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第49話 本音が流れ込み二人の繋がりは不意に終わりを告げる


 健介は、千夏の凄まじい気迫に押され、百万円と共に逃げるように闇の中へ走り去っていった。  


 後に残されたのは、傷だらけの神悟と、息を切らす千夏だけだ。


「……馬鹿野郎。本当に一人で死ぬ気だったのかよ」  


 千夏は地面に崩れ落ちそうになる神悟を、必死に抱きとめた。


「ごめんなさい……でも、君が怒ってくれて、嬉しかったんです」  


 神悟は口から血を流しながら、へらへらと笑った。


 三十年間の自転車通勤で鍛えた足腰は限界を迎え、折れた肋骨の激痛で意識が飛びそうだった。




 その時だった。  


 二人の心に、今までで一番温かくて、大きいうねりが流れ込んできた。  


 それは、お互いの「一番隠していた本音」だった。


 千夏の中に流れ込む、神悟の優しい気持ち。


(千夏さん、ありがとう。君は本当に強いお母さんだ。僕みたいなつまらない男のために泣いてくれて、ありがとう。どうか、幸せになってくれ……)




 神悟の中に流れ込む、千夏の熱い思い。


(ふざけんな、一人で死ぬな。あんたはゴミなんかじゃない。私と拓也を守


ってくれた、最高にカッコいい男だ。死んだら絶対に殺す……!)


 バグが終わろうとしているのだ。


 二人が「自分は独りじゃない」と心から気づいて、絶望の底から抜け出したからだ。  


 繋がりが消える直前、お互いの「ありがとう」と「生きてくれ」という祈りのような思いが、溢れるように混ざり合う。


「……あぁ……っ」  


 千夏の目から、ボロボロと涙が溢れた。


 その直後――プツン。


 千夏の体から、神悟の折れた肋骨の激痛がスッと消え去った。  


 同時に、あの温かい感情の波も嘘のように消え、夜の冷たい空気だけが二人の間に残された。  


 最後の一滴の温もりを残して、二人の命の音は、完全に別々のリズムを刻み始めたのだ。


「……バグが、終わりましたね」  


 神悟は荒い息を吐きながら、血に染まった口元で笑った。痛みが共有されなくなったことで、神悟は一人で自らの激痛に耐えなければならなくなった。


「ジジイ、あんた息が……救急車を呼ぶ!」  


 千夏が慌てて携帯を取り出そうとするが、神悟はその手を血だらけの手で強く握って止めた。


「駄目だ。……君は、すぐにホテルへ戻って」


「はあ!? あんたを置いていけるわけないだろ!」


「ここは僕が自分で通報します。暴漢に襲われたとだけ言う。……もし君がここにいたら、警察に事情を聞かれて、拓也くんを巻き込むことになる」


 神悟の目は、激痛に耐えながらも、絶対に譲らない強い光を放っていた。


 そして、神悟は震える手で携帯を取り出し警察に電話をかけた。




「……っ」


 千夏は唇を強く噛み締めた。


 繋がりが消えた今、神悟がどれほど痛いのかを体で感じることはできない。


 でも、彼が自分と息子の未来を守るために、泥を被ろうとしていることだけは痛いほど分かった。


 遠くで、パトカーのサイレンの音が小さく聞こえ始めた。


「……死んだら、絶対に許さないからな」


「ええ。……早く、行ってください」


 千夏は立ち上がり、神悟のボロボロの姿を一度だけ強く目に焼き付けてから、夜の闇の中へと走り出した。  


 まともな別れの言葉さえない。  


 けれど、二人の胸の奥には、一生消えない「確かな熱」が残っていた。




次回最終話


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