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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第7章 回収屋の小さな船団

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第90話 最初の署名

 暫定登録の通知は、ナバから戻った翌々日の朝に届いた。


 正式な資格証が交付されるまでの間、登録番号で署名ができる。点検の区分は、残圧容器と、それに付く油圧と電気の一部。ユイがそれを食堂の画面に大きく映し、テツは画面の前を通るたびに、目を逸らして早足になった。


「最初の署名、何にする」ヴィクが言った。


「何でもいいです」テツは言った。「何でも、はよくないですね。えっと、最初の署名って、記録に残るじゃないですか。一生。ずっと。だから、失敗しない物がいいです。小さい物。蓋一枚とか」


「蓋一枚に、署名は要らないよ」ヴィクが言った。


「じゃあ、蓋二枚」


「テツ、それ、放送で流していい?」ユイが端末を構えた。


「駄目です」


「倉庫Bの巻き胴」ヴィクは、もう決めていた。「ブロックAを岩に寄せる最後の何メートルかは、船で押すより、岩に据えた物で引くほうが揺れない。あの巻き胴を、点検して、動く物にする」


 倉庫Bの奥の大扉は、いつも半分だけ開けてあった。奥の部屋に、巨大な巻き胴が眠っている。ケイの背丈の倍ほどの直径があり、胴には二重の綱が、何重にも巻かれたまま錆の粉をかぶっていた。床に据えた台座から、太いレールの跡が二本、壁の向こうへ伸びている。レールは壁の下をくぐって、北のほうへ消えていた。


 ケイは入口で足を止めた。


 ここに初めて入った日、ケイはこの巻き胴を、自分の手で動かすつもりでいた。台座のボルトの錆を落とし、胴の軸受けに油を差し、電気さえ通せば回る、と。今日、ケイは入口より先へ入らなかった。


 若い保守員が、台座の横の銘板を布で磨いていた。錆の下から、刻んだ字が出てくる。型番。製造の年。定格の荷重。磨き終えると、定格の数字が、頭灯の光で読めるようになった。コロのどの船より大きい数字だった。


「読めます」若い保守員が言った。「定格、この数字です。タルクの船でも、これは引けないです」


「引けない物を、引くために作ったんだよ。岩の上に据えてね」ヴィクが言った。「読めるように書き写しな。蓋の裏の書き方で」


「ケイさん、見ますか」若い保守員が振り向いた。


「見えてる」ケイは入口から動かなかった。「字が大きいから、ここから読める」


 若い保守員は、少し笑って、それを書き写した。


 リレーの船長が、外の口から給電の線を引いてきた。太い線を肩に担ぎ、白板を脇に抱えている。白板には、今日の順番が四行、書いてあった。


「一、線をつなぐ。二、ヴィクの配線を点検する。三、有資格者が署名する。四、回す」リレーの船長は白板を台座に立てかけた。「三がなかったら、俺は四をやらない」


「三は、僕です」テツが言った。声が上ずっていた。


 ヴィクの配線は、三日かけて引き直した物だった。巻き胴の電動機から制御盤まで、古い線を全部抜いて、新しい線に替えてある。テツは点検機を持たずに、自分の目と手で、端子を一つずつ確かめていった。締め具合を指で確かめ、端子の番号を読み上げ、図と照らし合わせる。軸受け。ブレーキ。綱の留め具。胴の縁の割れ。


 一時間かかった。誰も急かさなかった。ケイは入口の枠に肩を預けて、一度も喋らなかった。喋れば、手を出す気がした。


「……終わりました」


 テツは点検の紙を台座に置き、書式の欄を上から埋めていった。日付。機器の番号。点検の区分。結果。署名の欄に、登録番号と、自分の名前。ペンの先が、名前の最後の字で、ほんの一瞬止まってから、はねた。


 ヴィクが、その紙を受け取った。一番下の欄に、立会いとして、自分の名前を書いた。


「下」テツが小さく言った。


「下だよ」


「電気、入れる」リレーの船長が言った。「四秒で上がる。……入った」


 制御盤の灯りが、順に点いた。緑。緑。黄。黄が、緑に変わった。電動機が、低く唸り始めた。唸りは床を通って、ケイの靴の裏まで届いた。倉庫の奥の暗がりで、何十年も止まっていた物が、息を吸う音だった。


「ブレーキ、外します」テツが操作席の把手に手を置いた。「ゆっくり」


 巻き胴が、動いた。


 はじめは、動いているのか分からないほど遅かった。胴の表面の錆の粉が、ずれて落ちた。それで、回っていると分かった。胴の下から、床に垂れていた二重の綱が、持ち上がり始めた。綱が張る。床から離れる。張った綱が細かく震えて、その震えが天井まで伝わった。天井の梁に積もっていた埃が、いっせいに降ってきた。灯りの中を、灰色の雪のように、ゆっくり、全員の頭の上へ。


 ケイは埃の中に、立ったままでいた。肩に積もった埃は、払わずにおいた。


「止めて」ヴィクが言った。テツが把手を戻した。巻き胴が止まり、綱が空中で静止した。


 ヴィクは埃だらけの頭で、全員を見回した。最後に、入口のケイを見た。


「今日から、これはテツの署名で動く」


 テツの手が、把手をもう一度、押した。巻き胴が、一回転した。


読んでいただきありがとうございます!

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