56 先が無くとも
どくん、と体全体が脈打った気がした。
死体に突き刺さった指先から、温かい血液が腕を通って体内に流れ込んで来るのが分かる。
指先から腕へ。
腕から肩へ。
肩から首、胸元…………。
「……ッ………ッッ……!!」
操は声も無く身体を仰け反らせる。
死体から血が体に流れ込んで来るのに合わせて、体の表面に細かい血管が浮き出て行く。
それは操が『強化状態』となった際、体の表面に浮き出た青い幾何学模様状の線とは異なる、植物の根の様な細かな物だ。
当然の事ながら人間には吸血行為の為の器官など存在しない。
故に、今操の体の表面に浮き出ている血管状の器官は、恐らく『花』特有の器官の一部なのだろう。
体内に血を吸収して行く内、操の指先だけを覆っていた筈の植物質の装甲が、いつの間にか手首から下も覆っていた。
装甲に覆われている範囲は操の体内に血が吸収されればされる程に広がっている様に見える。
「………ッ……はッ……はッ……はッ……うあぁッ……」
しかし、操にそんな事を考える余裕は無かった。
身体が血を取り込む度、操は全身に走る電流の様な衝撃に苛まれていた。
体内に取り込まれて行く血は、渇き切った砂地に水が染み込むかの如く次々と操の体に吸収されて行く。
体に温かい感覚が広がる度、操は背を仰け反らせて体を痙攣させた。
脳を焼かれるかの様な感覚が全身を苛み、視界にはちかちかと火花が散る。
全身の感覚が体に流れ込む血に酔いしれ、まともな思考が出来ない。
――――――モット―――ホシイ―――。
――――だが、操の思考が自らの体内を満たして行く血の快楽に上書きされ尽くす寸前。
「……うあっ…………ああぁぁぁぁっっっ!!!」
操は残され思考力を振り絞ると、死体に突き刺さった指先を思い切り引いた。
ぐじゅり、と湿った音が鳴り、血塗れの操の指が引き抜かれる。
勢いを付けて加減など一切せず、力の限り腕を引いた為、身体が仰向けに倒れてしまった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ………………」
浅く呼吸を繰り返す操。
その眼は光を映していないかのように見開かれ、虚空に向けられている。
しかし、少しずつ霞んでいた視界も晴れ、消え掛けていた思考も徐々に戻って来た。
「はぁ………はぁ…………はぁ…………」
呼吸も落ち着きを取り戻す頃には、輝きが無くなっていた眼にも完全に光が戻って来る。
「はぁ…………はぁ……………」
最後に目を瞑り、大きく息を吸って深呼吸すると、操は自分の手を……死体に突き刺していた右手を持ち上げ、視界に映した。
操の目に映った右手は植物質の装甲を纏った『籠手』を装着した状態だった。
血に濡れた指先から腕にかけては既に血管らしき物は見えなくなっているが、今も体の中を怪物の血液が通り抜けて行った際の『熱』が全身に残っている。
そして、その感覚と共に、これまで感じた事のない感触を右半身に感じていた。
「………………」
ゆっくりと、無言で上半身を起こす操。
操の身体は自分の血と怪物の血で酷い有様だ。
傷口は『強化状態』になった際の超回復により塞がった様だが、大量出血した血の痕までは元通りとは行かない。
恐らく顔の方も似た様な状態だろう。
しかし、先程から感じている違和感はそういった物ではない。
そして、操は特に違和感がある右腕を見た。
「…………!!」
これまで操は『花』の能力を用いて自分の腕に植物質の装甲を纏う『籠手』の能力を何度も使用して来た。
この能力は操の腕を指先から肘の少し上辺りまでを装甲で覆って防御を固める能力だ。
しかし今、装甲が覆っているのは肘の少し上だけではなかった。
『籠手』と同じ植物質の装甲は操の右半身の肩から首、そして顔に至るまでを浸食していたのだ。
皮膚その物が植物質に変化した様な状態になっており、左手で顔に触れてみると目元辺りまで浸食が及んでいるのが分かる。
慌てて自分の姿がどうなっているのか確認しようと周囲を見渡す操。
すると近くに戦闘に巻き込まれて大破した小型トラクターがある事に気が付いた。
戦闘中にはそんな物は見掛けなかった筈だが、枯れ崩れた巨大な『花』の残骸に埋まった状態でフロントガラスが顔を出している。
どうやら異常成長した『花』の幹に飲み込まれていたらしい。
この時になって漸く操は周辺の『花』の幹によって形成されていた壁が崩れて来ている事に気が付いた。
怪物の群れを倒したせいだろうか?
だとしても、何故怪物の生死と連動しているのだろうか?
疑問に思う所はいくつもあるが、今は後回しだ。
操はその場で手を付いて立ち上がる。
身動き一つ取れなくなりそうな状態だった先程までの様子とは異なり、多少ふらついたものの問題なく立ち上がる事が出来た。
どうやら体の状態はある程度元に戻っているようだ。
ある程度、というのは操自身の感覚として完全に元通りではないと感じる部分があるからだ。
すこしフワフワしているというか、変に体が軽いような……そんな感覚だ。
とはいえ、大きなダメージを受けて消耗し切ってしまっていた先程よりは遥かにましな状態にまで回復しているようだった。
操は少々ふらつく体に鞭打つと、『花』の残骸の小山から上半分だけ見えている小型トラクターに近付いて行く。
そして、強い衝撃を受けて割れてしまったフロントガラスに映った自分の姿を目にした。
「…………これ、は……」
やはり、操の右半身は植物質の外皮に覆われた状態になっていた。
見た目としては先程倒した『巨人』や『三本足』の外皮と同じ様なものだ。
しかし、色合いは怪物達の表皮と同じ緑色ではなく、操の体に寄生している『青い花』の蔓や蔦と同様の青緑色をしている。
そして何より、目元を含めた顔の右半分と………右眼の色が変色していた。
具体的には白目の部分が濃く暗い青色になり、虹彩や瞳の部分が明るい青色になっている。
左目は元のまま変化が無い分、より一層右目の異様さが際立って見えた。
嫌な予感がした操は、慌てて右腕の『籠手』の装着状態を解除しようとする。
だが、『籠手』は一切反応を見せず、右腕は青緑色の植物装甲に覆われたままだった。
焦る心と震える手を抑えつつ、今度は『茨の鞭』を右腕に展開させてみると、こちらは問題なく出し入れが出来る。
こうなっては、否応無しに自分の置かれた状況を認めざるを得ない。
『籠手』の状態が固定され、右半身が植物質の外皮に浸食されてしまっている。
青く変色した右目は、どう見ても人間のそれではない。
つまり、割れたフロントガラスに映る今の操の姿はどう見ても………操がこれまで対峙して来た『花』の怪物の一体その物だった。
「…………わた、し………私は……」
フロントガラスから目を話し、自分の両手を見つめる。
右手は青緑色の装甲に覆われた異形の手、左手は血の気が引いた人間の手。
そして、どちらも血に汚れた手だった。
「……私は………もう、人間じゃ……無いんだね…………」
誰に言うでも無く弱々しい声で呟く操。
変色した暗く青い右の目からは、涙が流れ落ちていた。
倉庫街の東側の端、その一角に入口のゲートとは別のゲートと壁で区切られたセキュリティ区画がある。
そこは、表向きには扱いがデリケートな物品を保管する為の倉庫、という事になっているが、操が閲覧した資料にあった通り、事実上サイディス社専用の特殊物品保管倉庫だった。
国によっては特定の機器や薬品を国外に持ち出す事、あるいは国内に持ち込む事を禁止している国もある。
この倉庫はそういった持ち込む事や所持している事自体が違法となるような物が偽装された上で保管されていた。
この区画に入る為のゲートは明らかに倉庫街入口のゲートよりも厳重であり、区画を仕切る壁は内部が見えないようになっている。
街が危険地帯と化した現在では人影は全くないが、本来であれば武装した警備員が立ち入る者を入念にチェックしていた。
それ故か区画入口のゲートは硬く閉ざされている。
入り口近くにある警備員の詰め所にはゲートを開閉する為の制御装置のような物は無く、平時においては内側から装置を操作してゲートの開閉を行っていたらしい。
しかし、このゲートにも警備員の出入りに使う小さな扉があった。
車両の通行をゲートで制限しているから問題ないのかもしれないが、こういった物があるのはセキュリティ上問題ないのだろうか?
事実、ゲートの方は重厚な造りをしているうえ機械制御のようだが、扉の方はごく普通の鉄扉のようだ。
扉は閉まっており内側から鍵が掛けられている。
流石に行政機関から一般企業まで施設管理状況が杜撰なグリーンフォレストでも、鍵を掛け忘れていた等という極めて初歩的な杜撰さは発揮されなかったようだった。
バキィッ!!
その鉄扉が内側に突然折れ曲がる。
次いで、メキメキメキッという音を立てて更に折れ曲がって行く。
やがて、耳障りな金属音を響かせながら扉が壁から無理やりに引き剥がされた。
壁から剥がれた扉は勢いよく放り投げられて地面に落下する。
そして、けたたましい音を立てて転がる扉を尻目に扉を潜る人影……操の姿があった。
「………………」
無言でセキュリティ区画に足を踏み入れた操の顔色は、血を大量に失って倒れた直後に比べると幾分良くなっていた。
しかし、それでも血色が良いとはお世辞にも言えず、足取りも何処か重たい。
目にも力が無く、血だらけの姿でよろよろと足を動かす姿は、一見すると『花』の怪物達のようだった。
「……確か………こっち……」
ゆっくりと歩く操はセキュリティ区画のとある一角へと真っすぐ向かっていた。
魂が抜けたかの様な状態の操ではあったが、それでも目的を果たすべく、どうにか自分を保っていた。
半身が変異してしまい、怪物と見紛う姿となってもまだ操の『自我』は残っている。
恐らく既に体の大半が『青い花』に浸食された状態になりつつあると操も察してはいたが、それでも自分自身の精神だけは決して手放そうとしなかった。
(こんな姿になっちゃったら…………ライナに会った瞬間に、殺されちゃう……かな………)
操は泣き笑いのような表情になりつつ、どうしてもそんな不吉な事を考えてしまう。
だが、怪物に対して一切の容赦をしないライナなら、今の自分と遭遇したなら即座に自分を切り捨てる。
そんな考えたくない、しかし起こり得る『結末』が頭から離れなかった。
それでも目的の場所に、記憶の手掛かりがある場所に向かうのは………心残りを残さない為の、身辺整理のような物だったのかもしれない。
朧げに頭に浮かぶ目的地への道順を進んで行くと、やがてとある場所に辿り着いた。
現在操がいるのは所謂セキュリティ区画だが、そこは倉庫と言うよりも格納庫のようだった。
頑丈そうな金属の壁に囲まれた倉庫の外見は、仮に戦車が突っ込んで来ても耐えられるのではないかと思わせる程の威圧感がある。
セキュリティ区画内には他にも倉庫と思われる建物があるのだが、この倉庫だけは見た目から違っている為、逆に周囲の景色から浮いて目立っていた。
それだけ重要な物が保管されている……という事なのだろうか。
(広さは…………他の倉庫と同じくらいみたい)
正面に大型のシャッターが付いており、その横に人が出入りする為の入り口がある構造自体は変わっていない様なので、操はまずそちらへ向かう。
すると、扉自体はあったものの、通常の倉庫と異なり電子ロックが掛けられており、簡単には中に入れない様になっていた。
扉の横には電子ロックを解除する為のパスナンバーの入力機が備え付けられており、入力機の画面には「パスナンバーを入力して下さい」という文字が表示がされていた。
当然、操はパスナンバーなど知らない。
…………筈だった。
「………………」
操は無言でしばらく画面を見つめた後、迷いなく入力機のキーを押し始めた。
テンポ良くナンバーが入力されて行き、最後にエンターキーが押される。
すると、ピッ!という甲高い電子音が鳴った後、あっさりと扉が横にスライドして開いた。
「…………私、どうしてこの場所の事をこんなに知っているんだろう」
記憶を失う前の操はダイス倉庫管理に、恐らくではあるが来た事がある。
管理事務所であの書類をあっさり見つける事が出来た事から考えても、一度この場所に来た事があり、同じ様に『DD-4032』を探していた筈だ。
そして今、倉庫のセキュリティを正攻法で解除出来た事から考えても、かつてパスナンバーを知った上でこの倉庫内に侵入していると思われる。
にも拘らず、操は目的の『DD-4032』を入手出来ていなかった。
あの時ホテルで目覚めた操は、室内でそれらしい物を目にしていないのだから。
つまり、この後、かつての操の身に何かが起こったという事だ。
「…………ここまで来て、引き返してる余裕は無い。 ………行こう」
そう独り言を呟くと、操は開いた扉の奥へ足を踏み入れた。
電動のスライドドアになっている入口の扉は操が通り抜けた後すぐに閉じる。
そこは小部屋のようになっており、すぐ目の前にまた別のスライドドアが見えた。
小部屋にはロッカーのような物があったが、誰かが持ち出したのか、ロッカーの扉は開けっ放しの状態であり中には何も入っていないようだ。
まさかまたパスナンバーが必要なのかと操は辟易するが、幸いにも目の前の扉は操が近付くと自動的に開いた。
途端に、周囲の温度が急激に下がる。
「ッ…………!?」
その場で思わず身構える操。
開いたドアの先、今度こそ倉庫内の大きな部屋が見えた。
急激に周囲の温度が下がった理由は単純であり、倉庫内から凍える様な冷気が小部屋に流れ込んで来ているのだ。
「…………冷凍庫?」
倉庫内に足を踏み入れた操の目に映ったのは、天井近くまで積み上げられた頑丈そうなコンテナの山だ。
見た所、普通のコンテナではなく特殊な薬品などを保管する為の専用コンテナのようだ。
コンテナには数字と記号と共に、温度を何℃に保たないといけないであるとか、運搬時にどういった事に注意しなければならないか等のコンテナ毎の注意事項が表記されている。
一つ一つのコンテナの大きさは他の倉庫で見かけた物に比べると小さめだが………何せ、数が多い。
これら全ての中から、しかも、この広い冷凍庫のような建物内から目当ての物を見つけるのはかなり困難だ。
恐らく本来なら先程の小部屋で防寒着を身に付けてから内部に入るのだろうが、小部屋を通過して来る際に見た限りでは何故か防寒着は全て無くなっていた。
つまり、この寒さに耐えつつ『DD-4032』を探さなくてはいけないという事だ。
「………勘弁してよ………」
思わずそう愚痴る操だが、他に選択肢は無い。
この状況が記憶を失う前の操が『DD-4032』を入手出来なかった理由なのかは不明だが、事実確かに厄介な状況ではある。
それでも……行かなければならないだろう。
―――操が、操である内に。
操は目を瞑って深呼吸した後、覚悟を決めて凍える空気で満ちた倉庫の奥へと歩を進めた。
内部は操が先程思わず呟いた通りまるで冷凍庫のようだった。
天井近くまで積み重なった特殊コンテナが壁際も含めて整然と並ぶ光景は、ある種の異質さを感じさせる。
操は周囲の気配を探りながら奥へと進んで行くが、特に怪物らしき存在の気配は感じられない。
流石の怪物もこれ程低温の環境では近付かないのかもしれないが、入口の電子ロックが作動していた事を考えると、単純に内部に入り込まれていないだけという可能性もある。
どちらにせよ内部に怪物が居ないのであれば操にとっては好都合だ。
「はぁ………寒い……」
白い息を吐き、身を縮める操。
当たり前だが、この冷凍庫内の低温環境は操にとっても喜ばしい状況ではない。
さっさと目的の物を見つけなければ凍えてしまうだろう。
だが、操が思い出す事が出来た倉庫街での記憶は、このセキュリティ区画に近付く程に曖昧になっている。
幸い入口のパスナンバーはハッキリ思い出す事が出来たが、冷凍庫内に入った後の記憶は靄がかってしまった様にぼやけたままだ。
(……長時間この中を探す訳にはいかないけど、どうやって探そう…………?)
コンテナには内部に収納されている物品の名称が表記されているが、それでもこの数の中から探すのは骨が折れる。
名前を確認しながらでは一つずつ目視確認するしかない為、出来れば最後の手段にしたい。
(……そうだ、あの書類に何か書いてないかな)
『DD-4032』をどうやって探すか頭を悩ませていた操は、管理事務所で入手した書類に細かい保管場所を示した内容が記されているのではないかと思い至った。
セキュリティ区画に移送したという内容は確認したし、頑丈な壁に囲まれた建物に『DD-4032』があるという事は記憶が甦った為に知っている。
それ故、場所の確認以上の理由は書類に求めていなかったのだが、今の状況では何か新たな情報を得る事が出来るかもしれない。
操は壁際に寄ってポーチから折り畳んだ書類を取り出すと、記載された内容を再度確認して行く。
細々とした文字が並んだ書類の内容は、お世辞にも読み易いとは言えない記載方法だ。
所々専門用語らしき単語が羅列されている事もあって余計に分かり難い。
それでも操は書類を何度か読み直して行き………ある物に気が付いた。
書類に書かれた納品リストには納品された物品の名前とスペック、そして取り扱い時の注意事項が表形式で記載されている。
だがよく見ると、それぞれの物品情報の最後の項目に何やら数字と記号が表記されていた。
項目名は『管理コード』となっているが、それが何を指す物なのかは書類からは読み取れない。
……が、操はこの数字と記号に見覚えがあった。
(……これ、コンテナに書いてある記号と同じ?)
どうやら書類に記載されている管理コードとは、コンテナに表記されている数字と記号のようだ。
コンテナを確認してみると、記号が保管区画を表わしその区画毎に番号順で並べられているらしい事が分かる。
『DD-4032』の欄に記載されている管理コードは『108−N』となっている。
恐らくN区画の108番のコンテナという事だろう。
(周りのコンテナのコードを見る限り、私が今いるのはG区画とH区画の間。 ……N区画は何処だろう?)
入り口付近から少し移動して来ていた操は、周囲のコンテナのコードを確認した限りではG区画とH区画の間辺りまで進んで来ていた。
入口から一番近い位置の区画がGとHという事は、入口の対角線上の位置にある区画が恐らくA区画だろう。
しかしそうなると、目的のN区画は何処になるのだろうか?
入り口を入ってすぐ、壁際にもコンテナは設置されていた事を考えると、何処かの壁際の区画である可能性が高いが…………。
そう考えつつ操はとりあえず現在地のG、H区画の間の通路の先へ移動する。
そこは冷凍庫内の中央通路のような場所であり、通路としては最も広い場所のようだった。
と、通路に出て周囲を見渡していた操の目にある物が映った。
(あれは………良かった、この倉庫のマップみたい)
操が見つけたのは丁度良い事にこの倉庫……もとい、冷凍庫内のマップだった。
東西に延びる中央通路の一方、建物を支える柱に張られており、簡易的な物ではあるが、イラストで何処にどの区画があるかが簡潔に記されている。
そのマップによると、目的のN区画はA区画のさらに奥、入口から最も離れた壁際の区画のようだ。
操は目的の場所を確認すると、足早に移動を開始した。
周囲が凍える程の寒さである為、早く目的の『DD-4032』を見つけたいという事もある。
しかし何より、この建物内が妙に静かな事も気になっていた。
暫く歩き、積み上がったコンテナの間を通り抜けて行くと、正面に『N』と書かれたコンテナの一群が見えて来た。
どうやらあれがN区画の保管場所のようだ。
(あそこに『DD-4032』がある筈…………早く見つけなきゃ)
身震いし、腕を擦る操。
疑問に思う事は有れど、目的さえ果たしてしまえばこの場所に留まる理由も無い。
それ故、操は足を速めてN区画のコンテナに近付いた。
そして、すぐにある物が視界に入った。
「ッ!?」
N区画のコンテナの通路を挟んだすぐ南側は、積み上げられたA、B区画のコンテナ群の北端に位置する。
そのA、B区画が派手に崩落していたのだ。
しかも周囲には血が飛び散り、おそらく人間の物と思われる死体の一部が転がっている。
既に肉片としか言いようのない状態のそれらは、辛うじて数人分の人間の体の一部だという事が分かる。
そして、その肉片には黄色い布状の何かがこびりついていた。
(これは……もしかして、ここの作業員? 黄色い布みたいなものは………そうか、入口の小部屋に無かった防寒着ね)
最も形を残している、成人男性と思われる肘から先の腕に、衣服の袖らしき物が引っかかっている。
傷口を見るに事故でこうなったわけではない様で、骨まで噛み砕かれた跡から恐らく怪物による物と思われる。
他の死体………死体の一部は原型を留めていない物ばかりであり、極めて獰猛な何かに襲われたのだと察する事が出来た。
(ここまで人間を食い散らかすような怪物…………私が知っている限りだと、病院で戦ったアレだけだけど………まさか、ここにも似たような奴が……?)
操は改めて意識を集中して周囲の気配を探る。
しかし、やはり他の『青い花』の気配はこの建物内からは感じられない。
動きを止めて気配を探らせないようにしている場合などでも、「どこかに居る」という感覚自体はある為、現状では確かに周辺に怪物はいないようだった。
しかし、今は近くにいないだけ、という事も当然考えられる為、いずれにしろ『探し物』を速やかに済ませるべきだろう。
(この辺りにあるのは間違いない筈……。 管理コードを見て探せば、そう時間は掛からない)
『DD-4032』が保管されているとされるコンテナのコードは『108−N』
つまり、N区画の108番目のコンテナという事だ。
操は大まかに番号を確認しつつ目的のコンテナを探す。
コンテナ自体は番号順に並んでいるようなので、大体の番号を読み取れば後は凡その位置を割り出すだけだった。
(101……102……103…………え?これって……)
だが、ここへ来て問題が発生する。
番号順に並んだコンテナを確認して行った所、恐らく108番のコンテナがあるであろう場所が、崩れて来たA区画のコンテナで塞がってしまっていたのだ。
操の背丈ほどの高さのあるコンテナが、ちょうど目的の108番のコンテナの前を覆うように落下して来てしまっている為、今のままでは108番のコンテナを動かす事も、中身を取り出す事も出来そうになかった。
もしや、記憶を失う前の操はこのせいで『DD-4032』を手に入れる事が出来なかったのだろうか?
この倉庫に保管されている特殊コンテナは、巨大なコンテナ………と言う程の大きさではない様に見える。
小型コンテナ、と言って差し支えない大きさの物ではあるが、それでも1トン以下という事はあるまい。
更に言えば、特殊な物品を保管する為の専用コンテナであるという事もあって、それぞれ専用の機材を内部に備え付けている可能性がある。
『DD-4032』も、例の書類に冷却用の液体窒素がどうこうと言う記述があった筈だ。
つまり、少なくとも1トン以上の重さの物体が『DD-4032』の保管されているコンテナの前を塞いだ状態なのだ。
本来なら運搬用の機械を使って動かすべき物を、人の力では到底動かす事など出来ないだろう。
しかし、今の操は――――人ではない。
(……ここに来て、人間じゃなくなった事がプラスに働くとはね…………)
操は自嘲気味に微笑むと、崩れ落ちて来ているコンテナの横に立った。
幸いにも、操が立っている場所からコンテナを挟んだ反対側には何も無いらしく、スペースが出来ている。
ならば、やる事は一つだ。
「……ッ……!」
操はコンテナに両手を付けて力を籠めた。
本来なら操の細腕では、数トンはあるであろうコンテナはビクともしない。
しかし、今の操なら話は別だ。
(……! よし、動いた……!)
ギギギギッ!という地面を金属が擦る耳障りな音が辺りに響き渡る。
その音に合わせて崩落したコンテナが動き出した。
ガリガリと地面を削るような騒々しい音を立てながら、横にスライドして行くコンテナ。
操の筋力は華奢な外見からは想像もつかない程に高い。
それ故に、コンテナはゆっくり動くといった様子ではなく、騒音を立てながら一定距離を一気に移動していた。
結果として操は目論見通り障害物を排除する事は出来たが………代償は大きかった。
「あった………やっと見つけた………」
操の視線の先には『108−N』と表記されたコンテナがあった。
入手した書類が正しければ、この中に『DD-4032』………『汎用強化活性剤』とやらがある筈だ。
早速操はコンテナのロックを解除して扉を開く。
すると、内部から一際冷たい冷気が漂って来た。
中にあったのは何らかの大きな機械………恐らく、薬品の保管容器のようだ。
蓋と思われる部分にはガラス窓と液晶パネルが付いており、キーを操作する事で容器の中の薬品を取り出す仕組みのようだ。
一つずつ取り出す形になるらしく、かなり手間のかかる方式だが、恐らく薬品の劣化を防ぐ為にそうしているのだろう。
(『DD-4032』は…………あった! この液晶パネルで取り出す薬品を選択すれば良いみたい)
パネルに表示された内容物の一覧から目的の『DD-4032』を見つけた操は、液晶パネルのキーを操作して『取り出し』の処理を実行する。
すると、保管容器が作動して、内部で何らかの作業が開始される。
駆動音が低く倉庫内に響き渡り、それが暫く続く。
……しかし、操が固唾を飲んで見守る中、保管容器から響く音は途中で止まってしまう。
当然、取り出し口から何かが出て来る事も無い。
「……え? な、何で……? 操作を間違えた……? それとも、機械が壊れて…………あれ?」
機械が正常に作動していないのかと焦る操だったが、その時、液晶画面に何かが表示されている事に気が付いた。
「……解凍処理中? 解凍完了まで350秒…………あ、そうか、保管に液体窒素を使ってるとか書いてあったし…………解凍が必要なんだね」
どうやら『DD-4032』は液体窒素を使って冷却保存されている為、持ち出す場合は解凍処理が必要らしい。
確かに液体窒素で保存されていた物にそのまま触れるような事をするのは危険だ。
その為、安全の為に保管容器内部で解凍処理を行ってから排出するという事のようだった。
機械の誤作動などではないと分かってほっと安堵の溜息を吐く操。
しかし、解凍処理が終わるまで350秒…………6分近く掛かるという。
それまでこの凍える寒さの巨大冷凍庫内で待たねばならないというのは、中々に辛い。
―――と、その時。
操の耳がある音を捉えた。
「……? 今のは……!?」
聞こえて来たのはドーンという………何かが落下して来たような音だ。
近くではなく、ある程度距離が離れている場所から聞こえた様だが………それでも、確実に倉庫街の中から聞こえた。
そして、その音は一度だけではなく、一定間隔で二度三度と続けて聞こえて来ている。
しかも、音は段々と操の居る倉庫へと近づいて来ていた。
ガゴンッ!!!
そうこうしている内に音の出所である『何か』は、操のいる冷凍庫の屋根の上に「着地」する。
先程から聞こえていた落下音のような音は、その『何か』が倉庫の屋根から屋根へ飛び移った為に聞こえた音だったらしい。
音からすると、かなり重量のある物体なのは確実だ。
ガンッ、ガンッ、ガンッと倉庫の屋根の上を『何か』が歩いて行く。
屋根が軋んでへこみ、ギィギィと金属同士が擦れ合う耳障りな音が倉庫内に響く。
緊張感に満ちた表情で音の出所である天井に視線を向けていた操は、その段階になって倉庫内のある物に気が付いた。
それは崩れて床に散乱したA区画とB区画のコンテナの真上、天井部分だ。
倉庫の天井は高く、各区画のコンテナが積み上げられている事もあり、操は倉庫の上側にあまり注意を払っていなかった。
『花』の怪物達に関しては気配で存在を知覚出来るという事もあり、気配が無ければそれ程意識を向ける事をしていなかったのだ。
それ故、コンテナが崩落した区画の丁度真上辺りの天井が、内側から突き破られた様に大穴が空いている事に今の今まで気付けなかった。
操がその大穴に気が付き、屋根の上を進む『何か』が真っすぐその穴に近づいて来ている、という事を認識した、その直後――――。
「…………!!!」
唐突に『それ』が穴から顔を覗かせ、操を見下ろした。
「ッッ!!?」
天井に開いていた穴から巨大な影が倉庫内に飛び込んで来る。
ちょうど穴の真下辺りに居た操は慌ててその場から飛び退いて距離を取った。
地響きと共に倉庫の床に降り立ったのは………何とも形容しがたい異形の生物だった。
胴体だけを見れば4足歩行の獣と言える姿をしている。
しかしそれも異様に発達した手足の爪や、複数の人間の体が癒着して形成されているらしい胴体の状態を除けば、だ。
そもそも爪と言っても、体を構成している植物質の細胞から直接生じているその爪は、恐らく操の『茨の剣』と同様の硬質化した植物によって形成されているのだろう。
そして、人間の体の一部であったのだろうと思われる瘤が体から飛び出していたり、いくつもの蔦や蔓が絡み合って出来たような手足は、実際の獣のそれと比べると不気味極まりない姿をしている。
何より特徴的なのが、この怪物が持つ頭部が3つあるという事だ。
本来、頭部があるであろう場所から、ヘビのように伸びた太い三本の首。
その先には、サメのような鋭く不揃いの牙がびっしりと並んだ口を持った、三つの頭部がそれぞれ存在している。
目も鼻も無いそれを頭部と言って良いのか分からないが、花の様に4つの花弁を持ったそれらはウネウネと蠢きつつ、口から何らかの分泌物を滴らせている。
開いたり閉じたりしながらこちらの様子を伺う様な素振りを見せるそれは、見方によっては花や花の蕾の様に見えなくもない。
………どうしようもなく醜悪な見た目ではあるが。
(三つ首の怪物…………もしかしてコイツ、アンナさん達を襲ったっていう……?)
怪物の姿を見た操は、GF警察署のアンナが仲間と共に生存者を探して活動していた際、巨大な三つ首の怪物に襲われたと話していた事を思い出した。
訓練を受けた警官達が手も足も出ずに壊滅させられたという話を聞き、そんな怪物とは出会いたくないと思っていた操だったが………どうやら願いは叶わなかったらしい。
そして、天井の穴は恐らくこの怪物が空けた物だと直感する。
先程、倉庫内に侵入して来たこの怪物の動きに迷いが無かったように感じたからだ。
周囲に散らばっていた人間の物らしき肉片。
崩れたコンテナ。
天井にある、外側へ突き破ったような大穴。
この怪物…………『三つ首』は元々この倉庫に居て、何らかの理由があって天井を破壊して外に出て行ったのではないだろうか?
そして、仮にその通りだとすると、この怪物は………この場所で、何かを襲ったのでは?
(もし、そうなら…………こいつが、私が『DD-4032』を手に入れる事が出来なかった原因………!?)
確証はないが、その可能性は高い。
散らばった肉片がこの建物内にいたダイス倉庫管理の関係者だとすれば、何らかの方法で建物内に侵入して来たあの怪物に襲われたとも考えられる。
そして、そこに『DD-4032』を求めて操がやって来た。
そう考えればあの怪物に襲われて『DD-4032』を入手出来ず、怪物の攻撃で負傷した結果記憶を失った、という事になったのではないだろうか?
正直な所、操自身もこじつけがましい想像だとは思うし、そこからなぜあのホテルの一室に倒れていたのか等不明な点は多々あるが、絶対にあり得ないとは言えない……と思う。
何より、操自身が………正確には操の身体は目の前の『三つ首』を覚えている様だ。
背中を嫌な汗が伝い、動悸が激しくなる。
操の全身が、この怪物に対して恐怖心を抱いているのが分かるのだ。
間違いない、こいつとは以前にも遭遇して戦っている。
身体の反応に引っ張られるようにして、操の脳裏におぼろげながらかつての光景が浮かんで来る。
そうだ、確かにこの怪物に傷を負わされて―――
『ギギギギギギギィィィィィ………………』
怪物の三つの首から耳障りな金属音のような音が聞こえて来て、操ははっとする。
怪物…………『三つ首』は首をもたげて操を睥睨するように見下ろす。
かつて逃した獲物と認識しているのか、それとも別の獲物がやって来たと考えているのか。
どちらにせよ、その姿から漂って来るのは外敵に対する『敵意』だけだ。
『ギイィィィアアアアアアアアァァァァッッッッ!!!!!!』
それぞれの口から放たれた咆哮が大気を震わせ、圧力を操に叩き付ける。
「ッ……!!」
操は後退りそうになる両足に力を籠めて、なんとかその場に踏み止まった。
ここで退いては、記憶を失う前と同じ事になってしまう。
相手が記憶を失ってなお消えない恐怖心を自分に植え付けた怪物であっても、絶対に打ち勝たなくてはならない。
己の命を賭してでも、必ず。
操は心の中で覚悟を決めると、右手から『茨の剣』を生成して両手で構えた。
そして、『巨人』達との戦闘で負ったダメージが完全には抜け切っていない体に鞭打ち、怖気付きそうになる心を奮い立たせ………。
地面を蹴ると、三つ首の異形へと斬り掛かって行った。




