↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
31/41

第30話 姑のネチネチ攻撃と、超刺激クエン酸シールド


 夕方。


 伊集院神悟は、イエローマートのレジ前で、早乙女千夏から「ある物」を受け取っていた。


「……千夏さん、これ……?」


「スーパーの棚の端っこでホコリ被ってたやつだ。一個くれてやる」


 神悟の手のひらに乗せられたのは、ド派手なパッケージの飴玉だった。


 商品名『激ヤバ! 限界突破クエン酸・超スッパレモンキャンディ(罰ゲーム用)』。


「あのババア(姑)に嫌味を言われたら、すかさずこれを舐めろ」


 千夏はレジを打ちながら、前を向いたまま小声で言った。


「人間の脳はな、強烈な『物理的刺激』を受けると、精神的ダメージを一時的にシャットアウトする。……あんたが家でメンタル病むと、こっちまで鬱っぽくなって大迷惑なんだよ」


「……なるほど。味覚の暴力で、心の傷を上書きするんですね」


「そうだ。……死なない程度に戦ってこい」




 ――午後八時。高島平団地、伊集院家。


 リビングのソファには、神悟の妻・美津子(51歳)と、その母・芳子(70代)が陣取っていた。


 テーブルには高級な寿司(美津子が神悟の財布から勝手に抜いた金で買ったもの)が並んでいる。


「お義母さん、いらっしゃい……」


 神悟がコルセットを巻いた腰を庇いながらリビングに入ると、芳子の目がスッと細められた。


 開戦のゴングである。


「あら、神悟さん。相変わらず、くたびれた顔してるわねぇ。……轟運送さんだっけ? まだ平社員なの?」


「ええ、まあ……現場が好きなので……」


「現場ねぇ。美津子がパートに出なきゃいけないくらいのお給料で、よく平気な顔してられるわね。甲斐性がないっていうか……男としてのプライドはないのかしら」


 グサッ。


 初手から、心臓を抉るようなストレート。


 妻の美津子も「本当よね、ご近所さんに恥ずかしいわ」と同調している。


 いつもなら、ここで神悟の心は折れ、深い自己嫌悪の底に沈む。


 そしてその「鬱の波動」が、Wi-Fiを通じて千夏に飛んでいくはずだった。


(……今だ!)


 神悟はポケットに手を入れた。


 千夏から託された『限界突破クエン酸キャンディ』の包み紙を、気づかれないように片手で剥き、口の中に放り込む。




 その瞬間。


 ズギュウゥゥゥゥゥン!!!!


 神悟の口の中で、レモン千個分の酸味が大爆発を起こした。


 脳髄が痺れ、こめかみの血管がブチ切れそうになる。


 舌の上の細胞が「助けてくれ」と悲鳴を上げていた。


(すッッッッッぱぁぁぁぁぁぁぁ!!!!)


 神悟の両目から、滝のような涙が噴き出した。


 顔面は梅干しのようにシワシワに収縮し、歯を食いしばり、白目を剥きそうになる。


 腰の痛みも、姑の嫌味も、すべてが「圧倒的な酸味」の前に消し飛んだ。




 ――同時刻。早乙女家、キッチン。


 千夏は、息子の拓也の横で洗い物をしていた。


 突如、口の中に「致死量の酸っぱさ」が広がる。


「……んぐぉっ!?」


 千夏は思わずシンクに突っ伏し、むせ返った。


「母ちゃん!? どうしたの!?」


「だ、大丈夫……。ちょっと、変な虫が……」


 千夏は涙目で口元を押さえながら、ふっと笑った。


(……やりやがったな、あのジジイ。しっかり戦ってんじゃねえか)


 精神的ダメージの「鬱」が送られてくるより、数万倍マシだ。


 千夏は、見えない相棒に向かって、心の中で親指を立てた。




 ――伊集院家。


 姑の芳子は、言葉を失っていた。


 先ほどから嫌味を連発しているのに、神悟が言い訳一つしない。


 それどころか、神悟は一言も発さず、顔面を般若のように歪ませ、大粒の涙を流しながら、芳子の顔を「血走った目」でギロリと睨みつけているのだ。


(本人は酸っぱさに耐えているだけである)。


「な……なによ、その目は……」


 芳子が後ずさった。


「わ、私が悪者みたいじゃないの……! 泣きながら睨むなんて、気味が悪いわね!」


 神悟は声を出せない。口を開ければ、よだれと一緒に酸味が喉の奥に流れ込んで死んでしまうからだ。


 結果として、それは「無言の強烈なプレッシャー」となった。


「……もういいわ! 今日は帰る!」


 芳子はバッグをひったくると、逃げるように玄関へ向かった。


「美津子、あんたの旦那、ちょっと頭おかしいわよ! 狂気を感じるわ!」


 バタン。


 嵐が去った。


 美津子が呆然と立ち尽くしている。


「……あなた、お母さんに何て態度とるのよ……」


 だが、まだ「クエン酸の地獄」から抜け出せない神悟が、鬼の形相のまま振り返ると、美津子も「ヒッ」と短く悲鳴を上げて、寝室に逃げ込んでしまった。




 静まり返ったリビング。


 残されたのは、高級寿司と、涙とよだれで顔をぐしゃぐしゃにした54歳の男。


 神悟はようやくキャンディを噛み砕き、ゼェゼェと肩で息をした。


 ブブブッ。


 スマホが震えた。


 『……無事か、クソジジイ。こっちの舌が溶けるかと思ったぞ』


 千夏からだ。


 神悟は、誰もいなくなったリビングで、寿司を一つ口に放り込みながら返信した。


 『……勝利しました。僕は三十年ぶりに、ノーダメージで義母を撃退したんです』


 『最高のシールドでした。ありがとう、相棒』


 寿司の味は、まだクエン酸のせいで全く分からなかった。


 それでも、神悟の心は、ここ数十年で一番晴れやかだった。




続く


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。