第48話 絶望の濃度が重なった時バグは最強の運命共同体へと変貌させた
「……やってみろよ、この粗大ゴミ」
千夏の言葉は、午後八時過ぎの冷たい夜気を切り裂いた。
神悟の体をおこし背負うように立ち、健介を睨みつける。
その瞳は、暗闇の中でもハッキリとわかるほどの怒りと、絶対に折れない強烈な「執着」で燃えていた。
「て、てめえ……!調子に乗ってんじゃねえぞ!」
健介が怒りで顔を歪め、鉄パイプを大きく振り上げた。
「まとめて殺してやる!!」
健介が突っ込んでくる。
神悟は肋骨の激痛で動けない。
千夏の細い腕では、男の振り下ろす鉄パイプを受け止める力なんてない。
だが、その瞬間。
ドクン、と二人の鼓動が完全に重なった。
(……逃げるな、千夏さん!)
(……動け、ジジイ!)
それは、言葉にならない「意志」の共有だった。
千夏の「神悟を守る」という怒りが、動かぬはずの神悟の肉体を無理やり突き動かす。
神悟の「二度と誰も失いたくない」という願いが、非力なはずの千夏の動きに、三十年間耐え続けた「社畜の執念」という粘りを与える。
健介の鉄パイプが振り下ろされる。
千夏は神悟の体を操るように、絶妙なタイミングで身をかわした。
神悟の「回避」の感覚が千夏に伝わり、千夏の「攻撃」の意志が神悟の麻痺した足を一歩前に進ませる。
「な、なんだてめえら……動きが……!」
健介が驚愕する。
二人の動きは、まるで一つの生き物のように完全に同調していた。
「……痛えんだよ、馬鹿野郎!!」
千夏が叫びながら、落ちていたビニール傘を拾い上げ、健介の顔面に叩きつけた。
神悟がこれまで受けてきた痛みが、千夏の怒りを何倍にも増幅させ、その一撃に全ての絶望が込められた。
「ぐわぁぁっ!!」
健介が呻き、鉄パイプを取り落とす。
「……これ、で……終わり、です……!」
神悟が満身創痍の体で、崩れ落ちる健介にタックルを見舞った。
三十年間、理不尽な上司に頭を下げ続け、雨の日も風の日も重いペダルを漕いで自転車通勤を続けてきた。
その泥臭くてくたびれた「中年男の足腰」の執念が、外道を地面に力強く押しつぶす。
泥まみれになって這いつくばる、神悟と健介。
その上に立ち、千夏は落ちた鉄パイプを拾い上げた。
「……いいか、健介。二度と、私と拓也……そしてこいつの前に、ツラを見せるな」
千夏は鉄パイプを、健介の顔の横にある廃材に力任せに叩きつけた。ガキンッ、と冷たい金属音が夜の闇に響き渡る。
「次、拓也に指一本でも触れたら、私がてめえをこの世から『粗大ゴミ』として処理してやる。……わかったか!!」
千夏の、地を這うような怒声。
その背後で、神悟は薄れゆく意識の中で、街灯に照らされた千夏の背中を見つめていた。
痛い。全身が痛くて死にそうだ。
でも、彼女が僕のために、これほどまでに怒り、僕を守ってくれた。
(……ああ、孤独じゃ、ない……)
神悟の胸の奥から、千夏に伝わる感情。
それは、絶望ではなく、生まれて初めて感じる、泥臭くて温かい「生の安らぎ」だった。
午後八時半。廃材置き場を包む深い闇の中で。
泥まみれで這いつくばる外道と、それを守るように立つ女。
二人の絶望の濃度は、決してずれることはなかった。
むしろ、互いを守りたいという執着によって、より深く、より強く重なり合っていた。
だが、その完全な共鳴こそが、宇宙のバグにとって最も「許されざるエラー」であることを、彼らはまだ知らない。
続く




