第91話 七隻で曳く
ブロックAの最後の一点は、背骨の下側、継ぎ目の奥にあった。
太いボルトが一本、ブロックと背骨を貫いている。ほかの留め具は、この十日で全部外した。ブンが継ぎ目を測り、コマが細かい金具を外し続け、トレイの船が剥がした部材を積んで二往復した。残圧容器は、二つ目をテツが抜いた。ヴィクはコロに残り、回線の向こうで、テツが書式の欄を埋めるのを黙って見ていた。
「針、零です。十分、待ちました。戻ってきません」テツの声は、筆記の廊下で聞いたときより低かった。「署名します」
「書きな」ヴィクが言った。「立会いは、私が回線で。下の欄、空けときな」
署名は、一番下にヴィクの名前が入って、閉じた。
今、ブロックAを支えているのは、そのボルト一本だった。ケイはハチを継ぎ目の前に止めたまま、ブロックの丸窓の一つを覗いた。大広間の時計が、あの日と同じ夕方の時刻を指していた。浮いた椅子の一脚が、窓のすぐ内側まで流れてきて、背もたれでガラスを軽く叩き、また離れていった。
「位置」ケイは言った。七隻の窓が、回線に並んだ。
タルクの重曳航艇は、ブロックAの真上にいた。巨大な鉤を四つ、ブロックの吊り点に掛けて、索を張っている。卓の上で、あの鉄の環を置いた場所だった。ボウは、ブロックの船首側の端に、長い索を斜めに張っていた。切り離した瞬間の振れを、その索で殺す。トレイの船は、背骨の反対側で、外した部材の最後の束を抱えて待っていた。リレーの給電艇は、索の届かない位置から、ハチとヤットコとカンナの電気を見ている。ヤットコは継ぎ目の右端、カンナは左端。どちらの艇も、腕の先に、自分の道具を握っていた。
ハチは、継ぎ目の真ん中にいた。背後に、カノンの骨が白く伸びている。主機のあった船尾の空洞は、灯りを向けなくても、星の抜けた黒い穴として見えた。その向こうに、管轄の巡視艇が一隻、灯りを点けて浮いていた。ロクが、立会いを引き受けていた。
「回収権に基づく切り離し。記録を始めます」ロクの声が回線に入った。「私は見ているだけです。手伝いはしません」
「見ててくれ」ケイは言った。「それで足りる」
さらに遠く、ガラ場の暗がりの奥に、灯りが一つあった。作業灯の灯りだった。動かなかった。見ているだけだった。
「ブン」ケイは継ぎ目の左端へ灯りを振った。
「開いてない。ずれてない」老人の声が、継ぎ目の左端から来た。「ボルトの周りだけ、紙一枚分、背骨側に寄ってる。切ったら、ブロックは、そっちへ一度戻る」
「どっちだ」
「背骨から離れる前に、一度、背骨にぶつかる向きだ」ブンは隙間計りの一枚を、継ぎ目から抜いて見せた。一番薄い一枚だった。「この船を繋いだ奴は、ボルトを締めるとき、ブロックを背骨に押しつけてから締めた。昔は、皆そうした。締めた奴は、切る奴のことを考えてない」
「考えてくれてたら、楽だった」コマが言った。
「考えてたら、この船は四十年も持たなかった」
ケイは頭の中で、ブロックの動きを描いた。ボルトが切れる。ブロックは、紙一枚分、背骨へ寄る。寄った反動で、離れる。離れるときに、船首側が振れる。振れはボウの索が殺す。背骨へ寄る一瞬を、誰かが押さえなければ、継ぎ目の縁が背骨を擦る。擦れば、ブロックAの外壁に亀裂が入る。
押さえるのは、ハチの腕しかなかった。右で、ボルトを切る。左で、ブロックの縁を押さえる。
左は、半拍遅れる。今日が、遅れる左で働く最後の日になるかもしれなかった。まだ誰にも言っていない。
「タルク、張りを一段上げてくれ。持ち上げない。張るだけ」
「張った」
「ボウ、索はそのまま。俺が合図したら、一度だけ緩めて、すぐ戻す」
「一度だけね」サワが言った。「二度やったら、請求を二倍にする」
「コマ、ブン。切った瞬間に、継ぎ目の両端を見てくれ。擦ったら、声を出せ」
「出す」コマが言った。
「出す」ブンが言った。二つの声が、今度は同じ言葉で重なった。
ケイは右の爪に、切断具を握らせた。コマに借りた物だった。握りのゴムが、コマの手の形にへこんでいる。ハチの爪には合わなかったが、刃は鋭かった。刃をボルトの首に当てた。
左の爪を、ブロックの縁の、一掌手前に置いた。触れさせない。触れる寸前で止める。
それから、左に、先に命令を出した。押せ。縁を、背骨から離す向きへ、指二本分。
命令が、座席の裏の管を通って、腕へ向かう。泡を潰しながら。半拍。
ケイは、半拍を数えなかった。数える代わりに、息を一つ吐いた。吐き終わる前に、右の刃を引いた。
刃がボルトを抜けた。手応えが、指先から消えた。ブロックAが、紙一枚分、背骨へ寄った。寄った縁の、ちょうどそこへ、左の爪が届いた。遅れて出した腕が、遅れた分だけ、ぴったりの場所にいた。爪が縁を受け、押し返した。指二本分。ブロックは背骨に触れずに、向きを変えた。離れた。
「ボウ、今」
「緩めた。戻した」サワの声と同時に、船首側が振れかけて、止まった。
「擦ってない」コマが叫んだ。
「擦ってない」ブンが言った。
「ブロックA、背骨から分離」ロクの声が、平らに言った。「記録しました」
「タルク、持ち上げる。ゆっくり」
「ゆっくりしか、できない」
ブロックAが、背骨から離れていく。ゆっくりと。巨大な白い箱が、丸窓の列を星に向けたまま、何十年もぶら下がっていた場所から、音もなく浮き上がっていく。タルクの索が四本、同時に張った。重曳航艇の船体が、低く唸った。ケイは座席の中で、それを見上げた。
七隻の灯りが、一つの形になっていた。タルクの白い作業灯が上から、ボウの黄色い灯が船首から、トレイの灯が背骨の向こうから、リレーの緑の標識灯が索の外から、ヤットコとカンナの小さな灯が継ぎ目の両端から、それぞれの索と腕で、白いブロックを囲んでいる。どれか一つが消えれば、形が崩れる。どれも、消えなかった。その真ん中で、ハチの黄色い灯りが、両腕を広げたまま、ブロックの底を照らしていた。
ブロックの丸窓に、七隻の灯りが一つずつ映った。百十二の窓に、何百もの小さな灯が並んだ。
回線から、声が消えた。聞こえるのは、タルクの船体の唸りと、ハチの座席の下で冷却の風が回る音だけだった。ケイの耳に、自分の息の音が戻ってきた。
「……やった」コマが、ヤットコの操縦席で、寝袋を拳で一度叩いた。「やった、やった。ねえ、あたしの金具、数えた? 三百十二個」
「数えた」トレイの船長が言った。「三百十一だ」
「一個、どこ行ったの」
「お前の寝袋の中だ。さっき画面に映ってた」
コマが寝袋の口を覗き込んで、黙った。ブンが老眼鏡を外し、布で拭いた。拭いてから、掛けずに膝に置いた。トレイの船長の鉛筆が、紙の上で、一行だけ走る音がした。サワは魚の話も請求の話もしなかった。巡視艇の灯りが、一度、瞬いた。
遠くの暗がりで、作業灯の灯りが、向きを変えて、見えなくなった。見ていた者が、見るのをやめた。それだけのことが、ケイの肩から何かを一つ下ろした。
「ハチ、残圧なし、干渉なし」テツの声が、トレイの船室から来た。「ブロックA、曳航に入れます」
ケイは操縦桿から手を離した。掌を、膝で拭った。汗が指の間に溜まっていた。左の爪は、まだブロックの縁に触れたままだった。遅れて出た腕が、最後まで、そこにいた。
タルクの窓の暗がりで、掌が操縦桿を握り直した。低い声が来た。
「持った」
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