↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
18/45

第17話 熱湯コマーシャルと、地獄のナイロンタオル


 午後九時。


 伊集院神悟(54歳)は、唯一の安息の地である浴室にいた。


 服を脱ぎ捨て、鏡に映るだらしない腹を見る。メタボだ。重力に完全敗北した皮膚が、悲しげに垂れ下がっている。


「……ふぅ。よし、入ろう。今日の禊(みそぎ)を済ませよう」


 神悟は浴槽に足をかけた。


 彼にはこだわりがある。


 それは、「湯温46度」という、ほぼ熱湯に近い激アツ風呂に入ることだ。


 年寄りは熱いのが好きだ。皮膚感覚が麻痺しているからではない。こうでもしないと、冷え切った心が温まらないからだ。


 ザブゥゥゥン……!!


「あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜〜……」


 神悟は断末魔のような声を上げて、肩まで浸かった。


 全身の毛穴という毛穴が開き、血管がドクドクと脈打つ。


「極楽……これぞ日本のサラリーマンの死に場所……」




 その時。


 遠く離れた場所で、悲劇は起きた。


 同時刻。早乙女家。


 千夏は、シャワーを浴びようと浴室に入ったところだった。


 まだ服も脱いでいない。パジャマを用意しようとした、その瞬間。


 ジュッ!!!!


 千夏の全身を、見えない「熱湯」が包み込んだ。


「ぎゃああああああ!!!」


 千夏は浴室で絶叫した。


 熱い! というか痛い! 皮膚が溶ける!


 ダチョウ倶楽部も裸足で逃げ出すレベルの熱波が、いきなり全身を襲ったのだ。


「な、なに!? 火事!? 私燃えてる!?」


 千夏はパニックになって自分の体を見た。燃えていない。服も着ている。


 だが、感覚だけは完全に「釜茹での刑」だ。


「……ハッ!」


 千夏は気づいた。この殺人的な熱さ。


 あのジジイだ。あのクソジジイが今、熱湯風呂に入りやがったんだ。


「ふざけんな……!死ぬわボケェ!!」


 千夏は怒りで震えた。


 このままではのぼせる。いや、茹で上がる。


 やられたら、やり返す。それが高島平の流儀だ。


 千夏はシャワーの蛇口を捻った。


 温度設定は、「水(Cold)」。


 ザァァァァァッ!!


 千夏は服を着たまま、頭から冷水を浴びた。


 真冬の水道水。その水温は、ほぼ氷水に近い。




 一方、神悟。


「あ〜、いい湯だなぁ〜」と鼻歌を歌いかけた瞬間。


 ヒュンッ!!!


「ひいぃぃっ!?」


 神悟は湯船の中で跳び上がった。


 寒い! 冷たい! 痛い!


 体は熱湯に浸かっているのに、感覚だけが「極寒の滝行」に放り込まれたのだ。


「な、なにこれ!? 寒い! でも熱い! 体温調節機能がバグった!?」


 神悟はパニックになり、湯船から出ようとしたり、また戻ったりと、一人で熱湯コマーシャルみたいな動きを繰り返した。


 だが、地獄はこれからだった。


 千夏は冷水を浴びながら、鬼の形相で「あるもの」を手にした。


 彼女の愛用する、ボディスクラブ(塩入り)だ。


 本来は優しくマッサージするものだが、今の千夏には武器に見えた。


「……肌、弱そうだったな。あのジジイ」


 千夏は自分の腕に、粗塩入りのスクラブを塗りたくり、親の仇のようにゴシゴシと擦り始めた。




 ギャァァァッ!!


 神悟の二の腕に、激痛が走った。


「いったぁぁ!! 何!? ヤスリ!? 誰か僕の腕をヤスリで削ってる!?」


 神悟は涙目で浴室を見回した。誰もいない。


 だが、二の腕の皮がベロンと剥がれるような痛みが止まらない。


「お、お返しだ……!」


 神悟は震える手で、愛用の「男の硬めナイロンタオル(超ハード)」を手に取った。


 コンクリートでも磨けそうな、ガサガサの青いタオルだ。


「僕の乾燥肌を舐めるなよ……!」


 神悟はナイロンタオルに石鹸もつけず、乾いたままの背中に回し、全力で摩擦を開始した。


 ジョリッ! ジョリジョリジョリッ!!




「あだだだだだ!!!」


 早乙女家の浴室で、千夏がのけぞった。


 背中が! 背中の皮が千切れる!


「な、なんなのよあのジジイ! 金タワシでも使ってんのか!?」


 千夏のきめ細かい背中の皮膚に、オッサンのナイロンタオルの感触がダイレクトに伝わる。


 もはや拷問だ。


「やめろぉぉぉ! 私の背中はデリケートなんだよぉぉ!」


 千夏は叫びながら、さらに冷水をかぶる。




「ひぃぃぃ! 寒い! 心臓止まる!」


 神悟は叫びながら、さらに熱湯に肩まで浸かる。


 熱湯と冷水。


 塩スクラブとナイロンタオル。


 二つの浴室で、全裸の男女が一人で叫び、のたうち回り、自分自身を痛めつけ合う。


 「パパ? 大丈夫? ……なんか、叫んでるけど」


 「パパ? 開けていい?」


 それぞれの脱衣所の外で、家族が不審そうに声をかける。



「入ってくるなァァァ!!!」


 二人の声が、奇跡のハモリを見せて重なった。




 十分後。


 風呂上がりの二人は、共に真っ赤な顔(のぼせた神悟と、冷えて擦りすぎた千夏)で、スマホを睨みつけていた。


 千夏からの送信


 『次、40度以上に設定したら殺す。あとその大根おろしみたいなタオル燃やせ』




 神悟からの返信


 『冷水やめてください心臓止まります。あと腕をヤスリで削るのやめて。塩? 塩塗ったの? ナメクジなの?』


 清潔になるはずのバスタイムで、二人は満身創痍になっていた。




続く


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。