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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第6章 港より先に、航路を売る

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第78話 大きい船主の紙

 オルカ船舶の担当は、模型を抱えて食堂に入ってきた。


 腕の長さほどの、細長い模型だった。腹が長く、船首は丸く、船尾に回転継手の太い円筒が付いている。ワルツだった。塗装の色も、船腹の番号も、映像で見た船と同じだった。担当は四十前の女で、船主の会社の上着を着て、模型を卓の真ん中に、船首をコロの丸い口の方へ向けて置いた。


「社長が、持っていけと言いまして」担当は言った。「実物は持ってこられないので、せめて、と」


「重かっただろう」


「軽いんです。中が空で」担当は模型の腹を指で叩いた。乾いた音がした。「実物の腹も、あの日までは、同じくらい空っぽに見えました。軸が抜けて、中身が戻るまでは」


 カザの声が、担当の端末から聞こえた。船は遠い航路の上にいて、映像は出ていない。


「俺からは一言だけ。次の整備も、あの枠で頼む」


「あの枠は、まだトバにある」


「分かってる。だから、条件付きだ」カザは言った。「続きは、紙の人に」


 担当は鞄から紙を三枚出した。一枚目に、利用の条件。二枚目に、年に何度、どの程度の整備を頼むかの見込み。三枚目に、予約金の欄があった。


「アーチがこちらの岩で使えるようになれば、ワルツと同型の二隻を、年に数回、ここで整備します。その約束に、予約金を置きます」担当は三枚目の欄を、爪で示した。「期日までにアーチが来なければ、全額お返しいただきます。利息は付けません。お返しいただく先の口座は、こちらで指定します」


 ケイは三枚目を、指で押さえたまま動かさなかった。額は、今のアーチ口座の数字と並べても、目を引く大きさだった。


 ユイが、卓の端から覗き込んでいた。口が、声を出さずに数字の桁を数えている。


「アーチ口座に入れたら、一気に」


「入れない」ケイは言った。


「え」


「別の口座を作る。そこに置く」ケイは三枚目の欄の下に、指を置いた。「返すかもしれない金だ。数えない」


 担当が、ケイの顔を見た。値踏みする目ではなかった。紙の上の数字を確かめる目で、ケイの顔を確かめていた。


「数えないで、どうなさるんです」


「置いておく。期日が来たら、返すか、返さないか。そのとき分かる」


「社長に、そう伝えます」担当は紙に署名し、ケイの前へ滑らせた。ケイも署名した。ヴィクが、立会いの欄に名前を書いた。ヴィクの字は、紙の上でも、頭灯で読める大きさだった。


     * * *


 口座は、その日の午後に作った。


 ユイが窓口の端末で書式を開き、名前の欄で手を止めた。アーチ口座、運転口座。もう一つ要る。


「名前、何にする」


「何でもいい」


「何でもいいは、書式が受け付けない」ユイは欄を指で叩いた。「予約金口座。オルカ口座。返金用。……返すかもしれない口座」


「最後のにしろ」


「本気?」ユイは笑いながら打ち込んだ。打ち込んでから、画面を見て、笑いが止まった。『返すかもしれない口座』。字にすると、長かった。「……これ、毎月の帳簿に出るよ。ヴィクさんが見るたびに、嫌な顔する」


「嫌な顔をする口座でいい」ケイは言った。「見るたびに、まだ俺の金じゃないと分かる」


 ヴィクが、窓口の後ろを通りかかって、画面を覗いた。何も言わずに、鼻を一度鳴らした。嫌な顔の練習のようだった。


 予約金が入った。入った数字を、ケイは見なかった。アーチ口座の画面だけを開いて、その数字を、指で一度なぞった。ワルツの軸を抜いた分と、毎日の積立と。本体の値段には、まだ、半分も届いていなかった。


     * * *


 担当は帰る前に、食堂の壁の前で足を止めた。


 壁には、アーチの図面が貼ってある。紙が壁に収まらず、端が廊下へはみ出して、床のテープの黄色と並んで走っている。その隣に、ユイが貼った写真が一枚あった。コロの丸い口を、真正面から撮った物だった。ポルカが入るために、ケイが最初に直した口だった。


 担当は、模型を持ち上げ、丸い口の写真に当てた。写真の中の口は、模型の腹の十分の一しかなかった。模型の船首の丸みだけで、口が隠れてしまう。担当は、それを見て、笑った。声を立てずに、肩だけで。


「入りませんね」


「入らない」


「入らないから、枠を買う」担当は模型を下ろした。「うちの社長も、同じことを言っていました。入らない物を入れる所に、船主は金を置くと」


 担当は、模型を鞄にしまおうとして、手を止めた。


「これ、置いていってもいいですか。持って帰っても、社長の机の上で埃をかぶるだけなので」


「置き場がない」ケイは言った。


「あるよ」ユイが、食堂の棚の一番上を指さした。オトの調味料の瓶が並んでいる段の、端が一つ空いていた。「そこ、オトさんが塩の瓶を割ってから、空いてる」


 オトが厨房から顔を出して、割った瓶の話を始める前に、頷くだけ頷いて引っ込んだ。


 夜、食堂の灯りが一段落ちたあとも、模型は棚の上にあった。船首を丸い口の写真の方へ向けたまま、写真の前に、腹の長い影を落としていた。


読んでいただきありがとうございます!

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