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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第8章 この航路は渡さない

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第95話 汚れた航路

 マズルカの外板に、白い線が一本、斜めに走っていた。


 新しい口の接岸環に船が付いたとき、ケイはハチで船腹へ回り込んでいた。灯りを当てる。線は客室の窓の列の下を、船首寄りから船尾へ、長さにしてハチ二台分ほど続いていた。深さは、爪で引っかければ段が分かる程度。外装は抜けていない。線の中に、白い塗料が擦り付けられている。マズルカの外板は灰色だった。


 白は、カノンの色だった。


「客室は」ケイは通信に言った。


「全員、座ってた。ベルトもしてた」ヨキの答えは、いつもどおり短かった。「揺れたのは一度。棚の荷が二つ落ちた。怪我はない」


「当たったのは」


「板だ。一枚。灯の消えた区間の、真ん中あたり。灯がないから、影が見えるのが遅れた」


 ハチの指で、線の端に残った白を、薄く削いで採った。塗膜の下に、客船の外装に使う下地の緑が一層、挟まっている。ケイはそれを採取袋に入れて、封をした。カノンの横で何度も見た外板の縁と、同じ層の重なり方だった。剥がして、捨てた板だった。灯の消えた区間に。


 降りてきた客たちは、いつもより静かだった。キサの鉱夫の一人が、廊下の途中で振り返って、マズルカの窓を見た。子供を抱いた女が、足早に食堂へ入っていった。ユイが受付の机で、名簿に一人ずつ印を付けている。印の横に、今日だけ小さな字で「異常なし」と書き添えていた。


     * * *


 灯の消えた区間は、コロから一時間半の所にあった。


 ケイはハチの灯りを全部点けて、航路の線の上を這うように進んだ。右の灯の輪の中に、板が一枚、入ってきた。白い外板。カノンの物だった。畳四枚分ほどの大きさで、縁のリブが二本、折れ曲がって突き出ている。回っていなかった。漂ってきた板なら、ゆっくり回っているはずだった。この板は、面を航路の線に対して斜めに立てて、止まっていた。


 ハチの右の爪で、板の縁を掴んだ。重い。リブの先に、細い索が一本、結んである。索は闇の奥へ伸び、その先に、小さな重りが付いていた。板が回らないように、向きを固定する重り。船の窓から、いちばん影の見えにくい角度だった。もう一枚、左の灯の輪の中にあった。同じ角度だった。


 ケイは二枚とも索を切り、航路の外へ押し出した。押し出しながら、手の中の索の結び目を見た。解けにくい、回収屋の結び方だった。結び目の尻が、きれいに切り揃えてあった。


 流れてきた石の顔をして、置かれた石だった。


     * * *


 ポルカの操舵室は、客のいない時間でも、椅子が全部同じ向きに揃っていた。


 エマは操舵輪の脇に立ち、航路図の画面を指で拡大した。ナバからの線のナバ寄りに、灰色の点が一つ。キサからコロへ伸びる線の途中に、灰色の点が三つ、並んでいる。消えた航路灯の位置だった。一つ目がナバ線から消えたのは、ひと月半前。キサ線の三つは、この五日で消えた。灰色の点の間だけ、線がかすれて見えた。


 ケイは操舵盤の縁に、切ってきた索の端を置いた。結び目が付いたままの、指一本ほどの長さ。エマはそれを摘まみ上げ、結び目を灯りにかざした。


「重りで、向きを揃えてあった。二枚とも、窓から影が一番見えない角度に」


「流れてきたんじゃないのね」


「置いてある。まだ、他にもあるはずだ。灯のない区間は長い」


 エマは索を操舵盤に戻した。戻すときに、結び目を指で一度、撫でた。


「キサ線の乗継は、今日の便で止める」


 ケイは、画面の灰色から目を上げた。


「止めたら、キサの客が来ない」


「来ない」エマは頷いた。「医者の日に来るはずの人も、来ない。ホタの荷は、ガボットだけで回すから、半分になる。あなたの港の数字は、今月、下がる」


「灯なら、代わりを置ける。仮の灯を、ハチで」


「仮の灯を、誰が見張るの」エマは画面から手を離した。「あの人は、灯を台座ごと持っていく人よ。仮の灯を置けば、仮の灯がなくなる。なくなったことに、次の船が気づくのは、また板に当たってから」


 言い返す物が、ケイの手にはなかった。エマの言うことは、全部、物の話だった。


「ヨキは、どう言ってる」


「ヨキは船を出すと言ってる。出したいのよ、あの人は。客が待ってるから」エマは窓の外の、マズルカの白い線を見た。「だから、私が止める。乗継表を書いたのは私だから、止めるのも私。ヨキの名前で止めさせたら、ヨキはキサで、客に顔向けできない」


 ケイは操舵室の床を見た。ポルカの床は、何年分もの靴で、操舵輪の前だけが薄く凹んでいた。エマがいつも立つ場所だった。


「ミノスに払えば、明日から灯のない区間でも、板は浮かない」


 言ってから、自分の口から出た言葉の重さに、ケイは顔をしかめた。払う気はなかった。ただ、一番早い道を、声に出して確かめたかった。エマは、それを分かっていて、顔色を変えなかった。


「払えば、明日から、あの人は灯の値段を決める人になる。キサの値段も、ホタの値段も」エマは航路図を閉じた。「運休は私が決める。あなたの港のためじゃない、私の客のため」


読んでいただきありがとうございます!

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