04 脱出
自分の体に起こった異変に思考が停止していたのは、実際にはどれ程だっただろうか。
青白く光っていた花はやがて輝きが収まり、怪物に刺さっていた蔦も抜け落ちた。
磔にされていた怪物も壁から落下して床に倒れる。
……抜け落ちたというよりもよりも、生き物のようにうねりながら抜けた、と言った方が正しいかもしれない。
その様子は花の蔦、というよりも『触手』のようだった。
実際、混乱が徐々に収まって来て、自分の右腕と右腕から生える花の状態に意識を向けると、腕から伸びた4本の蔦は右腕の方へ伸縮し、戻って来た。
(私の意思の通りに動いている?)
『腕の状態を確認する』と混乱しつつも考えている自分の思考。
手元でウネウネと動く蔦はその思考に沿っているように思えた。
何より、先程からこの触手めいた蔦も、腕に巻き付いて花を咲かせている植物も、
自分の一部であるような気がして、振り払ったり引きちぎって逃れようとは思わなかった。
「ヴヴヴゥゥゥゥゥ……」
「……ッ!!」
腕に花を咲かせ自身の窮地を救ってくれた花について考えを巡らせていると、
再び聞こえた怪物の唸り声で思考が中断される。
怪物は4本の蔦に体を貫かれて血を流しているがまだ動けるようだ。
「まだ生きてるの……!?」
再び立ち上がった怪物に動揺する。
また襲い掛かってこられたら……。
しかし、その瞬間、右腕の花が強く意識される。
無意識の内に花がある事に安心感を抱いている事に気が付いた。
(……私の思った通りに動かせるのなら……)
思い返してみると、先程怪物を壁に縫い付けた際に弱々しくはあるが、右手で怪物を突き飛ばそうとしていた。
それがほとんど意識しない内からこの花に伝わり、勢いよく放たれた蔦が怪物を貫いたのでは?
だとすれば、この右腕の花は異常ではあるが、この状況を打破出来る可能性がある。
怪物が磔にされていた壁を見れば、4本の蔦が刺さった部分に穴が開いているのが見えた。
少なくとも、コンクリートを破壊する程度の威力はあるという事だ。
(どの道、やるしかない)
意を決し、再び右腕を突き出す。
しかし、今度は『花』も強く意識する。 自分の体の一部であるかのように。
「ガアァぁぁぁぁ!」
怪物が再度吠え、こちらに迫って来る。
その瞬間、弾みで伸ばされた先程とは違い、明確な意思を持って『花』の蔦が放たれた。
しかし蔦は怪物の体を避け、通り過ぎてしまう。
(さっきは蔦が突き刺さってダメージを与えたけど、効果的じゃなさそうだった)
刺突によるダメージ程度では、目の前の怪物の動きを……生命活動は止められない。
そう考えた結果、別の攻撃方法をとる事にしたのだ。
「アガッ!?」
(巻き付け!)
蔦による拘束からの圧殺である。
先程以上の高速で放たれた蔦は怪物の体を容易に絡め取る。
だが、ただ絡め取るのではなく、そのまま全身に蔦が巻き付いて行く。
「アガ、ゲゴ、オゴゴゴ……」
怪物に絡み付いた蔦はどんどん伸びて行き、怪物の身動きを封じる。
徐々に怪物の声がくぐもった音に変わる。
既に頭頂部から腰の辺りまで腕ごと蔦で隙間なく縛り上げられていた。
そしてそのまま……さらに力を籠める。
ごきり
何かが折れる嫌な音が響いた。
そして、その音がした後にも、ごきり、ぼきり、と何かが折れる音が続く。
思い通りの動きを蔦に行わせる事が出来て安堵してはいたが、同時に気を抜く事も出来なかった。
先程のようになんら痛痒を感じていない様子で立ち上がって来るかもしれない。
そう考えると精神的余裕は無く、巻き付いて行く蔦にさらに力がこもった。
やがて何かが折れる音に交じって、湿った音が混ざりはじめ─
ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃ
一気に肉と骨が潰れる音が響き渡った。
腰から上が歪な形に変形した怪物は一瞬ふらつくと……ゆっくり後ろに倒れた。
「あっ……」
巻き付いた蔦がそのままなので、そのまま体が引っ張られそうになった。
咄嗟に『蔦を離さないと』と意識する。
が、そう思った瞬間に、怪物の少し手前の蔦があっさりと切れた。
「んっ……」
少しチクリとした感覚が走った。
得体の知れない怪物を絞め殺す程のパワーを発揮した植物とは思えない脆さに驚く。
しかし一方で予感もあった。
「……私が『離さなきゃ』って思ったから……?」
途中でちぎれた蔦はそのまま手元まで戻って来て、腕の中に吸収されるように消えた。
どうやらこの花や蔦は、自分の意思で形状を変化させたり動かしたりする事が出来るようだ。
奇妙としか言いようがなかったが、おかげで窮地を脱する事が出来たのも事実だ。
しかし、蔦を切り離す際に感じた僅かな痛み……あれはこの花と自分の体が繋がっているという事でもあった。
いや、それどころか、この花は体の一部となっているという事では……。
そこまで考えた際、唐突に怪物に負傷させられた左腕の事を思い出す。
結構な大きさの傷だった筈だが、先程から意識の外に追いやられてしまっていた。
手当をしなければならないと思い、傷口を確認する。
……が。
「えっ……?」
そこには、傷など最初からなかったかのようなまっさらな肌があった。
怪物に確かに腕の一部を食いちぎられたにもかかわらず、傷跡一つない。
「な、何で……? だって、あの時……確かに血がたくさん出て……」
傷を負わされた時の状況を思い返してみるが、気のせいだった等という事は断じてない。
しかし同時に気付いた事があった。
「そういえば……途中から痛みが無くなっていたような……?」
自分に起きた事態があまりに異常だった為、途中から忘れてしまっていたが、痛みがあればそんな事はなかった筈だ。
どの段階で何が起きたのかは分からないが、現状では「傷が消えてしまった」としか表現が出来なかった。
「はぁ…………本当に一体、何がどうなっているの? どうして私、こんな事になっているの?」
得体の知れない怪物と化した男に襲われ、右腕から突如生えて来た花による攻撃で生き延び、
怪物に負わされたケガが綺麗さっぱり消えて無くなる。
思い返してみれば、また頭が混乱してしまいそうになる理解不能な状況だ
だが、今は混乱している場合ではない、怪物と化す前に男が言っていた事が事実なら、このホテルには『花が咲いた連中が大勢いる』という事になる。
『花が咲いた連中』とは恐らく、この男が変貌した怪物と同様の物だろう。
1体を相手にするだけでこの有様なのだ。
複数体を一度に相手が出来るとは到底思えなかった。
幸いな事に非常階段の鍵を男からは受け取っている、これで外に出る事は出来る筈だ。
そうして、蔦が巻き付き絞め殺された怪物をなるべく見ないようにしつつ、部屋を立ち去ろうとする。
しかしその時。
部屋の外、廊下の方から何かが破壊されるような轟音が複数回響いた。
「!?」
突然の異音に身を竦ませる。
先程までこのフロア全体は、人の気配どころか動く物の気配すら感じなかった。
しかし今、フロアに響き渡る音がした直後から、何かが蠢く気配が感じられた。
(まさか……さっきの部屋の中にいた奴?)
客室前を通った際に聞こえた音を考えれば、中に怪物がいたであろう事は想像出来た。
しかし扉を開けて廊下に出て来るとは思っていなかったのだ。
他に何体の怪物がいるのかは分からないが、数が多かった場合囲まれてしまう可能性もある。
(音で気付かれたとするなら、一番大きな音は……やっぱり銃声だよね……)
銃声がフロア全体に響き渡ったとして、それに反応して廊下に出て来ているのなら、
全ての部屋から現在地のリネン室へと、怪物がやって来るかもしれない。
最も安全なのは急いで部屋を出て非常階段に向かう事だろう。
そう考えると同時に扉を開け廊下に出る。
すると。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァァ……」
「ヴェェェェあ゛あ゛あ゛ぁぁぁ……」
「ッ! やっぱり!」
予想通り、廊下には先程の怪物と同様の怪物が、部屋を出た左手方面に2体いた。
非常階段へは右手方面に向かえば良い為、相手にする必要はないと判断して構わず走る。
「イ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァァァぃぃぃ……」
「なっ!?」
しかし、エレベーターのある方向へ曲がろうとした際に、ちょうどそちらから出て来た
別の怪物と鉢合わせになってしまった。
見た目から女性型の怪物だと分かる。
「ガァァ!」
狙ったわけではないだろうが、不意打ち気味に出て来た為、走るスピードを緩める事が出来ない。
瞬間、体が勝手に動くような感覚を覚える。
「!?」
正面に走れば怪物に突っ込んでしまう。
だからなのか、体が向かった先は「壁」だった。
より正確には、壁を蹴って空中に跳んだと言うべきか。
そうする事で怪物の頭上を、体を捻りつつ飛び越えたのだ。
床に着地すると、怪物の背後が正面に見える位置だ。
「グガァ!」
「ッ!」
攻撃を躱された怪物もすかさず体を反転させ、再度攻撃しようとする。
……が、遅い。
気が付くと、左腕にも先程の右腕と同じように『花』が咲き、蔦が巻き付いていた。
無意識の内に左手が振り抜かれる。
「ギョボ!?」
左手から伸ばされた蔦は鞭のようにしなり、体を反転させようとしていた怪物を打ち据えた。
側頭部を蔦の鞭で強打された怪物は、壁に叩き付けられ、グシャッという音を響かせた。
壁には真っ赤な鮮血が飛び散っている。
頭部を弾けさせた怪物の向こうから2体の怪物が追い付いて来る。
すると今度は両手を2体の怪物へ向ける。
今の両手はどちらも蔦が巻き付き、青い花が咲いた状態になっている。
怪物までの距離はまだ少し離れていたが、高速で伸ばされた蔦はその程度の距離は無にしてしまう。
「ゴゲッ!?」 「ボォッ!?」
怪物が2匹同時に蔦に貫かれた。
最初に遭遇した怪物との戦闘経験から考えると、これだけでは怪物を倒すことは出来ない。
先程と同じように絞め殺す? いや、それよりももっと手早く処理しよう。
突き刺した蔦それぞれに力を籠める。
蔦2本ずつ。 それぞれ左右に対して。
2匹の怪物は悲鳴も上げずに真っ二つに引き裂かれた。
「うえ……」
体が勝手に動いたような気がするといっても、どう動けば良いかが分かる、というような感覚が最も近い。
なので、その感覚に従って動いただけなのだが……これはひどい。
廊下が死屍累々なのはこの際仕方がないとしても、撒き散らされた血がひどい事になっている。
流石にやり過ぎな気がする。
……ともかく、襲って来た怪物は処理出来た。
安全が確保できた事に安堵し、体の力を抜く。
しかし。
再び、先程聞いた轟音が響く。
「ヴァァァァ!!」
「!?」
すぐ横にあった客室の扉が、枠ごと破壊されて前のめりに倒れて来る。
倒れて来た扉は何とか躱したが、扉を破ってきた怪物に接近を許してしまった。
今の位置関係で蔦による攻撃を行うには間合いが近すぎる。
「ッッ!!」
それでも咄嗟に右手を突き出す……と。
「ギャバ!!?」
「えっ? うわっ!?」
怪物の顔が目の前まで迫った、と思った次の瞬間、怪物の口内に掌から飛び出た『棘』が突き刺さった。
「ア゛、……ガ……ゲ……」
明らかに今まで腕から生じていた蔦とは別の物体だった。
掌から真っすぐに伸び、怪物の頭部を刺し貫いている。
見れば、後頭部まで貫通している。まともな生物であれば即死だろう。
完全に動きを止め、ゆっくり後ろに倒れて行く怪物から『棘』を抜く。
「……何か生えたけど、まぁ、いっか……。」
……………………
「いやいやいや!良くないよ! 両腕共花咲いてるし! 壁走って跳んだし!」
映画の中の主人公のようなアクロバティックな空中戦を繰り広げてしまった上、それをごく普通に受け入れそうになり慌てて否定する。
……尤も、否定しても既に現実として起きた後なので意味はないが。
「ま、まあ、もう怪物は近くにいないみたいだし、今の内に非常階段に行こう」
色々とショックな出来事が続いたが、当初の目的を優先する事にして非常階段を目指す。
北側の客室からは、どうやら曲がり角で出くわした1体しか出て来ていないようだった。
一応、また怪物が飛び出してこないかを警戒しつつ廊下を進んで行くが、
今回も問題なく非常階段の扉までたどり着く事が出来た。
「ここまで来て、鍵が開かないとか、合わないとかはやめてよね……」
嫌な想像をしつつ扉に鍵を差し込む。
懸念とは裏腹に鍵は抵抗なく差し込まれ、そのまま捻るとカチリ、と鍵が解除される音が聞こえた。
ドアノブを捻って押し開ける。
「はぁ……ようやく外に出られた……」
扉の先は外付けされた非常階段の最上階部分だった。
普段は使用されていないからか、やや手入れを怠っている印象を受ける。
「霧の濃さは変わらず……か」
正面の手すりから少し身を乗り出して周囲を見渡す。
周囲の様子はホテルの中から見た景色と変わらず、霧で満たされて何も見えなかった。
「……あれ? この音……」
しかし、耳を澄ませると、水が流れる音がすぐ近くから聞こえた。
位置的にすぐ下から聞こえるようだ。
「もしかしてこのホテルって、川の傍に立ってるのかな……」
階下も霧で全く見えないが一応下を覗き込んでみると、確かに川辺に沿って設置されるような
街灯の光らしき物がちらほら見える。
「とりあえず、どこかで人に会えればいいんだけど……、どこに行けばいいんだろう」
ホテルからの脱出は出来たが、この後の行動を決めかねていた。
尤も、無くした記憶を取り戻す手がかりになりそうな所、等と考えても、すぐ思いつくはずもなかったが。
その時、突然背後の扉が開いた。
いや、破られた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァァァァァァ!」
「えっ?」
突然響いた轟音と怪物の唸り声に、思考に意識を割かれていた彼女は反応するのが遅れた。
怪物は、そのまま一切止まる事なく突進し……手すりを破り、空中に身を躍らせた。
当然、怪物と手すりの間にいた操ごと。
「きゃあああああああああああああああ!!?」
怪物に組み付かれたまま5階の高さから真っ逆さまに落下する。
普通なら助かる見込みはまず無い……が、この場所は違った。
先程推測した通り、ホテルの非常階段側は川に面していた。
不幸中の幸いというべきか、怪物の突進の力が強かった為、そのまま川岸から離れた所に落下していた。
空中で怪物に組み付かれながらそれを理解し、来たる着水の衝撃に備える。
……が、ここで今度は誤算が生じる。
一気に川の中に落下し水中に投げ出された。
川の深さはそこそこ深いようで、足が付かない。
それはむしろ着水の勢いを減らせるので良かったのだが……。
川の流れが想像したよりも遥かに速い。
いっそ急流と言っても良い程の速さだ。
おまけに整備された川ではなく、ごつごつとした岩肌がそのままになった自然そのままの川だった。
(まずい! 岩壁に叩き付けられたら、無事じゃ済まない!)
水中で大荷物を抱え、激しい川の流れに身を晒され、錐もみ状態であっという間に流されて行く。
さらにまずい事に、そんな状態にあっても大荷物たる怪物は、こちらに食らいつく事が優先のようだった。
「ゴボボボボボボボバババ!!!」
当然、その唸り声等は水中の為聞こえはしないが、この状況で姿勢を維持しながら身を守るのは困難極まりなかった。
(く……! しつこい!!)
その為、まずは怪物を引きはがす事を優先する事にした。
なおも組み付いて来ようとする怪物に水中で蹴りを入れる。
「ばはばば!!」
しかし怪物は離れない、水中である為蹴りに力が入らないようだ。
怪物を引きはがすのに手間取っていると、反撃と言わんばかりに怪物が噛み付こうとして来た。
(……! こうなったら……!)
このまま時間を掛けていては、息も続かない。
一か八かの勝負に出る事にした。
……左腕を敢えて差し出す。
「ゴバァ!!」
(ぐ……!!)
腕に食らいついた怪物の頭に目掛けて右の掌を素早く向ける。
(いい加減……、離れろ!!!)
そして、ありったけの攻撃の意思を込めて、掌から『棘』を発生させる。
蔦を生やした時と同程度の速さで掌から伸びた一本の棘は、目論見通り怪物の頭を貫いた。
「ギボッ……」
ホテル内で戦った時の様子から、やはり頭を損傷すれば即死させられると思ったのは正しかったようだ。
(よし、やった!)
ようやく自由の身になった為、体勢を立て直そうとする。
しかし
(がっ!!?)
背中に強烈な衝撃が走った。
一瞬意識が飛ぶ。
川の中ほどにある岩に激突してしまったらしい。
視界が霞み、体の自由が利かない。
(だめ……気絶しちゃったら……)
今意識を手放せば、このまま急流の藻屑と化すだろう。
体は殆ど動かないが、何とか川岸に体を寄せようと、力を振り絞って蔦を伸ばす。
左腕は怪物に噛まれて負傷してまだ治癒していない為、右腕だけだ。
(お願い……何処かに引っかかって……)
朦朧とする意識の中で、どうにかそれだけを考えつつ蔦を伸ばす。
すると、岩か何かに巻き付く事が出来たのか、しっかりとした手応えを感じ取った。
(…………ッ!!)
これを逃せば後がない。
死に物狂いで蔦を伸縮して手繰り寄せる。
体が川岸の方へ近づいて行く。
やがて川の浅瀬辺りまで体が運ばれ、河原の水のない場所まで来た所で止まった。
「ゴホッ!ゲホッ!ゲホッ!ゲホッ!……」
何とか川から這って上がり、空気を吸い込む。
どうやら川の傍の朽木に蔦が巻き付いたらしい。
しかし、岩に衝突した事によるダメージが想像以上に大きい。
立って歩くのが困難な程だ。
しかも、周辺に身を隠せるような場所が何もない。
急いで身を隠さなければ危険だ。
「何処か……安全そうな……所は……」
蔦を操作して朽木から解く。
すると両腕に巻き付いていた蔦や花ごと、腕に吸い込まれるように消えた。
両手共、元の地肌に戻った手を見るが、視界が霞んで見えにくい。
打ち所が悪かったのだろうか?
そんな事を考えつつ、何とか立ち上がろうと足に力を籠める。
……だが。
「あ、れ……?」
力が入らないどころか、そのまま地面に倒れ伏してしまった。
この時になって、ようやく自分が危険なレベルでダメージを負っている事に気付いた。
(だ……め……、もし、こんな所を、あの怪物に、、見つかったら……)
まず間違いなく命はない。
最悪のシナリオが頭をよぎり、何とかその場から移動しようとする。
しかし無情にも彼女の耳が、今最も聞こえて欲しくない音を捉えた。
ペキリ……パキリ……
「…………!!」
力を振り絞って顔を上げる。
聞き間違いであってほしい。
そう思う一方で確信してしまってもいた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ァぁぁぁ……」
霧の向こうから、獲物を見つけた怪物がゆっくり歩いて来るのが見える。
幸い、数は1体のみのようだが、今の消耗しきった状態では対処のしようがなかった。
「嘘……。 だめ……なの……?」
眼前に迫り来る死の恐怖に、絶望が体を支配する。
ここまで生き延びる為にして来た努力は無駄だったのか?
失った記憶を取り戻す事が出来ないまま、悍ましい怪物の餌食になるしかないのか?
様々な想いが頭を去来するが、今の自分にはどうする事も出来ない。
しかし、それでも最も強く頭を支配しているのはシンプルな感情だった。
(私はまだ……死にたくない……)
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛あぁぁぁ……」
そんな想いを踏みにじるかのように、怪物がすぐ傍らまで歩み寄って来る。
このまま食われてしまうのか……。
……彼女がそう思ったその時。
「あ゛」
一発の銃声が怪物の声を掻き消した。
「え……?」
怪物が血飛沫を上げて倒れる。
霞んだ視界では霧の向こうの姿ははっきりとは見えないが、人影がゆっくりと近づいて来る。
その人物は、スタスタと何の躊躇いもない歩みで近づいて来ると、ついでのように怪物に再度銃弾を浴びせた。
轟音が響き渡り、倒れた怪物の頭が弾け飛ぶ。
そして、そのまま相手が死んだ事を確認したのか、その人物は更にこちらへ近寄って来た。
(だ……れ……?)
声を出そうとしたが、もはやそれだけの気力も体力も残っていなかった。
自身の窮地を救ってくれた人物の、影のみが辛うじて視界に写っているのを認識して─
彼女の意識はそこで途切れた。




