」
ライナが叫ぶ。
―――が同時に、操の腕から『茨の鞭』が伸びている事に気が付いた。
『ロロォォ!!?』
「でぇッ……やぁぁッッ!!!」
『巨人』との接触時、『茨の鞭』の先端をその腕に喰い付かせていた操は、鞭を伸縮させると、その勢いを利用して『巨人』との間合いを一気に詰めた。
そして空中で体を前転させると、その勢いのまま『巨人』の頭部目掛け『足甲』を纏った右足で踵落としを放った。
『ロォォォ!!!?』
「ッ!!」
虚を突かれた『巨人』は反応が一瞬遅れ、更には腕に絡み付いた『茨の鞭』に腕の動きを阻害された結果、操の踵落としを腕で防御する事が出来なかった。
しかし、それでも咄嗟に頭を横にずらして回避行動を取った為、操の蹴りは頭部ではなく肩に突き刺さった。
『ギィェェェェェェェッッッッッ!!!??』
急所への攻撃は避けたものの、強烈な威力の踵落としを肩に受けた『巨人』は悲鳴を上げる。
『足甲』の踵部分には、以前『三つ首』に対して用いた時と同じ様に逆向きの刃が形成されているのだ。
『巨人』の方に逆刃を突き刺した操は、素早く右足を手前に引く事で『巨人』の肩をより深く抉った。
切り裂かれた『巨人』の肩口からは大量の血が噴き出す……が、すぐに傷が塞がってしまう。
「うへぇ、見た目ヒョロっちぃのに頑丈な奴だな……」
そんな『巨人』の姿を見てライナが悪態を吐く。
操も同感だったが、その一方でそもそも以前戦った『巨人』にそんな再生能力など備わっていただろうか……と、考えてもいた。
今まで、『双子』も含めれば3体の『巨人』と戦ったが、傷を負っても即座に再生させるような事はしていなかった筈だ。
と、なると……この個体もまた、『特別性』か。
操がそう考え、目の前の『巨人』に対する警戒度を引き上げた時……『巨人』に異変が起こった。
『ォォォ………』
「!?」
「うん?」
傷が再生した『巨人』が突然脱力したようにゆらゆらと立ち尽くすと、その上体を仰け反らせる。
何か仕掛けて来るのかと身構える操とライナ。
しかし……。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!』
『巨人』があらん限りの力を込めて咆哮を轟かせた。
攻撃を警戒していた操とライナは『巨人』のそんな行動に少々面食らう。
確かにその咆哮は大音量ではあったが、流石にその音で操達を害する事が出来る程ではない。
単純に、怒りの感情を露わにしただけとも取れるが……その行動の意図が二人には分からなかった。
だが、『巨人』の意図はすぐに判明した。
メキメキッ……ミチミチッ
「ッ!?」
「うげ」
操達の耳に、肉を掻き分けるような不快な音が届く。
それは、『巨人』が産まれて来たあの緑色の肉塊から聞こえたようだ。
そして、その音は『巨人』が産まれた際と似たような音を立てて……一部が一気に膨れ上がる。
メリメリパキパキ、と急速に成長した3つの瘤の中で、何かが動いている。
操にはその光景に見覚えがあった。
「ライナ! 『三本足』だよ!」
「だから場所考えろっての、こいつら!」
再度悪態を吐くライナ。
彼の言う通り、広範囲に届く『三本足』触手による攻撃は足場の悪いこの場所では厄介極まりなかった。
『ミ゛ィィィィィィィィィッッッ!!!!』
『ミ゛ギャァァァァァ………』
『ミ゛ィィィィァァァァァァ………』
瘤を破って3体の『三本足』が這い出て来る。
怪物達は即座に立ち上がると、最も近くにいたライナに襲い掛かった。
『ミ゛ィィアアッッッ!!!』
『ミジャァァァァァァ!!!!』
『ミ゛ィィィギャァァァッッッ!!!』
「……ライナ!!」
3体の怪物の触手が一斉にライナに向けて放たれる。
だが、ライナは自らに殺到する無数の触手を身体を捻って難なく避けた。
操から見ても回避が困難なレベルの攻撃密度の筈だが、ライナは触手を最小限の動きで躱している。
余裕綽々といった様子のライナだが、逆に操は焦りを感じた。
(……拙い!)
操はライナが『三本足』の攻撃を受けた時点で『巨人』に向かって走り出していた。
『三本足』がライナの動きを封じている間に『巨人』が攻撃する、というのが『巨人』と『三本足』の常套手段だ。
それ故、ライナの元へ『巨人』を向かわせない為に『巨人』を攻撃して釘付けにするつもりだったのだが……。
『ロォォォォォッッッッ!!!』
『三本足』に意識を向けたライナを隙ありと見たのか、操と相対していた『巨人』が突如体を反転させ、ライナに向かって突進し出した。
距離としてはそれ程離れていない上『巨人』のリーチもある為、このままではあっという間にライナが『巨人』の攻撃の射程圏内に入ってしまう。
更に言うなら『巨人』は疑似的な四足歩行のような体勢で走る為、リーチの長さ=歩幅の広さとなり意外な程移動速度が速い。
つまり、操の位置からは即座に走り出しても間に合うか微妙な距離だった。
(……間に合って!!)
操は『巨人』を止めるべく『茨の剣』を右手に持ち、左手に背中の散弾銃を蔦を操作して持った。
ここから散弾銃を『巨人』に対して撃ったとして、その突進を止める事が出来るかは分からない。
しかし、今『巨人』を止められる可能性が最も高いのは散弾銃による攻撃だ。
操は一縷の望みに賭ける思いで銃口を『巨人』に向けた。
その時。
『三本足』の攻撃を躱していたライナが猛烈な速度で両手を動かすのが見えた。
操に見えたのは、ライナが左右の手に持っていた武器を持ち替えた、という事だけだ。
右手に短剣、左手にハンドガンを持ったライナは、更に短剣の柄頭の部分に右手のワイヤーを連結した。
良く見ると、短剣の柄頭はワイヤーと連結する事が出来る様になっていたらしく、見た目よりもかなり強固に固定されているようだ。
そして次の瞬間にはライナは、思考速度が加速され、体感時間が限界まで引き伸ばされた操の視界の中ですら速く感じる程の速度で、短剣を左に振りかぶる。
そして、短剣を投擲しながら袖口から伸びたワイヤーを掴むと、勢い良く右に振り抜いた。
『!!!??』
『!??!?』
『!!???』
投擲された短剣は連結されたワイヤーによって遠視力で振り回され、ライナの前の『三本足』を一閃した。
ビュオンッ!!という、およそ数十センチ程度の物体が振り抜かれただけとは思えない様な風切り音を上げて通過した短剣は、3体の『三本足』達の身体を半ばまで断ち切った。
更にライナはそのまま手首を返してワイヤーを操作し、頭上で短剣を回転させると……背後から迫っていた『巨人』に向かって振り下ろした。
『ロォ!!?』
あまりにライナの動きが早く反応が遅れた『巨人』だったが、ここでも咄嗟に左腕の棍棒部分を盾に防御行動を取る。
『巨人』の腕の棍棒部分が、操の『茨の剣』でも切る事が出来ない強度を持つ以上、如何にライナの攻撃が早くとも防がれてしまえば効果が無い。
しかし、ライナが狙ったのは『巨人』の腕ではなかった。
短剣が『巨人』に振り下ろされる直前、ライナはほんの僅かにワイヤーを引いて短剣の動きに変化を付けていたのだ。
真っすぐ縦に振り下ろされるかに見えた短剣は、その軌道を僅かに変えると、『巨人』の腕の関節部分に叩き込まれた。
『三本足』の身体を断ち切った斧の一撃にも等しい短剣の一撃は、『巨人』の体の部位では比較的強度の低い関節部分をも断ち切り、あっけなく『巨人』の腕を切断してしまった。
『ギィィィィィィィエエエエエエエァァァァァァァァアアアアアアアアッッッッッ!!!!!!???!?』
予想外の激痛に絶叫する『巨人』。
だが、ライナの攻撃は終わらなかった。
叩き付けるように振り下ろされた短剣は、あまりの勢い故に床に突き刺さってしまった。
にも拘らず、ライナは腕を失い狼狽える『巨人』に向かって疾走して行く。
その際にワイヤーを強く引き、床に刺さった短剣を引き寄せて回収する。
空中で短剣をキャッチし、逆手に持った状態で『巨人』へ飛び掛かった。
『ロォォォォォォォッッッッ!!!!』
それに対して『巨人』は、残った右手を振るってライナを殴り飛ばそうとする。
しかし、自分に向かって放たれた拳打をライナは身を沈めて躱しつつ、頭上を通過して行く『巨人』の腕に左手を添えた。
「!!?」
『巨人』の振るった剛腕を手で掴み、攻撃の勢いを利用して空中に跳び上がったライナは、そのまま空中で体勢を整えた上で手にした短剣を投げ放った。
短剣に引かれたワイヤーが、『巨人』の首に巻き付き固定される。
そして、空中からの落下の勢いに合わせ、ライナがワイヤーを引っ張り、思い切り体重を掛けた。
『ゴゲェェッッ!!!??』
首にワイヤーが巻き付いた状態で、ライナの体重と落下時の勢いを合わせ引っ張られた『巨人』は、首にワイヤーが食い込み、後方に向けて強制的に仰け反らせられた体勢になった。
普通ならこの様な状態になった時点で首が引き千切れるか折れていると思うが、流石と言うべきか『巨人』の首は折れも千切れもしていない。
しかし、元々苦し紛れに大振りの攻撃を放ち、体勢を崩していた『巨人』は、体が完全に後方へ倒れる寸前だ。
何とか残った右腕と両足で踏ん張り体を支えているが、ライナがワイヤーを引いている以上、ここから体勢を立て直すのは困難だ。
だから、『巨人』はライナに対して最後の攻撃手段による反撃を試みた。
『ジィィャァァァァァァァァァッッッッッッ!!!!!!』
後方に引き倒されそうになった状態で敢えて頭部だけ更に仰け反らせた『巨人』は、口内から蔦の触手を一斉に放った。
基本的にその怪力と長リーチによる中距離戦を得意とする『巨人』の、唯一の近距離攻撃手段にして奇襲手段。
ライナはワイヤーを引いた状態で『巨人』から少し離れた場所にいるが、十分触手の射程圏内だ。
触手攻撃でライナを仕留められれば良し。
仕留められなくとも、ワイヤーを手放させるか緩めさせれば十分に脱出・反撃は可能。
『巨人』の思考はそのような物だったかもしれない。
しかし、『巨人』の視界に映ったライナが、『巨人』を冷たく見下ろしながら僅かに口角を上げた。
「―――俺ばっか構ってて良いのか?」
聞こえる筈の無い距離と声量で、ライナは確かにそう囁いた。
そして、ライナのその言葉を裏付けるかのように―――。
「……!!!??」
横合から飛び込んで来た操が、下がった『巨人』の首を一刀のもとに斬り落とした。
首を失った『巨人』は、首の切り口から大量の血を噴き上げながらも、その場からよたよたと数歩歩く。
あの状態でもまだ即死していないというのは呆れるばかりの生命力だ。
放っておいても死ぬだろうが……トドメはしっかり刺しておくべきだろう。
「往生際が悪いぞ。 ―――とっとと死ね」
ライナがそう呟き、『巨人』の右足の関節を銃撃する。
3連射された銃弾は『巨人』の関節を砕き、それによってバランスを崩した『巨人』が大きくよろめく。
そこへ、ライナが後ろから蹴りを入れた。
完全に体勢を崩した『巨人』はそのまま屋上の縁に躓くと、その身を空中に投げ出した。
「……!!??!??!………………」
首が無い故に、悲鳴らしい声も上げられず地上へと落下して行った『巨人』は、霧に満ちた夜の闇の中に轟音と共に消えて行った。
「やれやれ、こんな所にまで出て来るとは思わなかったな」
屋上に再び静寂が戻った所でライナが溜息を吐いた。
確かに、これ程ピンポイントに『刺客』が配置されているとは操も思っていなかった。
『青い花』は操がこの場所に戻って来ると予想していたのだろうか?
……と、操がそのように『青い花』の思惑を読み解こうと思案していると、奇妙な音が聞こえて来た。
「……?」
音の出所を探ってみると、それは先程『巨人』や『三本足』が産み落とされた緑色の肉塊からだった。
まさか、また追加かと一瞬身構えたが、どうやらそうではないらしい。
「……ありゃ。 何か、溶けてないか? これ」
ボコボコ、ゴボゴボ、という、何とも形容しがたい……水気を含んだ何かが沸騰するような音を立てながら、緑色の肉塊が崩れていく。
肉塊の周囲からは蒸気のような物が上がっており、何らかの急激な変化が肉塊の中で起こっているのが見て取れる。
そして次の瞬間、肉塊が青い炎の様なものに包まれた。
「ッ!?」
「うおっ!?」
これには流石に二人も驚いたが、奇妙な事に青い炎らしきものからは熱を感じなかった。
更に、一見した所、周囲にある物にも燃え移ったりしておらず、緑色の肉塊だけが燃え崩れていっている様だ。
(これは……あの時見た物と同じ……?)
操は以前、倉庫街で『双子』と戦った際に似たような現象を目にしている。
『双子』の巨人を斬った際の切り口が青く瞬き、『双子』の死体が火に焼かれた様になっていたのだ。
あの時見たのは炎の様な火勢の強い現象ではなく、僅かに燻る残り火の様なものだったが、あの時見た物もやはり死体が燃えている様に見えても熱は感じなかった。
恐らく燃焼に近しい現象ではあると思われるが……小さく瞬いている程度だった操の『青い光』に対して、今目の前で肉塊を焼き尽くしつつある炎は猛火と言うべき規模だった。
「一体何だ? いきなり燃え出したと思ったら、熱さを感じないし……燃えてるの、この気持ち悪い肉塊だけだよな?」
ライナが訝し気に、しかし興味深そうに崩れ落ちて行く肉塊を見つめている。
一定の距離を保った位置から観察している辺り、迂闊に触れるべきではないと判断しているようだ。
「私にも良く分かっていないんだけど……『青い花』特有の現象なんだと思う。 ……前に、私も同じ様な現象を起こした事があるから」
既に殆ど崩れ落ちた……いや、焼け落ちた肉塊を調べるライナの側に歩み寄りながら、操は以前同様の現象を目にした事がある事を告げた。
「……マジか。 だとすると……まだまだ『青い花』について分からない事だらけって事だな……。 本当に一体どういう生き物なんだ? こいつらは……」
呆れた様に目の前の焼け崩れた肉塊だった物に視線を落とすライナ。
すると、何かに気が付いたのか声を上げた。
「ん? ……あれ、ちょっと待てよ……?」
「え? どうしたの?」
ライナは操の問いには答えず、肉塊の残骸を出来るだけ避けながら、肉塊の背後にあった屋上北側の縁部分まで近付いた。
そして、下を覗き込むと……とても嫌そうな顔をした。
「……ベランダから降りて部屋に入ろうと思ったんだけど……無いな、ベランダ」
「えっ!?」
慌てて操も屋上の縁まで行き、下側を覗き込む。
本来はそこには506号室のベランダがある筈であり、操も屋上を通過した後はそこに降りるものと思っていた。
しかし、そこには降りるべき506号室のベランダは無く、巨大花の根に押し潰されたベランダの残骸があるだけだった。
緑色の肉塊が無くなった今も、巨大花の物と思われる巨大な根は5階建てのホテルの建物に寄り掛かるかの様に取り付いており、そのせいで建物北側にある客室のベランダ部分が地上から伸びて来た根に覆われてしまっていたのだ。
足場が無いだけなら操なら『茨の鞭』を使って降りれば良いが、根によって窓側が完全に塞がってしまっている。
より正確に言うなら、505号室と506号室の二つの部屋のベランダが押し潰され、窓が塞がった状態だ。
隣の部屋のベランダから侵入する事も出来そうにない為、このまま窓から直接506号室に侵入……とはいかなそうだった。
「まいったな……この根っこを取り除くのはまず無理だし……」
ライナの言葉を聞き、操は周囲を見渡す。
先程の緑色の肉塊は、巨大花の根から発生していたもののようだった為、根も同じように燃え尽きないかと思ったのだ。
しかし、既に青い炎は消えてしまっており、根の方まで炎が燃え移る可能性は無さそうだ。
「……別の部屋から何とか近づけない? 向こうの部屋のベランダは無事みたいだし……」
別の部屋とは、エレベーターホール側から見た際に、異常繁殖した『青い花』の巨大な蔦によって入り口前の廊下が埋め尽くされてしまっていた部屋の事だ。
ホール側から見た限りでは、501号室から504号室までの廊下が完全に埋まってしまっていた。
一方で、ホールの窓から見た限りでは、505号室と506号室の前の廊下は『花』の蔦にあまり侵食されておらず、まだ無事なように見えたのだ。
「うーん……504号室のベランダは無事だけど……部屋の外は『花』で埋まってるしなぁ」
504号室に入れるとしても、そこから廊下に出る事が出来ない。
せめて、505号室のベランダが無事だったなら良かったのだが……。
「……しょうがない、最終手段だな」
「……え?」
考え込んでいたライナが突然顔を上げてそんな事を言った。
同じように頭を悩ませていた操はそんなライナの様子に―――大変嫌な予感がした。
「さ、最終手段って……何するの?」
「取り敢えず……504号室で良いから下に降りよう。 部屋の中の状態を確認しないとな」
そう言ってライナはさっさとワイヤーを使い、504号室のベランダに降りて行ってしまう。
操は慌ててその後を追った。
「ちょ、ちょっとライナ! 待ってよ!」
操が『茨の鞭』を使ってベランダに降りると、ライナは手慣れた手つきで窓のロックを外していた。
そういえば、前にも鍵のかかった扉を簡単に開けてたっけ……などと、操はそんな事を思い出していた。
「……って、そうじゃなくって、ライナ、最終手段ってどうするつもりなの? この部屋からじゃ506号室には行けないよ?」
嫌な予感がどんどん増して行く操は、ライナを問い詰める。
ライナは窓のロックを外し終えると、ガラス戸を開けて室内に足を踏み入れた。
そして、操の方へ振り替えるとにっこりと笑顔を向けてこう言った。
「勿論、壁を吹っ飛ばして505号室へ行くんだよ」
操の嫌な予感は的中してしまったようだ。
「………本当にやるの?」
「だってこれ以外に方法ないだろ?」
操とライナは504号室のバスルームの中にいた。
505号室側の壁に設置した爆弾の爆風を避けるためだ。
更に、バスルームの入り口の扉は爆風対策に操の蔦で補強されている。
「俺の手持ちの最後の爆薬だからな。 最後はドカンと一発派手に行こうぜ!」
「いや、派手に行かなくていいから……」
操も初めはライナを止めようとし説得を試みようとしたのだが、他に方法が無いという事も確かだった。
この建物自体が『花』の浸食や、巨大花の根の影響によって強度が落ちていると思われる事もあり、爆発によって更にダメージを与えるような事はしたくないのだが……。
「ま、用事を済ませたらさっさと出れば問題ないさ。 それに、そう大した威力がある爆弾じゃないしな」
「……壁に人が通れるくらいの大穴を開けられる爆弾は、十分大した威力だと思うよ……」
半眼で睨みつつそう返す操。
当のライナは気にした素振りも無かった。
「よし、それじゃあそろそろやるぞ」
「うう…ホテルごと崩れません様に……」
衝撃に備える為、バスルーム内に屈む操とライナ。
ライナの手には爆弾と連動させた携帯端末がある。
いつ衝撃が来ても良いように、操は体を丸めて縮こまった。
すると、ライナが床に跪き、そんな操を抱き締めた。
「……!!?」
突然の事に内心パニックに陥る操。
単に操を庇う為だと操自身も分かってはいるのだが、不意打ちは卑怯だと思う。
「……行くぞ」
「ひゃ……ひゃい……」
耳元で囁かれたライナの声に、動揺して裏返った奇妙な返事を返す操。
ライナが若干訝し気な顔をするが……すぐに表情を引き締め、端末の爆弾の起動ボタンを押した。
その瞬間――――。
轟音が鳴り響き、バスルームが大きく揺れた。
「………ッ!!………」
体を強張らせ、爆発の衝撃に耐える操。
バスルーム内にも衝撃が伝わり、鏡が割れ、備え付けの備品が落下する。
しかし、自分を庇って覆い被さっているライナの体温と息遣いが間近に感じられ、正直それ所ではない。
気が付けば爆発の衝撃は収まり、爆発によって室内に舞った塵や埃も落ち着いていた。
「ゴホッ……操、大丈夫か?」
「う、うん、大丈夫……」
操の無事を確かめたライナは微笑むと立ち上がり、状況確認の為にバスルームを出て行く。
操もゆっくりと深呼吸をした後に立ち上がってライナの後を追った。
……心臓の音が煩いのは爆発のせいという事にしておく。
「おお、上手くいったな」
ライナの声に爆弾を設置してあった壁を見ると、そこには人一人が何とか通れる位の穴がぽっかりと開いていた。
穴の向こうには隣の505号室の内装が見える。
そして同時に、向こう側もこちら側も、室内は酷い有様だった。
「……ベッドがバラバラになったね。 ……あっちも」
「あー……思ったより威力あったなぁ……」
ばつが悪そうに乾いた笑いを漏らすライナ。
……最早何も言うまい。
「とにかくこれで506号室に行けるはずだ。 ……早速行ってみようぜ」
「……うん」
操はライナの言葉に頷くと気持ちを切り替える。
もう間もなく目的の場所に辿り着く。
失った自分の記憶を取り戻せる何かが、恐らくそこにある。
操は壁に空いた穴を通って505号室へ踏み入る。
そこは若干『花』の蔓や葉が侵食しつつあったが、今まで見た客室に比べれば遥かにマシな方だった。
特に怪物が潜んでいる様子も無い為、ライナと共に警戒しつつ入口の扉へ向かう。
爆発で飛び散った瓦礫を避けながら扉へ近づくと、念の為ドアスコープで外の様子を確認する。
扉の外は『花』の浸食が殆ど及んでおらず、廊下は問題なく通る事が出来そうだ。
操はドアノブを捻って扉を開けると、廊下へ出る。
廊下の左方向は、『花』の蔦や蔓が融合して出来たような緑色の肉の壁で埋まっていた。
そして右側、506号室方向の廊下は、不思議な程『花』の影響が無かった。
恐らく、操が出て行った時と何も変わっていないのだろう。
しかし、あの時は気が付かなかった壁に付いた血痕などがある事で、初めてこの場所に来たような心持になる。
―――思わず、操は足を止めてしまった。
それが戸惑いから来るものなのか、真実を知る事に対する躊躇いなのかは分からないが、操はゴクリと息を呑んだ。
その場から一歩も動けず、背中には冷たい汗が流れるのが分かる。
段々と呼吸が浅くなって行き―――
「……!」
ポン、と肩に手を置かれた。
そちらを見れば、ライナが無言で頷きつつ操を見守っていた。
途端に、心が落ち着いて来る。
大丈夫、私は一人じゃない。
ライナが一緒なら、何も怖くない。
廊下を奥へ進む。
隣の部屋に向かうだけなので時間は掛からない。
やがて、506号室の扉が見えて来た。
「…………着いた……」
扉のドアノブには血がべっとりと付いていた。
既に乾いている為、あの時は手の感触で気付かなかったのだろうか。
腰のポーチから506号室の鍵を取り出す。
鍵穴に鍵を差し込んで捻ると、カチリ、とロックが解除される音が聞こえた。
血が付着したドアノブを握る。
「ふー……」
呼吸を落ち着ける。
ここに、この部屋に、失った記憶の全てに繋がる何かがある。
確たる証拠がある訳ではないのに、今は確信している。
自分は最初から、答えを知っていたのだ。
自分が知るべき事が何処にあるのかを。
そして、呼吸を落ち着けた操は、真っすぐに扉を見据えてドアノブを捻り――――。
506号室の扉を押し開けた。
新年なので(?)三話投稿です。




