第82話 一隻じゃ入れない
条件は、告知の一番下に、いちばん小さな字で書いてあった。
『応札は、居住ブロックの接続部に残る残圧容器を安全に処理できる船団に限る。船団には有資格の点検者を一名以上含むこと』
ケイは自室の机で、その二行を三回読んだ。机の端に留めた万力が、まだハチの左腕の継手を噛んでいる。横の紙には『なぜ』と書いた下に、線を引いて消した行が三つ並んでいた。継手。弁。油の粘り。どれも、手で確かめて外れた答えだった。
船団という字の前で、ハチは一隻分しかなかった。黄色い小型艇が一隻と、腕が二本。一本は遅れる。残圧容器の処理なら、ケイは何度も見てきた。見てきただけで、署名の欄に書ける名前は持っていない。
端末を持って、ボウを呼んだ。
「うちに声を掛けるのは、請求書が要る時だけかと思ってた」サワの後ろで、干した魚が三匹、今日も揺れていた。「ガラ場ね。行くよ。行くけど、あそこは遠い。燃料代は、あなたの岩の大きさで出す」
「岩の大きさは変わってない」
「住んでる人の数で出す」サワは干した魚の一匹を、指で数えるように弾いた。「増えたでしょう、ずいぶん」
ケイは頷いた。増えたのは本当だった。
「それと」サワは干した魚の列の向こうから、身を乗り出した。「ガラ場に潜るなら、小さいのが要る。大きい船は、骨の中まで入れないから。知ってる子が二人いる。腕はいい。口は、面倒」
* * *
昼の寄港で、ケイはポルカの操舵室の戸口に立った。エマは航路図から目を上げずに、話を最後まで聞いた。
「ポルカは入らない」
「まだ頼んでない」ケイは戸枠に手を掛けた。
「頼まれる前に言っておくの。この船は客の物。客を乗せたまま、残圧の残った船の横には付けない」エマは図の上の、灯りの消えた区間に鉛筆で丸をつけた。「その代わり、ガラ場に出入りする船の噂なら、客から聞ける。黒い重い船の話は、キサの鉱夫が二人、別々にしてた」
「どんな話だ」
「夜に灯りを消して走る。走るのが上手い」エマは鉛筆を置いた。「それだけ。噂は証拠にならないから、お代はいらない」
* * *
夕方、画面に窓が七つ並んだ。
冷凍庫を運んだ日の五つに、二つが増えていた。タルクの窓は相変わらず暗く、掌だけがカップを包んでいる。トレイの船長は耳に鉛筆を挟み、リレーの船長の白板には、まだ何も書いていない。ボウの魚。ハチの座席の背もたれ。そこまでは見慣れた顔だった。
新しい一つ目の窓は、狭かった。操縦席の背もたれのすぐ後ろに、寝袋が天井から吊ってある。寝袋の口から靴下が片方はみ出していた。席の女は二十代の半ばで、髪を結束バンドで一つにまとめ、計器盤の燃料の目盛りに付箋を貼っている。付箋には『これ以下で帰る』と書いてあった。艇の名はヤットコ。船長はコマと名乗った。
もう一つの窓では、老人が老眼鏡を額に上げていた。背後の壁には、紙の海図が何枚も重ねて留めてある。全部、手書きだった。鉛筆の線の上に、別の年の線が色を変えて引き直してあり、いちばん新しい赤い線が、ガラ場の奥で細長い船の形を描いていた。艇はカンナ。名はブン。
「最初に言っておく」ブンが、誰よりも先に口を開いた。「ガラ場で一番古いのは俺だ。話は古い順にしてくれ」
「話の前に、前払い」コマが被せた。「取り分の三割。先に」
「若いのが、順番を飛ばすな」
「順番で燃料は入らないでしょ」コマは付箋を爪で叩いた。「行って、帰れなくなるのは、あたしの艇なんだから」
ケイは二つの窓を見比べた。どちらも、相手の顔を見ていなかった。見ているのは、画面の真ん中に映したカノンの図だった。
「入札の条件は、残圧の処理だ」ケイは図の三つの膨らみの付け根を、指で丸く囲んだ。「ここに容器が残ってる。切る前に抜く。抜くのは、有資格者の署名がいる。抜けたら、居住ブロックを一つずつ切り離して、曳いて帰る。部品は売る。ブロックは、うちの岩で家にする」
「家」トレイの船長が、鉛筆を耳から外した。「行きは、何を積む」
「何も」
「空で行く便は出さない」トレイの船長は鉛筆の尻で、自分の紙の一行を叩いた。そこだけ、赤で囲ってあった。
「コロの資材を積んでいけ。切ったあとの当て板と、索と、灯り。帰りは部材だ」
鉛筆が紙の上を走った。「……それなら、行く」
リレーの船長が、白板の真ん中に大きく『4』と書いて、その下に線を引いた。「抜くときの電気は、俺が持っていく。四秒より長く止める作業は、計画に書くな」
「書かない」
「燃料」コマがまた言った。「順番」ブンが、同じ速さで言った。二人の声が重なって、どちらも引かなかった。
ボウの窓で、サワが笑いを噛み殺していた。ケイは両手を机に置いたまま、どちらの窓にも指を向けなかった。取り分の話は、苦手だった。物の重さなら掌で分かる。人の欲は、どこを持てば持ち上がるのか、見当がつかない。
タルクの掌が、カップを置いた。低い声が、窓の奥から来た。
「重いのは俺。取り分も、重さで」
コマとブンの声が、同時に止まった。ほかの六つの窓の顔が、一つ残らず、タルクの暗い窓の方を向いていた。
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