44 苛む声
「やっぱりか、あのクソ野郎!!」
操の話を聞き、怒り心頭といった様子で吐き捨てたのはジェフリー巡査だ。
その表情は怒りと悔しさが入り混じった複雑なもので、自分でも感情の制御が効かなくなる程のようだ。
「落ち着け、ジェフリー。 今ここに居ない者に……それも、既に死んだ者に怒っても仕方がない」
そう言ってジェフリーを宥めるハリソン警部補。
しかし、そんなハリソンの表情にも言いようの無い怒りの感情が浮かんでいるのが操にも分かった。
「……やる気のない署長だとは思ってたけど、まさか裏切者の主犯だとはね……」
アンナも頭を抱えてそのように呟いている。
操はライナと合流するべく向かった消防指令センターで見た事をハリソン達に話した。
センターその物は違法な行為に手を染めていなかったと思われるが、その建物の一角には警察署長のウォルター・サザランドが密かに作らせた「盗撮部屋」があった。
ウォルターはそこから街の各所に設置されている監視カメラをハッキングし、街のあらゆる場所で盗撮・盗聴を行っていたようだった。
更に、操の能力で生前の記憶を読み取ってみた所、サイディス社と癒着関係となり捜査記録の捏造・改竄まで行っていたのだ。
操の能力に関する部分の詳細はハリソン達には話せないので一部省略しているが、大まかにその内容を伝えるとハリソンは苦々しい様子で表情を歪めた。
「……一応確認だが、その『盗聴部屋』に居たのは、この警察署の署長のウォルター・サザランドで間違いないんだな?」
半ば確信している様子だが、それでも念を押して確認して来るハリソン。
自分達の上司、それも警察という組織のトップの背後関係が真っ黒だった、などという話を簡単には信じられない、という事だろう。
正直な所、操も信じたくない事だったし、無理もない話だと思っていた。
「間違いないぞ。 俺も操と一緒に確認したし……これもあったからな」
そう言ってライナが取り出したのは警察バッジだ。
いつの間に持って来たのか、血糊の付いたバッジは確かにあの時見たウォルターの物のようだ。
ハリソンはライナからバッジを受け取って裏面を確かめる。
そこには持ち主の名前が刻まれている筈だ。
「……確かに、署長の物のようだな……。 騒ぎが起きてすぐに行方を晦ませた時点で怪しいと思ってはいたが……」
バッジを睨みながらこめかみに手を当て、眉間に皺を寄せるハリソン。
アンナやジェフリーも嫌悪感を浮かべた表情で溜息を吐いている。
「……ともあれ情報提供感謝する。 これで奴らの違法取引の捜査も進展するだろう。 ……この異変から生き延びる事が出来れば、だが」
「ま、そこだよな。 ……その様子だと、あんた達の方でも外とは連絡が取れてない感じか?」
重々しく息を吐いたハリソンにライナが訪ねる。
操もそこは気になっていた所だ。
「……災害時に使用するような緊急用の通信システムがあるんだけど…………全く駄目ね。 こっちからの通信は送信出来ないし、外からの通信は受信出来ないの」
「通信設備の故障かとも思ったんだが、署の設備には異常無くてな……。 何故通信が出来ないのか、正直お手上げなんだ」
どうやらアンナ達も外部と連絡を取ろうと苦心しているようだが、その成果は上がっていないらしい。
消防指令センターにあった通信設備でも通信が出来なかった事を考えると、その可能性もあると思ってはいたが……。
「ところで君達はなぜ消防指令センターに? あそこは特に指定の避難所というわけではなかったと思うが……」
と、操が思考を巡らせていると、ハリソンが尤もな疑問を口にした。
あの場所にいた理由としては外部との連絡が取れるのでは、と考えたライナを操が追いかけて行ったというだけだ。
……が、少なくともあの場所を立ち去る際に、かなりの大立ち回りをしてしまった事は隠しておくべきだろう。
「ああ、それな。 俺も街を脱出する方法を探してたんだけど、街の外と連絡取れないかと思ってさ。 普通の通信機じゃダメだったんで、出力の高い設備の奴でやったらどうかと思ってさ」
ライナが当たり障りのない答えをハリソンに返す。
実際それは事実であるが、その時点で操は外部と連絡が取れないのは『青い花』の妨害のせいではと考えていた。
しかし、それをハリソン達に伝えるには操の身に起きている事を詳しく話さないといけない為、難しいと言わざるを得ない。
「なるほど、そういう事か。 あそこにはかなり強力な設備があった筈だが、あれでも無理か……」
「ああ、変な……ノイズ?みたいなのが聞こえるばっかりで駄目だったよ。 けど、そこでマシューとあんたの通信を偶然聞いて、警察署にはまだ生き残りがいるって知ったんだ」
正確には「盗聴部屋」を調べていた所で警察無線を傍受したので警察署に向かう事にしたのだが……署長の話を出すと、警官組が嫌な気分になると思われるので触れないでおく。
「そうだったのね……。 あれ?でもそこからどうやってこっちに来たの? 指令センターって街の東側でしょ? 大通りは巨大植物で埋め尽くされているし……」
「……病院から脱出した時に地下水路を通ったんですけど、それなら大通りも水路を通れば通過出来ると思ったんです」
操は大通りを通過する為に、中央地下水路をライナと共に抜けて来た事を話した。
アンナ達も地下水路の存在を失念していたようで、しきりに感心している。
「中央地下水路! そういやあったな、そんなのも……」
「行政側と市民団体が泥仕合をしている、としか我々は知らなかったが……確かに一応保存はされていた筈だからな」
「でもよく通れたわね。 管理してるのは街の方だから管理が杜撰だったでしょ?」
アンナの言葉に操とライナは顔を見合わせて苦笑する。
お互いにこの街の行政の杜撰さに、散々愚痴を零していたからだ。
「まぁ……色々あったのは確かですけど、あの水路はもう使えないと思います」
「ん? 何故だ?」
「怪物共が大水路に群れ……っていうか、大軍団で押し寄せて来てな。 あれは300以上は居ただろうな……」
操とライナの話に三度驚くハリソン達。
先程警察署を襲撃して来た怪物の群れは30体前後といった程度だったが、それでも一時食い止めるのが精一杯だった。
100を超える大集団など思いも寄らないだろう。
「おまけに最初に大水路に入った時は隠れてたっぽくて、ある程度奥に進んだ所で退路を塞いで挟み撃ちにしようとして来たんだ」
「……それは、罠を張っていた、という事か?」
ライナの発言に驚愕した表情を浮かべるハリソン。
しかし一方で、何かしら腑に落ちたような様子にも見える。
「……何か心当たりがあるんですか?」
「気のせいかとも思っていたんだが……怪物共の動きが異変が発生した直後と比べて組織立って来ているような気がしていたんだ。 今回の襲撃もそうなんだが……」
「そう言えば、私がマシュー達と周囲を調べてる時も何度か挟み撃ちされたり、一方の怪物に気を取られてる間に別の怪物に奇襲を受けたりっていう事がありましたね」
「言われてみれば確かに……」
ハリソンだけではなくアンナやジェフリーにも思い当たる事があるようだ。
怪物達と戦う事が多く、特殊な能力を持つ操はそうした怪物達の動きの変化に気が付いていたが、既に普通の人間である彼らも気が付く程それが顕著になっているという事か。
「何とかライナと協力して逃げ切れましたけど……恐らく大水路内はまだ怪物だらけだと思います」
「水路の壁を植物の根がぶち破ってる所があって、そこから水がジャバジャバ流れ込んでたから、その内また水没すると思うけどな」
排水システムで水路に溜まった水を排水して通る事が出来るようになったが、破損した壁はそのままなのでいずれはまた水没して通れなくなると思われる。
街の西側から水路を通る事も出来なくなるが、怪物の群れも水に沈んで出て来れなくなるだろう。
そういった意味ではあの大軍団の相手をする必要が無くなるのだが……。
「そうか、それはある意味幸いだな……。 何にせよ、君達の事情は大体理解出来た、もう安全だ……と言い切れないのは心苦しいが、少なくとも街中よりはマシだろう」
ハリソンがそう言って操達を労った。
確かに今まで操達が訪れてきた場所と比べれば、警察署内は段違いに安全だろう。
そういえば、他の生存者はどこに居るのだろうか。
「生き残りの民間人も居るんだろ? よく抑えておけたな、今まで」
「ヘンリー先生が色々とケアしてくれてるからね。 今の所みんな落ち着いているわ」
先程も名前が出たがヘンリー先生とは誰だろうか?
そんな考えが顔に出ていたのか、ハリソンが疑問に答えてくれる。
「ヘンリー先生は昔からうちの署に出入りしてるドクターだ。 ……私達は皆多かれ少なかれ先生の世話になってるんだよ」
「あ、ドクターって言っても個人経営の診療所だからな。 聖メアリーとは無関係だから心配するなよ」
ジェフリーが補足情報を付け加えてくれた。
操としては苦笑する他ないが、確かに安心なので何とも言えない。
「へぇ、何だか人徳がある人みたいだな。 ……ご機嫌でも伺っといた方が良いか?」
おどけた様子でそんな事を言うライナに、ハリソン達も思わず笑みが零れる。
そんな周囲に操も笑みを浮かべて言葉を紡ごうとした。
しかしその時。
「……ッう……!?」
突如、頭に激痛が走る。
以前よりも更に増したその痛みに、操は思わず頭を押さえる。
あまりの痛みに周囲の音が遠ざかり、操の意識は現実の時間軸から一瞬の間だけ暗闇に飲み込まれた。
痛みに苛まれ、一切音が聞こえない暗闇の中、操は自分の身に何が起きたのか分からず困惑する。
すると、あの時聞こえた『声』が再び響いた。
『急がなきゃ』
(……ッ…………また……あの声…………)
操がライナに助けられ、意識を失っていた時、夢の中で同じように頭の中に響いた声だ。
あの時もそうだったが、何を急げと言っているのか操には分からない。
しかし、そんな操の思考とは裏腹に、操は自分の全身が何かに苛まれるような感覚を覚えていた。
それは居ても立ってもいられないような、すぐにでもこの場を離れなくてはいけないような、そんな感覚だった。
自分の思考と体の反応の乖離に、操は例えようのない不快感を覚える。
体が引き裂かれんばかりの感覚に意識が飛びそうになる。
(一体私に何をしろって言うの? …………分からない……、私は…………)
「操? どうした? 大丈夫か?」
隣から聞こえたライナの声に、操の意識は急激に暗闇の中から現実世界に引き戻された。
突然周囲の音が戻って来た事に操は一瞬困惑するが、いつの間にかあの『声』が聞こえなくなっている事に気が付いた。
「え…………あ…………うん……大……丈夫……」
何とかライナにそれだけ答えるが、その声はどう聞いても大丈夫ではなさそうだった。
「…………いや、大丈夫じゃないだろ。 顔色悪い……っていうか真っ青だぞ、本当にどうした!?」
「確かに顔色が悪いわね……。 熱でもあるんじゃない?」
アンナも心配そうに操の顔を覗き込む。
そして操の額に手を添えて体温を確かめた。
「え、うわ、ちょっと、本当に熱があるじゃない! これじゃ具合が悪くて当然よ!」
アンナが驚きの声を上げる。
操には自覚が無かったが、どうやら相当な高熱があるらしい。
話を聞いていたハリソンも操の様子を見て顔色を変えた。
「む、いかんな、確かに顔色が良くないようだ。 少し休んだ方が良いんじゃないか?」
「向こうに仮眠室があるから休んだらどうだ? ……ああそうだ、ヘンリー先生を呼んで来るよ」
そう言ってジェフリーが席を立つ。
確かに医者にちゃんと診察してもらった方が良いかもしれない。
「ああそうだな、疲れが溜まっているのかもしれない。 ……話はここまでにしておこうか。 あまり負担を掛ける訳にはいかんからな」
ハリソンも話を切り上げて席を立った。
「あ、それなら私が仮眠室まで二人を案内します」
「ああ、頼む。 あ、それとジェフリー。 バーンズにも私の所へ来るように伝えてくれ。 避難民の様子の報告を聞きたい」
「分かりました」
ライナは操に手を貸して立たせてやる。
「歩けるか? 操」
「うん……」
明らかに体調の悪そうな操を支え、ライナも席を立つ。
「仮眠室はこっちよ。 1階にあるんだけど、窓は無いから外からの侵入の心配とかはしなくても大丈夫だから」
「そういや、見張りって二人で大丈夫なのか? 正面の門はともかく、ここの敷地って結構広いだろ?」
警察署の敷地に隣接した場所から怪物が侵入して来ないのか、というライナの疑問にアンナが苦笑しつつ答える。
「あー……それね。 実を言うと、さっき正門の見張りをしてた二人の内の一人が元兵士で、トラップ戦術の専門家なのよ」
なんでも軍隊に居た頃、トラブルを起こして除隊になったのを知り合いだったハリソンがスカウトしたのだそうだ。
軍に所属していた間に学んだ技術を街での犯罪捜査に役立てるなど活躍しているらしい。
「へー、結構人材抱えてるんだな、グリーンフォレストも」
「今考えると複雑なんだけど……グリーンフォレストにサイディス社が研究所を作ってから、街が急激に発展して人が流れ込んで来たの。 他の街の人達からすれば魅力的に映るんでしょうね」
「なるほどな。 まあ、街が発展して便利って言えば便利だろうからな。 今まで手に入らなかったものが手に入るようになるとか色々恩恵はあるし……」
尤も、まともではない「恩恵」を享受している輩がこの街には多いようだが。
アンナもライナの口ぶりに言いたい事を察したのか、ため息交じりに答える。
「まあ……そうね。 裏側は置いておくとして……」
「ああ。 裏側は置いといて、な」
暫く署内の廊下を3人で進んで行くと、廊下の途中に「仮眠室」と表示がされた扉が見えて来た。
「ここよ。 ちょっと待ってて、準備して来るわ」
そう言ってアンナが部屋の中に入って行く。
ライナは手伝おうかとも考えたが、操を放置するわけにもいかない為、そのまま操を支えて廊下で待機していた。
「ッ……う…………」
「……大丈夫か操?」
操はオフィスでのライナとハリソン達のやり取りを聞きながら、自分は大丈夫だと言おうとしていた。
しかし、そう口にする余裕もない程に体調が悪化してしまっていた為、なし崩し的に仮眠室まで連れて来られてしまっていた。
今もライナの問い掛けに何処か虚ろな視線を向け、力なく微笑むのが精一杯だ。
「あー……大丈夫じゃないよな、悪い……」
操の反応を見てライナも無理に操に話をさせない方が良いと思ったようだ。
操もライナに心配を掛けたくない為平静を保とうとしてはいるのだが、どうしても体が付いて来ない。
『声』は聞こえなくなったが、頭が割れそうな程の頭痛が続いている状態は、思った以上に操を消耗させていた。
「お待たせ。 入って大丈夫よ」
程なくしてアンナが仮眠室の準備が出来た事を告げて来る。
操の様子から早急に休ませる必要があると考えたライナは、操を促し仮眠室へ入ろうとする。
「操、歩けるか?」
「うん……何とか行けると……あっ……」
しかし、先程オフィスで様子がおかしくなった直後よりも体調が悪化してしまっているのか、操は足元も覚束なくなっていた。
一歩踏み出そうとした所で膝から崩れ落ちそうになるが、ライナに抱き留められて事なきを得る。
「おっと!」
「わっ! だ、大丈夫?」
倒れそうになった操にアンナも慌てて支えようとするが、ライナが操の体を受け止めた為安堵の息を吐く。
「ご、ごめん…………」
「……やっぱりさっきより具合悪そうだな。 …………仕方ない。 ちょっと揺れるぞ、操」
「…………え?」
そう言うとライナはサッと操を横抱きにして持ち上げた。
お姫様抱っこ再びである。
「あう…………」
「ほら、じっとしてろ」
熱がある事とは関係なく顔が赤くなる操。
ライナはそんな操に構わずさっさと仮眠室に入って行く。
仮眠室の中は歩けるスペースはやや狭いが、2段ベッドが壁際に6か所、合計で12床設置されており、一度にかなりの人数が仮眠を取れるようになっていた。
現状ベッドは全て空いた状態であり、室内には誰もいない。
ライナは空いたベッドの内の一つに歩み寄ると、そこへ操をそっと寝かせた。
「…………ありがとう、ライナ……」
「気にすんな。 ここまで来るのにかなり気を張ってただろ? 多分、安心して疲れがどっと出たんだよ」
ライナは操の前髪を退けると額に手を当てて熱を測る。
「うーん……やっぱり熱があるなぁ。 これは、暫く眠って休んだ方が良いぞ」
「でも……」
操とライナが話をしているとアンナも部屋に入って来た。
手には水の入った洗面器を持っている。
「ライナ。 これ、操に」
「ああ、悪いな」
アンナから手渡された洗面器の中には手拭いが水に浸されており、ライナは手拭いを水から取り出すと絞って水気を取り操の額に乗せた。
「……冷たくて気持ちいい……」
ひんやりとした手拭いの感触を操は心地よく感じていた。
それだけ体が不調を訴えているという事なのか、と我が事ながら情けなく思えて来る。
そんな操の心情を察したのか、アンナが操を諭した。
「……気持ちは分かるけど、今本格的に体調を崩したらそれこそ危険よ操。 今はしっかり体を休める方が大事だと思うわ」
「そうそう。 俺達と違って操は荒事に慣れてる訳じゃないんだ。 色々と知りたい事もあるだろうけど、その辺は俺に任せとけ。 ハリソンとかに聞けば何かわかるかもだしな」
アンナにそう言われ、ライナにも今は大人しくしているべきと止められて、操も流石に納得するしかなかった。
そもそもこんな体調では自力で動く事も出来そうになく、周囲に迷惑を掛けてしまうと操自身も自覚している。
悔しくて情けなく思えてしまうが、ここは二人の言う通りにするべきだろう。
「……うん、そうだね。 ……こんな状態じゃ、余計に周りに迷惑を掛けちゃうし………少し、休む……ね………」
そう言って休む事を受け入れると、操は急激に瞼が落ちて来るような感覚を覚えた。
やはりそれだけ疲労が溜まっていたのだろうか。
「ああ、そうしな。 …………お休み、操」
ライナが操の頭を優しく撫でる。
眠りに落ちかけた意識の中で、その手の感触を感じたまま―――
操の意識は暗闇に沈んで行った。
「患者がいるというのはこちらかね?」
そんな声と共に仮眠室の扉が開かれる。
ライナとアンナが振り返ると、そこにはドクターバッグを提げた初老の男性が立っていた。
「あ、ヘンリー先生。 もう来てくれたんですね」
アンナがヘンリーと呼んだ男性は、皺が目立つ顔をクシャリとほころばせて笑った。
「当然だ、こんな状況だからね。 具合の悪い人間の面倒を見るのは医者の役目さ」
そう言って部屋に入って来たヘンリー医師は、ベッドで眠る操とその傍に寄り添っていたライナに顔を向ける。
「……おっと。 彼女が患者かね? 眠っているのなら静かにせんといかんな」
声のボリュームを少々芝居がかった仕草で落としたヘンリー医師に、ライナも思わず微笑んだ。
操を起こしてしまわない様に廊下に出ながら会話を続ける。
「悪いね、横になったらすぐ眠っちまったんだ。 相当疲れてたのかもな……」
そう言って沈痛な面持ちを見せるライナ。
生き延びる為に全力を尽くさなくてはならなかったのはやむを得ないとはいえ、やはり無理をさせ過ぎたか、と少々後悔しているようだ。
「それでもそのお嬢さんはここまで生き延びたのだろう? それなら生きていれば何とかなるというものさ。 君が気に病む事は無いと思うがね」
そう言って気遣うヘンリー医師にライナは複雑そうな表情を見せるが、ある程度は納得したのか溜息を吐くとヘンリー医師に向き直った。
「……ああそうだ。 自己紹介してなかったな。 俺はライナ。 彼女は操だ。 さっきここに辿り着いたんだ」
「なんと、初めて見る顔だとは思っていたが、よく今まで無事だったな……。 私はヘンリー・マクラウド。 この街で診療所をやっとる者だ」
そう言ってライナと握手を交わすヘンリー医師。
確かに彼の言う通り異変発生から既に一週間が過ぎ、周辺に生き残りはほぼ存在しないと思われていた。
そんな中、新たに生存者が二人も現れた事は警察署に避難していた側からすれば驚きだったのだろう。
「俺達は比較的怪物の少ない街の東側に今まで潜んでたからな。 まぁ、今はもうこっちと同じくらい増えて来たんで、安全地帯を求めてこっちに来たんだけど……」
「なるほど、そうだったか。 私の診療所も東側にあるのだが、この騒ぎが起きた時は偶々この警察署に来ていてな。 外の状況があまりに危険なので、帰るに帰れなくなってしまったんだ」
聞く所によると、パトロール中の警官が怪我をしたという事で、昔から署に出入りしているヘンリー医師が呼ばれたのだという。
そこでちょっとした治療だけ行って診療所に戻ろうとした矢先にこの状況となったようだ。
「診療所のスタッフや患者は、上手く逃げてくれていれば良いのだが……あまり期待は出来ないかもしれんな」
諦め気味に首を振るヘンリー医師。
しかし、すぐに明るい表情に戻ると、自分の仕事に取り掛かる事にしたようだ。
「……おっとすまん。 暗い話になってしまったな。 取りあえずあのお嬢さんを診るという事で良いのかな? 疲れが溜まっていたとの事だが……」
「ああ、ここまで来るのもそうだけど、向こうでもかなり危ない目に遭ってるからな。 かなり気を張ってたと思うんだ」
ヘンリー医師に促され、ライナは大雑把に今までの経緯と先程の操の状態を説明する。
途中、アンナも自身が目にした操の様子などを付け加える事でライナの話を補足して行った。
「ふむ。 大体の症状は分かった。 とはいえせっかく眠っているのを起こすのも忍びない。 今は様子を見た上で簡単な診察だけにしておこうか」
「そうだな、そうしてくれると助かるよ。 今日の朝に起きてからまともに休めてなかったから、出来たらあのまま寝かせてやりたいんだ」
「何処も怪物だらけで安心して休めないもんね……。 警察署も安全とは言い難いけど、他よりはマシだわ」
3人はそのように相談し合うと、操を休ませる事を優先し、眠る彼女を起こさないよう注意しながら診察を行う事にしたのだった。
操はベッドに横になった直後、急激な睡魔に襲われそのまま眠りについた。
しかし、意識が沈んで行く感覚とは裏腹に、周囲が暗闇に包まれた状態でなお操の意識は保たれているようだった。
何故か一糸纏わぬ姿で何処とも知れない暗闇の空間に操だけが浮かんでいる。
ふわふわとその場を浮かんで漂い、上下の区別すらつかない状態だ。
自分以外の何も存在せず、何も聞こえない闇の中で、操は何が起こったのか分からず困惑する。
闇の中で揺蕩い浮遊感を感じる状態は、自分が現実世界に居ない事を操に認識させた。
ふと気が付くと右腕に蔦が絡み付いている事に気が付く。
特徴的な青緑色の蔦は、同じような色の小さな葉が生えているが花は咲いていない。
しかし、操はそれが自分の体から生じる蔦と同じ物だと気が付いた。
その瞬間、腕に絡み付いていていた筈の蔦は操の腕から生えた状態になっており、更に一瞬の後には逆に操の腕を蔦の植物質の細胞が侵食し始める。
操の腕の肌が青緑色をした植物質の物質に変わって行く。
侵食はそれで止まらず操の腕を登り、肩、胸元、首、と瞬く間に操の体を浸食して行く。
気付けば、蔦を生やしていた右腕は、腕自体が無数の蔦で形作られた歪な物へと変わり果てていた。
「……!!……!?………………!!!」
操は恐怖から叫び声を上げるがなぜかその声は周囲に響かない。
それどころか自分の声すらも聞こえない。
自分の身に何が起きているのか分からず混乱する操。
やがて体の浸食は操の全身に及び、腕や足に至っては既に無数の蔦で形作られた手足ですらなく、先端から少しずつ解けて行っている。
「…………!!!………………!!!!」
操は全身に、体内を掻き回されているような、体が液体となって煮えたぎっているような悍ましい不快感を感じていた。
痛いとも熱いとも言えないその感覚に身悶えし、両腕で体を抱き締めようとして腕を動かすが既にそこに腕は無い。
あるのは無数に蠢く青緑色の蔦だけだ。
やがて、手足を上がって操の体までも同じように蔦と化して解けて行く。
腕から肩。
足から腹。
だんだんと『操』が消えて行き、胸元まで青緑色の蔦と化して――――――
『怖がらないで』
再びあの声が頭の中に響いた。
その瞬間、今まで続いていた青緑色の蔦による体の浸食がピタリと止まる。
既に操のほぼ全身が無数の蔦……正確には途轍もなく巨大な植物の一部と化してしまっている。
しかし、操を飲み込もうとしていたらしい巨大植物は動きを完全に止め、それ以上操を取り込むような動きを見せなかった。
『もう、時間が無い』
暗闇の中、意識が朦朧とする操の頭に声が響く。
『あの場所へ。 もう一度、あの場所へ……』
あの場所? あの場所とは一体何処なのだろうか?
操はこの街の人間ではない。
はっきりと言ってくれなくては何処に何があるかも分からない。
『……違う………あなたは……』
先程よりも声が遠ざかる。
ノイズが走り段々と不明瞭になって行く。
しかし、操には最後の言葉がはっきりと聞こえた。
『私は、既にあの場所を知っている』
操の意識はそこで完全に途切れた。
「………………ッッあああッッ!!!」
声にならない叫び声を上げて体を跳ね上げる操。
体が震え、全身に夥しい量の汗をかいている。
震える両手を顔の前にかざしてみるが、植物質に覆われている訳でもなく、無数の蔦となって解けている訳でもない。
「ハァ……ハァ………………ここ、は…………」
荒い呼吸を整えつつ恐る恐る周囲を見渡すと、そこは先程ライナ達に連れて来られた覚えのある仮眠室だった。
照明が落とされ、薄暗い室内には操以外の人間はいない。
壁に掛けられている時計に目をやると、既に19時を回りつつあった。
どうやら3時間近くも眠ってしまっていたらしい。
よく見ると、時計の下にある棚に水が入ったコップが置いてあった。
ライナかアンナが気を遣って置いてくれたのだろうか?
コップを手に取ってみると水滴は付いているが水はあまり冷たくない。
操が休んだすぐ後に用意してくれたようだ。
操はコップの中の水を一口含み、飲み込んだ。
渇いた喉を水が流れ落ちて行くのを感じる。
「……………………」
操はコップの中の水を暫し見つめた。
薄暗い室内の照明に照らされた自分の顔が水面に映る。
その顔は、とてもではないが本調子に戻ったとは言えない顔付きだ。
「………………私、は………………」
誰に対してでもなく呟いた声が、妙に自分の耳に響く。
すべき事は分かっている。
どうしてそうしなくてはいけないのかも理解出来ている。
操は眠りについた後に見た夢―――いや、自分の精神世界とでも言うべき場所での出来事から、失われた記憶の一部を取り戻していた。
断片的ではあるが、記憶を失う前の自分が何をしようとしていたのかを…………。
「『DD-4032』………………」
かつて見た同じ精神世界と思われる場所で聞こえた記号と数字。
今ならそれが『何』なのかも分かる。
「……行かなきゃ。 『あの場所』へ…………」
そして操は一人呟くと、決意を秘めた表情で立ち上がり、部屋を後にした。




