第97話 番号
ブロックBの扉が開いたのは、ケイがナバから戻った日の夕方だった。
接続部の最後のボルトを、若い保守員が締めた。ケイは廊下の角で、腕を組んで見ていた。蓋裏に、保守員が日付と型番を書く。ケイの字によく似た字だった。書き終えてから、保守員はテツを呼び、テツが蓋裏に署名した。
扉の向こうは、客船の廊下だった。丸窓が等間隔に並び、壁には客室の番号札がまだ残っている。カノンのロゴの剥げ跡。避難艇ラックの赤い表示灯が、廊下の天井で順に点いていく。
最初に入ったのは、キサから乗継で来て、そのまま帰れなくなっていた家族だった。運休の前の最後の便で来て、泊まる部屋を探していた四人。父親が客室の扉を開けて、中を覗き、振り返った。
「番号が、付いたままだ」父親は、扉の真鍮の札を指で叩いた。客船の頃の部屋番号だった。
「剥がす?」ユイが聞いた。
「いや」父親は、札の縁を指で撫でた。「覚えやすい。船の部屋に住むのは、初めてだ」
床のテープが、ブロックBの廊下へ延びた。ユイが膝をついて貼っていく。黄色が、丸窓の下を一区画ずつ進んだ。居住は、この夕方だけで百二十人近く増えて、七百を越えた。ケイの頭の中の数は、そこで止まった。数える前に、避難艇の表示灯を、廊下の端から端まで目で追った。全部、緑だった。
廊下の突き当たりに、ひときわ大きな丸窓があった。客船の頃は展望の窓だったのだろう。縁の真鍮が、手の触れる高さだけ擦れて明るい。そこに、サエの子が張りついていた。額を硝子に付け、両手を窓の縁に掛けて、外を見ている。外には、修理ベイから出てきたハチが、ブロックの外壁沿いに灯りを流していた。若い保守員の試運転だった。
「ここ、ハチが一番よく見える」子供は振り返らずに言った。
「修理ベイの窓のほうが近い」ケイは言った。
「近いと、全部見えない」
子供は窓の縁から片手を離して、外のハチに振った。ハチの中の保守員には、たぶん見えていなかった。子供はそれでも、もう一度振った。ケイは真鍮の擦れた縁に手を置いてみた。自分の手より、ずっと低い所が擦れていた。この窓の前には、何年も、子供の背丈の誰かが立っていたのだった。
* * *
ラズは、倉庫Bの床にいた。
コロの外壁と倉庫Bの床は、ラズの会社の回収品の一時置き場として貸してある。前払いで、決めた値で。床の上には、札を付けた部品が、会社の規則どおりの間隔で並んでいた。その端に、ケイの工具箱があった。修理ベイから廊下を経て、今朝、ここまで流れ着いた物だった。
「あなたの箱が、うちの在庫に混ざっています」ラズは札の束を持ったまま言った。「在庫表に載せると、値が付きますが」
「付けるな」
「付けません」
ケイは工具箱の横にしゃがんだ。ロクの事務室の話を、短くした。写真を裏返されたこと。番号のこと。ラズは最後まで、札の束を揃えながら聞いていた。
「ロクさんは、正しい人です」ラズは言った。「正しいので、遅い」
「あんたは、ミノスを知ってるな」
「知っています。業界の人間は、みんな知っています」ラズは札の束を床に置いた。「あの人の部品は、うちの半値で出回っています。書類の付いていない部品は、安い。安い部品が出回ると、書類を付けて、税を払って、保険を掛けて回収している会社の値段が、崩れます。今期、うちの部門の数字は、あの人のせいで二割痩せました」
「なら、証言してくれ」
「しません」ラズは即座に言った。「あの人から部品を買っている整備所の中に、うちの取引先が三つあります。私が裁定の席に立てば、その三つは、二度とうちと取引しない。部門の数字は、二割では済まなくなります」
「譲らないな」
「私の欲は、私の会社の値段です。あなたの航路灯ではありません」ラズは悪びれずに頷いた。「その代わり、一つだけ、業界の人間なら誰でも知っていることを、お教えします」
ラズはケイの工具箱の把手を掴み、蓋が開かないのを確かめてから、裏返した。箱の底が上を向いた。四隅の脚と、中央の補強の格子。ラズの指が、箱の底の一点を叩いた。
「これが航路灯の台座だとします。刻印の札は、ここ。札は、切ったその場で外して捨てます。誰でもそうする」指が、四隅の脚の一本へ移った。「ですが、脚にも番号が直に打ってある。灯室の内側にも。こちらは、磨かないと消えない。売る前に、必ず磨きます。刻印の残った部品は、誰も買いません。磨くのは、売る直前。港に持ち込む直前です」
「なら、今は」
「今は、まだ残っている物があるはずです。刻印が一番長く残っている場所は、切った本人の船の上です。売る先が決まるまで、船倉に寝かせておく。あるいは」ラズは箱の脚を、指で一本ずつ弾いた。「使える形の鋼は、自分の道具に作り替える。回収屋はそうします。台座の脚は、いい鋼です。鉤の軸くらいには、なる」
ケイは、ラズの指の下の、箱の底を見た。自分の箱の底を、こんなふうに見たのは初めてだった。錆びた脚の一本に、昔の持ち主の番号が、うっすら残っていた。
ラズは箱を元に戻した。蓋の角を、床の線に合わせて置いた。
「あの男の船に、あなたは登れますか」
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