第33話 無敵の激辛ラーメンと、絶望の関所(トイレ)防衛戦
午後一時。
伊集院神悟は、高島平駅前のラーメン店『激辛道場・炎魔』のカウンターで、真っ赤なスープを飲み干していた。
「ぷはぁっ! ごちそうさま!」
神悟は汗を拭い、どんぶりをドンと置いた。
食べたのは、店長も止める裏メニュー『致死量スパイス・地獄の十丁目』。
普段の神悟なら一口で胃が爆発する代物だが、昨日の「超覚醒」による無敵モードがまだ続いていた彼は、アドレナリンに任せて完食してしまったのだ。
(……ふふん、全然平気だ。僕の胃袋は今、鋼鉄でできている……!)
神悟は意気揚々と店を出て、轟運送の2トントラックに乗り込んだ。
午後の配送ルートは、魔の環状七号線。
車を走らせて十分後、渋滞の最後尾に差し掛かった時だった。
……きゅるるるるるるんッ。
神悟の腹の奥底で、何かが「孵化」したような不気味な音が鳴った。
「……え?」
一瞬にして、神悟の顔から血の気が引く。
鋼鉄だと思っていた胃袋は、ただ麻痺していただけだった。大量の激辛スパイスが腸壁を削りながら、猛烈なスピードで出口へと向かって大爆走を始めたのだ。
ギュルルルルルルッ!!!
「ひ、ひぎぃっ……!」
神悟はハンドルに突っ伏した。
前も後ろもトラックだらけ。次のコンビニまで何キロあるかわからない。
そして、この地獄の「便意」は、容赦なくシンクロ回線を駆け抜けた。
――同時刻。イエローマート、レジ打ち。
「お会計、2,450円になりまーす」
早乙女千夏は、昼のピークタイムで長蛇の列を捌いていた。
その瞬間。
千夏のお腹の中で、「悪魔の雷」が落ちた。
……きゅるるるるるるんッ
「……んッ!?」
千夏の動きが、ピタッと止まった。
額から、滝のような冷や汗が噴き出す。
お腹が痛い。いや、痛いというレベルではない。内臓を雑巾絞りにされているような激痛と、今すぐ決壊しそうな「何か」の気配。
(……嘘でしょ。私、お昼まだ何も食べてないのに……!)
千夏は内股になり、プルプルと震えながらレジを打った。
「お、おぢゃえす(お返し)、ごぢゃくえん(500円)になりましゅ……!」
声が裏返り、ろれつが回らない。
ブブブッ。
エプロンのポケットのスマホが震えた。
千夏は隙を見て画面を盗み見た。
『千夏さん! 助けて! 激辛ラーメン食べたら、腸が爆発しそうです! 渋滞で動けません!』
千夏は白目を剥いた。
(あのクソジジイィィィィ!!!)
『てめぇの括約筋の緩みをこっちに転送すんな! 私も今、レジで決壊寸前なんだよ!』
千夏は震える指でフリック入力した。
『絶対に、漏らすな。あんたがそこで力を抜いたら、私もここで社会的に死ぬ』
――環七のトラック車内。
神悟は、運転席でエビのように丸まっていた。
『む、無理です! 関所が破られそうです!』
『諦めるな! 尻の穴に全神経を集中しろ! 私も一緒に締める!』
高島平のスーパーと、環七の渋滞路。
離れた場所にいる二人の男女が、今、人類最大の危機に対して「魂のシンクロ」を果たしていた。
(……締めるんだ!)
神悟は歯を食いしばり、シートの上でお尻を浮かせた。
(……耐えるんだ!)
千夏はレジ台にすがりつき、両足をクロスさせた。
痛覚やアドレナリンだけではない。
彼らは今、「人としての尊厳」を懸けた、極限の共同作業を行っていた。
右足に力を入れれば、相手の右足にも力が入る。
二人の括約筋が完全に同調し、かつてない防御力を生み出していた。
「お、お客じゃま……次の方、ど、どーぞぉ……!」
千夏の顔は青ざめ、息も絶え絶えだったが、鉄壁のディフェンスは崩れない。
やがて――。
「……あ、コンビニ……!」
神悟の視界に、救いの看板が見えた。
同時に、千夏のレジも奇跡的に列が途切れた。
「店長! トイレ!!」
千夏はレジを放り出し、猛ダッシュでバックヤードへ駆け込んだ。
神悟もトラックをコンビニに滑り込ませ、転がるようにトイレへ飛び込む。
ガチャァッ!!
二つの個室のドアが、同時に閉まる。
……数分後。
便座の上で放心状態になっている神悟のスマホが鳴った。
『……生きてるか?』
神悟は、天井を仰ぎ見ながら返信した。
『……ギリギリで、人の尊厳を守り抜きました。君のサポートのおかげです』
『……調子に乗って激辛食ったら、今度こそ殺すぞ』
プラスの感情も、マイナスの感情も、そして生理現象すらも共有してしまう呪いの回線。
無敵の力は、一歩間違えれば「地獄の道連れ」になる。
二人は便座の上で、自分たちが背負ってしまった能力の恐ろしさを、身をもって(そしてお尻をもって)痛感していた。
続く




