第85話 取り分の重さ
朝、ケイはハチで北の溝を抜けた。
二本目の接岸口の脇から、溝は岩の奥へ細長く切れ込んでいる。旧採掘の跡だった。幅はハチを三台並べたほどで、両側の壁に、固定杭が等間隔に打ち込んである。昔の採掘艇が索を掛けて体を留めた杭で、どれも頭に、索を掛ける溝が一周刻んである。口は喉のように細く絞れていて、抜けると中は広い。奥まで抜ければ、岩の裏へ、外を回るより半分の時間で出られる。ケイはこの近道を、使うたびに一本ずつ杭の顔を覚えていた。
灯りの輪の中を、杭が次々に過ぎていく。三本目で、ケイはハチを止めた。
杭の首に、索の擦れ跡が巻きついていた。前に見た跡の上に、もう一本、新しい跡が重なっている。前の跡より太い。頭の溝が、索の形に深く削れて、地金が銀色に光っていた。ハチの索では、こんな削れ方はしない。タルクの曳航索なら、する。
ケイは爪で削れた面を撫でた。粉が指先の灯りの中に舞って、溝の奥へ流れていった。奥は暗く、灯りを向けても底が見えない。溝はその先で緩く右へ曲がり、岩の陰に隠れていた。
点検機で二枚撮り、写真をヴィクへ送った。
「太いね」ヴィクの返事は早かった。「タルクの索くらいある。タルクは、ここを通るのかい」
「通らない。あの船は、溝に入らない」
「なら、別の太い索だ」ヴィクは言った。「覚えときな。あんたの岩の裏に、誰かが索を掛ける杭を知ってる」
「覚えとく」ケイは溝を出た。出る前に振り返ると、溝の奥の暗がりは、灯りを全部吸い込んだまま、何も返してこなかった。
* * *
昼過ぎ、食堂の奥の卓に、船長たちが集まった。来られる者は、船でコロまで来ていた。サワ、トレイの船長、リレーの船長、コマ、ブン。タルクは来なかった。卓の端に立てた端末の画面に、いつもの掌が映っている。重曳航艇は、コロの接岸口に入る大きさの船ではない。
「取り分表を作る」ブンが紙と鉛筆を引き寄せた。「古い順に、上から」
「前払いの欄を、一番上に」コマが言った。
「重さの欄は」画面の掌が、指を一本立てた。
ケイは卓の真ん中に、カノンの図を広げた。印刷した紙を四枚つないだ物で、卓からはみ出した端がオトの配膳台に垂れた。オトが何も言わずに、垂れた端の上に塩の壺を置いた。
「表は作らない」ケイは言った。「持ってきた物を、出してくれ」
船長たちが、顔を見合わせた。持ってこいと言われていたのは、ケイの通信に書いてあった一行だけだった。『一番使う道具を、一つ』
「本当に持ってくると思わなかった」コマが言った。「持ってきたけど」
「俺は、持ってこない奴がいると思ってた」ブンが言った。「持ってきたけどな」
サワが最初に出した。巻いた索の端で、編み目の一か所だけ、色の違う糸で継いである。「うちの索。切れたのを自分で継いだの、ここだけ」
トレイの船長は、荷の固定具を一つ置いた。鉛筆で、使った回数が柄に刻んである。リレーの船長は、太い接続端子を。コマは、握りのゴムが擦り切れて手の形にへこんだ、小さな切断具を。ブンは、薄い金属の板を扇のように束ねた物を出した。隙間を測る、古い計りだった。一番薄い一枚は、紙より薄かった。
「タルクのは」ケイが画面の掌を見ると、掌は動かなかった。
「ここ」トレイの船長が、足元から重そうな袋を持ち上げた。「預かってきた」
袋から出てきたのは、掌ほどもある鉄の輪だった。索を掛ける環で、内側が擦り減って、灯りを白く返している。卓に置くと、卓が鳴った。画面の中で、掌が小さく動いた。
ヴィクが、テツの点検機を、コロの分として卓に置いた。テツはまだナバだった。
ケイは道具を一つずつ持ち上げて、図の上へ動かした。タルクの環は、居住ブロックAの付け根の吊り点へ。ブロックを持ち上げて運ぶ、いちばん重い場所だった。コマの切断具は、ブロックの外側の、細かい配管と金具が集まる所へ。一個一個は小さいが、数が多い。ブンの隙間計りは、ブロックと背骨の継ぎ目の上へ。継ぎ目は、船団の誰よりも先に、誰かが入って測らなければならない。トレイの固定具は、剥がした部材を積む場所へ。リレーの端子は、残圧容器の横へ。サワの索は、ブロックの振れを抑える、長い線の端へ。点検機は、容器の真上。
最後に、ハチの爪のゴムの当て板を一枚、外して、継ぎ目の最後の一点の上に置いた。「置いた所が、取り分だ」
卓の周りの声が、止まった。ボウの索の端が、図の上でほどけかけて、サワが指で押さえた。
「重い所は、俺か」画面の掌が言った。
「重い所は、あんただ。持った重さで分ける」
「細かいのは」コマが切断具の横に指を置いた。「数えていいの。一個ずつ」
「外した数で分ける」
ブンが、隙間計りの上に置かれた自分の指を見ていた。「……継ぎ目に、最初に入るのは、俺か」
「最初に入るのは、あんただ」
老人は、指を隙間計りに置いたまま、長く息を吐いた。
「若いのが後ろから来るのは、構わん」ブンは言った。「前を歩かせてくれるなら」言いながら、隙間計りの一番薄い一枚を、扇から一度抜いて、また戻した。
「前払いは」コマが、最後に言った。声がさっきより小さかった。
オトが配膳台から身を乗り出した。「作業の間、ここのご飯は付けにしとく。船で食べる分も、包む。払いは、取り分が出たら」
コマはオトを見て、それから卓の上の自分の切断具を見た。握りのへこみに、親指を合わせた。「……包むの、多めに」
「多めにする」
「あたしの付け、名前で書いといて」コマは付け足した。「艇の名前じゃなくて」
オトが配膳台の板に、チョークで『コマ』と書いた。その下に、一本、線を引いた。
その夕方、管轄から通知が届いた。応札は一件。条件を満たしており、カノンの回収権は船団に付与する。ユイが食堂の画面にそれを映すと、何人かが手を叩いた。サワは叩かなかった。卓の上の図と道具を、端から端まで眺めていた。
「で」サワが言った。「請求は、どこに書くの」
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