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37 水に揺らめく


「本当に真っ暗だね……」


「せめて非常灯くらいは点いてて欲しいよなぁ……」


二人してそんな愚痴を零す。


管理室を後にした操達は、プレハブ小屋然とした建物横に設置されていた階段を下りて水路の奥へと足を進めていた。


管理室周辺は管理室自体に外から電力が通っている事もあってある程度明るかったのだが、水路を奥に進むとあっという間に周囲が暗闇に包まれてしまった。


ライナが進行方向をライトで照らしながら先導してくれているが、それが無ければ本当に何も見えなかっただろう。


「予備の発電機のある部屋がそれ程離れてなくて良かったけど、この状態で怪物に出くわしたくないな」


今の所水路内で怪物に遭遇はしていない。


しかし、操は地下水路に足を踏み入れた直後から、気配自体は感じ取っていた。


「相変わらず怪物の気配は薄いのか?」


「うん……居るのは間違いないんだけど、なんていうか、気配が薄いんだよね……」


地下水路に入って以降から感じていた怪物の気配は、今まで操が経験して来た気配の感覚に比べて非常に薄いものだった。


離れた位置に怪物が居るせいかと最初は思ったが、こうして水路の奥に進んで来ても感じられる気配は希薄なままだ。


何処かに居るのは分かるが何処に居るのかは分からない。


そんな曖昧な気配しか感じ取れない為、ライナにもいつも以上に警戒を促していた。


「またなんか『新種』だったりするのかね。 水場だし、そこに適応したタイプとか……」


「あり得るかもね……。 でも、水場に適応ってどんな風に?」


水場に適応した植物……と言って思い浮かぶのは、精々水草などの水生植物くらいだ。


あるとすれば、水中から襲い掛かって来る、などだろうか?


「んー……。 流石に、植物の事はあんまり詳しくないけど…………水に浮かんでるとか?」


「あー、蓮の花みたいに?」


操は水に浮かぶ植物、と聞いて蓮の花を思い浮かべた。


丸い大きな葉を水面に浮かべ、綺麗な花を咲かせる蓮は水生植物としては有名だろう。


「そうそう。 ……でも、こんなジメジメした地下であんな綺麗な花が咲いてたら、逆に不気味かな」


「…………そうだね、私も警戒しちゃうかも」


実際にそのような光景が今目の前に現れるとしたら、確実に『青い花』の影響である可能性が高い。


綺麗な花は見てみたいとは思うが、今に関して言えば、花はトラブルの象徴のような物なので目の前には現れて欲しくなかった。




「お、あったぞ。」


水路脇の通路を進む事しばらく。


目的の発電機のある予備電源室の扉を見つけたライナが声を上げた。


「……あったのは良いけど、この古臭い地図に載ってるって事は、機械自体も古いって事だよなぁ」


そう言ってライナが覗き込んだのは、言葉通り古びた地図だった。


管理室を出る直前にライナが見つけた物で、この地下水路の構造が細かく記されている。


地下水路の観光地化の計画が持ち上がった際の物で、大体20年程前の物らしい。


確かに、その時代に設置された物なのであれば発電機自体も古い物である可能性もあった。


「どうか壊れていませんように……っと」


そんな事を言いつつ、ライナが電源室のドアノブを捻って押し開けると、扉は軋んだ音を立てて開いた。


「安定の無施錠…………」


「………まあ、助かるけどね……」


部屋の中に入ると、内部には大型の機械……恐らく発電機と思われる物が設置されていた。


長い事放置されていたのか、室内は埃っぽくカビ臭い。


入り口を入ってすぐ横に電灯のスイッチがあった為点灯してみると、頼りない明るさの蛍光灯が室内を照らした。


…………この部屋の電力は別から供給されているのだろうか?


「あー…………うん、駄目かもしんない」


「ええ……?」


明かりに照らされた発電機を一目見てそう言ったライナに、操は嫌そうな顔をする。


目の前にある発電機は地下水路という湿気に満ちた場所に放置されていたせいか、あちこちに錆が浮かんでいた。


どう考えてもしっかり管理されていたとは思えない。


「調べてみないと何とも言えないけど、ちょっと望み薄かなぁ……」


そう呟きながらライナが発電機を調べ始める。


発電機に取り付けられた金属製のパネルのネジを、懐から取り出した短剣を器用に使って取り外していく。


そうして全てのネジを外すと、金属パネルも取り外して中を覗き込んだ。


「……どう? 何とかなりそう?」


操は機械についてはからっきしである為、ライナに任せるしかない。


しかし、そんな操が素人目に見ても、この発電機が正常に機能するようには見えなかった。


「あー…………修理……すれば……なーんーとー……か?」


案の定、とても曖昧な答えがライナから返って来た。


「中の方は思ったよりも無事……って感じだけど、修理しないで動かすのは難しいな」


「やっぱりそうなんだ……」


「あと、それとは別に動かす為の燃料が空だ」


今日何度目か分からない溜息を吐く操。


とはいえ、この発電機をどうにかしなければ先に進む事は出来ない。


「燃料って、ここにあるのかな?」


「多分な。 ……旧式のエンジンみたいだから、ディーゼル燃料かな? ……出力足りんのか、これ?」


そうぶつぶつ言いつつ発電機の内部を弄るライナ。


やがて、近くにあった金属製の簡素な棚から工具を見つけると、そこから幾つかの道具を取り出した。


「……操、悪いんだけど、ちょっと修理に時間が掛かりそうだから待っててくれるか?」


そう言ってライナは操を見る。


修理する間待つ事は操も問題ない。


しかし、操は別の考えが頭に浮かんでいた。


「ライナが修理してる間に私が燃料を探して来るよ。 その方が時間短縮になるし」


操のそんな提案にライナは思わず修理の手を止めて操の顔を見た。


「え? いや、それは……」


そう呟くように言ったライナの表情は、複雑な感情が見て取れた。


操の考えとしてはライナが修理を担当し、操が燃料の調達を担当すれば時間のロスを最小限に出来る、という単純なものだ。


確かに、修理が終わるまで待って二人で行動した方が安全だが、それだと時間が掛かり過ぎてしまう。


操の完全な感だが、この地下水路には長く留まるべきではない気がするのだ。


加えて、ライナが機械の修理を行っているのに、自分だけ何もせずに待っているのは気が引けたという事もある。


怪物の気配が漂う地下水路での単独行動にライナが難色を示すのも無理からぬことではあるが、ここは何とか納得して欲しかった。


「危険なのは分かってる。 でも時間は掛けてられないでしょ? あっち側の生存者がいつまで無事でいられるかも分からないんだし」


「それはまあ、そうなんだけどな……」


ライナは修理の手を止めて考え込む。


ライナ自身も、操が単独行動を行うメリットについては理解しているのだろう。


その一方で、未知の怪物に遭遇する可能性もある為、簡単には了承出来ない様だった。


「大丈夫だよ。 病院とか指令センターの探索も一人だったし、いい加減慣れたしね」


そう言って操は苦笑する。


正直に言えば、全く慣れたくないのだが。


「……はぁ。 分かったよ。 でも無理は禁物だぞ、狭い通路多いからな、ここ」


仕方なく、と言った様子で、先程の地図に目を向けながらそう答えるライナ。


確かに、先程見せて貰った地図には人が何とか通れる、といったレベルの狭く小さな水路も記載されていた。


そうした細かい水路が網の目のように張り巡らされていたのが、かつてのこの地下水路だったのだろう。


仮にそのような狭所で怪物に前後から挟撃された場合、非常に厄介な事になる。


「……こういう狭い所だとこれが役に立つかな?」


操がそう言って手に取ったのは、ここしばらく出番の無かった小型ショットガンだ。


こういった狭い場所なら、散弾をばら撒くショットガンは怪物相手に有効な武器といえる。


……しかし、懸念している事もあった。


「ちょっと弾の残りが心許ないんだよね……」


ショットガンの弾薬は、元々あの病院内で副院長の男が集めていたものを少々拝借した程度しか持って来ていない。


身に付けていたポーチに入る分というと、それ程多く持ってくる事が出来なかったのだ。


木人などの耐久力の高い怪物相手のみに使うようにしていたが、それでも残弾は残り少なくなっていた。


「結構弾消費したし、どっかで補給出来りゃいいんだけどな。 どっちにしろここから出ない事には難しいよなぁ……」


ライナがそのようにぼやく。


確かに地下水路内に武器庫など、いくら何でもある筈がない。


ここから脱出するまでは補給は出来ないと考えておくべきだろう。


「まあ最悪の場合、銃を使わないで戦えばいいんだけどね」


「でも、さっきみたいな鞭とか剣とかは狭い所だと使えないだろ?」


そう疑問を口にするライナに、操は掌から『棘』を少し伸ばして見せる。


一瞬驚いた表情をしたライナだったが、その表情はすぐに苦笑いに変わった。


「本当に何でも出来るなぁ……。 まあ手段があるんなら良いけど、油断しないようにな?」


「うん。 気配が掴めなかったり、今までと違う感じがするから気を付けるよ」


操はそう言うと、部屋の出口に向かおうとする。


すると、ライナが慌てて止めて来た。


「待った待った! 部屋の外は真っ暗だぞ! それに、燃料のある場所分かるのか?」


ライナのそんな声に操の足がぴたりと止まる。


「え、えーと…………。 その辺探せば見つかったり……」


「しないっつーの……。 操って、ちょいちょい行動が脳筋気味だよな……」


ライナには言われたくない!と反射的に言い返しそうになった操だが、思い当たる節がいくつかある事に気が付き口を噤んだ。


「むう……でも、それならどうするの? その地図にそれらしい所は書いてなかったでしょ?」


「正確な場所が分からなくても、取りあえずの目的地を定めておいた方が無駄がないだろ?」


そう言ってライナは持っていた地図に何かを書き込んで行く。


文字を書いているのではなく印を付けているようだ。


「ほら、備品の保管庫っぽい所に印付けといたから、ここを目指して探してみな」


手渡された地図を見てみると、水路内の数か所に印が付けられていた。


どれも、何に使われているかが表示されていない小部屋のような所で、確かに倉庫などに使われていそうだ。


「ここから近い場所から順に探して行けば比較的安全だと思うから、参考にしてみな」


「……なるほど、分かったよ。 ありがとう、ライナ」


礼を言いつつ地図をポケットに仕舞う。


するとライナがもう一つ差し出して来た物があった。


「あとこれも持って来な。 この部屋は電気が通ってたから良かったけど、水路全体としてはやっぱり真っ暗みたいだからな」


それは先程までライナが使っていた小型のフラッシュライトだった。


確かに真っ暗闇を進む事は出来ない為に、必要ではあるが……。


「有り難いけど、ライナは大丈夫なの?」


「俺はどっちにしろここで発電機を修理しないとだからな。 ここにいる限りは平気だよ」


予備電源室内は頼りなくではあるものの、蛍光灯が部屋を照らしている。


この部屋から動かない限りはライトが無くても修理作業自体はどうにかなるという。


「……分かった。 それなら貸してもらうね」


そう言って操はライトを受け取ると、ショットガンを構えながら前方をライトで照らす手の握り方等を確認して行く。


フォアグリップ付きの銃である為、グリップとライトをを握り込むような形で保持する事になり、少々安定性に欠けるがこの場合は仕方ないだろう。


「……こんな感じかな?」


「至近距離限定で考えるんならそれで大丈夫だろ。 そもそも遭遇しないのが一番なんだし」


それはその通りだ。


地下水路に巣食う怪物、などという時点でお近づきにはなりたくない相手だろう事は想像に難くない。


ライトで暗闇を照らしつつ、周囲の気配に最大限注意しながら進んで行き、可能なら戦闘自体を回避するべきだろう。



部屋の外の気配を探りながら、そっと扉を開ける。


通路には特に何者も存在せず、ただ水路を流れる水の音が響いているだけだった。


「じゃあ行って来るね」


「ああ、無理に奥へ行こうとするなよ」


やや心配そうに声を掛けるライナに頷きを返すと、操は部屋を出て通路の奥へ踏み入って行く。


扉を閉めると辺りはほぼ完全な暗闇に包まれるが、ライトを点けて照らすと、その方向のみ視界が開けた。


「……何にも出て来ませんように」


恐らく無理だろうと思いつつも、そのような事を小声で呟く操。


予備電源室を出て目的の小部屋がある場所に至るまでには特に横道などは無いが、大小の水路が合流して来ている場所がある。


そうした水路を横切る為の金属製の橋のような物が掛かっており、そこを通って反対側の通路に渡る必要があった。


ほとんど手入れがされていないと思われる錆だらけの橋を渡るのは別の意味で注意が必要だったが、特に問題なく渡り終えて目的の小部屋近くまでやって来れた。


相変わらず足元を流れる水の音が響く中で、周囲の気配と音に注意を払いながら操は歩みを進めた。


やがて、予備電源室前の通路と同じような、人が通る為の通路の入り口らしきものが見えて来た。


(地図で見た限りだとあそこだけど……)


ライトを持ったままショットガンを構えて通路の方へ進んで行く。


入り口から通路の奥をライトで照らしてみると、目的の小部屋の物と思われる扉が照らし出された。


……しかし同時に、操の目に嫌な物が映った。


(……通気口?から蔦が伸びてる)


ほんの少しではあるが、扉の横の通気口と思われる小さな穴から、植物の蔦が廊下に向かって伸びている。


小部屋の中から伸びていると思われる事から、室内がどういう有様かは想像がついた。



周囲に怪物が居ない事を確認した操は、小部屋の扉に手を掛けた。


錆が浮いた金属製のレバーを捻って引いてみるが…………何かが引っかかって開かない。


(予想通りだけど、どうしようかな……)


怪物の姿が近くに無いとはいえ、大きな音を立てて寄って来られないとも限らない


力づくで扉をこじ開けるのは出来れば避けたかった。


(そうなると……やっぱりこれしかないかな)


操は自分の腕から何本かの細い蔦を伸ばすと、扉横の通気口に潜り込ませた。


公園の管理小屋で行ったのと同じように、蔦を伸ばして内側から扉を開けようという事だ。


室内から外に伸びて来ていた蔦があって少々穴を通し辛いが、無理やり押し退けるようにして室内に蔦を伸ばして行く。


室内からはベキベキという音が聞こえ、伝わって来る感触から、壁や床も『青い花』の蔦が覆っているようだった。


扉の状態を自分の蔦の感触から探る操。


その結果、扉を塞いでいるのは数本の蔦のようだという事が判明した。


(これを扉から引き剥がし…………てっ!)


一際大きい「バキッ!」という音が操の耳に届く。


蔦というより太めの木の枝のようになっていたらしい『青い花』の蔦をへし折って行く。


操の蔦は見た目が細くか弱く見えるが、実際には操の体を持ち上げる程のパワーがある為、こうした事も簡単に行える。


他の青い花よりもパワー型なのだろうかという考えが頭をよぎるが、深く考えないでおこうと操は思った。


(私、そんな怪力キャラみたいになりたくないしね……)


等と考えている間に、室内で扉に纏わり付いていた蔦の除去が完了する。


扉のレバーを改めて捻って引くと、金属が軋むような音を立てながら扉が開いた。


(開いた……けど、中は……?)


目的の物が見つかる事を期待しつつ、伸ばした蔦を戻しながら小部屋の中に足を踏み入れる操。


へし折られた蔦の主と思われる『青い花』が壁や天井で花を咲かせている室内は、明かり一つなく真っ暗だった。


操は手に持ったライトで室内を照らす。


しかし、室内をざっと見渡してその表情には落胆の色が浮かんだ。


小部屋はまさしく小さな部屋だった。


恐らく元々はポンプ室か何かだったようだが、今は機械類は何も設置されておらず、古びたダンボール箱が積み上げられていた。


箱には一見しただけでガラクタと分かる潰れた空き缶等の金属ゴミが詰め込まれており、燃料の類は見当たらなかった。


恐らく、水路に流れ込んで来たゴミを一時的に集積する場所として使っていたのだろう。


川から水を引き込んでいる為か、どうしてもゴミが流れ込んで来てしまうようだ。


良く見れば、壁にゴミ回収の為の巡回ルートや定期的な点検スケジュール等が書かれたボードが設置されている。


これまで杜撰な管理体制が目立っていたが、一応最低限の管理はしていたらしい。




(……ん? これは?)


……と、室内を調べていた操の目に気になる物が映った。


点検スケジュールのボードの隅に赤字で何やら書かれていたのだ。


(何々……? 「先日の大雨で川に繋がっている鉄格子が破損した為、大型のゴミが旧調整池に流れ込んで来る可能性あり」……?)


どうやらここ最近この辺りで大雨が降ったらしく、その際に何らかの理由で鉄格子が破損してしまったらしい。


その結果、普段なら入って来ない大きさのゴミが旧調整池とやらに流れ込んで来てしまうかもしれない、との事だった。


(そうしたゴミが入り込んでしまっていた場合は委託した処理業者に連絡する事……か。 この水路って調整池もあるんだね)


調整池とは河川の水量が雨などで増えた際に、雨水を一時的に貯めて水量を調節する為の設備だ。


ライナから渡された水路の地図には確かに調整池と思われる場所が記されている。


しかもよく見れば上層から下層へ吹き抜け状になっているらしく、思った以上に大きな空間になっているらしい。


上層エリアは調整池の点検用の空間のようで、貯水池を横切るように橋が掛かっている。


(次の小部屋に行くには、この調整池を通らないといけないみたいだけど……)


操は先程から嫌な予感がしていた。


というのも、現在地であるゴミ置き場の状況から、予想以上に怪物が多く潜んでいる可能性があると感じたからだ。


何故そのように感じるかと言えば、部屋を覆っている『青い花』の蔦の出所のせいだった。


扉が開かなくなる程に室内に広がっていた花の蔦は、部屋の天井近くにある通気ダクトから伸びていた。


そのダクトは先程操が扉の鍵を内側から開ける為に利用した通気口と比べてやや大きな物で、恐らく水路の別の場所と繋がっている物と思われた。


ダクト内には『青い花』がみっしりと広がっており、ダクト内を蔦か花か分からない植物質の物体が覆っていた。


水路の管理室で見た通気口の異常を示したエラーは、恐らくこれが原因なのだろう。


そして何より問題なのが……そのダクトが伸びている先が、次に操が向かおうとしている小部屋がある方角だという事だ。


(しかも次の小部屋って、ここに書いてある旧調整池を通って行かないといけないみたいなんだよね……。 絶対何かあるでしょ)


異常成長した『青い花』に浸食された病院を目にしている操は、あの時と同じような有様が広がっているのではないかと危惧していた。


仮に、通路が花が繁殖しているせいでまともに通る事も出来ない状態になってしまっていれば、手持ちの地図は役に立たない事になる。


(花だらけでも良いから、普通に通れると良いんだけど)


操は不安に思いつつゴミ置き場の探索を済ませると、次の小部屋がある旧調整池方面へと向かうのだった。




「…………………………うわぁ」


地図を確認しつつ水路を進んで来た操は思わず声を上げた。


周辺を警戒しながら薄暗い通路を歩き、旧調整池に辿り着いたのだが、目に入って来た景色があまりにも……『場違い』だった。


ライトで頼りなく照らされた調整池は、案の定『青い花』で埋め尽くされていた。


しかし、ここは地下に存在する建造物の内部であって森の中ではない。


土が剥き出しの地面などは当然存在しない。


にも関わらず貯水池全体に大小の青い花が咲き乱れて一面花畑のようになっていた。


本来ならばこの場所は橋が十字に掛かった大きなプールのような部屋のはずだ。


上層から下層まで吹き抜けの状態になっているこの場所に大雨などの際に水が溜まる仕組みで、実際今は少し溢れるくらいの水が溜まっている。


そして、そんな溢れた水の上に青い花が根を下ろし、葉を広げて花を咲かせているのだ。


通路部分の水の深さは足首よりも下でそれ程深くはない。


しかしそんな程度の深さの水に『青い花』は血管のように細い無数の根を伸ばして部屋全体に繁茂していた。



(ライナの言ってた事が当たっちゃったね……)


操はそう考え、改めて辺りを見渡す。


今の所、広い室内を照らすのは操が手に持ったライトのみであり、ほぼ暗闇の中で広がる『青い花』の森とでも言うべき光景が目の前に広がっている。


単純に室内一面に花畑が広がっている光景、とするなら美しくも感じただろうが、暗闇の中で水浸しの室内に『青い花』が咲いているのは不気味すぎた。


(さっさと抜けよう。 絶対何かいる)


相変わらず怪物の気配はあるものの薄いままだ。


しかし、この光景を前にして何も居ないと考えるのは無理がある。



操は足元を水で濡らしながら慎重に調整池の通路を進んで行く。


ライトで周囲を照らしながら歩みを進めると、操が歩くのに合わせて足元の水に波紋が走り、通路の周りに浮かぶ花々を揺らした。


室内の壁や天井は花から伸びた無数の蔦や葉で覆われており、その様子は聖メアリー記念病院で見た光景を思い起こさせた。


(不気味さで言ったらこっちの方が上だけどね……)


……と、そんな事を考えながら通路を進んでいた操の耳に、ある音が聞こえて来た。



……ゴポッ…………。



即座に足を止めて周囲を警戒する操。


しかし、周りには何もいない。


(…………でも、何かいる……!)


周辺に怪物の姿が無いのは間違いない。


しかし、聞こえた音が予想外に近くだった為に操は緊張した表情を浮かべていた。


ショットガンを構え、ライトで周囲を照らしながら聞こえてくる音に注意を払う。


すると、今度は確実に音が聞こえた。



ゴボゴボゴポッ…………。



それは水の音……より正確に言うなら水中で発生した空気の音だった。


操の周囲には何者も存在していない。


ならば、音の出所は一つしかない。


(………………!?)


操が貯水池の中、『青い花』の葉や蔦の隙間に目を向けようとしたその時、水中から何かが飛び出した。


それは「恐らく」人間の腕と思われる物だった。


腕からいくつもの葉や蔦が生えているのはいつもの事だが、その「腕」自体が異常だった。


青白く変色し、醜く膨れ上がったその腕はどう見ても水死体のそれだ。


水中から飛び出して来たその腕が操のいる通路の手摺の支柱を掴むと、水中から「本体」が姿を見せた。


「ウ゛ゥ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ォォォォォォ……………………」


のろのろと通路上に身を乗り出して来たその怪物は、やはり水死体の様だった。


水を吸って膨れ上がった体は腐敗し水を滴らせており、操との間にはやや距離があるにも関わらず悪臭が鼻を突く。


そんなグロテスクな死体に青い花が根を下ろし花を咲かせているのだが、その有様は花人よりも酷い。


腐敗した体のあちこちから皮膚を突き破り花が顔を覗かせ、上半身を覆うように咲き乱れている。


特に頭部は上半分が他に比べて巨大な花が頭蓋骨を突き破るような形で咲いており、辛うじて鼻から下が原型を留めているような形だ。


花人が花の蔦に支配された操り人形だとすれば、この怪物は正に花の苗床と言った姿だった。


(動きは遅いみたいだけど……)


べちゃり、べちゃり、と膨れ上がった体を通路の床に打ち付けるようにしながら水から上がって来る怪物。


ゆっくりと立ち上がると操の方に手を伸ばし、覚束ない足取りで近づいて来た。


「ホ゛ホ゛ホ゛ホ゛ホ゛ォォォォォ………………」


低く唸りながらヨタヨタと歩み寄って来る怪物だが、その速度は花人よりも遅い。


花人の場合は突然速度を上げて距離を詰めようとして来る場合があったが、この怪物にはそう言った様子は見られない。


操は数歩後ろに下がりライトで怪物を照らしながらショットガンを怪物に向ける……が、すぐに銃口を下ろした。


(この部屋なら広いから、鞭や剣でも対処出来るよね。 ショットガンの残弾が少ないんだし……)


そう考えて右手から『荊の剣』を生成して身構える。


花に囲まれた周囲の状況から考えても、銃声が辺りに響くのは危険な気がする。


水が流れる音が常に鳴り響いているとはいえ、ショットガンの銃声はかなり大きい。


音を立てずに対処出来るならそれに越した事はない。


……とその時、よろよろと操の方へ近づいて来ていた怪物が動きを見せた。


「ホ゛オ゛ェ゛ッ……」


怪物の頭の上半分は花に食い破られたようになって原型を留めていないが、下半分は辛うじて人間の形を留めている。


当然口も残っているのだが、怪物はその口を閉じ、頬を大きく膨らませていた。


そして次の瞬間、その口の中身を吐き出した。


「オ゛ボェェェェェェェッッッ!!!!」


「な!?」


目の前で嘔吐する怪物に操は思わず更に数歩後退る。


眼前で突如汚物を吐きかけられれば、そのような反応をするのは当然だろう。


……が、偶然にもこの行動が操を救う事となった。


「……!?」


怪物が吐き出した吐瀉物は足元の水に撒き散らされると同時に、ジュウジュウと音を立てながら煙を上げたのだ。


通路の手摺にも吐瀉物の一部が飛び散っており、そちらからも白い煙が上がっている。


どうやらただの吐瀉物ではなく、強酸性の胃液のような物らしい。


あのカエルのような巨大な怪物と同じか、それ以上の威力がある強酸のようだ。


(近付くのはまずそうだね……)


操は『荊の剣』を左手に持ち替えると、右手でハンドガンを抜いた。


距離を取ったまま銃口を怪物の頭部……頭部の大部分を占めている、大きな『青い花』に狙いを付ける。


操の『感覚』が感じる限りだと、あの花が『本体』であるようだ。


そのまま躊躇わず、トリガーを引いた。



銃声が響き渡り、怪物の花の一部が爆ぜる。


怪物は後ろによろめいて……そのまま前進を続けた。


(!? 本体の花を撃ったのに倒れない?)


操が放った銃弾は、怪物の本体と思われる花の体積を確かに削り取っていた。


しかし怪物は少々よろけた程度であり、変わらず操の方へゆっくりと歩み寄って来ている。


その様子を目にした操は、狙いを変えて今度は足に発砲した。


再び銃声が鳴り響き、膨れ上がった怪物の足に銃弾が撃ち込まれる……が、変色した肉が飛び散っただけで怪物の歩みは止まらない。


(……効いてない? まるで意に介してない)


これが花人であれば仰け反るくらいの反応は見せたのだが、この怪物はそう言った反応が一切見られない。


そうこうしている内にある程度接近されてしまった形になってしまう……が、そのおかげで操はある事に気が付いた。


(あの花……花が大きいだけじゃなくて、分厚い?)


どうやら怪物の頭部に咲いている大きな青い花は、サイズが大きいだけではなく花弁の厚みが通常の青い花に比べてかなり分厚くなっているようだ。


操が銃撃して欠けた部分を見ても、厚さが2、3センチはあるように見える。


操はその肉厚な花の姿から世界最大の花として知られるラフレシアを連想した。


そして同時に、あれだけ巨大で頑丈そうな様子から単純に耐久力が高いのではないかとも考えた。


直後、操は左手の『荊の剣』を体内に回収すると、両手でハンドガンを構え、連続して発砲した。


今度は3発の銃弾が接近しつつある怪物の頭部の花に着弾、今度は花弁と花弁の中心辺りに銃弾が殺到し、花その物が砕け散る。


「オ゛、オ゛、オ゛、オ゛、オ゛、オ゛」


その瞬間、怪物は声を上げて歩みを止め、両手で宙を掴もうとするかのような動きをして身を震わせると、仰向けに倒れ込んだ。


そうして暫く体を痙攣させていたが、やがて完全に動きを止めた。



(……ふう。 スピードは遅いけど、耐久力が高い奴……って事なのかな)


怪物が動きを止めたのを目にして操は息を吐き出した。


今までの怪物は、本体であり急所でもある青い花を破壊出来れば、その時点で即死させる事が出来ていた。


しかし、どうやらこの水死体?に寄生した『青い花』は、急所である自分自身の耐久力を高める事に成功したらしい。


それが宿主の動きの遅さを補う為なのか、別の理由からなのかは不明だが、操にとっては厄介な話だ。


(弱点である事には変わりないみたいだけど……複数相手にしなくちゃいけなかったら……)



そう考えた直後、操の脳裏に嫌な予感がよぎった。



現在地である調整池は街の様々な場所から水が集まって来る。


しかし現在、川の水を水路に引き込んでいる場所の鉄格子が破損しており、「大型のゴミ」が入り込んでくる可能性があるという連絡事項を先程操は目にしていた。


川から流れて来る大型のゴミ……もしも、その中に人間の死体も含まれていたら?


「ホ゛ホ゛ホ゛ホ゛ホ゛ォッォッォッ………………」


「!?」


操が現状考え得る最悪の可能性に気が付いた正にその時、聞こえて欲しくない声が調整池内の暗闇に響いた。


バシャバシャと水や水上に揺れる花や葉を掻き分け、何かが調整池の通路に近づいて来る。


「ホ゛ホ゛ホ゛ォォッォッ………………」


「オ゛ホ゛ホ゛ォォォッ……………………」


「オ゛オ゛ホ゛ォッォォ……………………」


そして、操の考えを裏付けるかのように、頭に大きな花を咲かせた水死体の群れが、水中から姿を現した。


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