21 血と肉と花
院長室を出た操は、管理室へと舞い戻っていた。
途中の廊下で何体かの花人に遭遇したが、銃を使うまでもなく『荊の鞭』で処理出来た。
中庭での戦闘経験から、鞭として振るう蔦の数を一本のみにして取り回しを良くした結果、効率良く敵に対処出来るようになったのだ。
更に、怪物達と接敵して銃を使わない場面では左手を常に『籠手』状態に変化させ、常に防御が出来る様にもしている。
そして『籠手』自体も中庭で変化させた際と比べても、より洗練された形状になっている。
知識として丸みを帯びた形の方が受け流しがしやすいと知っていた為、それに準じた形で整えてある。
(何だか形の変化が前よりも正確に出来る様になった気がする)
院長の死体から諸々の情報を取得して以降、どうやら操の青い花の能力は向上しているようだった。
より細かくイメージを自分の体や生じさせた蔦などに反映させる事が出来る様になり、より汎用性が増したように思える。
形状が以前と変わりない『荊の鞭』にしても、振るった際の操作精度が明らかに上がっていた。
(お陰で静かにここまで戻って来れたけど……複雑な気分ね)
蔦を介して死体の記憶を垣間見るという、もはやオカルトめいた行為が出来るようになるという事が、操にはどうしても好意的に考える事が出来なかった。
しかも、あの時は考えないようにしていたが、蔦が覆っていた死体の表面には細かい傷が付いていた事に操は気付いていた。
操が知る『青い花』の生態を考えれば、あの時相手の記憶が見えたのは―――……。
頭を振って余計な考えを頭から追い出す。
今やるべき事はあの現象について考える事ではなく、目の前の指紋認証システムを突破する事だ。
(と言っても、普通に認証を試すだけなんだけどね)
白衣の男が起動したままにしていたセキュリティの管理端末には、既に指紋認証の画面が表示されている。
その横では指紋を読み取る為のスキャナーが起動していた。
後はここに手を置いて認証を行うだけなのだが……。
(……覚悟を決めないといけないとはいえ、本当に行けるのかな)
そう頭の中で躊躇しつつ、右手の形状を写し取った院長の物に変化させる操。
変化が完了し終えたのを確認し一呼吸置いた後……スキャナーに手を置いた。
スキャナーに手を置くと自動的に機械がスキャンを開始する。
何度かスキャナー上の光が上下に動いた後、至極あっさりとスキャンは完了した
ピピッっという電子音が鳴ると同時に、セキュリティ端末の画面に「ロック解除」の文字が大きく表示され、地下室に施されたセキュリティの全てが解除された事を示していた。
(良かった、解除出来たみたい……。 後は地下エリアを調べて、脱出手段を探すのと……出来ればクロフォード医師の行方が分かればいいんだけど)
今の所白衣の男に銃撃されたクロフォード医師の行方は分かっていない。
状況から見て無事だとは思えないが、操の記憶の手掛かりになり得る数少ない存在である為、出来れば探し出したい。
操は地下エリアにクロフォード医師「だった物」がいる可能性は低いと思ってはいたが、一縷の望みに賭けて
地下エリアの探索を行うべく、再び移動を開始した。
(さてと……いよいよだね)
管理室を出た操は、1階西側にある階段までやって来ていた。
先程北棟内に侵入した際には西側を調べる事はしなかった。
というのも、地下へ行く階段自体は第3診察室を出た際に見えてはいたのだ。
しかし、周囲がこんな状況でなかったとしても、地下へ続く階段という物に近付きたがる者はそうはいないだろう。
ましてや、怪しげな取引をしている病院の地下室ともなれば尚更だ。
(この時点で既に空気が淀んでる感じがするんだけど……病院の他の職員は気が付いてなかったの?)
階段の手前には『関係者以外立ち入り禁止』と表示がされた仕切りがされており、
『地下エリアに立ち入る際は担当者に許可を取る事』という但し書きも書かれている。
やはり地下に入る者はかなり制限をしていたようだ。
仕切りを退けて階段を下りて行く。
階段を照らすのは非常灯の明かりのみで薄暗く、階段の下の様子はかなり分かり難い。
しかし、降りた先にある踊り場を曲がり、さらに下に降りる階段の先を見ると、そこには両開きの扉があるのが分かった。
警戒しつつ階段を下りた操は扉の向こうの気配を伺うが、特に物音は聞こえない。
扉の取っ手をそっと捻って押し開けてみると、意外にも扉は何の抵抗も無く開いた。
(……鍵が掛かってない? 確かにセキュリティ端末には鍵の表示が無かったけど……)
地下エリアにあれだけセキュリティを施しておいて、入口の扉は開放されているという状態に違和感を覚える。
しかし、今までの院長達の杜撰なあれこれを目にしていた操は、特に気にせずそのまま地下エリアに侵入した。
地下の廊下は電気が付いておらず、扉が開いた入口から差し込んだ光だけが廊下の床を照らしている。
視界にはほぼ暗闇しか映っていないが、よく見ると僅かに点灯している小さなランプが幾つか目に入った。
恐らくセキュリティを解除した事で最低限の電力が供給されているだけになった監視カメラだろう。
そして扉の横に目を向けると、他のランプとは違う大きなランプが点灯している機械が目に入る。
それが廊下の電灯のスイッチだと気が付いた操は、やや躊躇したがスイッチを操作して電灯を点けた。
途端に廊下が古びた蛍光灯で照らされて明るくなる。
(地図で見た通り向かって左側が機械室で、反対側が霊安室みたいね)
操が用があるのは霊安室だが、機械室も正直気になってはいた。
これだけ厳重に管理されている地下に設置されているという時点で、何らかの理由がある可能性がある。
しかし、興味本位で首を突っ込んで良い事でも無いので、好奇心を抑えて無視しようと決めていた。
(何かあるにしても、碌な事じゃないし、必要に迫られない限り関わらないでおこう)
……と、その段階になって操は、奥にある霊安室の扉が僅かに開いている事に気が付いた。
先程の暗闇の中では明かりは見えなかった為電灯は点いていないようだが、誰かがここへ来たのだろうか?
操がセキュリティを解除した後に誰かが来たとすれば、考えられるのは……ただ一人だ。
(………………)
ハンドガンを構え、息を殺しつつ慎重に進んで行く。
いつでも撃てる体勢でゆっくりと扉へ近づき、扉のすぐ手前までやって来る。
……その時、一瞬周囲の空気が動いたような感覚を操は覚え…………次の瞬間、突然銃声が響いた。
「あぐっ!?」
周りの空気に違和感を感じた瞬間、操は咄嗟に振り返って背後に銃を向けようとした。
しかし、ほぼ同時に放たれた数発の銃弾の内、1発が足を掠め、もう1発が銃のトリガーガードに当たって銃を弾き飛ばした。
そして運の悪い事に、銃に当たって弾道が逸れた弾丸がそのまま操の右肩を貫いてしまった。
「ぐ……うう……!」
銃撃でバランスを崩した操は後方に倒れ込み、痛みに呻き声を上げる。
骨には当たらなかったようだが、体に銃弾が残ってしまっているようで、出血が酷い。
傷口は暫くすれば再生すると思うが……今はそれ所ではない。
「は……はは……はははは! やったぞ! やってやったぞ!」
そう叫びつつ喜色を浮かべた表情で機械室から姿を現したのは、やはりあの白衣の男だった。
どうやら室内に隠れて操をやり過ごし、音を立てないように扉を開けて銃撃したらしい。
(……霊安室の扉が開いていたのは囮……?)
遅まきながら地下エリアや霊安室の扉が開いていた理由を察する操。
まんまと罠に嵌まってしまった形だが、まだ状況を打開する手は残っている。
しかしその前に、目の前の男には聞かなければいけない事がある。
……例え自分の命を狙っている殺し屋と誤解される危険があるとしても、だ。
「……っ! あなた、ニーマンス院長の息子ね……?」
それを聞いて男の表情が固まる。
「だ……だったら何だっていうんだ? もうお前は終わりなんだ! 俺を殺そうったって、そうはいかないぞ!」
案の定操を殺し屋だと思っているらしい男は、そう喚き立てると、威嚇するように手にしたサブマシンガンを操に向ける。
だが操はそれを無視し、上半身を起こしながら言葉を続ける。
「クロフォード医師をどうしたの? 私は彼に用があるの。 ……あなたには用はないわ」
余計な事は質問せずに要点だけ簡潔に伝える。
すると、男は目を泳がせて動揺した様子を見せた。
「く、クロフォードだと?」
「そう。私は殺し屋なんかじゃなくて、彼を探しに来ただけ。 ……あなた達がここで何をしてたか知らないけど、私はあなたに何かするつもりは…………!」
操がそこまで言った瞬間、男は操の顔のすぐ横の壁に向けて再び発砲した。
「だ、黙れ! 嘘をつくな! 親父も、フィッチャーのジジイもみんなお前が殺したんだ! く、クロフォードの奴もお前とグルなんだ! 俺達がやっている事を、お、公にして破滅させる気だったんだ! それが上手く行かなかったから俺達を始末しようとしたんだろう!」
男はほとんど錯乱したような様子で叫び散らす。
「だから先手を打って始末してやったんだ! それなのに親父は『バカな事をするな』なんて言いやがって……」
「やっぱり、あなたが彼を殺したのね……」
生きている可能性は低いとは思っていたが、それでもクロフォード医師の死が確定してしまった事に操は落胆する。
「だが、どうやったのかは知らないが、お前が地下のセキュリティを解除してくれたおかげで、俺はここから逃げられる! ざまあみろってんだ、親父の奴! 散々俺をバカにしやがったが、生き残ったのは俺だ!」
そんな操の心情には一切気付かず、最早肉親への情すら失っているのか、白衣の男は正気を無くした目で自分の父親を罵倒し続ける。
関わりの無い事ではあるが、操は目の前の男が哀れに思えた。
操の目から見ても実の父親に憎悪を抱いているのが分かるその振る舞いからは、父親に対して大きなコンプレックスを抱えているのが感じられた。
「後はお前を始末したら『葬儀屋』と接触して、この街ともオサラバだ! 霊安室の仕掛けを解除する院長のカードキーは俺が持ってるんだからな!」
聞いてもいない事をしゃべり続ける白衣の男。
この時点で操がこの男から聞き出したい事はほとんど聞き終えていた。
クロフォード医師の生死、霊安室の仕掛け、街からの脱出方法の有無……。
残るは操が『この男に言いたい事』だけだ。
「……『葬儀屋』がどうして無事だと思うの?」
「……え?」
「『青い花』は街中に蔓延してる。 何処もかしこも怪物だらけよ。 彼らだけが無事だと思う理由は?」
操の言葉に動揺する白衣の男。
だが操は容赦しなかった。
「百歩譲って彼らが無事だったとしたら、どうして緊急の無線に応答がないの? 無線機なんて用意してあるって事は、何かしらの事態が起きた時の取り決めが出来てたんでしょ?」
話をしながら操は負傷部分に意識を向け、傷の回復を加速させていた。
更に、男からは見えない位置で蔦を生やし、すぐさま男へ向けて放てるように準備もしていた。
「それが無いって事は、彼らの側に何か不測の事態が起きたんじゃないの?」
「そ、それは……」
男の顔色が段々と悪くなって来る。
自分にとって都合の良い想像通りになると思い込んでいた事にようやく気が付いたのだろう。
「仮に本当に無事だとしたら彼らは意図的にあなたからの無線を無視したって事になるのよ? そもそも……あなた、自分で言っていた、私が殺し屋だって事の意味を理解してる?」
「な、何の事だ!?」
額に脂汗を浮かべ、手を震わせながら、精一杯の虚勢を張る男。
そんな目の前の男に操はトドメの一言を言い放った。
「私が殺し屋だとしたら……一番あなた達の元に殺し屋を差し向けそうなのって、口封じがしたい『葬儀屋』でしょ?」
男の顔が一気に血の気が引き蒼白になる。
本当に今までその可能性に気が付かなかったらしい。
むしろ、この男が言っていたような第三の組織が送り込んだ刺客だと考える方が無理がある。
この病院が行っている人身売買の証拠を集めて告発しようとする、等であればまだ分かるが……。
「……う、うるさい!! そんな事があるわけがない! お前は政府が送り込んだ殺し屋だ! 外に出れば『葬儀屋』と接触出来るんだ! そうすればこの街から脱出できるんだぁ!!!」
操の言葉に逆上した白衣の男は、髪を振り乱して狂乱し、叫び散らした。
操が煽るような事を言ったせいだが、この男には言わずにはいられなかった。
「お、お前さえ、お前さえ殺せばもう邪魔者はいないんだ!! ここでお前を殺して俺は……助かるんだっ!!!」
そう叫び、手にした銃を向ける白衣の男。
これ以上は会話が成り立ちそうにない。
操も覚悟を決めて準備していた蔦による攻撃を繰り出すべく身構える。
「死ねぇっ!!!!!!」
鬼気迫る表情の男が引き金を引こうとした。
その時。
操は、男の白衣の肩の部分に、先程までなかった「血の染み」が出来ている事に気が付いた。
ゆっくりと動いて見える眼前の光景の中で、視界に捉えたその染みは先程まで存在していなかった筈だ。
そして、その染みが今まさに『天井から滴り落ちて来た血』で広がる瞬間を目にした。
……上に何かがいる?
次の瞬間
「!?」
「ひぃっ!?」
天井を突き破って伸びて来た蔦……いや、『蔦のように見える肉塊』が白衣の男に襲い掛かった。
突如天井から出現したその物体……肉塊の触手は凄まじいスピードで男の腕を絡め取り、次の瞬間にはその体を完全に地面から浮かせてしまった。
「ひぃぃぃ!? 何だ、何だこいつはぁ!?」
男は悲鳴を上げて抵抗するが、触手は全く離れない。
激しくうねりながら、天井に開いた大穴に引き込もうとする。
「嫌だぁぁぁ!! 離せ!離せぇぇぇぇぇぇ!!!」
最早完全に正気を失った様子で男が叫ぶ。
操は目の前で起きている事に一瞬固まってしまったが、すぐさま身を翻し床に転がっていた銃を拾うと、男に絡みついている触手に銃口を向けた。
しかし、うねうねと動く触手のみを狙って撃つのは、操の腕では困難極まりない。
(……だめだ。 狙って当てるには動きが速すぎる……!)
近付いて撃つ訳にも行かず、操は取るべき行動を選択しかねていた。
だが、操が躊躇していたその時、半狂乱の男が予想外の行動に出た。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
手にしたサブマシンガンを滅茶苦茶に乱射し出したのだ。
狙いなど付けていない、触手を狙っているわけでもない状態で放たれた銃弾は、当然操にも襲い掛かる。
「っ!?」
咄嗟に身を伏せて銃弾を躱すが、周辺の壁や床・天井に銃弾が着弾し、廊下を照らす電灯が粉砕されて周囲に飛び散る。
そうして飛び散った残骸や跳弾から身を守る為、操は身動きが取れなくなってしまった。
……そして、それが男の命運を決めた。
男が乱射した銃弾の1発が壁に当たった事で跳弾し、男を捉えている触手に当たって赤黒い血が飛び散った。
「キ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛!!!!!!!」
すると天井に潜む触手の持ち主は悍ましい悲鳴を上げ、触手をさらに激しくのたうち回らせる。
そして、天井の暗がりから血走った目を覗かせ、男を睨み付けた。
「ヒッ……」
その恐ろしい眼力に、白衣の男は恐怖に満ちた表情で動きを止めてしまった。
次の瞬間。
「……え?」
「……あ?」
唐突に触手の持ち主が天井から姿を現した。
逆さにぶら下がった「それ」は、顔に植物を思わせる緑色の血管のような筋が無数に走っているが、それ以外は人間の男の姿をしている。
その姿を見た操は……いや、操と白衣の男は、同時に声を上げて凍り付いた。
「お、お前は……」
白衣の男が思わず、といった様子でそう呟く。
操はその怪物の顔を知っていた。
そしてそれは、この病院内で探し求めていた顔でもあった。
「く、クロフォード医師……?」
白衣の男を触手で捕え、天井からぶら下がった状態で睨み付ける怪物。
それは変わり果てた姿のクロフォード医師だった。
「あぶぅぅあ」
「えっ?」
そんな声と共に怪物が口を開いた
口から蔦状の触手を生やして、男の方を向く。
白衣の男は驚愕から立ち直れないまま、間の抜けた声を出して怪物を見ていた。
そして怪物は、触手を弄ぶようにくねらせ……。
「あ゛あ゛」
あっさりと白衣の男に食らい付いた。
「ギャアアアアアアアア!!!???」
男の顔面に食らい付いた怪物は、口から更に長大な触手を伸ばし、もはや男の体全体を包み込むかのような状態になっている。
男は何とか触手から逃れようともがくが、怪物の力には全く通用していない。
「ヒギャッ……た、たすっ……助けて……」
グチャッ
水っぽい何かが潰れる音が響く。
ゴキゴキッ グチャべきグチュッ ぼりぼりぼり
夥しい量の血が床に降り注ぎ、肉と骨が砕け、それらを纏めて「咀嚼」する音が廊下に木霊する。
操は呆然とその光景を見つめていた、
クロフォード医師の顔をした怪物は、白衣の男だった物を、首元まで大きく裂けた口で飲み込みつつ噛み砕いて行く。
獲物を飲み込む蛇のようなその姿は、人間どころか『人型』と言って良いのかも分からない醜悪な姿だった。
やがて、ドチャッという音を立て、辛うじて原型を留めている男の下半身だけが床に転がった。
天井からぶら下がった怪物は、口に残った肉を味わうかのようにグチャグチャと咀嚼を続けつつ、ゆっくりと天井の穴へと戻って行く。
怪物はどうやら操に気が付いていないらしい。
銃撃を避ける為、物陰に身を隠しつつ銃を構えていたせいだろう。
今も操は穴へ戻ろうとする怪物に狙いを付けている。
だが、目の前のあまりの惨状に恐怖し、トリガーを引く指に力が入らなかった。
今怪物を攻撃すれば確実に気づかれて襲われる。
そうなったらこれまでと同じように対応出来るだろうか?
目の前の悍ましい怪物は、明らかに今まで倒して来た者達とは違う。
このまま気付かれずにやり過ごす事が出来ればそれに越した事は無い。
操はその場から走って逃げだしたい衝動を抑え、息を殺して怪物の動きをつぶさに観察した。
怪物はこちらに気付いた様子も無く、ミシミシと音を立てながら穴へ戻って行く。
心臓の鼓動が耳元に大きく響き、背中に汗が伝う。
その様子を操はじっと動かずに見守り、怪物がこの場から去ってくれる事を祈った。
……だが。
「い゛あ゛あ゛」
唐突に怪物が操の方に顔を向けた。
光の無い虚ろな目に捉えられ、操の心臓が跳ねる。
次の瞬間、怪物の頭部が中心から「四つ」に裂けた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
「……ッッッッ!!!?」
先程、白衣の男を食い殺した時の首元まで裂けた大口ではなく、今度は頭部と首が花弁のように開いたのだ。
首自体が先程までと違って長く伸びており、先端部分にある首と頭部周辺が正に『開花した花』のようになっている。
威嚇の為なのか、怪物は操に対して咆哮を上げ、天井からぶら下がった体全体を大きく揺らした。
その段階になって操の恐怖心も限界を超えてしまった。
動かなかった筈の指が、脳からの指令を今になって思い出したかのように動き出す。
気が付けば操は、怪物に向けてトリガーを引き続けていた。
「うああああっ!!!!」
狙い自体は先程から付けていた為、放たれた銃弾は正確に怪物へ撃ち込まれた。
「き゛い゛い゛い゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!!!!!」
人間の叫び声に耳障りな甲高い金属音を混ぜたような絶叫を上げ、怪物が血飛沫を上げる。
操はその光景に操は更に銃弾を撃ち込んで行く。
「ああああァッッ!!!!」
やがて、装填された10発の弾を全て撃ち切り、銃のスライドが下がった状態で止まった。
廊下に空薬莢が転がり、硝煙の匂いが立ち込める中、怪物は撃たれた痛みに悶える様に身をくねらせている。
「き゛う゛う゛う゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛……・」
やがて、ジタバタと……いや、「ビタンビタン」とのたうち回りつつ、怪物は天井の穴の中へあっけなく引っ込んで行った。
怪物の姿が唐突に消え、操は呆然と天井の穴を見つめる…………しかし。
「ひ゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
再び廊下に怪物の絶叫が響き渡り、穴の周辺の無事だった天井にヒビが入る。
バキバキと破壊音を上げてヒビが広がって行く。
そのまま天井裏を重量のある何かが無理やり移動して行くのが伝わって来た。
操の真上をそれが通過して行った際に、ひび割れた天井の一部と共に、赤黒い血が数滴床に垂れ落ちて行った。
「はぁ……はぁ……」
操は怪物が進んで行ったと思われる方向に、弾が切れた状態の銃を向けながら荒い呼吸を繰り返していた。
やがて静寂を取り戻した廊下に、力が抜けたように座り込むと震える手で顔を覆った。
危なかった。
結果的には怪物に襲われる事は無かったが、恐怖から冷静さを失って銃を乱射してしまった。
これではあの白衣の男と同じではないか。
何とか呼吸を落ち着けながら、操は自分の失態をそう振り返った
この場であの怪物と戦闘になる事は何としても避けるべきだ。
理由は単純で、あの怪物が今まで遭遇した花人や木人とは明らかに異なった雰囲気を纏っていたからだ。
あちこち破壊され、崩れ落ちる寸前とすら言えそうな廊下の惨状を見ても、非常に危険な存在だと分かる。
そして、それだけに留まらず、自分に対して継続的に攻撃を行って来る相手に対して、あの怪物は『撤退』という行動を取った。
恐らく知能も他の2種より優れている。
見た所、クロフォード医師の死体が元になっているようだが…………何か他の怪物達と異なる点があったのだろうか?
「どうしてあんな姿に……明らかに普通の奴らと違う。 また出くわして襲われたら……」
先程の咆哮を上げて威嚇する怪物の姿が脳裏をよぎる。
花人や木人とは違う、人の原型を留めていない異形の怪物の姿に、操は恐怖を感じていた。
再び襲われた場合、動揺せずに対処する事が出来るだろうか?
「……ううん。 こういう事が起きるかもっていう覚悟はしてた筈。 怖がってばかりじゃ生き延びられない……」
震える足に活を入れて、操は立ち上がる。
それで恐怖心が無くなった訳ではないが、折れ掛けてしまった心は持ち直す事が出来た。
もう一度あの怪物と対峙したとしても、今度は恐怖に囚われない。
操は覚悟を決めて前を向いた。




