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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第6章 港より先に、航路を売る

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第76話 八つの金具

 六十四人棟は、長かった。


 三十二人棟の倍の長さがある。曳き始めてすぐ、ケイはそれを腕で知った。前でボウが引く。後ろでハチが支える。棟の真ん中が、わずかに遅れてついてくる。長い物は、端と真ん中で、動き出す時刻が違う。三十二人棟では感じなかった遅れが、ハチの指の付け根に、じわりと来た。


 窓の下の金具は、八つあった。


 ハチの指が届くのは、そのうち二つずつ。右で一つ、左で一つ。前の二つを持てば、後ろが振れる。後ろを持てば、前が振れる。ケイは棟の外壁に沿ってハチを滑らせ、金具を持ち替えていった。右の指を離し、次の金具へ伸ばす。届く。掴む。左を離す。左が、半拍遅れて次の金具を掴む。


 写真で見たとき、この金具に、ハチの指はまだ届くはずだと思っていた。届いた。届いたが、八つを全部同時には持てない。持てない物を、持ち替えながら運ぶ。


 五番目の金具を掴んだところで、棟が振れた。


 前でボウが向きを変えた。変えた分だけ、棟の後ろが外へ回る。ハチごと、外へ持っていかれる。ケイは逆へ噴かそうとして、止めた。止めた手を、操縦桿の上で開いた。


 回るなら、回らせる。


 棟の後ろが外へ回りきるまで、ハチは金具を掴んだまま、一緒に回った。星が、窓の外で半円を描いた。ハチの座席が、背中に押しつけられる。回りきった所で、棟が止まりかけた。止まりかけた一瞬に、ケイは右の指で次の金具を掴み、左の指を離した。棟の振れは、そこで戻り始めた。


「今の、わざと?」サワが聞いた。


「回らせた」


「前も聞いた気がする、その台詞」


「前も言った」


     * * *


 コロの北の稜線が見えてきたのは、曳き始めて一日半が過ぎた頃だった。


 溝の口が、黒く口を開けている。新しい接岸環の保温帯の緑の粒が、その脇に十二、並んでいた。棟は、溝の口の手前を回り込んで、北宿舎の東の廊下の先へ寄せる。溝の口の前を、横切ることになる。


 ボウの船の後ろの甲板に、テツが乗っていた。点検機を膝に抱え、棟の金具の映像を見ている。金具に亀裂が出れば、真っ先に分かる位置だった。


 溝の口の前を、棟が通り過ぎようとしたとき、テツの声がした。


「ケイさん。溝の中から、何か出てきます」


 ケイは首を回した。溝の暗がりから、小さな船が一隻、滑り出てきた。灯りを全部消している。船体の輪郭が、星を隠す形でしか見えない。船は棟の影に入り、そのまま、コロと反対の方角へ、音もなく離れていった。噴射の光も、ほとんど見えなかった。細く、短く、必要なだけ吹いている。


「今の船、コロの登録ですか」テツが言った。


「違う」


「溝は、誰も使ってないはずですよね。僕、この前、ヴィクさんの古い図面を見たんです。旧採掘の溝で、口が細くて、杭が並んでて、昔の採掘艇を繋いだ跡だって。今は誰も」テツの声が、早くなった。「誰も使ってないはずです」


「はず、だな」


「撮ってればよかった。撮ってないです。金具のカメラしか回してなくて、溝の方は」


「金具を見てろ」ケイは言った。「今は、金具だ」


 テツは端末を膝に抱え直した。棟の振れが、また来ていた。


     * * *


 接続は、夕方までかかった。


「押すな。寄せるだけ」ヴィクの声が、北宿舎の東の廊下の内側から入った。「接続口の縁に、パッキンが二重に入ってる。潰したら、在庫はない」


「寄せる」


「寄せたら、止まって。止まったら、待って」ヴィクは言った。「待つのが、あんたの一番苦手な工程だ」


 棟の接続口を、北宿舎の東の廊下の先の、倉庫だった場所の壁に合わせる。ヴィクが電源と循環の枝をつなぎ、若い保守員が、盤の蓋の裏に型番と日付と理由を書いた。検査は翌日。住人の荷は、先に着いた人たちが、客室で解かずに待っていた。


 夜、ケイは食堂の窓の前に立った。


 窓の外に、窓が並んでいた。岩肌の向こうの、北の端に、新しい窓の列が二つ。上の列と下の列。どちらもまだ灯りは点いていない。下の列の東から三つ目の窓の下にだけ、小さな丸い光が残っていた。ハチの予備の作業灯は、外す手順の紙に載っていた。ケイは、その行に、明日の日付を書いておいた。


 窓の真ん中を、橙色の線が横に切っている。食堂の窓からでも、それは見えた。


 食堂の奥の卓で、リムから来た老人が、同じ窓を見ていた。湯呑みを両手で包んで、飲まずに。


 オトが、ケイの隣に来て、同じ窓を見た。


「窓が増えると、皿が増える」オトは言った。「皿が増えると、洗う人が増える。洗う人が増えると、また皿が増える」


「終わらないな」


「終わらないのが、食堂」


 テツが、食堂の入口から入ってきた。点検機の端末を、両手で持っている。顔が、いつもより白かった。


「ケイさん。溝の船、点検機が撮ってました。棟の金具を見てたカメラの端に、ちょっとだけ」テツは端末をケイに差し出した。画面の隅に、黒い船体の一部が写っていた。暗い。ほとんど何も見えない。その中に、白い塗料の数字が一つ、半分だけ光を拾っている。


「船体番号の、一桁だけです。七か、一か。僕には、七に見えます」


読んでいただきありがとうございます!

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