29 うしろに
通用口と思われる扉を抜けて、指令センターの建物内へ入った操。
まず目に入ったのは、やや狭い廊下だった。
廊下自体もそれ程長くなく、すぐ正面に扉が見え、廊下の左右にも部屋がいくつかある。
天井にある古びた蛍光灯は、切れかかっているのか時折チカチカと点滅しながら廊下を照らしている。
操は正面の扉に近付き、向こう側の気配を探ってみた。
扉の向こうからは特に気配は無いが、扉自体は施錠されているようで開ける事が出来なかった。
(また扉を壊して大きな音を立てたら、あいつらが寄って来るかもだよね……)
鍵を、あるいは扉を壊すのは容易いが、大きな音が響くのは頂けない。
どうしても先へ進む事が出来なければそうした手段を取る事も考えるが、出来れば最終手段にしたい。
操は他の部屋の扉も調べてみるが、通用口から見て右側にある部屋はトイレと倉庫のみだった。
反対側にある扉は一つだけだったが、こちらは鍵が掛かっておらず、少しだけ開いて中を見てみると、そこは事務室のようだった。
(事務の人用の通路なのかな。 廊下の壁に業務掲示板みたいなのもあるし……)
廊下には特に目を引く物は無かったが、壁に掛かった掲示板に、職員向けと思われる連絡事項などが表示されていた。
しかし、良く見ると掲示物に血のような物が飛び散った跡があり、ここも安全ではないという事が察せられる。
(さっきの怪物みたいな新種がいるかもしれない。 注意して進まないと…………)
操は気を引き締めつつ事務室内に足を踏み入れた。
事務室の中は明かりが点いたままの状態だ。
室内に動く物は見られないが、微かに血の匂いが漂っている事を操は感じ取った。
銃を構えたまま室内を進んで行く。
やがて、部屋の隅で血まみれの状態で、仰向けに倒れている男の死体が目に入った。
操は一瞬、ライナかと息を飲んだ。
しかし、近づいてみると別人である事がすぐにわかった。
(びっくりした……良く見たら体格とか大分違うね)
そもそも身に付けている服が異なっている。
見た所、この施設の職員のようだ。
いかにも消防隊員、というような服装だが、こういった施設に勤める人間もこういう格好をするのだろうか?
操にその辺りの知識は無い為、判断が付かない。
(怪物にやられたみたい。 ……それにしても、この傷は?)
男の死体には複数の噛み傷が付いていた。
一部は骨が見えてしまうほどに食い千切られており、特に首回りが激しく損傷している。
(もしかして、あの獣型の怪物? ……もしも逃げ遅れていたら、私もこうなっていたかもね)
数とスピードで攻めて来る獣型の怪物は、普通の人間が一人で対処するのはやはり困難のようだ。
改めてライナの安否が気がかりになる。
(この人がここで襲われているって事は、建物の中にあいつらが入って来ているかも知れないって事だよね。……本当にライナ、大丈夫なのかな……)
操がここに来るまでの間に通った道以外に、アパートから指令センターまで来る事が出来る道が無ければ、ライナも同じルートを通って来ている可能性が高い。
操と違ってごく普通の人間であるライナが、無事にここまで辿り着いているかどうかが気がかりだった。
(とにかく、外部へ連絡を取るのが目的だから、無事ならそういう事が出来る所にいるはず)
街が『青い花』に支配された今の状況でも、外部と連絡を取る事が出来るような通信設備。
そういった物についての知識は操には無いが、大抵の場合、建物のエントランスに施設案内のような物があるはずだ。
まずは、そうした所から探してみるべきだろう。
(あ、入って来たのとは別のドアがある。 方向的に、さっきの開かなかったドアの先に行けるかも)
新たに見つけた扉に近付き、警戒しつつ開けてみると、そこは先程の廊下とはまた別の廊下だった。
廊下の左右を見渡してみると、先程の鍵が掛かっていた扉らしきドアが横手に見えた。
どうやら、廊下側から通用口へ直接行く為の扉だったようだ。
通用口側の廊下の先は行き止まりであり、反対側の廊下の先は開けた場所になっているらしい。
恐らくあそこがエントランスだろう。
周囲を警戒しつつエントランス方面に向かう。
(酷い状態ね……)
やはりこの建物にも怪物が入り込んでいるようで、あちこちに血が飛び散ったり死体が転がっていた。
死体の殆どが事務室で見た男性の死体と同じく、この施設の職員の制服と思われる服を身に付けている。
あまり直視したくない光景ではあるが、花人や木人になって襲い掛かって来ないとも言い切れないので、警戒は怠らない。
しかし、そこかしこに転がっている死体は今まで目にしたものに比べて損傷が激しく、起き上がってくる気配は無い。
これがあの獣型の怪物の仕業なのだとすれば、あの連中は花人達などに比べると狂暴性が高いのかもしれない。
(建物の中でそんなに群れを作っているとは思えないけど、注意しないとね……)
周囲の死体を一応避けながら、操はエントランスホールへ足を踏み入れた。
明かりで照らされたホール内は怪物に荒らされたようで、酷い有様だ。
正面の入り口はバリケードが築かれている他、良く見るとシャッターも降りている。
あの状態なら怪物は入って来れないだろう。
尤も、人間が出る事も出来そうにないが……。
周囲にはこちらもシャッターが下りた受付と思われる窓口があり、シャッターの表面には無数の爪痕が付いている。
そして、そのすぐ横に目的の案内板が設置されていた。
(……あった!これが建物の見取り図ね)
案内板によると、街の消防指令本部が設置されているのは3階のようだ。
ライナが向かったのはここだろうか?
(でも、上の階に行くにしても……これじゃあね)
案内板を確認して、上の階に上がる階段へ移動して来た操。
しかし、そこで操の目に入って来たのは、シャッターが下りて封鎖された状態の階段だった。
非常時であるせいなのかは不明だが、このままでは階段を使って上の階へ行く事は出来そうにない。
……と、すぐ近くに階段側へ出る扉が設置されている事に気が付いた。
開けようとするが……こちらにも鍵が掛かっていて開かない。
(ここも鍵……非常口に鍵を掛けてどうするの……?)
いざという時に通れなくてはいけない非常口が閉まっていては、本末転倒だと思うのだが。
この建物も病院の北棟ほどではないが、古い建物のようだし、ほとんど使われていない扉なのかもしれない。
だからと言って、そんな雑な管理体制では困るのだが。
(そういえば、エレベーターとかも無かったよね? 街全体が古いと、そうなっちゃうものなのかな)
不便極まりない建物だが、嘆いていても始まらない。
何とかして3階に向かわなければいけないのだ。
そうして、何処か別のルートを探すべく移動しようとした操は、ある事を思い付いた。
(そうだ、さっきの事務室……あそこなら階段の鍵くらいあるんじゃないかな?)
恐らくあの事務室は、建物の管理などを行っている職員向けの部屋だろう。
だとすれば、各部屋の鍵の管理なども行っている可能性がある。
階段横の非常口の鍵を一つずつ管理している可能性は低いかもしれないが、確認してみる価値はあるだろう。
そう考えた操は、先程通って来た事務室方面へ足を向けた。
事務室へ戻ろうと足早にエントランスを進んで行く操だったが、突然大きな音がフロア全体に響き渡った。
(!? 何!?)
その音は、今まさに操が向かおうとしていた事務室方面から聞こえたようだ。
操は銃を構えた状態で、ゆっくりと事務室方面へ進む曲がり角に近付いて行く。
すると、こちらへ向かって急速に近づいて来る複数の足音を操の耳が捉えた。
「ッ!!」
「ヂャラァァァァァァ!!!!」
叫び声を上げながら曲がり角から飛び出して来たのは、案の定あの獣型の怪物だった。
操の姿を発見した怪物は、涎を垂らしながら操へ向かって突進して来た。
足音を聞いた段階で、恐らく相手は獣型の怪物だと当たりを付けていた操は、やや下の位置に狙いを
付けていた為、今回は即座に狙いを付けられた。
自分へ突進して来ようとする怪物に照準を合わせると、躊躇無くトリガーを引いた。
乾いた発砲音と共に銃弾が発射され、怪物の頭部を撃ち抜く。
「ギョヒュゥ!?」
悲鳴を上げ、もんどり打って怪物が床に転がる。
そのまま床を滑り、操の目の前まで怪物が転がって来るが、操はそれを敢えて無視して曲がり角を注視し続けた。
何故なら、足音は「複数」だったからだ。
「ギィィィィィィィィ!!!!!」
「なっ!?」
しかし、それでも怪物は警戒を緩めなかった操の意識の虚を突いて来た。
もう一体現れるであろうと銃口を床に向けていた操だったが、怪物が表れたのは何と「天井」だった
両手両足の鋭い鉤爪で天井に張り付くようにしがみ付き、地面を疾走する速度に近い速さで曲がり角から飛び出して来たのだ。
操は即座に天井を這い進む怪物へ狙いを付け直そうとするが、一瞬早く怪物が天井から飛び掛かって来る。
「ギアァッ!!!」
「くっ!」
操は咄嗟に右側へ倒れ込むように身を捻り、怪物の突進を回避する。
すると怪物は、先程まで操の体があった場所を矢の如き速度で通過して行った。
操は倒れ込みつつ前転する様に転がると、床に片膝を付いた体勢で着地し、銃を突進が空振りした怪物に向け、トリガーを引いた。
2連射された銃弾は、床に激突しつつも体勢を立て直して再び操へ飛び掛かろうとしていた怪物を正確に捉え、頭部を射抜く。
「ヂュゲア!?」
脳漿……と言うのかは不明だが、頭から赤黒い血を撒き散らして怪物が吹き飛び、背後にあったホールの柱にぶつかって止まる。
そのまま動かなくなったのを確認した操は、膝立ちに姿勢から立ち上がると、今だに床に倒れたままジタバタと暴れる最初の怪物に近付いた。
怪物は、倒れた状態から起き上がる気配は無いが、手足をばたつかせて呻き声を上げている。
操はおもむろに銃口を怪物に向けると、そのままトリガーを引く。
1発、2発、と、撃ち込まれた銃弾が怪物の頭部を撃ち抜くと、怪物はようやく動きを止めた。
「ふぅ……。 やっぱり建物の中に入って来たね……」
獣型の怪物の身軽さなら、場所によってはあの壁を乗り越えて来るぐらいは予想出来た。
その為、不意打ちに等しい襲撃にも冷静に対処する事が出来たのは僥倖だったと言えるだろう。
……流石に天井に張り付いて移動して来るとは思っていなかったが。
(さっきの大きな音は、どこかの扉を壊したのかな)
そう思って事務室方面に廊下を曲がると、音の出所があっさり判明した。
先程、操が建物内に入って来た際に鍵が掛かっていて通れなかった扉が、廊下側に倒れていた。
恐らく体当たりして無理やり破壊したのだろうが、かなりの勢いで衝突したのか、扉の中程がへこんでいる。
念の為、音を立てないように扉があった場所へ近づいて通用口側を覗き見る。
すると、やはり通用口の扉も同じように壊されてしまっており、ひしゃげて廊下側に転がっていた。
(私を追って来たのか、それとも理由は無いのかは分からないけど、長居は無用ね)
そう考えた操は、廊下側から事務室に再び入り、この建物の管理用キーボックスのような物が無いか探した。
シャッター横の非常口の鍵があるかは不明だが、少なくとも建物の鍵があれば探索が楽になるだろう。
事務室内を鍵を探しつつ調べる操。
すると、部屋の南西側の角に目当ての物を見つけた。
(あった。 ……けど、何だかこの規模の建物の鍵を管理するキーボックスにしては小さいなあ)
壁に貼り付けられるように設置してあったのは、縦横15センチほどの大きさのキーボックスだった。
先程見た案内板を見た限りでは結構な数の部屋があったはずだが、その割にはキーボックス小さいような気がする。
少し疑問に思いつつボックスを開けると、中には鍵束が一つだけ下がっていた。
(あれ……これ一つだけ? 他の鍵は持ち出されちゃったのかな)
手に取って確認してみるが、やはり階段の扉の鍵らしき物は無い。
しかし、鍵には小さくどこの鍵かが書いてあるので、必要になればすぐにわかるだろう。
(何も無いよりはマシかな……。 何か手がかりになりそうな鍵があると良いんだけど…………ん?)
その時、操はキーボックスの下に「業務日報」と銘打ったノートが紐で下がっているのを見つけた。
この指令センターが付けていた日報のようで、いくつか付箋が付いている。
そしてその付箋の内の一つに赤字で『重要!』と書かれている物があった。
日付と思われる数字も書かれており、街がこうなるより数日前に付けられた物のようだ。
ノートの付箋が付けられたページを開いてみると、そこには全職員への連絡事項が書かれていた。
『グリーンフォレスト消防指令センター第一ビル 防火シャッターの誤作動について』
『昨日、施設管理部からの報告で、1Fから3Fまでの階段前防火シャッターが夜間に誤作動を起こし、火災等が発生していないにもかかわらずシャッターが下りてしまうという事例が発生しています。
管理部の調査で電気系統のトラブルである事が判明した為、現在業者へ修理の依頼を行っていますが、業者の修理が入るまで数日かかるとの事なので、それまでの間は出勤時にシャッターの作動状況を確認の上、シャッターが下りてしまっていた場合は、2F警備室にある大本の受信機を操作して各階のシャッターを開けて下さい(各階に設置されているシャッターの操作盤は誤作動の影響で操作が出来ない為)。
また、シャッターで階段が封鎖されてしまった状態だと、業務に著しい影響が出てしまう為、階段横の非常口は常に開放状態にして施錠等は行わないで下さい。
施設管理部』
(…………思った以上に管理が出来てないね)
要約すると、あの防火シャッターは誤作動の結果であり、修理が行われる予定だった物が未だ放置されているという事だ。
恐らく、業者が修理に入る前に街が『青い花』に汚染されてしまったのだろう。
何ともタイミングが悪い話だ。
(でも、通達文を見る限り、通行の妨げになるから階段の非常口は開けておくって事になってたみたいだけど……何であそこの扉は閉まってるんだろう)
先程調べた限り、1Fの階段非常口は鍵が掛けられていた。
しかし、この通達文を見る限り、この施設の職員もそれは承知だったようで非常口を閉めないように注意喚起している。
にもかかわらず、扉が閉まっているのは何故だろうか?
(……あれ? 文章に続きが……ううん、これは別の人が追記してるみたい)
如何にも事務的、といった通達文の下に、少々荒っぽい字で『シャッターの件』との書き出しで追記がされていた。
内容はどうやらシャッターの誤作動に関連した事らしい。
『開けておく筈の1Fの非常口を、よりにもよって施錠したのは何処のどいつだ?
出勤して来て最初に確認したら、案の定シャッターが下りていた上、鍵が掛けられていてどうにもならん。
お陰で朝っぱらから、外の守衛室の奥にある貯水槽を登って、コソ泥の真似事をする羽目になった!
市民の安全を守る消防隊の本部であるこの施設が、こんなお粗末な事をやっていたんじゃ示しが付かん。
通達された事は各自しっかり今一度目を通して、気を引き締めておくように!
アーノルドセンター長 』
「なるほど、通達を確認してない誰かが閉めちゃったんだ……」
追記されていたのは、恐らくこの指令センターのトップと思われる人物からの苦言だった。
シャッター横の非常口を施錠してしまった誰かに向けての物らしく、文章から見てかなりお冠らしい。
「施錠した誰か」にとっては冷や汗物の内容だろうが、操にとっては非常に有用な情報でもあった。
(外の守衛室って、外の通用口のゲートを閉める時に入ったあそこだよね? あの奥って事は、指令センターの建物の陰になった所かな)
確かに、ゲート前の守衛室の横を通り過ぎた先、指令センターの建物奥にはスペースがあるようだった。
怪物に襲われていた為、横目で見た程度だったが、確かバイク等が駐車された駐輪スペースのようになって居たはずだ。
恐らく、あの奥にこの文章中で言及がある貯水槽があるのだろう。
「でも、コソ泥の真似事って? 貯水槽から窓に登れるとかかな? ……まあ、行ってみればわかるか」
何はともあれ、この通達にある屋外の貯水槽に行ってみるべきだろう。
もしかすると、そこから上の階に行けるかもしれない。
操は手にしていた業務日報のノートを元に戻すと、事務室を抜けて通用口へ向かった。
(さて、ここが貯水槽だけど……この上に登るの?)
建物の外に出た操は、守衛室の横を通り、指令センターの奥へやって来ていた。
そして、事務室の業務日報に書いてあった貯水槽が目の前にあるのだが……。
(結構大きい上に、フェンスで囲われてるんだね……)
長方形をした貯水槽のタンクは、操が想像していたよりも大きかった。
おまけに、周囲をフェンスで囲われている上、フェンスの上には有刺鉄線まで設置されていた。
(よじ登って……はやめておこう。 どうにかして近づけないかな)
タンクには点検用の梯子が設置されている為、近づければそのまま登れると思われる。
周辺を調べてみると、フェンスの一角が扉状になっているようで、扉を開ける事が出来ればフェンス内に入れるようだ。
しかし、扉には錠前が掛けられており、このままでは扉を開ける事が出来ない。
(……そうだ! さっきの鍵束にここの鍵があったりしないかな?)
操は先程手に入れた建物管理用の鍵束に、フェンスを開ける鍵があるのではないかと考えた。
鍵にそれぞれ書いてある使用する場所を確認して行くと、目当ての物はすぐに見つかった。
(あった! 『貯水槽』……この鍵だね)
操の推測通り、鍵束についていた鍵の一つに『貯水槽』と書かれている物があった。
他の鍵より少し小さいその鍵は、あまり使われていないのか少々錆が浮いている。
(……まあ、あの日報を書いた人がここから建物の中に入ったみたいだし、使えないって事は無い……よね?)
ここでも雑な管理が目立つが、鍵が使えれば操としては問題ない。
あまり気にしないように自分に言い聞かせつつ、錠前に鍵を差し込んで回す。
すると、かちり、と鍵が開錠される小さな音が聞こえた。
錠前を外し扉を開けると、タンクに近付いて梯子を調べる。
多少錆びているが、さすがに登っただけで壊れる程に状態が悪いという事は無さそうだ。
(ここを登って行くって事らしいけど……)
半信半疑でタンクの梯子を登って行く操。
長方形をしたタンクの上を調べつつ、慎重に歩いて行く。
タンク自体には特に何もないが、「泥棒の真似事」という事はこのまま建物に入る手段があるという事だろうか?
周囲を見渡しながら移動して行き、タンクの一番端まで到達した。
貯水槽のタンクは、一番端の部分がちょうど指令センターの裏手との境目辺りまで伸びている。
その為、タンクの端までやって来ると、建物の裏手を辛うじて覗く事が出来た。
(建物の裏側は何かあるわけじゃないんだね…………あれ?)
建物の裏手を覗いた操は、すぐ頭上に2階のバルコニーがある事に気が付いた。
(2階のバルコニーと……あれって、非常用の梯子?)
操の頭上にはバルコニーの端が見えているのだが、そこに折り畳まれた状態の梯子が設置されていた。
「……え、まさか、あれに飛び移ったの? 日報で文句言ってた人は?」
思わず独り言を口走る操。
確かに貯水槽のタンクの上に登った事で、バルコニーに設置された梯子はかなり近づいている。
しかし、ここから壁をよじ登るのは無理だし、ジャンプして飛び移るのもどうかと思う高さだ。
もしここから飛び移ったのであれば、あの日報を書いたセンター長は随分身体能力に優れていたのだろう。
「まあ、私はジャンプしないでも届くから良いけどね……」
そう独り言を呟くと、操は右腕から蔦を生やして折り畳まれた状態の梯子に伸ばした。
梯子に蔦を巻き付け力を込めて引っ張ると、ロックが外れて梯子が展開される。
ガチャガチャという機械音と共に梯子がバルコニー下まで伸びて、地面すれすれで止まった。
(これで上に登れるけど……バルコニー側の何処かが開いてるのかな)
操はタンクの上から梯子が伸びた建物裏に飛び降りつつ、建物内への侵入方法を考える。
最悪の場合窓を割るなどする事も考えているが、出来ればあまり派手な事はしたくない。
梯子の強度を確かめつつバルコニーへ上がって行く。
一応登り切る前に顔を少しだけバルコニーに出して怪物がいないかチェックする。
しかし、奥の方まで含めてバルコニーには特に何もいなかった。
操はそのままバルコニーに上がると、銃を構えて奥に歩いて行く。
侵入口を探しつつ進んで行くと、途中に扉が見えて来た。
もしやと思いノブを捻ってみると、案の定扉はあっさり開いた。
(開けっ放し……不用心だね)
ともあれ、ここから中に入る事が出来る。
扉を開けて室内に足を踏み入れてみると、中は休憩スペースのようになっていた。
そこで操は先程見た案内板に『喫煙室』とある部屋があった事を思い出した。
ベンチと飲み物の自動販売機、灰皿などが設置されているその部屋は、まだ怪物に荒らされた様子は無い。
(まずは2階の警備室を探して、階段のシャッターを開けないとね)
階段の非常口が全て閉まっているかは不明だが、シャッターを開けておいた方が移動は楽になるだろう。
尤も、あの獣型の怪物も上の階に登って来てしまう可能性もあるが……。
(……そういえば、あの獣型の怪物の呼び方も考えようかな。 いつまでも「獣型の怪物」だと呼び難いし)
喫煙室を通り抜けつつそんな事を考える操。
廊下の様子を扉の隙間から確認して、廊下には何もいない事を確認する。
先程見た案内板によれば、警備室は1階でいう所のエントランス方面にあるらしかった。
まずはそちらに向かってみるべきだろう。
(何事も無くライナを見つける事が出来ればいいんだけど……)
不安に苛まれつつも、操は警備室目指して移動を開始しようとした。
だがその時。
「……!?」
突然、銃声が鳴り響いた。
咄嗟に壁際に寄って背を付ける操。
だが、銃声は操に対する発砲によるものではない。
場所ははっきりしないが、建物内の何処かなのは確かだ。
音の様子からして別のフロアかもしれない。
(もしかして、ライナ?)
この建物内に生きている人間が他にもいるのかは不明だが、もしいないのであれば音の主はライナの可能性が高い。
ようやく合流まであと一歩の所まで近づいたと言える。
(とはいえ、ここで叫んでライナを呼んだりしたら、ここに怪物を呼び寄せちゃうかも……)
ともかく今は合流する為にも、警備室へ向かって階段を使用出来るようにした方が良いだろう。
銃声がしたという事は向こうも交戦中という事なのだから、急いで援護に行きたい。
そう考え、操は警備室へ足早に向かった。
廊下を進み、恐らく1階のエントランスの真上辺りに位置している辺りまでやって来る。
2階はエントランスのような開けた空間にはなっておらず、いくつかの部屋に分かれていた。
エントランスで見た案内板によると、廊下の突き当りの部屋が警備室だった筈だ。
ちょうど正面にそれらしき部屋が見えている為、近づいてみる。
(あった。 ここが警備室だ)
しかし、扉を開けようとして操は落胆した。
扉のドアノブにナンバーロック式の鍵が掛けられていたのだ。
鍵にはテンキーが付いており、6桁の番号を入力する必要があるらしい。
当然、操は番号を知らない為、扉を開ける事が出来ない。
(こういう所がしっかりしてるのは、あの病院と似てる気がするなあ……)
と言って、警備室のセキュリティまで杜撰だったりしても困るのだが。
しかし、鍵を見つければよかった今までと違って、ナンバーを調べなければならないというのは少々厄介だ。
先程事務室で手に入れた鍵束のように保管されている鍵ならある程度どこにあるか想像は付く。
しかし、ナンバーロック等の番号は基本的に何処かに書き留めておくような事はしないはずだ。
(どうしよう? 番号が書かれている物を探す? ……ううん、いくら何でも効率が悪すぎる。番号を覚えている人を探すのも、生きてる人は建物にいなさそうだし……)
操が頭に浮かべた方法は、どれも現状では効率的とは言えない。
どちらもこの施設内の人間がいれば可能性はあっただろうが、今この建物内には操と恐らくライナしかいない。
ここに至るまでに通って来た廊下などに死体が転がっていた事を考えると、生存者がいるとは思えなかった。
(まあ、それならそれで方法はあるんだけど……あまり気が乗らない方法なんだよね)
生存者がいないという事はつまり、死体はあるという事だ。
それなら、死体に聞けばいい。
(警備員の死体から記憶を読み取れば、ここの番号が分かるかもしれない……。 本当は死体探しなんてしたくないけど、他に手も無いしね)
警備室に来るまでに操が通ったルートには、いくつか死体が転がっていたが、警備員の物は無かったように思える。
特に現在地である2階は、喫煙室と廊下しか通っていないが、今の所死体は見当たらない。
……と、いうよりも、そもそも怪物に荒らされたような形跡が無かった。
(階段が封鎖されているから、怪物が入って来てないのかな? ……そうだとすると、望み薄かもしれないけど……出来れば2階で見つけたいな)
1階に降りるのなら、またバルコニーから外へ出なければいけない。
流石にそれは面倒だ。
その為操はまず、警備室周辺の部屋を調べてみる事にした。
幸い、事務室から持って来た鍵束には2階で使用する鍵もあるようなので、鍵が掛かっている部屋も開けられるだろう。
(まずは隣の部屋からかな。 それ程大きな部屋は無いみたいだし)
そうして操は、手始めに警備室の隣……北側の部屋の扉へ向かった。
北側の部屋はミーティングルームのようだ。
鍵が掛かっていたが、操の持っている鍵束の中に扉の鍵に合う物があった為問題なく開ける事が出来た。
室内に入って調べてみると、部屋の中央に置かれた長机の上に何かの資料が散乱していた。
部屋の奥にあるホワイトボードには、この街の一角の図と思われる物が手書きで描かれている。
どうやら街から脱出する為の作戦を練っていたようだ。
(でも、建物の中の様子を見ると……行動を起こす前に、あの怪物達に襲撃されたみたいだね)
机の資料には、街の道路の状況や外部との連絡状況など、様々な情報が羅列されている。
しかし、実現性のある脱出方法は、会議の時点では見つかっていなかったようで、資料は現状確認の意味合いが強いようだ。
(同じ資料が……3セット、かな。 この時点で生き残りは3人しか居なかったのかな……)
室内を一通り調べてみた操だが、特に何かがあるといった様子は無く操はミーティングルームを後にした。
部屋を出た操は、今度は廊下の反対側へ向かう。
警備室東側の隣室は清掃用具などが保管されている倉庫のようで、鍵は掛かっていなかった。
一応室内を覗いてみたが、内部には誰もいない。
(棚にある物も特に変わった物は無いね……)
薄暗い室内には棚がいくつか設置されており、様々な物が置かれていたが、特に目を引くような物は無い。
倉庫内を一通り見終えた後、操は別の部屋へ向かった。
(やっぱり室内が綺麗なままだね……怪物に荒らされてないって事は、人間自体が居ないかも)
例の怪物は壁を走ったり、天井に張り付いて移動して来たりと極めて機動力が高い。
しかし、現状の指令センターは階段がシャッターで封鎖されている為、上の階には登って来れない可能性がある。
そう考えると、2階が荒らされておらず、死体が見当たらないというのも仕方がない事かもしれない。
(死体が無いっていうのは良い事ではあるんだけど……複雑だね)
廊下をさらに奥へ進んで行くと、今度は「応接室」と書かれた扉が見えて来た。
この部屋にも鍵が掛かっていたが、やはり手持ちの鍵で開ける事が出来た為、そのまま室内へ入る。
室内にはその名の通り応接用のソファーとテーブルが設置されており、それ以外にも何かの賞を
取った際のトロフィーや盾のような物も棚に飾られていた。
何らかの偉人なのか、口髭を蓄えた男性の胸像まである。
応接室というよりも、ちょっとしたギャラリーのようにも見える。
(人命救助についての感謝状とか、州の……消防救助大会? 隊員同士の技術を競う大会かな? この街の消防隊員は優秀なんだね……)
来客時に隊員達の功績をアピールする為だろうか?
結構な数のトロフィー類が並んだ棚は、室内でかなり目立っている。
胸像に関しては何も表示が無く、どういった謂れの人物か不明だ。
(……あれ? ここだけトロフィーが無い?)
何となく並べられているトロフィーを見ていた操は、一ヶ所だけトロフィーが無くなっている場所がある事に気が付く。
ふと周りを見渡すと、応接用のソファーの横にトロフィーが落ちていた。
(……? 何で床に落ちて…………!?)
何気なくトロフィーを拾い上げた操だったが、すぐに違和感を覚える。
トロフィーに血の手形が付いているのだ。
手形はトロフィーの前面と底部に付いており、誰かが負傷した状態で触ったらしい。
(何これ? どうしてこんな物に血が……?)
誰かは分からないが、負傷している状態という事は、街が今の状況になってからこのトロフィーを弄ったと考えられる。
しかし、何故わざわざそのような事をする必要があったのだろうか?
(……ん? 底の部分の手形がちょっとずれてる? もしかして…………あ、やっぱり!)
トロフィーを調べてみた操は、底部に付いた血の跡に「ずれ」がある事に気が付いた。
そして、底の部分に何かあると考え弄り回していると、トロフィーの下部を前面にスライドさせる事が出来た。
スライドした部分の内部は空洞になっており、中にはスイッチのような物が付いた機械が入っている。
(え? これ……どこかで……?)
その機械を見た操は、記憶を強く刺激された。
操は何処で見たのか思い出そうとして、すぐにそれが聖メアリー記念病院の霊安室の仕掛けを作動させる為の装置に似ているのだと気が付く。
こちらの機械はカードリーダーは付いておらずスイッチがあるだけだが、デザインなどが酷似しているように思える。
(こっちのはリモコンって感じの大きさだけど……同じ所で作られた機械って事?)
嫌な予感がした。
あの病院で体験した事を考えると、このスイッチを押すと何が起こるのか、操には何となく理解出来てしまっている。
(…………まあ、押してみよう)
室内にある物を見渡せる場所に移動した操は、嫌な予感に苛まれつつもトロフィーに隠されていたスイッチを押した。
すると。
「………………嘘でしょ?」
スイッチを押してまず聞こえたのは、ガコン、という、何かが外れる様な音だ。
その音が聞こえた直後、トロフィーが保管されていた棚がゆっくりと横にスライドして行く。
そして、スライドした棚の後ろから、古びた木製の扉が姿を現した。
唖然としながら
「この街、一体どうなってるの……? ここって公的な組織の施設でしょ?」
病院までは分かる。
あそこは院長であるハロルドの私的な意向が多分に反映されていた。
ほぼ私物化された状態だった為に、好き勝手に改装を行っていたのだろう。
しかし、この消防指令センターは完全に公的機関の施設であり、私物化など本来なら出来る物ではない。
にもかかわらず、このような仕掛けと隠し部屋を組み込めるというのは……少々異常だ。
(この施設の職員も、あの病院みたいに何かしら「裏の事情」に関わってるの?)
今の段階では断言できないが、あの病院で行われていたような悍ましい行為が、この場所でも行われている可能性も否定出来ない。
だがその場合、一体誰が?という疑問が湧いて来る。
ここのセンター長は、あの日報を見る限りまともな人間であるように思えたのだが、やはり裏の顔があったという事なのだろうか?
(……考えていてもしょうがない。 とにかく見つけちゃったからには一応調べて……)
現れた隠し扉に近付き、ドアノブに手を掛けようとした操。
しかし、その直前に扉の向こうから、ある「気配」を感じ取った。
(……! いる、ね……)
気配に気づき、扉の横に移動した操は、右手で銃を構えつつ、左手でドアノブに手を掛ける。
そして、扉の横の壁に背中を付けて張り付くようにすると、ドアノブを捻り、一気に扉を開け放った。
「ヴゥ゛ォォォぉアアア!!」
扉が開いた瞬間、1体の花人が隠し部屋の中から飛び出して来た。
飛び出してきた勢いのまま前のめりに倒れ込んで来た為、少し前進した後、足をもつれさせ床に倒れた。
少々肥満体に見える体形の……制服?を着た男性のようで、頭から生えた『青い花』の蔓が上半身を覆っている。
ただの花人というより、木人一歩手前、という見た目だ。
「隠し部屋の中で何をしていたの……?」
のろのろと立ち上がろうとしている、目の前の花人に銃口を向けつつ呟く。
良く見てみるとこの男は、身に付けている制服も何処となく高級そうに見える。
そんな身分が高そうな人間が隠し部屋にいた、という事は……。
「エ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ぁぁぁ…………」
操の思考を遮るように、目の前の花人が唸り声を上げながらにじり寄って来る。
操もそれ以上思考を巡らせる事はせず、無言でトリガーを引いた。
乾いた銃声が響き渡り、怪物の脳天を銃弾が正確に撃ち抜く。
しかし、操はそこで銃撃を止めず、そのままトリガーを引き続けた。
連続して先程と同じ乾いた銃声が響き、怪物の頭部へ3発の銃弾が浴びせられる。
複数の銃弾を連続して撃ち込まれた花人の頭部は、最後の一発が撃ち込まれた段階で弾け飛び、『青い花』と共に血や肉片が盛大に飛び散った。
そして、頭部を粉砕された花人は、ゆっくりと体を後方へ倒し、そのまま仰向けの状態で床に倒れた。
「ふぅ……、見た目がちょっと普通の花人と違ってたけど……少し打たれ強かったかも?」
今までなら花人は、活動を停止させるだけなら頭部を撃ち抜くだけで事足りていた。
しかし、この花人は1発目の時点で仕留め切れていないと操は判断していた。
それ故、念の為に攻撃の手を緩めず、連続して銃撃を加えたのだ。
「ああいう奴もいるのなら、今後は気を付けないとね」
ただでさえ『獣型』という厄介な存在の脅威に晒されているのだ。
これまでと同じと思い込んで、不意を突かれてしまっては目も当てられない。
今まで以上に怪物達に対する警戒を行うべきだろう。
倒れた花人は一旦放置して隠し部屋を調べる事にした操は、木製の扉を開け、室内へ足を踏み入れる。
他にも怪物がいないか確認する為だったが、隠し部屋の内部は思った以上に狭かった。
長方形の形をしたその部屋には、小ぶりだが豪華な椅子と机、棚があり、棚には高価そうな酒類が並んでいる。
良く見れば、棚の下段には小型の冷蔵庫らしき物まで設置されている。
床には空の酒瓶が転がっており、机の上には氷が溶けきってしまったと思われるグラスが置かれていた。
そして、最も目立っていたのが、血が飛び散り、無惨な状態になっている点けっぱなしの数台のモニターだった。
机にはキーボードも備え付けられており、一見すると何らかの管制室のようにも見える。
(……モニター室? ……ううん、それなら隠し部屋なんかにする必要は無いよね)
部屋の状況から見て、先程の花人と化した男はこの部屋で死亡した結果『開花』してしまったのだろう。
なぜ隠し部屋にいたのかは分からないが、死亡した理由は、酒瓶に紛れて床に落ちていた物で察する事が出来た。
(血塗れのピストル……。 弾は1発だけ入ってて、既に使用済み……。ここで自殺したって事……かな)
あの男性の身元は不明だが、こんな場所に居た事と身なりからして、何らかの立場のある人間だったと思われる。
街の状況に絶望しての自殺なのかもしれない。
(それにしたって、この部屋は何なんだろう? ちゃんと映ってるモニターは1台だけみたいだけど……)
机に備え付けられたモニターは、正面の大きなモニターと、その周りに設置された4台の小型モニターで構成されている。
現状映っているのは大きなモニターのみであり、小型モニターはカメラが壊れてしまっているのか、何も映していない。
良く見ると、大きい画面の右下に『応接室』と表示されている。
(これは……カメラが映している場所? 確かに画面に映っているのは、隣の応接室みたいだけど……)
大型の画面に映っているのは、隣の応接室を部屋の奥側から見た視点のようだった。
位置的にこの場所にあるのは……あの胸像だろうか。
(…………まさか、これって隠しカメラのモニター? 建物内の色々な部屋を盗撮してるの?)
そう思い至った操は、机に設置されたキーボードを操作してみた。
既に乾ききっている血の跡の上からキーボードを押していく。
すると、指令センター内の様々な場所を映し出したカメラの映像が、一覧となって表示された。
操が通って来た1Fのエントランスや事務室、果てはトイレの中の映像すら映っている。
操は露骨に顔を顰めて嫌悪感を露わにした。
(…………理解したくないけど、この部屋で隠しカメラを使って他人を観察というか、盗撮というか……ともかく、そんな感じの事をしていたのね……)
隣室で倒れている男の趣味なのか何なのかはわからないが、酒類が部屋に置かれているのは恐らくそういう事だろう。
不快感に苛まれつつ、操はキーボード操作を続けて行く。
すると、ある事に気が付いた。
(……3Fのカメラが殆ど映らない。 2Fも半分以上が映像を受信してないみたい)
カメラの不具合かと最初は思ったが、3Fのカメラがほぼ全滅という事は、物理的なトラブルである可能性もある。
例えば、誰かがカメラを破壊した……等だ。
(……そうだとしても、ここからじゃこれ以上は分かる事は無さそう……。 でも、さっきの男なら警備員室の番号とかを知っていたかも)
操は隠し部屋の探索を切り上げ、応接室に戻った。
部屋では先程倒した花人が変わらず倒れている。
(『青い花』の方はそのままにしておいたから、少しは読み取れる記憶も鮮明になると良いんだけど……)
操がこの花人の体から『本体の花』を取り除かなかった理由がこれだった。
病院で戦った、異形の怪物と化したクロフォードの記憶を読み取った際、相手が完全に絶命
してから読み取りを行った為か、内容がかなり不明瞭だった。
幸い、操が知りたかった情報そのものは得る事が出来たが、場合によっては必要な情報が得られなくなっていた可能性もある。
そうした状態を避ける為操が考えたのが、完全に『青い花』を除去する前に読み取りを行う事だった。
花人も木人も、本体の花を除去すると、他の花の部分も乗っ取られていた死体も、枯れたように萎んでしまう。
操はそうした状態……死体の損傷が激しいと、読み取れる記憶が少なくなってしまうのではないかと考えていた。
それ故今回は、倒した後の花人の本体を除去せずそのままにしていたのだ。
仰向けに倒れている死体のそばに身を屈めると、操は腕から蔓を伸ばしてゆく。
そして、蔓の先端を花人の首の辺りに突き刺すと、目を瞑って意識を集中させた。
すると、以前よりもスムーズに相手の記憶が操の頭に流れ込んで来るのが分かった。
だが、記憶を読み取り、まずこの花人となってしまった人物が何者かを探ろうとした所で、予想外の事が判明した。
(……え? この人、この街の警察署長なの? なんで消防指令センターなんかにいるの?)
驚いた事に、この男は指令センターの関係者ではなく、グリーンフォレストの街の警察署長だった。
てっきり指令センターのセンター長か何かだと思っていた操は面食らってしまう。
だが、操が困惑から立ち直る前に男の……警察署長のウォルター・サザランドの、生前の記憶が流れ込んで来た。
『畜生! どうなってやがる! 突然地鳴りがして、バカでかい花が時計塔を飲み込んだと思ったら、
あっという間に街中気味の悪いバケモノだらけだ! 街中から悲鳴や銃声、爆発音が聞こえる。
モニターに映っている映像を見る限り、この建物にもバケモノ共が何匹も押し寄せて来て、手当たり次第に人間を食い殺している!
何がどうなっているんだ? サイディスの連中が何か実験をしくじったのか?
理由はどうあれ、今隠し部屋を出たら、外の連中と同じくバケモノ共に食われてしまう!
この隠し部屋は、センターが出来た時に業者に金を握らせて作らせた特別製の部屋だ。 視察の名目で出入りすれば、
市民の安全を守る事に熱心な警察署長のイメージを高める事にもなり、個人的な「趣味」に興じる事も出来る。
まさに一石二鳥の「遊び場」だ。 その上、シェルターと言えるほどではないが、他の部屋に比べて頑丈に設計されている。
このまま外の騒ぎが収まるまで待っていよう。 愚民共の為に自分の命を危険に晒すなど冗談ではない』
(………………最悪だね)
無駄に高級そうな衣服を着ているとは思ったが、どうやらこの男は人間性に相当問題があったようだ。
なぜ警察署長などをやっていられたのだろうか?
(サイディスの事を知っているみたいだから、あの連中のバックアップ……とかかな)
病院の件と同じように金で釣って手先としているのかもしれない。
何にせよ、この男は守るべき市民を見捨てて、自らの歪んだ趣味の部屋に閉じ籠る事を選んだらしい。
男の記憶は続く。
『……あれから数時間が経った。 いや、もっと時間が経っているかもしれない。
外の物音は収まったが、モニターには死体と「死体だった物」しか映らなくなった。
一度、応接室まで出て窓の外を見たが、犬のようなバケモノ共が寄ってたかって人間の死体を貪っていた。
私は恐ろしくなり、それ以降一歩も隠し部屋から出ていない。
どうしてこうなった? 何故私がこんな目に遭わなければいけない?
サイディスから金を受け取って、連中に都合の良いように捜査記録を捏造する事に手を貸した罰なのか?
確かにこの前も、街に不審な人物が入り込んでいないか徹底的に調べる様に連中から命じられたりもした。
だがそれは、何者かが殺し屋を差し向けて来ている可能性があり、私も標的かもしれないと脅されたのだ。
私は自分の命が惜しい。 皆そうだ。 誰だって我が身が一番可愛いのだ。
私は悪くない! この寂れた街でサイディスに逆らえる者などいないのだ。
やつらに歯向かえば、それこそ命が幾つあっても足りない。 奴らの言いなりになるのは仕方がない、仕方がないんだ!
部屋の中にあるPCで外部とコンタクトを試みたが一切繋がらない。 一体どうすれば……。
…………ん? なんだ?
モニターが……2Fのモニターの画面が、一つずつ消えて行っている?
機材の不調ではない。 先週、業者に密かに点検させたのだ。 壊れるなどという事は……。
ど、どうなっているんだ? 次々と画面が消えて行っている! 何が起きているんだ!?
やめてくれ! カメラを、私の目を奪わないでくれ! バケモノ共が何処から襲って来るか分からなくなってしまう!
それだけが今の私の唯一の拠り所なんだ! 頼む!それを私から奪わな
だれかが うしろに いる』
「………………ッッ!!」
操は額に汗を浮かべながら目を見開いた。
警察署長の記憶はそこで途切れている。
何があったのか、具体的にはわからない。
しかし、一つだけ言える事がある。
(…………この男は誰かに殺されたんだ。 自殺に見せかけて)
蔓を回収して立ち上がる操。
額の汗を拭って息を吐いた。
(……あの病院の院長達と同じだ)
何者かは分からないし、理由も分からない。
しかし、確実に誰かがサイディスと癒着関係にある人間を殺害して回っている。
(しかも、街がこんな状況になっている中で殺してる。 もしかして今も……?)
操の背中を冷たい汗が流れる。
人食いの怪物が蔓延るこの街で、淡々と標的を殺害し続けている「人間」が居る。
もし本当にそうであるなら、その人物は怪物等より余程危険な存在だ。
自身の存在に気付いた操の事を知れば、どういう行動に出るか予想出来ない。
それに何よりも、操の頭には、最も考えたくない推測がよぎっていた。
この街で、怪物を相手にして生き残っている人物。
操の脳裏に一人の人物の顔が浮かぶ。
「…………ライナは………………違うよね?」




