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星を買うには三百人  作者: 雅龍(がりゅう)
第6章 港より先に、航路を売る

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第75話 灯りを消して曳く

 住人は、先に移った。人を乗せたまま家を曳くことは、ヴィクが許さなかった。ケイも、最初から、そのつもりはなかった。移る人たちは、リムの港からナバへ、ナバからポルカでコロへ。切符はエマの表の、いつもの便の、いつもの値段だった。転居の費用の欄に、ケイは船賃の合計を書き込んだ。数字を見て、手を止めず、次の欄へ移った。出発の前に、エマから通信が来た。


「転居の客も、客。船賃は同じ」


「分かってる。払うのは俺だ」


「なら、領収書は、あなた宛てで切る」エマは言った。「荷物の多い人がいたら、先に言って。荷室の割り振りを、今夜のうちに組む」


「箪笥が一つある。脚が外れない」


「脚が外れない箪笥は、荷室の奥。ケイ、外そうとしないでね。人の箪笥だから」


 ケイは、工具袋に伸びかけていた手を、膝に戻した。


 リムの足場の上で、最後の組が荷物をまとめていた。老人が一人、窓の前から動かなかった。棟の下の列の、東の端から三つ目の窓だった。昨日、ハチに向かって窓枠に肘をついていた人だった。部屋の荷は、もう箱に詰めてある。窓の前に、椅子が一脚だけ残っていた。


「曳くとき、この窓の灯りを、一つ点けたままにしてくれ」老人は言った。「一つだけでいい」


「中の電気は、全部落とす」ケイは言った。「曳いてる間に、配線が揺れる。火が出たら、誰も消せない」


「知ってる。この棟の電気を、四十年見てきた」老人は窓枠を指で叩いた。「だから、頼んでる。無理だと分かってて頼むのは、年寄りの特権だ」


「誰かが、見てるのか」ケイは聞いた。


「見てたよ。昔は」老人は窓の外の、暗い区画の方へ顎をしゃくった。「今は誰もいない。いないのは分かってる。分かってても、この窓は、四十年、夜に点いてた。点いてない窓で運ばれるのは、この窓に悪い」


 ケイは窓を見た。窓の外、足場の縁の向こうに、リムの暗い区画が広がっている。窓枠の、老人が叩いた所だけ、塗装が擦れて地の金属が見えていた。


「中は、点けない」


 老人は頷いた。頷いて、椅子を持ち上げた。椅子の脚が一本、床から離れるのが遅れた。ケイは手を出して、脚を支えた。


     * * *


 外灯は、ハチの腹の予備を使った。電池式の、小さな作業灯だった。棟の外壁の、下の列の東から三つ目の窓の真下。窓の下の金具と金具の間に、ハチの右の指で、磁石の台座を押しつけた。岩で使うための磁石だったが、棟の外板にも吸いついた。スイッチを入れると、窓の下の壁に、小さな丸い光が広がった。


 光は、窓の中までは届かない。窓の縁を、下から照らしているだけだった。


「それ、規則違反?」サワがボウの船から聞いた。


「外の灯だ。船の灯と同じ扱い」


「屁理屈。でも、うち、そういうの好き」サワは笑った。「請求に、灯り代は入れないであげる。今回だけ」


 老人は、足場の端から、その光を見下ろしていた。窓の中は暗いまま、窓の縁だけが、下から丸く照らされている。老人は椅子を抱え直して、連絡艇の乗り口の方へ歩いていった。椅子の脚が、歩くたびに、腰の横で揺れた。


     * * *


 コロでは、ユイが倉庫の前で腕を組んでいた。


 64人棟の接続口は、北宿舎の東の廊下の先、新しい口の手前に付くことになっていた。その廊下の突き当たりの倉庫が、通路に変わる。倉庫の中身を、どこかへ動かさなければならない。


 倉庫の奥に、巻き取り機がいた。修理ベイの隅が工具で埋まった日に、ユイがここへ越させたのだった。胴に下がった札には『入居者:巻き取り機(仮)』、その下に印字の『転居先:修理ベイ』があり、『修理ベイ』には線が引いてある。横に、使えない湯沸かし器が三台、光る外装を揃えて並んでいた。ケイがかつて、光り方に惚れて買った物だった。


 ユイはペンの蓋を口で外し、巻き取り機の札に一行書き足した。『転居先:未定』。字が、札の端からはみ出していた。


「湯沸かし器にも、札」ユイは、三台の湯沸かし器の前にしゃがんだ。「入居者、湯沸かし器一号、二号、三号。転居先、未定。家賃、未納」


「家賃を取るのか」


「取るよ。置き場代。ケイから」ユイは立ち上がって、札を三枚、湯沸かし器の取っ手に下げた。「工房ができたら、そっちに引っ越し。できる予定は?」


「未定だ」


「全員、未定」ユイは笑って、放送室の回線に何か吹き込んだ。夕方の番組の、ネタ帳だった。


     * * *


 切り離しは、翌朝だった。リムの足場の固定具を、資材所の担当が一つずつ外していく。棟の重さが、足場から、ボウの索とハチの腕へ移っていく。ハチの右の指は、棟の東の端の金具。左の指は、その隣。左は半拍遅れる。ケイは左に先に命令を出しておき、右が掴む瞬間に、左が追いつくように合わせた。


 最後の固定具が外れた。足場と棟の間に、指一本の隙間ができた。それが手の幅になり、腕の長さになった。二列の窓は、全部暗い。その中で、下の列の東から三つ目の窓の真下にだけ、小さな丸い光が灯っていた。


 リムの管理室の窓で、誰かが手を上げた。ラズだった。上げた手は、すぐに下ろされた。


「ボウ、引け」


「引く」


 索が張った。棟が、ゆっくりと足場から離れ、暗いリムの区画を背にして、動き出した。


読んでいただきありがとうございます!

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