第45話 外道からの着信が逃亡を続ける三人に最後の決戦を告げた
ファミリーレストランのテーブルで、無機質な振動音を立てて滑る携帯電話。
画面には「健介」の文字が光っていた。
千夏の顔から、スッと血の気が引くのが分かった。
同時に、神悟の胸の奥で、心臓が早鐘のように激しく鳴り始める。千夏の抱いた「恐怖」と「嫌悪」が、回線を通じてダイレクトに流れ込んできたのだ。
「……出なくていい。電源を切りましょう」
神悟の言葉に、千夏はギリッと奥歯を噛み締めて首を振った。
「いや、逃げたってあいつは執念深く追ってくる。ここでハッキリとトドメを刺さないと、拓也と平穏に暮らす明日なんて来ない」
千夏は震える指で通話ボタンを押し、耳に当てた。
『おい! てめえ、どこに隠れやがった!!』
スピーカー越しでもはっきりと聞こえるほどの、健介の怒鳴り声。
『俺の百万円、どこにやりやがった! ふざけんな、今すぐ持ってこい! さもなきゃ警察に「妻が金と息子を誘拐した」って通報してやるからな!』
自分のパチンコ代にするつもりだったくせに「俺の金」と言い張る図々しさ。そして、警察という言葉を使った卑劣な脅し。
千夏の呼吸が浅くなり、怒りで声が詰まった。
「あ、あれは私が拓也のために貯めた……!」
『うるせえ! 亭主の稼ぎで飯食ってた分際で偉そうなこと言ってんじゃねえ! 今すぐ指定する場所に金とガキを連れてこい。あのジジイも一緒にいるんだろ、まとめて殺してやる!』
その瞬間だった。
神悟が、千夏の手からスッと携帯電話を抜き取った。
「……代わります」
『あぁ!? なんだジジイ、てめえ……!』
「お久しぶりです、健介さん」
神悟の声は、酷く落ち着いていた。
三十年間、理不尽な上司やクレーマーの要求を最前線で処理し続けてきた「底辺のサラリーマン」としての、冷酷なまでの事務的なトーン。
それは怒りでも恐怖でもなく、ただの「絶対零度」だった。
「通報したければ、どうぞご自由に。ただし、こちらはあなたが千夏さんに暴力を振るおうとした際の録音データと、過去の遊技場での借金に関する記録を持っています。警察がどちらの言い分を信じるか、賭けてみますか?」
『なっ……て、てめえ、ハッタリかましてんじゃ……!』
「ハッタリかどうかは、会って確かめればいい」
神悟は、千夏を安心させるように小さく頷き、健介に告げた。
「今夜八時。昨日の大衆食堂の裏にある、廃材置き場で待ち合わせましょう。僕が一人で、百万円を持って行きます」
隣で千夏が「何を言ってるんだ!」と目を見開く。
だが神悟は、電話を一方的に切った。
「……ジジイ、あんた本気か!? あいつは金のためなら何をするか分からないクズだぞ!」
「分かっています」
神悟は携帯電話を千夏に返し、静かに微笑んだ。
「絶望の濃度をずらして、この不具合を終わらせる。……そのための、最後の仕上げですよ」
神悟の瞳には、かつて深夜の商店で見せた「負け犬の諦め」は一切なかった。
それは、たった一人の戦友と、その子供の未来を守るために、すべての泥を被る覚悟を決めた男の顔だった。
続く




