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第35話 奪われたものを取り返すための泥臭い作戦会議


 夜九時。高島平団地の外れにある、街灯の薄暗い公園。


 伊集院神悟と早乙女千夏は、冷たい木製の長椅子に並んで座っていた。


 二人の間には、近所の安売り店で買った発泡酒の空き缶が転がっている。


「……で、百万か」


 神悟は、自分の手の中にある温かいお茶の缶を見つめながら呟いた。


「ああ。息子のために、毎日百円単位で切り詰めて貯めた金だ」


 千夏は前髪を乱暴に掻きむしり、暗い砂場を睨みつけた。


「あの外道、それを全部引き出して消えやがった。……絶対に許さねえ。地獄の底まで追いかけて、一円残らず吐き出させてやる」


 千夏の全身から発せられる強烈な「殺気」と「怒り」は、見えない繋がりを通して、隣に座る神悟の胸を焼くように焦がしていた。




 だが、神悟は逃げなかった。


「……僕の方は、妻が離婚届を置いて実家へ帰りました」


 神悟は静かに口を開いた。


「今までずっと、義母と妻の顔色をうかがって、心を殺して生きてきました。定年まで波風立てずにやり過ごすのが、僕の役割だと思ってたんです。でも、向こうから切り捨てられた」


 神悟は、自分の震える両手を見た。


 昨日のような異常な力は、今は湧いてこない。ただの、くたびれた中年の手だ。


 それでも。


「悔しいんです。金や家が惜しいんじゃない。僕の三十年間の我慢を、ただの『無駄』として捨てられたことが、どうしても許せない」


 神悟は顔を上げ、千夏を見た。


「やり返しましょう、千夏さん。僕たちの人生を舐め腐っている連中に、思い知らせてやるんです」


 千夏は少し驚いたように神悟を見つめ、やがて口元に獰猛な笑みを浮かべた。


「……言うようになったじゃねえか、ジジイ。その目、悪くねえよ」


 千夏は残っていた発泡酒を飲み干し、缶を握り潰した。


「だが、どうする。あの外道がどこに逃げたか、見当もつかねえ。警察に言ったところで、夫婦間の金銭問題なんて本気で探してくれやしないぞ」


「足取りを探す手立てなら、一つだけあります」


 神悟は懐から、一枚の紙切れを取り出した。


 それは、神悟が勤める『轟運送』の、輸送車両の配車表だった。


「僕の会社の運転手たちは、関東一円の道路を網の目のように走っています。立ち寄る飯屋、仮眠をとる場所、道の駅。彼らの情報網は、そこらの探偵よりよっぽど広い」


 神悟は配車表を指で叩いた。


「旦那さんの車の特徴と写真さえあれば、仲間たちに網を張らせることができます」


「……仲間って、あんた、職場で避けられてたんじゃなかったのか?」


「ええ。所長を殴り飛ばして以来、『触れてはいけない狂犬』扱いされています」




 神悟は自嘲気味に笑った。


「だからこそ、です。あの狂犬の伊集院が、血眼になって車を探している。見つけたら懸賞金を出す……そう脅しをかければ、連中は震え上がりながら必死に探すはずです」


 千夏は目を丸くした後、肩を揺らして笑い出した。


「ははっ! 最高に性格が悪い手口だな! あんた、本当にあの情けなかったジジイかよ!」


「君の怒りが移ったのかもしれませんね」


 冷たい夜風が吹き抜ける中、二人は立ち上がった。


 ただ痛みを分かち合うだけの関係は終わった。


 ここからは、互いの武器を使い、互いの敵を討つ。


「まずは私の百万円からだ。準備はいいか、相棒」


「もちろんです。夜明けと共に、轟運送の情報網を動かします」


 どん底に落ちた男女の、静かで熱い反撃の火蓋が切られた。





続く


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