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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第8章 この航路は渡さない

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第96話 証拠がない

 巡視艇の事務室は、ナバの港湾棟の上の階の、窓のない部屋だった。


 ケイはポルカの客席に座ってナバまで来た。ハチは置いてきた。客席の背もたれは、ケイの肩より指二本分低く、半日の間、首の後ろが落ち着かなかった。隣の席では、キサへ帰れなくなった鉱夫が、切符を指で折ったり伸ばしたりしていた。


 事務室の前の廊下には、長椅子が一本あった。回収屋が何人か、許可証の更新を待っていた。作業着の膝が、みな同じ所で抜けている。一人は掌に、索で焼いた白い筋を何本も持っていた。ケイが写真の封筒を持って座ると、男たちの目が封筒へ行き、それからケイの靴へ行った。安全靴の爪先に、黄色の塗料が跳ねている。一人が、隣に何か耳打ちした。黄色い艇の、と聞こえた。


 机の上には、書類の山が、角を揃えて積んである。山と山の間に、ちょうど写真二枚分の隙間が空いていた。ロクは四十過ぎの男で、髪を短く刈り、制服の袖を肘まで捲り、左の手首に古い型の時計を巻いていた。文字盤の硝子に、細い傷が一本入っている。


「どうぞ」ロクは隙間を指で示した。「置いてください。持ってこられた物は、全部見ます」


 ケイは写真を二枚、並べた。


 一枚目は、ナバ線の、最初に消えた航路灯の台座だった。四本の脚を、同じ高さで切り取った跡。切断面が、ハチの灯りを鏡のように返している。二枚目は、カノンの主機ブロックがあった場所の、巨大な空洞の縁。こちらの切断面も、同じように灯りを返していた。切り口の端に、刃が抜けるときに残す小さな返りがある。二枚とも、返りは右下に、同じ角度で跳ねていた。


 その横に、採取袋を置いた。マズルカの外板から削いだ、白と緑の塗膜。


「同じ手だ」ケイは言った。「同じ刃で、同じ人間が、同じ癖で切ってる。返りの向きで分かる。この切り方ができる奴は、この辺りに何人もいない」


 ロクは写真を一枚ずつ、手に取らずに見た。顔を近づけ、返りの角度を目で追う。見る時間は長く、ケイの言ったことを順に確かめる目だった。


「きれいな切り口ですね」ロクは言った。「私も、そう思います。腕のいい人の仕事です」


「なら」


「この管区で、同じ型の切断器を登録している回収業者は十一社あります。そのうち、これだけきれいに切れる操作手がいる会社を、私は四つ知っています」ロクは時計の傷を、親指の腹でなぞった。「ガルムの位置記録では、灯が消えた夜、あの船はガラ場の反対側で作業中でした。記録と写真が食い違うとき、私は記録を取ります。写真は、誰にでも撮れますから」


「記録は、いじれる」


「いじれます。いじったと証明できれば、それは立派な証拠です」


 ケイは採取袋を、ロクの手元へ押し出した。「マズルカに当たったのは、カノンの板だ。カノンの外板を剥いだのは、あいつの船団だけだ。下見の日に、俺が見てる」


「カノンの外板を剥いだ人は、いまは誰もいません」ロクは採取袋を、押し返しもせず、受け取りもしなかった。「回収権が決まる前に剥がされた板は、書類の上では、漂流物です。漂流物が航路に流れて、船に当たった。それは事故です。事故の報告は、受け取ります」


「事故じゃない」ケイは、ポケットから索の端を出して、採取袋の横に置いた。「板に重りが結んであった。向きを揃えて、影が見えない角度で止めてあった。流れてきた板に、誰が重りを付ける」


 ロクは索の結び目を見た。指で摘まみ、切り口を灯りに向け、置いた。


「報告書に書きます。重りの付いた板が二枚、航路上にあった。ケイ・アサノ氏が除去。結び目は回収業者に多い型」ロクは淡々と言った。「回収業者に多い型の結び方をする人は、この管区に四百人ほどいます」


「それでも、私の机の上では、事故です」ロクは初めて、ケイの目を見た。「あなたの言うことが、たぶん正しい。そう言っておきます。ですが、たぶん正しいことで人の船を差し押さえたら、次の日から、この管区の回収屋は全員、私の顔色を見て仕事をします。それは、困ります」


 机の下で、ケイの指が膝を掴んだ。道具があれば、何かを締めるか、外すかしていた。手の中は、空だった。


「職人の目は、証拠になりません」ロクは写真の端に指を置いた。「あなたの目がいいのは分かります。分かるのは、私だけです。裁定の席で、あなたの目を回して見せることはできない」


「じゃあ、何を持ってくればいい」


 ロクは、二枚の写真を見た。それから、二枚とも裏返した。光る切断面が、白い裏紙に変わった。読み終えた書類を伏せる、いつもの手つきだった。


 ロクは机の引き出しから、名刺ほどの紙を一枚出した。手書きで、番号が四つ並んでいた。一行目がナバ線の一基、下の三行がキサ線の三基。消えた四基の番号だった。それぞれの灯が消えた翌朝の日付と、ロクの署名が添えてある。


「届けは、あなたが来る前に出してあります。消えた物の番号は、私が持っている。足りないのは、その番号が、どこにあるかです」


「持ってきていただくのは、番号です」ロクは紙をケイの前に置いた。「刻印のある物。航路灯には、刻印の札のほかに、灯室の内側と、台座の脚に、管区の番号が打ってあります。その番号の付いた物が、誰の手の中にあったか。それなら、私は動けます。夜中でも」


 ケイは紙を二つに折って、胸のポケットに入れた。写真は、裏返されたまま机に残した。


読んでいただきありがとうございます!

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