第28話 地獄のラジオ体操と、朝礼台の独演会
翌朝、午前八時。
伊集院神悟は、轟運送の敷地内に立っていた。
愛車のママチャリは、振動で腰が爆発するため使用不可。
杖代わりのビニール傘を突きながら、片道15分の道のりを40分かけて歩いてきたのだ。
すでに汗だくである。
(……痛い。立ってるだけで脊髄が悲鳴を上げている……)
今は、全ドライバーが整列する「朝礼」の真っ最中。
目の前では、権田所長が朝から血管を浮かせて怒鳴っている。
「いいかお前ら! 最近たるんでるぞ! 安全確認がおろそかだ! 特に……」
ピリピリとした空気。
神悟は最後列で、石像のように固まって気配を消していた。
動けば腰が死ぬ。そして目立てば権田に絡まれる。
ダブルのリスク回避のため、彼は「無」になっていた。
――同時刻。早乙女家、リビング。
早乙女千夏は、仁王立ちしていた。
腰には、息子の野球用のベルトを何重にも巻きつけている。
「……痛いからって動かないと、筋肉が固まって余計に治らねぇんだよ」
千夏は、元ヤン特有の「荒療治理論」を発動させていた。
医者が聞いたら卒倒する発想だが、彼女の目は本気だ。
「やるぞ。……『ラジオ体操・第一』!!」
千夏がYouTubeで動画を再生した。
軽快なピアノのイントロが流れる。
チャン・チャ・カ・チャン・チャン……♪
『さあ、背筋を伸ばして~!』
千夏が気合を入れた。
その瞬間、Wi-Fi回線に、かつてない強度の「強制運動命令」が送信された。
――轟運送、朝礼広場。
ビクッ!!
突然、神悟の背筋が、軍人のようにピンと伸びた。
(……え? なに?)
『まずは、腕を前から上にあげて、背伸びの運動~!』
千夏が勢いよく両腕を振り上げた。
――朝礼中の神悟。
ブォンッ!!
神悟の両腕が、本人の意思を無視して、ロケット発射のように垂直に跳ね上がった。
静粛な朝礼で、一人だけ「万歳」をした形だ。
「……あ?」
前列にいた同僚が振り返る。
「い、いや、その……」
神悟は冷や汗をかいた。下ろそうとするが、腕がロックされて下がらない。
『腕を振って、足の屈伸の運動~!』
千夏がリズミカルに膝を曲げ伸ばしする。
――朝礼中。
ヒョコッ! ヒョコッ!
神悟は、真剣な話をしている権田所長に向かって、満面の笑み(ひきつった顔)で高速スクワットを始めた。
完全に「煽り」だ。
「おい伊集院!!」
権田が気づいた。「貴様、人が話してる時に何をふざけて……」
『次は、腕を回す運動~!』
千夏がグルグルと腕を回す。
神悟の両腕が風車のように回転し、隣に立っていた若手社員の背中をバシバシ叩いた。
「いってぇ! 何すんすか伊集院さん!」
「ち、違う! 呪いなんだ! 離れろ!」
『体を横に曲げる運動~!』
グキィッ!!
神悟の上半身が、ありえない角度で真横に折れた。
腰に激痛が走る。「あぎゃあぁぁ!!」
「き、貴様ぁ……!」
権田が演台を降りて、神悟の方へ歩み寄ってくる。
ヤバい。殺される。
『やめろ千夏さん! 今すぐ止まってくれ! 所長が来る! 社会的に死ぬ!』
神悟は心の中で絶叫した。
だが、今の千夏は「健康ゾーン」に入っている。止まらない。
『体を前後に曲げる運動~!』
ドゴォッ!!
神悟の頭突きが、前のめりになった勢いで、詰め寄ってきた権田の鳩尾に綺麗に入った。
「うぐっ!?」
所長が崩れ落ちる。
静まり返る敷地内。
だが、地獄のクライマックスはここからだ。
『最後は、両足で跳ぶ運動~!』
「よし、ラストだ!」千夏が思い切りジャンプした。
――朝礼広場。
神悟は、うずくまる権田所長の目の前で、「大ジャンプ」を敢行した。
ドッガァァァァァァン!!!
着地の衝撃が、爆弾を抱えた腰を直撃する。
神悟は白目を剥き、そのまま権田の上に覆いかぶさるように倒れ込んだ。
「あぐ……っ……」
シーン……。
鳩尾を押さえる所長と、腰を押さえてピクピクしている神悟。
重なる二人のオッサン。
もはや事故現場だ。
「……き、救急車ぁぁーー!!」
事務員の悲鳴が響き渡る。
――早乙女家。
「ふぅ……」
千夏は汗を拭い、腰を回した。
「おっ、なんか軽くなった気がする。やっぱ動かさねぇとな!」
爽快な朝。
一方、轟運送の敷地内では、担架に乗せられた54歳の男が、遠くの空を見つめて涙を流していた。
解雇通知か、労災か。
神悟の運命は、千夏の健康と共にあった。
続く




