03 開花
目の前で起きている事が理解できなかった。
他ならぬ自分が射殺した男が立ち上がろうとしている。
(……どうして!? 頭を撃ち抜いた筈なのに……!)
ゆらりと体をふらつかせながら、おぼつかない足取りではあるが二本足で立つ。
声を掛けようとした。だが、一目見て異常な状態だと気付いた。
男は体を小さく痙攣させていた。 いや、体だけではない。
腕を、足を、指を。
頭を、目玉を、瞼を、口を。
体のあらゆるパーツがあらぬ方向へ曲がり、びくん、びくん、と痙攣を繰り返している。
……やがて、音が聞こえた。
パキリ
まるで、山道で小枝を踏んだ時のような音。
そんな音が、男が体を揺する度にパキリ、パキリと鳴り響く。
やがて男は……男だった物は、緑色の血管のように見える何かが全身に浮かび、肌の色は土気色を通り越して青ざめた色へ変色して行く。
もはや呆然自失の有様で目の前の光景を眺めていた。
明らかに生存の危機なのは分かっていたが、この世の物とは思えない光景にただただ立ち尽くすしかなかった。
……一層大きく目の前の『怪物』が身じろぎする。
もはや体から鳴り響く音は、ベキリ、バキリ、と、重く湿った音に変化していた。
そうしている内に怪物は頭を大きく仰け反らせ……。
ばきばき、ぐしゃぐしゃぐしゃ、と、湿った破裂音を響かせ目玉を突き破り、鼻や耳から血を撒き散らして植物の蔦のような物が生えて来た。
そうして体の痙攣が再び小刻みな物へ変わると、頭から伸びた蔦が上半身に巻き付いて行く。
やがて、植物が見る間に成長して枝葉を伸ばし……開花した。
青い花。
何度か目にしたその花は、今まで見た物の中で最も生き生きとした色をしているように思えた。
しかし同時に……最も危険を感じる色でもあった。
ゴキリ
怪物の首が動く。
飛び出して零れ落ちた目玉が、細かい蔦に絡め取られた状態で揺れる。
どう見ても目としての機能が残っているようには見えなかったが、
こちらに視線が向けられたと本能的に感じた。
ペキリ、パキリ、と音を鳴らしながら、怪物が両手を前方に彷徨わせる。
一歩、一歩、非常にゆっくりと、しかし確実に歩みを進める。
……こちらへ近づいて来る。
「あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛あ゛あぁあ゛ァぁ」
掠れたような、濁ったような、声とも音とも言えるような異音を発しながら、よたよたと、一歩ずつ近づいて来る。
「……い、嫌……」
先程まで会話をしていた相手が悍ましい怪物に変貌し、恐らく殺意を持って自分に向かって来ている。
もはや、恐怖は限界に達していた。
体が震え、思うように動かない。
それでも、目の前の怪物から無意識に距離を取ろうとしたのか、怪物の歩みに合わせて徐々に後ろへ下がって行く。
が。
「あっ……!」
体に力が入らない状態で後ろに下がる動きをした為に、バランスを崩して尻もちをついてしまった。
致命的な隙をさらした瞬間、怪物も動いた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ァァア゛ア゛ア゛ッッ!」
「きゃああああ!!」
走った……という程の速さではなかった。
しかし、先程よりも早い動きで怪物は駆け寄って来た。
そしてそのまま、覆いかぶさるように襲い掛かって来た。
「ヴァ゛ァ゛ァ゛ァァァァ!」
「嫌!やめて!離して!」
掴みかかってきた怪物を何とか押しとどめるが……すさまじい力だ。
必死に抵抗を試みていると、目の前でガチン、ガチン、と怪物の歯が打ち鳴らされた。
食べようとしている。
脳裏に廊下で襲われたと思われる犠牲者の末路がよぎる。
「離してったら……!」
火事場のなんとやら、というのだろうか。
怪物に組み敷かれながら、右足を自分と怪物の間に割り込ませて、そのまま蹴り飛ばす。
「ヴェ゛あ゛あ゛!」
思ったよりも強く蹴る事が出来た為か、怪物を遠ざける事が出来た。
すぐに身を起こして立ち上がり、逃げようとする……が。
「ヴゥ゛ォォォぉオ!」
怪物も逃がすまいと思ったのか、蹴り飛ばされた先で転倒するような事もなく
少しよろけた後、そのまま再度向かって来た。
「……ッ!?」
すぐさま反撃に転じて来るとは思っていなかった為、反応が遅れてしまった。
咄嗟に左腕で防御するような体勢を取る。
「ガァァァッッ!!!」
「あっ……!」
ぐしゃり、と音が聞こえた。
それは、あの客室の前で聞いた音と同じであると、どこか他人事のように感じていた。
怪物の歯が腕に食い込み……左腕の肉を引きちぎって行った。
「あ、あ、あ、」
痛い。
「あああああああああぁぁぁぁあああ!!!!」
痛い。
痛い、痛い、痛い!!
焼けるような熱さ。
傷口からは血が噴き出し、床に血だまりを作っていく。
怪物は食いちぎった腕の肉をぐしゃり、ぐしゃりと咀嚼している。
幸いにも腕を骨ごと、あるいは骨が見える程食いちぎられたわけではないようだ。
咄嗟に防御した際に、振り払うようにした為、腕の肉の比較的浅い所だけで済んだらしい。
しかし、だからと言って大怪我な事には変わりはない。
「あ、う、ぐ、うぅぅぅぅ……!」
痛みに視界が歪む。
出血した事により意識が朦朧としてしまっている。
何とか意識を保ちつつ傷口を押さえる。
傷を負わされた衝撃でうまく頭が回らない。
しかし、目の前の怪物は未だ健在だ。
このままでは、腕だけでなく……。
かすむ視界の焦点を何とか合わせ、怪物の方へ目を向けると、食いちぎった分の肉を食べ終わったのか、再びこちらに接近しようとしているのが見えた。
これまで以上の恐怖で体が動かない。
明確な死の予感。
一歩一歩近づいて来る怪物のぺキリ、パキリ、という足音。
─嫌だ、死にたくない─
再び目の前に迫った怪物を前にして生存本能を強く刺激される。
生き延びる為には恐怖に震え、動きを止めるだけでは足りない。
……が。
「うあっ…………」
死の危機に瀕してなお、彼女に出来たのは……
迫る怪物の体を押しのけるように、無事な右腕を突き出す事だけだった。
しかし、その時。
本日何度目かわからない『異常事態』が彼女の身に降りかかった。
眼前には自身に食らいつこうとする悍ましい怪物の姿。
突き出した右手は、しかし怪物には届いていない。
そうした光景が、スロー映像のようにゆっくりと映し出されていた。
何が起きたのか分からず困惑していると、突き出した右腕に違和感を覚えた。
(何……?)
今まで経験した事のない感覚。
それは、右腕が広がっていくような感覚だった。
何が起きているのか分からず困惑していると……『それ』が目に入った。
「……え?」
そこにあったのは、腕から生えた『植物の蔦』だった。
目の前の怪物の上半身を覆っているのと同じ……いや、怪物の物と比べ、若干青みがかった蔦だ。
自分の腕にあるはずのない物が生えるという事態に、困惑が深まる。
自分も目の前の怪物と同じように植物に乗っ取られてしまったのだろうか?
一瞬そんな事が頭をよぎったが、何故かこの植物が自分にとって害のある物ではないと感じた。
そして、彼女が自分の身に起きた異変を、ほんの少し受け入れた、その瞬間─
腕から生じた植物が急速に成長し、その蔦を伸ばす。
その段階になって気付いた。
周囲の光景がゆっくりと動く映像で見える、今の状態でなお早いと感じる成長速度。
ならば、実際の速さは─
次の瞬間、意識が元に戻る。
ヒュォン
まず、風切り音が聞こえた。
その次に聞こえたのは、怪物に蔦が突き立ち、肉を切り裂き、抉る音。
「グゲェェェエッェッェェェ!」
そして苦悶に満ちた怪物の悲鳴だった。
腕から伸びた蔦の速さは『伸びる』という表現では正確に状況を表す事が出来ていなかった。
それは最早、『射出される』とでもいうべき速度で撃ち出されていた。
その為、撃ち出された4本の蔦の先端が怪物の体を貫き、吹き飛ばし、そのまま背後の壁に縫い付けてしまっていた。
「え……な……何、これ……」
自分に起きた異変は若干受け入れる事が出来そうだったが、目の前で繰り広げられる
『えげつない』光景は再び彼女に混乱をもたらした。
しかし、目まぐるしく変化する状況は、待ってくれなかった。
光を感じた。
はっ、として右腕を見やると、そこには掌から二の腕の途中までを覆う植物の蔦。
腕のほぼ全体を植物の蔦が覆い尽くしていたのだ。
そして、蔦の先や途中に咲いた『青く光る花』があった。
まるで、そこで花を咲かせるのが当然と言わんばかりに神秘的な輝きを放つ青い花。
ある意味では幻想的ともいえるその光景に、彼女は状況も忘れて見入っていた。




