↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
28/49

第27話 午前二時の寝返りミッションと、孤独な天井


 深夜、午前二時。


 世界は静まり返っていたが、二人のベッドの上だけは戦場だった。


 伊集院神悟は、自宅のベッドで仰向けのまま、脂汗を垂らしていた。


 隣では妻の美津子が背中を向けて寝息を立てている。


 彼女は、夫が呻き声を上げても「うるさいわね、明日は早いのよ」と一蹴し、耳栓をして寝てしまった。


(……痛い。腰が……コンクリート詰めされたみたいだ……)




 同じ姿勢で四時間。


 血流が止まり、背中とお尻の感覚がない。


 寝返りを打ちたい。右を向きたい。


 だが、腰には爆弾がある。ほんの数ミリ動かすだけで、脊髄に雷が落ちる。




 ブブブッ。


 枕元のスマホが震えた。


 早乙女千夏からだ。


 『おい。起きてるか?』


 『背中が腐りそうだ。右を向きたい』


 神悟は、わずかに動く親指だけで返信した。


 『奇遇ですね……僕も限界です。お尻の感覚がありません』


 『でも、一人で動くのは危険すぎます。……協力しましょう』


 千夏からの返信は早かった。


 『プランは?』


 『シンクロ・ローリング作戦です』


 『僕たちが同時に、同じ方向(右)に寝返りを打つことで、痛みの衝撃を分散……はできませんが、精神的な支えにはなります』


 『あと、タイミングを合わせないと、片方が不意打ちで死にます』


 『……わかった。カウントしろ』




 午前二時十分。


 高島平の団地(神悟の家)と、そこから数キロ離れたアパート(千夏の家)。


 二人の男女が、それぞれの闇の中で、決死の覚悟を決めた。


 目標:右側面への回頭。


 リスク:脊椎の崩壊、および激痛による絶叫(家族が起きる)。


 神悟がカウントダウンのスタンプを送る。


 『3』


 千夏が息を吸い込み、腹筋に力を入れる。


 『2』


 神悟がシーツを握りしめ、足の指を突っ張る。


 『1』


 全身の筋肉を連動させ、腰を浮かさずに回転力を生む。


 『GO!!』


 瞬間。


 二人は同時に、掛け布団ごと体を捻った。


 ゴロンッ!!


 「んぐぎぃぃぃぃぃっ!!!!」


 「ふぐぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!」


 声にならない悲鳴が、それぞれの寝室の天井に吸い込まれていく。


 痛い。死ぬほど痛い。腰の中で乾燥したパスタが束ごと折れるような感覚。


 だが、二人は止まらなかった。勢いを殺せば、そこで動けなくなる。


 地獄の半回転。


 ……静寂。


 神悟は、右向きになっていた。


 千夏も、右向きになっていた。


 ハァ、ハァ、ハァ……。


 荒い呼吸だけが響く。


 成功だ。新しい景色(壁)が見える。




 ブブブッ。


 スマホが震える。


 『……生きてるか?』


 『……なんとか。……三途の川で、亡くなったお婆ちゃんが見えました』


 『……私もだ。……でも、背中の血が通い始めた』


 神悟は、スマホを握りしめたまま、ふと奇妙な感覚に襲われた。


 今、自分は右を向いている。


 千夏さんも、右を向いている。


 遠く離れた場所にいるのに、まるで「同じベッドで、背中合わせに寝ている」ような錯覚。


 背中に、ほんのりと他人の体温(のような幻覚)を感じる。


 いつもなら「気持ち悪い」と思うはずだ。


 でも、今夜だけは。


 妻に背を向けられ、孤独に耐えていた夜だけは。


 『……おやすみ、相棒』


 神悟が送ると、すぐに既読がついた。


 『……寝ろ。明日も地獄だぞ』


 ぶっきらぼうな返信。


 でも、神悟は少しだけ口元を緩め、目を閉じた。


 腰は痛いが、心は静かだった。


 「痛み」を共有してくれる誰かがいるだけで、人間はこんなにも安心して眠れるのか。


 ……翌朝。


 その「安心」が、最悪の勘違いを生むことになるとも知らずに、二人は深い眠りに落ちていった。




続く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。